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■春分(10)
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「ごめーん! いつも上信越道の方に行くもんだから」
と桃香が謝る。
「私もごめん。もっと早く桃香の異常行動に気づくべきだった」
と千里が言っている。
「上信越道に入っちゃったけど、そのまま藤岡JCTまで行って関越を北上して長岡まで戻ればいいよな?」
などと桃香が言い出す。
「次のICで降りて乗り直そうよ」
と千里。
「それやると走行区間が切れて高速代が割高にならないか?」
「わざわざ藤岡まで回ってくるガソリン代の方が高いよ」
などとふたりは言い合っていたが
「あ、そうだ。せっかくこちらに来たから新井PAで休もう」
と千里が言う。
「ああ、あそこはハイウェイオアシスが併設されていたな」
「うん。あそこでお昼にしよう」
それで新井PAに入って駐車場に駐める。
「わあ、ここショッピングモールみたい」
とハルが声をあげる。
「ここ来たことなかった?」
「ええ」
「金沢の向こうの徳光PAなんかもショッピングモールになってるよな」
と桃香。
「うん。向こうは機能的にコンパクトにまとまっている感じ。こちらは無秩序に色々乱立している感じ」
と千里。
それでハルがお寿司を食べたいというので、きときと寿司に入る。お寿司屋さんなのでアキは車内でお留守番である。この時期なら熱中症になることもないだろうし、アキは普通の猫ではないようなので平気だろう。
「私、ここのお寿司屋さん好きなのよね」
とハルは言っている。
「私も美味しいと思うが、問題はここは高いのだ」
と桃香。
ちなみに「高い」というのは桃香基準での話で、普通の食欲の人同士で行くなら1人1000-1500円程度で充分満たされる。桃香にとってはお昼に500円以上掛けるのは「高い」部類になる。
「だからこういう時に入らなきゃ。お財布はうちのお父ちゃん持ちだし」
と言ってハルは財布をぶらぶらさせている。
今回の旅の食費も左倉さん持ちである。
それでハルがたくさん食べ、桃香もせっかくだからとよく食べ、千里と青葉はゆっくりと食べるという構図で食事は進行する。
40分ほど掛けて食べて、そろそろお腹がいっぱいになってきたね、という話になってきたところでデザートに行く。ケーキを食べてハルは満足そうである。青葉も付き合ってケーキを食べているが、桃香と千里はお寿司だけで満腹してそちらはパスした。
それでそろそろ出るかね〜。もう少し休んでからにしようか。などと言っていた時、ユニフォームを着た背の高い女性の集団がお店に入ってくる。
「何だろう? 背が高い。バスケかな。バレーかな」
とハルが言っていた時、千里がその集団の中のひとりに手を振る。向こうはびっくりしたようにしてこちらに来る。
「千里ちゃん、お久」
「紀美鹿ちゃん、お久」
「千里ちゃん、今どこのチームに居るんだっけ?」
「東京のクラブチームで40minutes」
「ごめん。聞いたことない」
「去年の春に正式登録したんだよ。結成したのは一昨年の秋」
「もしかして自分で作った?」
「そうそう。いったん引退していたけど、バスケしてないと身体がなまるよね〜とか言っている子を寄せ集めて」
「やはり、千里ちゃん一時期引退していたんだ?」
「でも篠原さんに見付かっちゃってさあ。取り敢えずユニバの代表候補に招集されることになってしまった。発表は来月だけど」
「あれ?ユニバーシアードに出られるんだっけ?」
「私、今大学院生なんだよ。3月に卒業するけど」
「そうか。1月1日時点で大学生か大学院生なら出られるんだ?」
「そうらしい。クラブの方も取り敢えず関東クラブ選手権に進出したから全国を狙う」
「全国優勝して皇后杯まであがっておいでよ」
「うん。頑張る。そうだ」
と言って、ふたりの会話に呆気にとられていた感のある青葉やハルの方を見て言う。
「紀美鹿ちゃん、左倉奈津って選手を覚えてる?」
紀美鹿はドキっとしたようであった。
「忘れられない子だよ。その子がどうかしたの?」
「ここにいるハルちゃんってのが、奈津ちゃんの弟」
と千里。
「弟!?女の子に見えるけど」
と紀美鹿。
「あ、ごめん、ごめん、妹」
「びっくりしたー」
「ハルちゃん、この人は奈津さんがインターハイに行った時のJ学園の副主将だよ」
「わあ」
「奈津さんとは私何回かしかマッチングしてないんだけど、才能を感じさせる子だった」
と千里が言うと
「才能もあったし、努力もする子だったよ。それで1年生からインターハイに連れて行ったんだけどね。まだ当時は実力不足ではあったけど。生きていたら3年生で主将をつとめていたかもと思うし、あの子がいたら翌年そう簡単に札幌P高校にも負けなかったんじゃないかと思うよ」
と紀美鹿は言う。
「ありがとうございます。姉を覚えてくださっている方にお目にかかれて嬉しいです」
とハルは言っている。
「妹さんはバスケするの?」
「小学1年の時、ミニバスしてたんです。でも姉が死んだショックでやめてしまって。でもずっとやってみたいなあという気はあったんですよ。そんな時千里さんに会って、ちょっと教えてもらって。ここ数ヶ月、ずっと個人的に練習してます」
実際にはここ数ヶ月、アキが学校に行っている間、ハルはひたすらバスケの練習をしていたようである。
「ひとりでやってんの? バスケ部無いの?」
「冬休み明けたら入部させてくださいと言いに行こうかと思ってるんです」
「今中学生?」
「中学2年です」
「もし高校からJ学園に来るつもりがあったら、私が紹介してあげるよ」
と紀美鹿。
「それは無理です!」
とハル。
「まあ取り敢えず部活で自分を鍛えて、高校でインターハイ目指すといいかもね」
「ええ。頑張ります」
「J学園大学に来る手もあるよ」
「行けたらいいけどなあ」
紀美鹿は結局チームメイトとは別に、こちらのテーブルでハルと話しながらお寿司をつまんでいた。すると満腹していたはずのハルもまたお寿司をつまんでいた。
紀美鹿と別れて車に戻る。お寿司から剥がしてきたお魚を数切れアキにあげると美味しそうに食べていた。わさびも少々付いていると思うが、アキなら平気であろう。
今度は千里が運転し、この新井PAに設置されているスマートICから出てまた入り直す。そして上信越道下りに乗り、上越JCTから北陸道新潟方面に分岐した。
「でも嬉しかった。お姉ちゃんを覚えていてくれる人がいて」
とハルが感動したように言っている。
「でも桃香が道を間違えたから、紀美鹿ちゃんに会えた訳だから、桃香のファインプレイかもね」
などと千里。
「世の中、結構そういうことってあるもんなんだよ」
などと桃香は言っている。
その後は日本海東北自動車道の朝日まほろばICを降りた所から桃香、酒田からまた千里が運転して、夕方、目的地の秋田県内某所に到達した。この日は取り敢えず泊まって、明日朝、職人さんの所を訪問するつもりだったのだが、青葉が連絡を入れると「朝から来られるより夜の方がいい」などというので、結局そのままそこの工房に行く。
青葉が以前その「職人技」を目撃したことがある、柳田さんは見た感じ50歳前後であるが実年齢はよく分からない雰囲気もある。
「つなぐ腕は親父の方が上なんだけど、なにせ目が衰えているからな」
などと豪快な感じで言っている。
「それでこれなのですが」
と言って青葉に促されて、ハルがボールペンを出す。
「へー。これ**工房さんとこで作ったね?」
「そこまではちょっと」
「いっそ、軸そのものを交換する? 同じ軸が入手できると思うよ」
「いえ、亡くなった姉の遺品なので、継ぎ目が残っても、これをそのまま使えるようにして欲しいんです」
とハルが言う。
「そんな大事なもの、なんで壊したの。これ相当の力を入れてボキッとやってるよ」
「実は不良に絡まれてとりあげられて。その不良の番長が乱暴な扱いをして折ってしまったんです。でも折られたという話聞いて頭にきたので、私自身でアジトに乗り込んでいって、番長倒して取り返してきました」
「へー。お嬢ちゃん、元気だね。でも君、使えるようにと言ったね?」
「はい」
「つまり見た目をきれいに修復するより使えるように修復して欲しいわけね?」
「姉の遺品だからこそ、私、そのボールペンを使いたいんです」
「気に入った。概して見た目優先の客が多いからさ」
それで柳田さんはルーペで切断面をつぶさに観察している。
「破片が足りないなあ」
「足りませんか!?」
「折れた時に小さい破片が飛んだと思うんだよね。でもそういう連中なら、そんなの放置しただろうなあ」
それで柳田さんはしばらく考えていたが、やがて修復方針を説明した。
「使えるようにしたいということなので強度を確保する必要がある。考えたんだけど、軸の内側に継木(つぎき)をしたいと思う。しかし単純に強度を取れるほどの継木した場合、内径が狭くなりすぎてリフィルを入れる時に入れにくくなるおそれがある。それで内側を少し削ぎ取って内径を確保するとともに継木はアクリル樹脂を染み込ませた秋田杉の板を使う。単純に強度を取るなら金属を使うのがいいんだけど、長年使っている内にサビが来るんだよね。それに重たくなって使用感を落としてしまう」
「そうそう。このボールペン軽いのがいいんですよ。普通に売ってるプラスチックのボールペンよりずっと軽いんですよね」
とハルが言う。
「杉の方がプラスチックよりずっと比重が小さいからね」
と柳田さん。
「それで表面の方は丁寧に切断面を合わせ付けながら、やはりアクリル系の糊で貼り合わせていく。見た目優先なら、麩糊とかを使ったほうがきれいなんだけど、強度が足りない。アクリル系の糊は接着作業が終わった後で加熱加圧すると強度が増すし、伸縮性もあるんだよ」
「使うのは360HV?」
と桃香が何だか難しい言葉を放つ。
「498HVを使う」
と柳田さんが答える。
「私は柳田さんにお任せします。こちらの考え方を理解してくださっているようなので」
とハルも言う。
それで念のためハルと、立会人として桃香も同意書に署名した上で柳田さんは作業を始める。
ライト付きのルーペを顔に装着して細かい部分を見ながら折れている部分の内側を細いナイフで削ぎ取る。柳田さんの作業はひじょうに精密で、この削る作業は何度も刃を動かすことなく、1発で均一に削いでいく。
「1発でよく削ぎますね」
と桃香が感心したように言う。
「そうしないとその破片を再利用できないじゃん」
と柳田さん。
その作業が終わった所で、新しい秋田杉の板を出してきて、2mmほどの厚さの細い板を4個作る。これにアクリル樹脂を染み込ませた上で、手元側の軸の内側、削いだ部分に接着する。そして慎重にペン先側の軸の内側部分とも合わせ付け接着する。
「木目がピタリと合ってる」
と桃香。
「そりゃ俺の仕事だから」
と柳田さん。
しかしここからが大変であった。折れた軸の表面は結構乱れている。それをルーペでよくよく見ながら、内側から順に先の細いピンセットで合わせ付け、きちんと組み合わせる。組み合わせるのと同時に接着していく。少しずつ外側に来て最後は表面の合わせ付けをしていく。
柳田さんは濃度の異なる4種類の糊を使っていて、内径側や内部の接着にはより濃いものを使い、表面側の接着にはより薄い方を使っている。
「この接着剤のいい所はとにかく強い接着ができることなんだけど濃くすると濡れ色が発生して、いかにも接着しましたという感じになってしまうんだよ」
と彼は説明していた。
あらかたつなぎ終えた所で、確かに足りない所が数箇所ある。柳田さんはそこの形を見ながら、内側で削ぎ取った木片を細いナイフで切り取り、きれいにその足りない部分の形に合わせる。
「木目に合わせて破片を作るんだ!?」
と桃香が驚いている。
「そうしなきゃ木目がつながらないじゃん」
と柳田さんは言っているが、彼の作業にいちいち驚いたり、しばしば工業系の専門用語で質問する桃香との会話を結構楽しんでいるようである。
青葉は・・・桃香の言っている言葉がさっぱり分からなかった!
青葉は人間に使う薬については詳しいものの、こういう工業系の薬品についてはあまり知識が無い。
そして千里は話が全く見えないので、工房の隅で半ばウトウトしながら待っていた。また、アキも千里の膝でおとなしく待っていた。
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