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■春分(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2015-05-22
 
「ね、ね、一卵性双生児なのに性別が男女ってのがあるらしいよ」
 
と言ったのは純美礼であった。彼女はだいたいこういう怪しげな話が好きである。
 
「それ、一卵性双生児で生まれた片方が性転換したって奴じゃないの?ブレンダと呼ばれた少年、というのでその筋では有名だよ」
 
「へー。そういうのもあるのか。いや私が聞いたのはね、人間って卵子に精子が結合してできるんだって知ってた?」
 
「いや、高校生にもなってそんなの知らない子はちょっとおかしい」
「そうだったのか。でさ、普通は1つの卵子に1つの精子しか結合しないんだって。なんか精子が結合した瞬間、卵子は門を閉めてしまうから、もう新たな精子は進入できないんだって」
 
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「うん。そういうメカニズムになってるよ」
「でもまれに2つの精子が完全に同時に進入して2つ精子を受け入れてしまうことがあるんだって」
「過受精ってやつだね。ひじょうに珍しい。すると染色体がXXXまたはXXYになってしまうんだよ。XXXはふつうの女性とほとんど変わらないんだけど、XXYはクラインフェルター症候群と言って、男性なんだけどやや女性ぎみの身体になって生殖能力も弱い人が多い」
 
「そうそう。それでそのXXYになってしまった受精卵が分裂して一卵性双生児になるんだけど、その時、うまくXXとXYに別れることがあるんだって」
 
「その話はおかしい。それだとXが1個足りないじゃん」
と日香理が至極妥当な指摘をする。
 
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「もしかしたら精子が3個同時進入したのかも」
「いや、XXとXYに別れるのなら、卵子由来のXが2つ必要」
「だったら、卵子が元々Xを2個持ってたとか」
 
と純美礼の話はどんどんあやふやになる。
 
「でもまあそういう訳で一卵性なのに、XXとXYの染色体になっちゃう訳よ」
 
「それあり得たとしても物凄く確率が低いと思うけど。そもそも過受精が起きる確率が凄まじく低い上に、受精卵が分裂して一卵性双生児になる確率も凄く低い。更にその分裂する時に都合良く XXとXYに別れるなんて」
 
「でも確率が低くてもあり得るでしょ?」
「まああり得ないことはない」
 

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「そんな複雑な過程を経るよりこちらのほうが簡単だよ」
と凉乃が横から声を掛ける。
 
「最初にまだ受精していない卵子が分裂してしまう」
「ほほお」
「その2つに分裂した卵子が各々別の精子と受精する」
 
「なるほどー」
「それ結果的には純美礼が言ったのと同じ形になるね」
と日香理が言う。
 
「そうそう。卵子由来の遺伝子は共通だけど、精子由来の遺伝子は別。だからこれを半一卵性双生児とも言うんだよ」
 
「そういう双子は割と発生している気がする」
「うん。でも男女で生まれて来たら、みんな二卵性だと思うから、わざわざDNA検査とかしない限りは誰も気づかないよね」
 
「しばしば男女の双子なのに凄く似てる子っているけど、ひょっとしたらそういうタイプなのかも」
 
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「そういう子たちって絶対服を交換して、男の子が女の子の振りして、女の子が男の子の振りしてたりしてるよね?」
 
「それ、ライトノベルの読み過ぎ」
 

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「でも一卵性双生児も、いつ分裂したかによって子宮内での形がけっこう違うんだよね」
「へー」
 
「早い時期に分裂した場合は羊膜も絨毛膜も別々。この場合は二卵性双生児に近くて結構安定して育つ。少し遅れて分裂した場合は、ひとつの絨毛膜の中に羊膜がふたつできて、まあ同じ部屋の別の布団に寝ている感じになる。かなり遅くなってから分裂した場合は、絨毛膜も羊膜も共通。だから同じ布団に一緒に寝ている感じになる」
 
「同じ布団だと取り合いになりそう」
「うん。だからこのタイプの一卵性双生児は育ちにくい。食事も同じ皿から取り合っているようなものだから、栄養不足になりがちだし、凄く不安定」
「なるほど」
 
「遅く分裂するっていつ頃?」
「えっとね。確か一週間以上経ってから分裂したら、一羊膜性になってしまうと聞いた気がする」
 
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「なんだ。ずっと遅くなってと言うから、生まれた後で分裂したのかと思った」
と純美礼。
 
「はあ!?」
「なんで生まれた後で分裂する訳よ?」
「そういうことって無いんだっけ?」
「赤ちゃんが分裂して増えたりしたら怖いぞ」
「Dr.スランプのガッちゃんだな」
 
「あのね。人間はプラナリアとは違うの」
と凉乃が呆れたように言った。
 

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ハルはその日体調がすぐれず、朝なかなか布団から出られずにいた。
 
「お腹痛い。生理つらいなあ」
などと独り言のようなつぶやいていたら、下の階で母が呼んでいる。
 
「ハルちゃん!いい加減に起きなさい!何やってんの?遅刻するよ!休むの?」
 
ハルは本当は休みたい気分だったが休んだらまたD先生からねちねちと言われそうで、それも気分が悪い。
 
「今行く」
と返事をして布団から出るものの目の前が電波状況の悪い時の地デジみたいな画面になって、崩れるように座り込んでしまう。うーん。生理2日目だし。血が足りないよぉ。点滴でもしてもらいたい気分。
 
母はまた何か叫んでる。
「もう間に合わないよ!何やってんのよ?」
 
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その時
「ミャー」
とそばで三毛猫が可愛く鳴いた。
 
「よしよし」
と言ってハルは猫の背中をなでる。猫がゴロゴロと喉を鳴らす。
 
「アキは元気だよね。毎晩夜中に運動会してるもん。でもあんた結構いい年だよね。人間の年に直したら45歳くらいかなあ」
 
そんなこと言われながらも、ハルが背中をなでなでしているので猫はゴロゴロと喉を言わせている。
 
「ああ、アキ、お前が私の代わりに制服着て学校に行ってくれたらねえ」
 
などとハルは言った。するとアキは
 
「行ってもいいよ」
と言った。
 

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へ?
 
ハルが驚いていると、アキはハルそっくりの姿に変じた。そしてブラウスを着て制服のスカートを穿くと、上衣を身につけ、胸にはリボンを結ぶ。
 
「じゃ、私、代わりに行ってくるからハルは寝てなよ」
とアキが言う。
 
ハルはきっとこれは夢だと思った。でも夢なら寝ててもいいよね? そう思うとアキに
 
「うん。寝てる。よろしく」
と言って布団に戻り目をつぶった。
 

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ハルの母親はもう8:05になってやっと娘が2階から降りてきたので
 
「あんた、もう完全に遅刻!」
と言う。
 
「大丈夫、大丈夫。今から走って行けば間に合うよ。お母さん、御飯は?」
「こんな時間に起きてきてあるわけ無いでしょ! はい、これお弁当」
「ありがとう。でも朝も何か食べないとお腹空くしなあ」
 
と言ってハルは冷蔵庫を開け中からウィンナーを2本取り出すと、テーブルの上に置いてあった食パンの包みから1枚取り出しパンにはさんだ。
 
「じゃ行く途中で食べる」
と言ってハルが飛び出して行く。
 
「あれ間に合うの?」
とコタツに座って新聞を読んでいた夫が訊く。
 
「遅刻だと思うけど。8:15から読書の時間なのに」
「ほんとにあの子、最近朝が弱いよな。なんか体調悪かったりしない?」
「私はもしかして自律神経とかかなと思っていたんだけど。私もこのくらいの年にけっこう貧血とかで辛かった時期があったのよ」
「それ女の子特有のホルモンバランスとかの問題かなあ」
 
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「かも知れない。あまり酷いようだと一度お医者さんに相談した方がいいのかも知れないけど。あ、私たちもそろそろ出ないと」
「よし。出かけるか」
 
と言って夫は新聞を置き、壁の鍵掛けから車のキーを取った。
 

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その頃2階の部屋でハルはまどろんでいたが、やがて車のエンジンが掛かる音、車が出て行く音がする。いつも父が母を乗せたまま勤務先の医薬品会社まで行き、そのあと母が運転して自分の仕事先のテレビ局に行く。テレビ局勤務といってもアナウンサーなどの表に出る仕事ではなく、放送の実務や番組制作に関わる仕事をしている。ごくふつうの勤め人である。
 
帰りは母は自分の車でテレビ局を出て晩御飯の買物をしてから自宅に戻る。父は帰りは遅くなることが多いので、市電が動いている間なら市電で自宅に最も近い電停まで来てから、母に連絡して迎えに来てもらう。思いっきり深夜になった場合はタクシーで帰宅する日も多い。
 
「あ、お母ちゃんとお父ちゃんが出かけたな。私はこのままお昼くらいまで寝てよう」
とハルは思い、また眠りの中に入っていった。
 
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その日、ハルの学校。
 
1時間目は担任でもあるD先生の理科の授業である。原子の構造について説明していた時、何か物珍しそうな表情で教室の壁の方を見ていたハルに気づく。
 
「おい、左倉」
とハルを当てるが、ハルは自分が呼ばれたことに気づかない。
 
隣の席のマコトちゃんが
 
「ハルちゃん、当てられてる」
と小さな声で言ってあげる。
 
「あ、はいはい」
と言ってハルは立ち上がって先生の方を見た。
 
「今原子内の電子の軌道数を説明していた訳だが、最初の軌道には2個、次の軌道には8個、その次の軌道には18個入る訳だけど、4番目の軌道には何個入ると僕は言った?」
 
と先生は質問する。
 
その話は教科書には明記してなくて、単に今D先生が口頭で言っただけである。
 
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「32個です」
とハルは即答する。
 
「おぉ!」
と教室内から声が上がる。
 
「へー。ぼーっとしているようでもちゃんと聞いてたんだな。よろしいよろしい。でも授業中にあまりよそ見をしないこと」
「はい。済みませんでした」
 

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その日の昼休み、ハルがお弁当を食べていたら、ガラの悪そうな男子生徒が2人寄ってくる。
 
「おい、左倉、ちょっと顔貸せよ」
 
ハルは
「今御飯食べてるから終わってからね」
などと平然とした顔で言う。
 
「顔貸せと言ったらすぐ貸せよ」
とひとりの男子がすごむ。
 
しかしハルはその子をしっかり見据えると
「他人がエサ食べてる所邪魔したら、血を見るよ」
と言う。
 
その気合いに負けて、その男子は
「分かった。待つ」
 
と言う。それでハルはゆっくりとお弁当を食べ終わると
「美味しかった。おごちそう様!」
と言って大きく伸びをする。
 
「じゃ行こうか。何の用事なの?」
と言ってハルは席を立った。隣のマコトが心配そうに見ているが、ハルは笑顔でマコトに手を振る。
 
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学校の裏手まで来たところで男子が言う。
 
「あのさあ、こないだお前からもらったボールペン、凄く書きやすくて自慢してたら黒岩さんに取られちゃってさ」
と男子。
 
「ふーん。それあんたたちにあげた訳じゃなくて貸しただけだからさ。そろそろ返してと言おう思ってたんだけど」
とハル。
 
「おい、ちょっと調子に乗ってんじゃないよ」
と言って男子がハルの肩を押そうとしたが、ハルがすっと身をかわすので男子は空振りして前のめりに転んでしまう。
 
「おい、大丈夫か?」
「あんたたち運動神経悪いね」
 
「何〜?」
 

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勝負は3分で付いた。
 
ふたりの男子がハルを殴ろうとしようが捕まえようとしようが、ハルはするりと逃げてしまう。
 
「参った」
「お前、なんか強くなったな?」
「毎晩たくさん走ってるから。階段の上り下りとか壁面登りとか」
 
「そうか。トレーニングしてたのか」
 
「で、そのボールペンどうしたのさ?」
「それが黒岩さん、壊しちゃってさ。同じ物巻き上げてこいって言われたんだよ」
 
「それ話が逆じゃん。壊した人が弁償して私に返してくれるもんじゃないの?」
「そんなこと黒岩さんに言えるかよ!?」
「根性無いね。あんたたちタマ付いてんの?」
 
ふたりは顔を見合わせている。
 
「一応付いてるけど」
「そんなもの取っちゃいなよ。私が取ってあげようか。私男の子の玉落としたことあるよ。スパッとね」
「嘘!?」
「それは勘弁してください!」
 
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それでその日の放課後、ハルはふたりの男子に案内させて、黒岩がアジトにしている某部の部室に行く。
 
「なんだ。新しいボールペンは持って来たか?」
と奥に座っていた人物が言う。
 
「あんた? 私のボールペン壊したってのは?」
とハルが言うと、黒岩はビクッとした。
 
「誰だ、お前?」
と言って椅子から立ち上がり、空手系の構えをする。自分の目の前に居るのが油断できない人物というのを彼は瞬時にして感じ取った。
 
ハルと黒岩が対峙する。
 
黒岩が「やぁ!」と声を挙げて突っ込んでくる。ハルはさっと身をかわす。逆から突っ込むもやはりひょいと身をかわす。
 
何度やっても黒岩はどうしてもハルの服の端さえつかむことさえできない。彼が壁に立てかけてあった竹刀を取る。思いっきり振り下ろす。
 
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しかしハルはいつの間にか2m以上もあるロッカーの上に飛び上がっている。黒岩が手をいっぱい伸ばしてそのロッカーの上にいるハルの足を竹刀で払おうとした。がそれより速くハルは飛び降りる。風圧でスカートがめくれる。
 
「い、いちご?」
と思わず黒岩が言った次の瞬間、ハルは黒岩の顔面を思いっきり蹴っていた。
 
黒岩が倒れる。
 
「爪立てちゃダメって言われてたからなあ」
などとハルは言っている。
 
黒岩は土下座した。
 
「お見それしました。この黒岩赤次郎、まことに感服しました。イチゴ、じゃなかった、姐御(あねご)の好きなようにしてくださいまし」
 
「まあ別にそういうのいいけどさあ。取り敢えずそのボールペン返してよ」
とハルが言う。
 
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「へへーい。これです」
と言って黒岩が返す。軸が折れている。
 
「あああ。これ私の死んだお姉ちゃんがバスケットの大会で優勝してもらった大事なボールペンだったのに」
 
「申し訳ございません」
 
「まあ壊れたものはしょうがないから勘弁してやるからさ。少なくとも私が在校している間は、下級生からカツアゲすんのやめなよ」
 
「分かりました。舎弟どもにもきっちり言っておきます」
と黒岩は答えた。
 

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