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■春影(3)
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それで理歌に電話してみた。
「こんばんわ〜。お疲れ様です。今日の試合の勝利おめでとうございます」
と理歌は言った。
「ありがとう。すごーい。Wリーグのサイトか何か見てくれた?」
「レッドインパルスのブログを見ましたよ」
「あ、そうか!靖子さんが書いてくれてたから」
「明日の試合は何時からですか?」
「大分で14:00なんだけど、関連行事は13時から始まるんだよ」
「じゃ厳しいかなあ。明日の結婚式が朝11時からなんですけど、お姉さん、出席できないかなあと思ったんだけど」
「それ何時まで?」
「結婚式が11時から30分くらいです。13時から15時まで八仙閣で披露宴、その後、16時から18時まで市内のカフェ・サンロードで二次会です」
千里はそれをメモしてから少し考えて言った。
「披露宴はまともに試合とぶつかっているけど、式に出て、二次会の最後の方になら出られると思う」
「ほんとですか? 大分への移動は大丈夫?」
「うん。それは何とかするから」
「じゃ服を用意しておきますね。色留袖でいいですか?」
「色留袖になるんだっけ?」
「母は黒留袖なんですけど、梨菜さんとかが色留袖にするらしいんですよ。だから既婚の従姉妹・女性組は色留袖かなと。私と美姫は振袖です」
「なるほどー」
「肌襦袢と長襦袢も用意しておきますね」
「助かる」
「でもこういうのランク合わせるのが難しいですよね」
「なんかその家ごとの流儀もあるしね。洋装の方が少しは楽だけど」
「それが今回、お嫁さんの家が民謡の家元の家系らしくて」
「え〜!?」
「それで向こうは全員和装らしいんですよ。だからこちらも和装に合わせるというので。晴子伯母が途中で『分からない!』と言って投げ出して、美沙ちゃんはアメリカだし、結局うちのお母ちゃんがランク考えて、新婦の妹さんと話して両方の設定を突き合わせて確定させたんですよ」
「大変だったね!」
千里はふと思いついた。
「そうそう。私結婚式終わったらすぐ移動したいし、当日肌襦袢の代わりにバスケットのユニフォーム着るから」
「なるほどー!」
「だから長襦袢と色留袖だけでいいよ」
「了解です」
それでしばらく理歌と話していたら、唐突に京平の声が聞こえた。
「おかあちゃん、ぼくおかあちゃんといっしょにねたい」
千里は微笑んで答えた。
「じゃ30分くらいでそちらに行くから」
「わぁい」
それで理歌に30分後くらいにそちらに行くと伝えた。理歌は平然として
「ではお待ちしています」
と答えた。
それで千里は《すーちゃん》を自分の身代わりに中津のホテルに置き、荷物をまとめると、自分は《こうちゃん》と交替で博多に飛んだ。
周囲を見回して、天神の親不幸通り近くのホテルの前にいることを認識する。千里は荷物を持って中に入っていく。するとロビーでばったりと貴司の母・保志絵に遭遇する。
「こんばんは」
「こんばんは。どうしたの?」
「理歌ちゃんに呼ばれて、厚かましく押しかけてきました。取り敢えず京平のお母ちゃんということで」
「おお!歓迎歓迎」
と言った上で保志絵さんは
「だったらちょっと、私の部屋に来て」
と言って、千里を自分の泊まっている部屋に連れて行く。
千里は理歌に保志絵と会っているとメールした。
「貴司は貴司として、私があなたにこれを渡したい」
と言って、保志絵はジュエリーケースを2つ出して来て千里に差し出した。
千里は黙ってその2つを開けてみた。
1つは見覚えのあるダイヤの指輪である。2012年1月に貴司からエンゲージリングとしてもらったものだが、婚約破棄に伴い7月に保志絵さんに返却した。もうひとつは初めて見る金色の指輪である。
「こちらの指輪は2012年12月22日の結婚式で千里ちゃんに貴司がプレゼントする予定だったもの。当時の千里ちゃんの指に合わせてあるはずなんだけど」
と保志絵は言った。
「でしたら、もし今の私の指に合ったら頂きます」
「うん」
それで左手薬指に填めてみると、無理なくきれいに入った。
「入ったね」
「少し痩せたかも。入ったので頂きます」
と言って、千里はダイヤのエンゲージリングの方も重ねてつけた。
「これ頂いたから交換にこれを」
と言って、千里はバッグの中から小さなポーチを取りだし、その中から青いジュエリーケースを取り出して保志絵に差し出す。
保志絵が開けてみると、今千里がもらった指輪とお揃いの18金リングである。
「持ってたんだ!」
「処分すべきかどうか随分悩んだんですけどね。貴司さんがあれ以来太ってなければ入るはずです」
「じゃ預かっておくね」
と言って、保志絵は笑顔でそのジュエリーケースを自分のバッグに入れた。
その頃、豊中市のマンションで阿倍子は1人で夕食を食べようとしていた。京平は貴司と一緒に親戚の結婚式に行き、1人なので作るのも面倒くさいしと思い、ピザの宅配を頼む。もっともMサイズでもとても全部は食べきれないので半分食べて、残りは朝御飯にするつもりである。
やがてピザ屋さんが来たのでお金を払おうとしたら、金額が2800円なのに、財布に2600円しかない。
「ごめんなさい。ちょっと待って」
と言って、居間の貯金箱から取りだそうとして何か近くにあるものを落とした。あ、何か落としたと思ったものの、とりあえず放置して貯金箱の底のふたを開け、百円玉を2枚取り出す。それでピザ屋さんに支払いを済ませた。
「参ったなあ。貴司にATMに寄っておいてもらうべきだったなあ」
などと独り言を言う。
阿倍子は最近しばしば外出中に倒れている。コンビニに行くのにも不安がある。保志絵さんがいまだに自分を貴司の妻として認めてくれていないので、親戚の結婚式というのは、その関係を認めてもらうチャンスとは思ったのだが、今の健康状態では、福岡まで行くなんて絶対無理である。
あ、そうだ。さっき何か落としたぞと思ったので棚の所に行ってみると、キティちゃんのポーチである。
「きゃー!こんな大事なものを」
と言って慌てて拾い上げる。
そして中に入っているものを取り出してみた。2つのジュエリーケースが入っている。開けて見る。ひとつは結婚指輪である。阿倍子は金属アレルギーがあるので、アレルギーの起きにくいものというのでチタンで作ったのだが、実際にはそれでもアレルギーを起こして炎症が発生したため、結局新婚当初の頃を除いては着けていない。
「着けてみようかな・・・」
とつぶやき填めようとしたのだが・・・
入らない!!
「えーん。私、太っちゃったのかなあ。チタンの指輪ってサイズ直しできたっけ?」(*1)
と思わず独り言を言った。
(*1)チタン、イリジウム、ジルコニウムなど、またステンレスやピンクゴールドなどの指輪は素材が堅いため、一般にサイズ直しは困難である。普通のゴールドやプラチナのリングは可能である場合が多い。ただメッセージなどを刻印していたり、メレダイヤが敷き詰められていたりすると、その刻印や石の並びを分断することになる。
もうひとつの婚約指輪が入っているジュエリーボックスを開ける。
「うっそー!?」
と阿倍子は叫んだ。
ダイヤの石が台座から外れているのである。
「いや、これは多分ちゃんと直せるはず」
と声に出して言って自分を落ち着かせる。
「でもこれも入らなかったりして」
と言いながら指に填めようとするが、やはり入らない。
「えーん。サイズが入らないのはどうすればいいのよ〜?」
と声を出して阿倍子は座り込んでしまい、ピザのことは忘れつつあった。
千里は保志絵の部屋で理歌・美姫の姉妹とも少し話した上で、2つの指輪をつけたまま、貴司と京平の居る部屋に向かった。
トントントンとノックをする。
「はい?」
「あなたの奥さんが参りましたよ」
「千里!?」
と言って貴司がドアを開ける。
「わあい!おかあちゃんだ!」
と京平が部屋の奥で声を挙げている。
「これお母さんから頂いちゃったけど、入っていい?」
と言って千里は左手薬指を見せた。
貴司はたっぷり30秒ほど考えてから
「入って、僕の奥さん」
と言った。
「じゃ入るね。私は正式に貴司の妻に復帰したから」
と千里は宣言した。
「ちなみに貴司の結婚指輪は保志絵さんに預けているから、後で受け取ってね」
「あ、うん」
「貴司、阿倍子さんと交換した結婚指輪は?」
「あれ? 僕どうしたかな?」
「持ってないの?」
「あれ〜〜?記憶が無い」
貴司はバスケット選手なので、通常指輪のような装身具をつけることができない。それで外したまま持ち歩いているはずなのだが。。。
「待って。荷物の中に入れてたんじゃないかな」
と言って、探している。
5分くらい探しても見つからない。千里はため息をついた。不本意だが教えてあげることにする。
「その黒いトートのポケットは?」
「え?」
と言って、貴司がそこを探すと
「あった!」
「良かったね。そちら着けたりしないの?」
「うーん。。。。そういえば最近つけてない気がする」
「最近って最後につけたのいつ?」
「いつだろう?記憶が無い」
「入るの?」
「待って」
それで填めてみようとしたのだが
「入らない!」
「あら残念ね。だったら今夜、私が貴司の妻になっても重婚じゃないね?」
「今夜・・・・」
と言って貴司はごくりと唾を飲む。
「パパ、おかあちゃんと、あいのいとなみ、するならぼくめをつぶっておくよ」
と京平は言った。
もっとも京平はそれを盗み見してみたくてたまらないような顔をしている。京平の中身は精神年齢12-13歳くらいの男の子なので、こういうものには興味津々である。
「京平、そのスカート可愛いよ」
「えへへ。これすき〜。でもいえのなかだけでねとママにいわれた」
「べつに外でスカート穿いてもいいと思うけどね」
「そうかな?」
千里はいつも持ち歩いている裁縫道具の中から糸を出して貴司の指に巻き付けてみる。それで指のサイズを確認した。
「64mmあるね。24号かなあ。その指輪のサイズは多分私が買ったのと同じサイズで21号だろうから入る訳ないね」
「よく僕のサイズまで覚えてるね。でもほぼ同じ時期に買っているからたぶん同じサイズだよ」
千里と貴司が結婚指輪を選んだのは結納を交わした直後の2012年6月である。但しプレゼントしあうことにしたので、相手が買った指輪はお互いに見ていない。
一方、貴司が阿倍子と一緒に結婚指輪を買ったのは阿倍子の父が亡くなる直前の同年7月である。これは阿倍子に経済力が無いので貴司が2人分買っている。そして阿倍子の父の臨終の場で装着して見せてあげた。ふたつの指輪は1ヶ月くらいの時間差で買っているので、恐らく同じサイズと推測される。
「男の人はだいたい忘れちゃうから、女性側が覚えてないとね」
「そういうものなのか」
「1日の間にけっこう変動するし、明日の朝・昼・晩に再度測ってみて、それでサイズ直し頼もうよ」
「ああ、サイズ直しできるの?」
「私が買った指輪は18金だからサイズ直しができる。そこにある阿倍子さんと交換した指輪は、それチタンみたいだからサイズ直し不能」
「え?これ直せないの?」
「だからもう着けなければいいね」
と千里は言った。
貴司は1分くらい考えてから
「それについては少し考えさせて」
と言った。
「ふーん」
と千里は貴司の意図を探るように声を発した。千里としては特に意図があって「着けなければいいね」と言った訳ではなかったのだが、貴司はどうも深い意味にとってしまったようだ。まあ、それはそれでいいけどね!
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