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■春影(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2017-08-05
 
川尻は給油を終えると、GSの横の通路に出ようとした。
 
ここは山の麓に沿って国道が走っており、道路より20-30mの所が高い崖になっている構造でGSの奥側も全面崖である。法面保護のためコンクリートが吹き付けてある。それでこのGS横の通路も右側は道路につながっているが左側は崖で行き止まりである。つまり左側から車などが走ってくることはない。
 
それでも川尻はその通路に出る前にきちんと規則通り一時停止し、右ウィンカーを点けて左右を確認し、右ハンドルで通路に入ろうとした。
 
ところがその時突然「プププププ!」という連続クラクションが鳴ると、一台のバイクが左側から猛スピードで走って来て、川尻の車のすぐ前を通過し、通路の端で今度は一時停止もせずに右折して走り抜けて行った。
 
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嘘!?今左右確認した時は気付かなかったぞ!?と川尻は思ったが、それ以前に大きな疑問が湧いた。
 
あのバイク、どこから走って来たんだ!??
 
川尻はいったん車から降りて目視で左側を見たが、そこにはやはり崖しかなかった。
 

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阿倍子はその日体調が良い気がして、京平を連れてピーコックまで買物に出た。最近何度も外出中に倒れたのを貴司が心配して、外に出なくてもいいように食材の宅配サービスを契約してくれたものの、どうしてもそれだけでは足りないものもある。
 
最近買物に出られなくてあまりまともなごはんを貴司にも京平にも食べさせてあげられていないなあと少し反省して買物をしていたのだが、買物を終えてレジの所でお金を払おうとしていて、自動精算機の前で突然意識が遠のき、その場に崩れるように倒れてしまう。
 
「ママ、ママ」
と京平の呼ぶ声を認識するものの、阿倍子は起き上がれない。
 

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「君、これを飲んで」
と男性の声がする。
 
水かな? 阿倍子はそれを半ば無意識のうちに飲む。すると少し意識が戻ってきた。もらって飲んだのはアクエリアスのようである。
 
「よかった。意識が戻ったかな。救急車呼びますね」
「あ、大丈夫です。わりとよく倒れるんですが、家に帰って寝ていれば治ります」
「家はお近くですか?」
「はい」
 
などと言葉を交わしていてるうちに男性が「あれ?」と声をあげた。
 
「篠田さんじゃん」
「・・・立花君?」
 
「お知り合いですか?」
とスーパーの店員さんが声を掛ける。
 
「高校の同級生なんですよ」
と立花晴安は店員に答えた。
 
「じゃ僕の車に乗る?おうちまで連れて行ってあげるよ」
「ありがとう。助かるかも」
「お嬢ちゃんかな?君、ママをおうちまで案内できる?」
と立花は尋ねたものの
 
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「ぼくおとこのこだよ!」
と京平は言う。
「ごめーん」
と立花は言ったが、スカート穿いてたら女の子と思うよ!と立花は思った。
 
「でもおうち、あんないできるよ。おじさん、おねがい」
「OKOK」
 
それで精算は立花が阿倍子の財布を借りて代わりにおこなった上で、がっちりした体格の中年女性の店員さんも手伝ってくれて、阿倍子を立花の車に乗せる。それで立花は京平の案内でマンションまで行った。阿倍子が持っている鍵で駐車場を開け(アウディが外に出ていたので)アウディをいつも駐めている駐車枠に駐めた。そして33階まであがる。阿倍子は立花に身体を支えてもらって何とか自分の部屋まで辿り着いた。
 

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「寝てたほうがいいと思うよ」
と言って、立花は阿倍子を京平の案内で寝室まで連れて行った。
 
「京平君、ママの着換えを持ってこれる?」
「うん」
 
それで京平が阿倍子の下着とパジャマをタンスから取ってきた。それで立花がいったん寝室の外に出ている間に阿倍子は着換えたようである。着換えた服は京平が洗濯機まで持って行って、中に放り込んだ。
 
「京平君、偉いね。2歳くらいかな」
「1さい5かげつだよ」
「それでここまでできるって凄い!」
と立花はマジで京平を褒める。
 
「誰かに連絡した方がいい?妹さんとか居なかったっけ?」
「ううん。兄弟とか友だちとかいなくて」
「お母さんは?」
「名古屋に住んでいるけど、病気であまり遠出できないの」
 
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「篠田さん、昔からあまり友だち作ってなかったね!」
「うん。あまり他の女の子たちと合わなくて」
と阿倍子は言う。
 
阿倍子は男の子アイドルの名前が分からないし、ファッションにもあまり興味が無いので、女の子的な話題が苦手でもあったし、そもそも“群れる”のも好きではなかった。
 
「旦那さんは夕方帰ってくるの?」
「今、出張中で。今週末には戻ると思うんだけど」
「誰か友だちは?」
 
阿倍子は迷った。
 
「最悪の場合はこの人に」
と言って、iPhoneのアドレス帳を開いて千里の電話番号とメールアドレスを示した。立花がそれをメモした。
 
「お友達?」
「ううん」
「仕事の同僚か何か?」
「旦那の不倫相手」
「え〜〜〜!?」
 
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「でも色々助けてくれて」
「ふーん。不思議な関係だね」
と立花は言った。
 

「でも篠田さん、いつ結婚したの?」
「2013年の8月」
「へー。全然知らなかった」
「うん。誰も招待してないし。出席者は新郎新婦を入れて8人だったかな」
 
この時出席したのは、貴司、阿倍子、貴司の妹・理歌、貴司の父・望信、阿倍子の母・保子(やすこ)、貴司の上司・高倉部長、チームの船越監督、主将の石原、の8人である。
 
「ふーん。何だか苦労しているみたいだね。それに旦那に不倫までされているんだ?」
 
「実は私の方が不倫なんだけどね」
「へ?」
「貴司が千里さんと婚約していたのに、私が割り込んで結婚しちゃったから」
「それで、旦那は元婚約者と切れてないんだ!?」
「そういうことになるかなあ」
と阿倍子は言った。
 
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「立花君は結婚したの?」
「うん。まあね。子供は今2人かな」
と言ったが、阿倍子は『まあね』という言葉が少し気になった。
 
「ふーん。その子供たち、立花君が産んだんじゃないよね?」
「僕には産めないよ!」
「そうなの?だって、立花君、お婿さんになるのかな?お嫁さんになるのかな?とみんなが噂してたし」
などと昔の話をしていると阿倍子も少し調子が良くなってきた。
 
「バイセクシャルなのは別に隠してないよ。女装もするけど、女の子になりたいわけではないからMTFでもないよ。まあ間違って性転換手術されちゃったりしたら、女で生きて行く自信くらいはあるけどね」
と彼は言った。
 
旧知の関係なので、今更隠しても仕方ないというところか。
 
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「僕は男の子とも女の子ともセックスできるけど、女の子とセックスする方が好きだし」
などとも言っている。
 
「それで女の人と結婚したんだ?」
「まあ、なりゆきだけどね」
と言いつつ、立花の顔が曇った。
 
奥さんとあまりうまく行ってないのかなあ、もしかして女装癖があるからだったりして?あるいは実は男の愛人がいたりして?などと阿倍子は思ったものの、あまり突っ込んでもいけない気がした。
 
立花は結局、ごはんまで作ってくれた。立花は料理もうまい。阿倍子用に雑炊と、京平用にオムライスを作ったのだが、京平が
 
「このオムライス、ママのより、ちさとおばちゃんのより、おいしい!」
と言うので、阿倍子が苦笑していた。
 
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阿倍子は立花のワイシャツにブラジャーが透けて見えるのを認識して、ああ、普段から下着女装しているのかと思った。阿倍子が人妻の身で、立花をこの家に滞在させてあまり罪悪感のようなものを感じなかったのは、なんといっても彼の性的な傾向の問題がある。実際、彼が女物の下着を着けているのを見て、ホッとしたのである。
 
立花は結局、2時間近く滞在して阿倍子の体調がよくなってきたのを見た上で帰って行った。
 

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「川上!」
 
11月上旬のある日、授業が終わった後、吉田君が青葉に声を掛けてきた。
 
「どうかしたの?」
「川上、確か水泳部に入っていたよな?」
「うん、まあ」
 
「俺も入れてくれ」
「いいけど、笑劇団は?」
「退団した」
「へー!」
「でも退団したまま、どこにも入らずにいるとまた勧誘されるからさ。勧誘されないようにするには、何かに入ってしまうのがいちばん良い」
 
「それは言えてるね。でもなんで退団したの?」
「だってあそこに居たら、俺ふらふらと性転換してしまいそうで自分が怖い。そもそもここ数代の部長って、みんな1年生の時にヒロイン役を演じているんだよ。それって今年の新入生なら俺じゃん」
 
「ああ、それは既に性転換コースに乗っているね」
「実際、今回アリババを演じた楡木さんが新部長になったんだけど、楡木さんは昨年のシンデレラなんだよ。学園祭まで部長を務めた桜井さんは2年前は坊ちゃんのマドンナでさ」
「ほほお」
「それでその桜井さん、新部長を決める部会に女装で出てきて、実は夏休み中に去勢手術と足のレーザー脱毛をしたと告白した」
 
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「だったら、吉田の2年後の性転換はほぼ確実だ」
「だから逃げることにしたんだよ。俺、男辞めたくね〜」
 
「なるほどね〜」
 
と言ってから、青葉は念のため吉田君に尋ねた。
 
「ところで女子水泳部に入るの?男子水泳部に入るの?」
「男子だよ!」
「ちょっと手術してもらえば、女子水泳部でも入れてあげるけど」
「だからそれ絶対やだ」
 
ということで、吉田君の加入と、先日勧誘して入ってくれた奥村君とが加わり、男子水泳部は今年の夏より随分とメンツが充実することになったのである。
 

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彼はそのつもりでちゃんと水着も持って来ていた。それで一緒に校内のプールに行き、青葉は彼をみんなに紹介した。
 
「質問があるのだが」
と男子の高橋部長(3年)が尋ねる。
 
「はい、なんでしょう?」
「君、ブラジャー跡が付いている気がするけど、もしかして女の子になりたい男の子? だったら、性転換のステップを踏んでいくという条件で、女子部員として受け入れてもいいけど」
 
「いえ、このブラ跡はじきに消えると思いますので、男子の方に入れて下さい」
 
「ふーん。まあいいけどね。でも女子選手になりたいのなら、恥ずかしがらなくてもいいからね。男子登録でも女子水着着てていいよ。普段の練習では」
などと高橋部長は言った。
 
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なお、水泳部はインカレの後で4年生が引退し、男子は高橋君、女子は香奈恵が新しい部長に就任している。
 
もっとも引退したはずの筒石さんはしばしばプールを訪れ、かなり泳いでいるようであるが。
 
「あ、そうそう。君女装するためなのか、ちゃんと足の毛は剃っているようだけど、水泳では毛が生えているとそれが水の抵抗になって速度が落ちるから、いつも剃っておくようにしてね」
 
「分かりました!」
「まあスカート穿くなら、当然足の毛は剃っているだろうけどね」
 
などと、結局高橋部長は、吉田君のセクシャリティを誤解したままのようであった。
 

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