広告:不思議の国の少年アリス (2) (新書館ウィングス文庫)
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■春分(11)

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柳田さんの作業は4時間以上に及んだ。
 
しかし
「できたかな」
と彼が言った時、そこにはとても折れたものをつないだようには見えない、きれいな秋田杉のボールペンが置かれていた。
 
「凄いです。こんな現場を見せて頂いて感激です。弟子入りしたいくらい」
とハル。
 
「あいにく女の弟子は取るつもりないけど、興味を持ってくれて嬉しいよ」
と柳田さんは言った。
 
彼が満足気な顔をしているのを見て、青葉も心が充ち足りる思いだった。
 

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最終的にアイロンで加熱して強度を強める。その作業のあと充分冷えた所でハルに試し書きさせてみる。
 
「凄く書きやすい。嬉しい。元の通りです!」
とハルは本当に喜んでいる。
 
「この技術があれば切れたペニスでもつなげるかな」
と桃香が唐突に発言する。
 
「桃姉、こんなところで唐突な下ネタ、罰金10万円」
と青葉が渋い顔をして言う。
 
「お姉さん、つなぎたいペニスがあったら持って来たらつないであげるよ」
と柳田さんはさらりと返す。
 
「過去に3回ちょん切られたからなあ」
と桃香が言うと、千里が強烈なキックを桃香の背中にお見舞いする。
 
前のめりに倒れて床で顔を打った桃香が
「痛いじゃん。DV反対」
と言うが
「場所を考えて言葉を選べ」
と千里は腕組みして答えた。
 
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「でもきれいに直って良かったね」
と青葉が話を戻すのを兼ねて言う。
 
「本当にありがとうございました。あの、お幾らお支払いすればいいでしょうか?」
とハルが訊く。
 
「ハルちゃん、約束したからこの修理代金は私が出す」
と青葉が言う。
 
「でもお父さんから、それもこちらで出しなさいと言われたの」
とハル。
 
するとその会話を聞いていた柳田さんは
 
「あんたが可愛いし、実用性優先と言ったからタダでいいよ」
と言った。
 
「でも・・・・」
「ハルちゃん、本人がタダでいいと言っているんだから、遠慮無くそうしてもらいなよ」
と桃香が言う。
 
「分かりました。でも本当にありがとうございました」
と言ってハルは再度頭を下げた。
 
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「あ、そうだ。挨拶代わりにと思って持って来たのに、お渡しするの忘れていました。これ富山のお菓子ですけど」
と言って千里が柳田さんにお菓子の箱を渡す。
 
「まあお菓子くらいならもらっておこうかな」
と言って柳田さんは受け取った。
 
工房を出たのは23時前である。
 
「さて旅館を取らなきゃ」
と桃香が言ったのだが
 
「なんで?」
と千里が言う。
 
「ん?」
「用事は済んだからもう帰ればいいよね?」
と青葉も言う。
 
「君たちはまさか今から富山に帰るつもりか?」
 
「特に他には秋田に用事無いもんね」
「夜中の方が道も走りやすいしね」
 
「私は寝たい」
と桃香。
 
「うん。寝てればいいよ」
と千里。
 
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「私も寝てていですか?」
とハル。
 
「うん。寝てて」
「夜中なら青葉も運転できるよね?」
「短時間なら運転してもいいよ」
 

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そういう訳で帰りは桃香とハルが後部座席で寝ていて(アキもハルのひざで寝てしまった)、千里が運転席、青葉が助手席に乗ってシビックは道を走り出した。取り敢えず7号線まで出てから、ひたすら南下する。
 
「ところでいくら入れたの?」
と青葉が小声で訊いた。
 
千里は運転しながら左手の指を3本立てた。
 
「じゃ後で半額渡すよ」
「OKOK」
 
柳田さんとは事前の話し合いで、あの子が出すと言い出すかも知れないから、その時はタダということにしておいて菓子箱で代金を渡すことにしていた。
 
彼に払うべき報酬は実際問題として左倉家に負担させるには高額すぎる金額である。たかがボールペンの修理にそんなにかかったとなると、ハルのお父さんが後悔する可能性があるし、「二度と壊さないようにガラスケースに入れて保存しておこう」などという話になってしまう可能性もある。
 
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そしてそもそものハルちゃん・アキちゃんとの約束もあったので、今回は青葉としても柳田さんの名人芸を見せてもらう御礼として、代金は自分が出していいと思っていた。ただそこで千里が半々にしようと言ってくれたのである。
 
実際問題として、柳田さんはあの作業に1週間分くらいのエネルギーを使ったはずだ。これはその代償である。
 
ところがこのやりとりをした時、ハルの膝で寝ていたかと思っていたアキがニャーニャーニャーと3回鳴いた。
 
千里が青葉に尋ねる。
「その子、本当に猫なんだっけ? 来る時から思ってたけど」
「ちー姉、人間態のアキちゃんとも会ってない?」
と青葉が尋ねる。
 
「へー!」
と千里は今気付いたようで、楽しそうな顔をした。
 
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「でも桃香が心配するからと思って青葉と交代でと言ったけど、私は大丈夫だから、青葉も寝ているといいよ」
と千里は言う。そして
「アキちゃんも寝てなよ」
と後部座席に声を掛けた。
 
「ちー姉、工房で寝てたね」
「なんか難しい言葉が飛び交っていたし。でも青葉も人間の細胞はつなぐことができても、鉛筆の折れたのはつなげないでしょ?」
「うん。無生物には私の力は及ばない」
 
「人それぞれの得意分野があるんだろうね」
と千里は言う。
 
青葉は思った。もしかしたら私とちー姉って、相互補完しあう関係にあるのかも。ちー姉の能力ってよく分からないけど困ったことがあったら色々相談していいのかも知れない。菊枝さんにはあまり弱みは見せられないし、菊枝さんに相談しなければならない時って、かなり最終手段だけど、ちー姉には日常的に相談できそう。青葉はそんなことを考えた。
 
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「相談はいつでもして。もっとも私はそんな大したもんじゃないし、何も力は無いけどね」
と唐突に千里が言った。
 
青葉は目をぱちくりした。
 
「ちー姉?今もしかして私の思考を読んだ?」
「え?読むも何もそんなにハッキリと考えたら伝わってくるじゃん。ね、ゆう姫さん」
 
青葉は後ろに意識をやった。姫様がおかしそうにしている。
 
「ちー姉、姫様が見えるの?」
「全然。私、霊的なものって何も見えないのよね〜」
 
「それだけは絶対嘘だ!」
 

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青葉が目を覚ました時、車は既に黒部市付近を走っていた。
 
「もうこんなに来たのか。ちー姉、休まなくていい?」
「私は豊栄SAでトイレに行ってきたけど、みんな熟睡してたね。青葉トイレ行くなら次の有磯海で停めるよ」
「あ。トイレは行きたいかも」
「OKOK」
 
「ところでちー姉さ」
「ん?」
「手術した後って、おしっこ近くならなかった?」
「なったなった。だから早めに行かないとやばいよね」
「うんうん」
「総延長がけっこう短くなるからね」
「どのくらい違うんだっけ?」
「男性の尿道は16cmくらい。女性の尿道は4cmくらい」
「4分の1になったのか」
「まああそこを走る部分が長いからね」
「メインストリートを廃止しちゃう訳だもんね」
 
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「ところで、ちー姉って結局本当はいつ手術したんだっけ?」
「自分でもよく分からないんだよねー」
「その分からないというのが分からない」
「まあ青葉だから言うけどさ。実はある朝、目が覚めたら女の子になってたんだよ」
「うーん・・・・」
 
「世の中にはいろいろ不思議なことがあるもんだから」
「そういうことでいいんだろうか」
「いいことにしとこうよ。謎って全てが解明されなくても、実用上問題なければいいんじゃないのかなあ」
 
「そうだねぇ」
と言いながら青葉は後部座席のアキに目をやる。ハルの両親はこの「猫」を認識しているのだろうか?でもそれは詮索する必要の無いことだ。アキはハルの守り神なのだから、そのままにしておけばよい。
 
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「ただ私が確信しているのはさ」
と千里は言う。
 
「うん」
「私と青葉って、深い縁があって出会っているということ」
「私もそう思う」
「桃香がいなかったら青葉と結婚したくなっていたかも」
 
青葉は困ったように苦笑した。
 
「ちー姉、男の子が好きなんじゃないの?」
「青葉こそヘテロっぽいね」
「私は女の子には興味無いよ」
「私もそのつもりだったんだけどねー。桃香だけは唯一の例外だな」
 
「じゃ、桃姉のこと好きなの?」
「好きじゃなかったら、とっくに別れているよ」
「じゃ、なぜ別々に暮らすことにしたの?」
「私と桃香が次のステップに行くために、それが必要だと思ったから。恐らくはまたいづれ一緒に暮らすことになると思うよ」
 
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「ちー姉がそう言うんだったら、きっとそうなるんだろうね」
 
青葉はそういう会話をした時、後部座席で《寝ている》桃香がピクッと反応したことに気づいていた。
 

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結局、有磯海(ありそうみ)SAで桃香とハルも起こして朝食をゆっくりと食べた。ついでにハルの要望でデザートまで食べる。ハルはアキにカリカリをあげている。
 
その席で唐突にハルが言い出した。
 
「あの、昨日からの3人の会話を聞いていて、ひょっとしたらと思ったのですが、もしかしてみなさん性転換してるんですか?」
 
「うん。そうだよ。私は高校1年の時、青葉は中学3年の時に性転換したんだよ」
と千里が言う。
「すごーい!」
とハルは言ってから
 
「いや、桃香さんってひょっとしたら性転換してるんじゃないかって気はしていたのですが、会話を聞いていて、もしかしたら千里さんもかなと思って。でも青葉さんまで性転換していたとは思わなかった。まだ高校生なのに」
 
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などと言う。
 
「ちょっと待て。私は生まれた時から女なのだが」
と桃香。
 
「え?そうだったんですか?ごめんなさい!」
 
「まあこの中で女湯に入ろうとして悲鳴をあげられたことのあるのは桃香だけのはず」
などと千里は笑って言っている。
 
「でも千里さん、バスケ選手なんでしょ? そのあたりどうなってたんですか?」
「病院で何度も精密検査受けさせられたよ。それで女子選手として出場してよいという許可が出たんだよ」
「すごーい」
 
「ちょっと待て。千里、君は女子バスケ選手なんだっけ?」
「私が男子バスケ選手に見える?」
「それっていつからなのさ?」
「高校1年のウィンターカップ道予選までは男子の方に出ていた。でも男子の試合に出ていて、協会から私の性別について疑問を示されて。病院で検査を受けてくれというから受けたら、君は女子だから女子の方に出なさいと言われたんだよねー」
 
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「ということは千里は高1の時に既に性転換していた訳?」
「そうだけど」
「うむむ」
と桃香は悩んでいるようだが、ハルは感動しているようである。
 
「私の性別の取り扱いに関しては協会トップの医学委員会でも審査したらしい。でも私の事例を議論したことで、その後の審査の基準が確立したみたいね」
と千里は言う。
 
「わあ」
 
「基本的には去勢から2年経っていれば女子選手として認めるんだよ。これは国際的な基準でもある。でも1年経てば都道府県大会までの参加は認められる」
 
「そうなってたのか」
 
「だからハルちゃんも勇気出して、女子バスケ部に入れてくださいって言いに行ってごらんよ」
 
と千里は言った。
 

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