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■夏の日の想い出・秘密の呪文(15)

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それで私が連絡を取ったのは、古い友人である、カチューシャの鳥野干鶴子である。
 
カチューシャというのは下記3組の合体バンドである。
 種田広夢(トレショトカ/Vo)
 線香花火 鳥野干鶴子(バラライカ/Vn/Gt)+竹原杏菜(バヤン/Fl)
 シレーナ・ソニカ 磯崎穂花(Dr)+喜多優香(B)
 
シレーナ・ソニカはローズクォーツの2代目代理ボーカルである(2013.8-2014.3).
 
私は中学生時代に、干鶴子・杏菜と同じオーケストラに所属していたので古い付き合いである。
 
トレショトカというのはロシアのパーカッションで、富山県のこきりこで使用する“板ざさら”にもちょっと似た系統の楽器である。多数のウッドブロックを連ねた形をしている。それに干鶴子・杏菜のバラライカ・バヤンを加えて、この5人でロシア民謡・ロシア歌曲などを演奏する。全国の小中学校などを巡って公演をしていたのだが・・・コロナの影響で2020年春以降、全く学校訪問ができない状況に陥っている。つまり現在は開店休業状態である。
 
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彼女たちにKYRのビデオを見せると、
「この子たちいいね」
と気に入ってくれた。それで彼女たちが浜松に行って、KYRの子たちを指導してくれることになったのである。私は湯河原レコードの承認も取って、KYRとサマーガールズ出版との間で契約を結ぶことにし、カチューシャのメンバーの滞在費を含む制作費をサマーガールズ出版で出すことにした。
 
「物は相談」
と干鶴子は言った。
「何か?」
「カチューシャって事務所が無いのよ。冬ちゃん、私たちを拾ってくれない?」
「いいよー」
「ついでに資金的な支援もしてくれると嬉しいな」
「んじゃ、最低報酬補償方式で」
 
それで私はカチューシャをサマーガールズ出版と契約させた。そしてその後、§§ミュージックの歌手たちの伴奏(手が足りてない)にも借り出すことにした。彼女たちは突然忙しくなって、嬉しい悲鳴をあげていた。彼女たちは平日は§§ミュージックで伴奏の仕事をし(実は信濃町バンドのメンツにもカウントしている)、土日に浜松に行く。
 
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種田広夢以外の4人は既婚者なのだが、この結果彼女たちの夫は放置されることになる。君たちが離婚になっても、私は責任持たないからねー、と取り敢えずは言っておいた。
 

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KYRの制作に関する費用は先行して出して制作作業を進めてもらっていたのだが、ローズ+リリーの白石マネージャーが彼女たちの保護者と会い交渉を進めて、契約書に保護者がサインしたのが12月25日のことである。私は小浜から戻った1月2日に、東京で彼女たちおよび保護者たちと深川アリーナの食堂で会って、会食をした。ここは各々のスペースがアクリル板で区切られ強制換気もされている。基本的に会食禁止になっている中で★★レコードが認定した数少ない会食OKの場所である。保護者たちは食事を給仕する“プラスチックスタイル”のメイド服を着たスタッフにも驚いていた。
 
参加したのは、45人乗りの大型バスに乗せて連れてきた、キールのメンバーと保護者(15人)、カチューシャの5人、私と鬼柳社長・佐田営業部長、契約交渉をまとめた白石マネージャーという24人になる。結構な大人数で、私もこの人数で食事するのは久しぶりだった。
 
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それでこの日の話し合いで、キールのデビューアルバムは1月20日(水)に発売されることが決まった。音源制作自体は既に完了しているのだが、それまでにPVの制作もすることになった。
 

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1月2-5日は、青葉・ラピスラズリと一緒に“作曲家アルバム”の作曲家さんを訪問した。お正月で本来はラピスラズリは忙しいのだが、冬休みで学校が休みであるのを利用したものである。また2月には青葉が水泳のジャパンオープンに出るので、それを避けて1月に取材することにした。
 
最初は前回のワンティス出身の作曲家の続きで、1人残っていた村中ハル(中村将春)さんを訪問した。学生時代に大学生バンドでギターを弾いていたが、クリッパーズの結成時に誘われてベーシストとして参加。クリッパーズ解散後は一時期新潟でレストランのスタッフをしていたが、後に音楽学校の講師として音楽業界に復帰。2013年にワンティスが活動再開した時、ギタリストとして加わったのである。
 
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ちなみに本名が中村なのに、作曲家名が村中になるのは、UNICORN / VANILA の川西幸一が、西川幸一とも名乗る(どちらが本名か分からなくなっている人が多い)のに倣ったものらしい。
 
中村さんは常識人なので、取材はとても平和に進行した。
 

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その後は、女性作曲家が3人続いた。
 
1月3日は香住零子さんを訪問した。
 
彼女は多作だし、書くジャンルも広い。また楽曲スタイルもバリエーションが多い。ある意味、千里と似たタイプの作曲家だよなと私は思っている。
 
実際彼女のヒット曲もこれまで、アイドル、ロックバンド、フォークグループ、演歌歌手など多岐に及んでいる。実はピアノソナタもこれまでに3曲書いている。実に多才な人である。
 
私たちはその様々な作品に触れながらインタビューを行った。
 

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1月4日に訪問したのは吉原揚巻さんである。
 
彼女は作曲家としてのキャリアは長く知名度は昔からあったものの、爆発的なヒット曲に恵まれなかった。2016年に奈川サフィーに提供した彼女のデビュー曲が50万枚を超える大ヒットとなって一流作曲家の仲間入りをした。その後も、奈川サフィーや最近ではUFOのメインライターとして活躍している。
 
ラピスラズリの2人はUFOの歌はよく聴いているので
「第三種接近遭遇好きです」
などと朱美が言って
「あれ、私も気に入っているのよ」
という吉原さんの反応を引き出していた。
 
「あの曲の冒頭の電子音でレミドソー・ソーってのが印象的ですよね」
「あれはね・・・ケイちゃんなら知ってるよね?」
と吉原さんは私に振ってくる。
 
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「あれは異星人との第何種遭遇というのを映画化した『未知との遭遇』という映画で使用されたUFOとの交信音なんだよ」
と私は教えてあげた。
 
「え〜?そうだったんですか!」
と朱美は本当に驚いていたようである。
 
「まあ、UFOが歌った曲は異星人ではなく異性人との第三種遭遇を歌ったものですね」
と青葉は笑顔で言っている。
 
「ちなみにその音が『007ムーンレイカー』では、細菌兵器の研究室に入る時の暗証番号として利用されていた」
と私は補足する。
 
「へー!すごい」
と朱美。
 
むろん彼女たちはそちらの映画も知らないであろう。『未知との遭遇』は1977年の映画、『ムーンレイカー』も1979年の映画で、彼女たちが生まれたのより25年以上前である。
 
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青葉はそれは知らなかったようで「へー」という顔をしていた。
 

1月5日は、私はとても頭が痛かった。
 
スイート・ヴァニラズのElise だったのだが、事前に電話してLondaにも付いていてもらうことにした。でないと、絶対飲んだくれてインタビューに答えるに決まっている。
 
当日、青葉・ラピスラズリと一緒にEliseのマンションを訪問すると
「ケイ、待ってたぞ」
とまるで酔っているような雰囲気。
 
Londaをチラッと見ると
「少なくとも私が来た昨日の夕方以降は飲んでいない」
と言っている。
 
それ以前のアルコールが残ってないか?
 

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しかし町田朱美も、この手の人間は、雨宮先生や海野博晃さんなどで体験している。
 
「Elise先生、そのイヤリングが素敵です」
などと笑顔で言うので
「おお、君は物の価値が分かるね。これティファニーのイヤリングで50万円したんだよ」
とEliseはご機嫌であった。
 
このタイプの人は、根は単純なので、相手の表情が読みにくい、後藤正俊さんや東郷誠一先生みたいなタイプよりは、扱いやすい。それで町田朱美もかなりうまくEliseを扱って、色々話を引き出してインタビューしていた。もっとも調子に乗りすぎて、電波に乗せるにはヤバい話も出て来たので、そのあたりは青葉と話し合って後で編集カットさせてもらった。
 
しかし朱美はEliseに随分気に入られていたようである。
 
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「あんた彼氏いるだろ?妊娠しないように確実に避妊させろよ」
などともアドバイスしていたが、むろん編集でカットした。
 
私やコスモスは町田朱美と彼氏(平野啓太)との交際については、黙殺している(黙認ではない)状況である。
 
青葉は1月2-5日は日中は§§ミュージックでコスモスなどと話したり、太田ラボで松本花子の打ち合わせをしたりして、毎日夕方から、私・ラピスラズリと一緒に作曲家さんの家を訪問した。そして1月6日の午後、ホンダジェットで能登空港に飛んで富山に帰還した。
 
浦和の家には小型の水泳練習場があるらしく、取材の仕事をしながらも毎日3時間くらい泳いでいたらしい。オリンピック選手も本当に大変である。
 
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「美鶴ちゃん、少しは体調良くなった?」
と美鶴は川崎ゆりこ副社長から声を掛けられた。
 
「はい、もう元気です」
「だったら、私と一緒に来て」
と言われて、緒方美鶴(甲斐絵代子)は、ゆりこ副社長と一緒に出かけた。
 
副社長が運転する白いBMW 225xe iPower(エンブレムは事情により、日産のものを取り付けて偽装されている)に同乗する。
 
「実はさ、12月5日に歌ってもらったロッテ・ショコエールのCM曲なんだけどね。一応CDにして1000枚だけプレスしてロッテの本支店に配布したらしいんだけど、『この曲、市販してないんですか』という問い合わせが沢山来ているから、一般発売することにしたんだって。それで今日は再度あの曲を歌ってくれない?」
 
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「はい、分かりました」
 
それで新宿のXスタジオに行った。先月はここに体操服で来ちゃったな、などと思い出す。
 
でもあの時は***があったんだよなあ。今は無くなってしまった。でも無くなって女の子の形になったのはいいことなので、深くは考えないことにしている。
 
何か「性転換手術証明書」とかいうのも置いてあったし!?
 
ただ痛みが辛かったのを、カウンセラーの上野さんが中村晃子さんとかいうヒーラーの人を呼んでくれて合計3回もヒーリングしてもらったら、随分痛みが取れた。中村さんはこういう痛みを取るのが凄くうまいらしい。
 

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スタジオの中に入ると、あの時楽曲の指導をした野潟四朗さんがいる。
 
「おはようございます、野潟先生。お世話になります」
と挨拶する。
 
「おはよう、えよちゃん。話は聞いてると思うけど。あの曲を再度録るから」
 
「はい、聞いております」
 
「あの時は1時間で音源を作らないといけなかったから結構妥協したけど、今日は妥協無しで行くから」
「分かりました。頑張ります。よろしくご指導ください」
「うん」
 
それで美鶴は野潟さんの指導で再度あの歌を歌ったが。本当に野潟さんの指導は厳しかった。特に16分音符で細かく動く時に音程が微妙にずれる点を指摘され、かなり練習させられた。厳しいので思わず涙ぐみそうになる所を我慢する。でも3時間掛けて仕上げた歌唱は自分で聴いても「凄くよくできてる」と思うものであった。自分自身がこの3時間で凄く進化した気がした。
 
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そこまでできた所で野潟さんが
「いい出来になった。絵代子ちゃんも頑張ったね」
と言ったので、美鶴はここまで我慢していた涙があふれてきて
「本当にありがとうございました」
と御礼を言った。
 
「本番」と言われてから3回録った。どれもいい出来だという気がしたが、最終的にはこれらを再度聴き比べて、一番良い部分を繋ぎ合わせる編集をして完成品にするという話であった。通常、商業的に販売する作品はそうやって作るらしい。
 
それで今日は終わりかなと美鶴が思った時、野潟さんは衝撃的なひとことを言った。
 
「じゃ2曲目行こうか」
 
え?え?え?
 

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ところで1月1日夜、私が突然思いついて書いた『マチカ・マチリカ』だが、私は次のアルバム『ラブコール』に入れるつもりでいたのだが、譜面を見ていた八雲(旧姓氷川)さんは言った。
 
「これシングルにしましょうよ」
「え〜〜!?」
「だって、シングルは昨年3月の『君に届け』から出してないし」
 
★★レコードとしては FMIから9月に発売した『龍たちの讃歌』は無かったことになっている。
 
「でもカップリング曲は?」
「そうですね。『ラブコール』に入れるつもりだった『星空のプロムナード』とかはどうですかね?」
「星空か・・・・」
と私は呟いた時、唐突に2014年2月に書いた『アクロス・ザ・スノー』のことを思い出したのである。
 
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この曲の譜面はアルバム『アクロス』の準備のために発掘して(実は青葉に見つけてもらった)既にCubaseに入力してある。それを開いて私は八雲さんに聴かせた。
 
「これもシングルとして売れる曲だ」
「これをマチカ・マチリカと組み合わせましょうか」
「じゃ両A面で」
 
それで私は松本花子(岡原世奈)に依頼してアコスティックのケイ風作品として作ってもらった『Shika-Goロード』というコミカルな曲と合わせて3曲入りシングルを制作することにした。
 
演奏はスターキッズのアコスティック・バージョンを使用し、3曲とも電気楽器を(ベース以外)使用しないアレンジでまとめた。収録は1月中に行い、PVも制作した。
 
『アクロス・ザ・スノー』のPVは北海道で撮影した。私と政子、撮影担当の美原友紀さん、鱒渕マネージャー、一緒に映る役として、常滑舞音・甲斐波津子も入れて、6人でホンダジェットで旭川空港まで飛んだ。そして層雲峡で撮影した。本当に雪が降っていて、結構ハードな撮影だった。
 
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その後『Shika-Goロード』を和歌山県四箇郷村で撮影する。
 
これは「鹿Go(鹿が行く)」「アメリカのシカゴ(Chicago)」「四箇郷村」を掛けているのである。
 
それでホンダジェットは私たちを乗せて、旭川空港から関空まで飛んだ。その後レンタカーで現地に入る。偶然にも鹿を目撃したので、美原さんがすかさず撮影してくれた。
 
それで野生の鹿が映った素敵なビデオを撮ることができた。
 
最後に『マチカ・マチリカ』は都会的な風景なので、和歌山まで行ったついでに和歌山市街地で幾つかのシーンを撮影した。これに後はスタジオで撮影した映像を入れてPVを完成させるのだが、美原さんは奈良公園の鹿を撮影するため奈良に向い、関空から郷愁へのフライトは5人になった。
 
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しかしプライベートジェットを使ったとはいえ、1日で北海道・和歌山まで行って東京に戻るというのは、なかなかハードで、私は関空から郷愁へのフライトではひたすら寝ていた(補助席に座って熟睡していた)。ローズ+リリーのデビューまもない頃、1日で札幌と福岡を掛け持ちした時のことを思い出していた。
 
でも若い2人は窓の景色を見てキャッキャッと喜んでいたようであつた。
 
常滑舞音は、先日小浜に行く時はGulfstream G450, 戻る時はAirbus A318に乗っており、今回はHonda-Jet で、三種類の飛行機を体験したことになる(3月にはまた別の機体を体験することになる)。
 

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夏の日の想い出・秘密の呪文(15)

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