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■春分(7)

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1月1日。高岡。
 
「ここ数年、毎年千里ちゃんも来てたから、居ないお正月が何だか変ね」
 
などと言いながら、青葉の母はお雑煮を作ってテーブルに置く。青葉がブリを切って刺身にして並べる。
 
「明けましておめでとう」
と言っておとそ代わりのミツヤサイダーで乾杯する。
 
「あんたたちアパートはどうするの?」
「それ一昨日、千里と話していたんだけど、各々の通勤の都合もあって、別々に借りることになりそう」
と桃香は言う。
 
桃香の勤務先は千代田区の小川町駅近くで都営新宿線・丸ノ内線・千代田線が使用できる。
 
都営新宿線(小川町駅)は東側は千葉県市川市の本八幡駅、西側は京王線の神奈川県相模原市の橋本駅まで到達する。
 
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丸ノ内線(淡路町駅)は池袋駅から東京駅経由で新宿駅に至る線で、他線との直通運転は行われていない。
 
千代田線(新御茶ノ水駅)は東側はJR常磐線に入り茨城県の取手駅、西側は小田急に入り東京都多摩市の唐木田駅まで到達する。
 
一方で千里の勤務先は世田谷区の二子玉川駅の近くにある。使用できるのは東急(渋谷から半蔵門線、更に押上から東武線にまで直通運転。中央林間から東武動物公園までがつながる非常に複雑な路線)である。
 
「千里の就職が突然決まって30日の日にふたりで東京近辺の鉄道路線図と地図と見比べて、かなり検討したんだよ」
 
と言って桃香はかなり書き込みがなされている地図を出す。この大量の書き込みがふたりが悩んだ経過のようである。
 
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「ひとつの案は北千住駅の近くに住むこと。ここはたぶん双方の勤務地に普通に到達できる唯一の選択だと思う。ところがこの辺は高いんだよ」
 
「けっこう都心に近いもんね」
「賃貸情報見ていたんだけど2DKで10万とかするんだよ。信じられない」
 
桃香と千里が今住んでいるアパートは千葉市内中心部にあるにも関わらず家賃が共益費込みで6000円というそちらの方がよほど信じがたい値段である。それから見たら10万円なんてとんでもないだろう。でもちー姉の収入があればそのくらい平気だと思うけど、と青葉は思いながら聞いていた。
 
「北千住から更に離れて東武線沿いのどこかに住む手も考えた。もうひとつは総武線沿いのどこかに住むことも考えた」
 
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「桃姉の会社ってJRのお茶の水駅からは遠いの?」
と青葉は地図を見ながら言う。
 
「うん。結構歩くけど、何とかなるとは思う。早めに出れば」
「あんたそれが怪しいよね」
 
総武線沿線なら、千里は錦糸町から半蔵門線に乗り換える手がある。新宿まで行ってしまい、山手線で渋谷に移動してから東急に乗る手もあるだろう。早起きできる千里なら多少乗換があっても大丈夫なはずだ。
 
「でもあちこち検討している内に千里が、やはり別々に住まないかと言い出して」
「なんで?」
 
桃香は言いにくそうに言う。
 
「実はここ2年ほど、私と千里は、かなりすれ違いになっていたんだよ」
「あら、そうなの?」
「一応セックスは週3〜4回してるんだけど」
 
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母が渋い顔をする。女子高生の前であからさまにセックスとか言うなよという顔だが、青葉は別に平気だ。
 
「桃姉、週末はいつも浮気してたでしょ?」
と青葉が言うと
 
「うん。まあ。。。でも千里も私以外にも恋人がいるような感じもあって」
 
ああ。桃姉も気づいてはいたか。
 
「じゃ、あんたたちの関係はどうなる訳?」
「千里は今のままでいいと言った」
「今のままってどういう関係?」
「それが私と千里では見解に違いがあって」
と桃香は頭に手をやっている。
 
「桃姉はちー姉のこと、いつも恋人だと言っているけど、ちー姉は桃姉のこと友だちだと言っているもんね」
と青葉は指摘する。
 
「うん。それは最初からそうだったのだが。でも私も千里も青葉の姉であるというのだけは確かだ」
 
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「姉妹ではあるわけか」
と母が言う。
 
「ちー姉、例の指輪は返したりしてないよね?」
と青葉が訊く。
 
「実は何度か千里が帰宅した時に、私が他の子と、している最中で、千里が怒ってもう指輪返すと言われたことはある」
 
「そりゃあんたが悪い」
 
「でもちゃんと持っていてくれているし、今後も持っていたいと言ってくれた」
 
「その指輪がある限りはちー姉と桃姉は夫婦でもあるんだよね?」
「うん。左手薬指にはなかなか付けてくれないんだけど」
 
「まあそれだけ浮気してたらね」
 

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「まあそれで千里は『味噌汁が冷めない程度の距離』に住まないかと言うんだ」
「へー!」
 
「それって、桃姉が浮気相手を連れ込んでいても、ちー姉が安心して寝られる場所を確保しておきたいということでは?」
 
「うん。千里からは深夜に帰宅しても他の女の子のあられもない姿を見ずに寝られる場所が欲しいと、はっきり言われた」
 
「そりゃ、そうだろうな」
「少し反省している」
と言ってから桃香は更に言う。
 
「それと千里の仕事先が、おそらく深夜まで作業が及ぶことが多いと思うと言うんだよな」
 
「ああ、ソフトハウスだとそうだろうね」
「だから最悪会社から歩いて帰られる距離に住みたいと言うんだ」
「なるほど」
 
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「それで出た案が、千里は東急の用賀駅または桜新町駅の近くに住み、私が小田急の経堂駅の近くに住むこと」
と桃香が言う。
 
「東急のこの付近の線路が北に膨らんでいるんだね!」
と青葉は地図を見て驚く。
 
「そうなんだよ。だから小田急の経堂駅と東急の桜新町駅の間は直線距離で2.3kmしか無いんだ。恐らく距離2km未満で各々アパートが見付かるんじゃないかと千里は言うんだよね」
 
「ちー姉が見付かると言うんだったら、間違い無く見付かると思う」
と青葉は言う。
 
「そうそう。千里って、こういうの言い当てるんだよな。まあそのくらいの距離なら、私も千里の所に朝ご飯食べに行けるし」
 
「それ絶対無理。桃姉がそんなに朝早く起きられる訳無い」
「むむ」
 
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母が笑っている。
 

「ところで青葉は千里の恋人のこと聞いてないか?」
 
と桃香は青葉に尋ねた。
 
「それちー姉から言わないでと言われてるから」
「千里の恋人って何人か居るの?」
 
青葉は悩んだ。どこまでなら話していいものか。
 
「そんなに何人もは居ないよ。まあ桃姉以外には1人だけだよ。でもちー姉はそんなに彼氏とは会ってないと思う。ちー姉が土日にどこかに行っている場合、ひとつは運転手のバイトしている場合」
 
「あの子、そんなのしてるんだっけ?」
「ある作曲家さんの助手をしていて運転手兼用なんだよ」
「そういえば千里はよく楽譜を書いているな」
「あれスコア作成1曲1万円という美味しいバイトらしい」
「それは凄い」
 
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実際には千里は編曲は1曲最低でも10万円は取るようだと冬子からは聞いている。それは「醍醐春海」の名前を汚さない品質のものを仕上げるのに必要な時間と精神力を考えるとそうならざるを得ないのではと冬子は青葉に言っていた。しかし千里本人は友人に1曲1万円なんだよと言っているようなので、青葉はそれに合わせておいた。
 
「運転手の方は距離にもよるけどだいたい片道1万円から3万円と言っていた」
「それも美味しい」
「東京から鹿児島まで走ったのは5万円もらったらしいけど」
「凄い距離走るな!」
「あの子、運転上手いもんね」
と母も言う。
 
「それともうひとつは、バスケットの練習や試合に行っているんだよ」
 
「あの子、バスケットしてんだっけ? 高校時代にしてたってのは聞いたけど」
 
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「ちー姉の大学のバスケ部、あまり強くなかったからクラブチームに入ったんだよ。そのあと性転換手術するのに辞めて、身体を休めた後で今度は昔の友だちと一緒に新たなクラブを設立して、今はそこで練習してる」
 
昨日から考えていたのだが、千里から細川さんのことは「あまり」言わないでと言われているものの、バスケのことは言わないでと言われなかったはずだ。
 
「へー」
「大学出た後スポーツしていなかった人とか、結婚して引退していた人とかと。身体動かしてないとなまるよねーとか言って始めたみたい」
 
「ほほお」
と桃香。
 
「そういうのもいいよね」
「企業系のクラブチームだと実質プロみたいな凄い所もあるみたいだけど、ちー姉たちのは何にも規約が無いから出られる時に練習に出るんだと言ってたけどね」
「なるほど、なるほど」
 
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「でも元々強い人たちが集まって結成したから、凄く強くなってしまって今月末には関東大会に出るよ」
 
「それって千葉の大会を勝ち上がった訳?」
 
「ちー姉が大学生時代に参加していたチームは千葉県の協会に所属しているんだけど、今ちー姉が入っているのは東京都に登録しているクラブ」
 
「へー!」
 
「でも私がこのこと話したってちー姉には言わないでね」
 
「うーん。どうせ私はバスケは全く分からないし。最近は何だかリベロとかいうのができたんだろ?」
「それはバレーボール!」
「そうだっけ?」
 
「今度ちー姉がふだん付けてる時計とか、いつも使っている万年筆を見てみるといいよ」
 
と青葉は言う。
 
「ん?」
「大きな大会でもらった記念品なんだよ」
「ほほぉ」
 
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「千里ちゃん、以前は青い時計をしてたけど、最近は銀色の時計をしてるよね?」
と母が言う。
 
「言っちゃっていいのかなあ。あの青い時計は高校時代の彼氏にもらったんだって」
 
「高校時代って、あの子、男子高校生してたんじゃないの?」
「まあそれでも彼氏がいたんだよ」
 
千里が高校時代に女子制服を着ている姿の写真は千里から、桃香には内緒にと言われていた気がする。
 
「あれだけ可愛ければ、できるかもね」
と母が言う。
 
「でもその彼氏が結婚してしまったから、その時計をするのを止めて、その記念品の時計を使うようになったんだよ。あの青い時計も捨ててはいないと思うけど」
と青葉は言った。このくらいまでは言ってもいいよね?
 
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「もしかして、例のヴァイオリンをくれた大阪の男の子?」
と桃香。
 
「うん」
「確かに千里が青い時計から銀色の時計に変えたのはあのヴァイオリンをもらってきた後だ」
 
千里は細川さんと高校生の頃以来。何度もあのヴァイオリンを「あげる」「もらったものだから私のもの。だからあらためてそちらにあげる」などと言って交換していたらしい。それがふたりの愛の交換でもあったようだが、2013年の夏に細川さんが結婚して、そのヴァイオリンも最終的に千里が引き取った。それでふたりの愛は終わったはずだった。
 
でもちー姉、結局その後も不倫してるじゃん!
 
「そういえばあの時、そんなこと言ってたわね。じゃ、失恋したのね」
と母が言う。
 
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「実際、あの時期ちー姉、落ち込んでいたでしょ?」
「そう言えば」
「私が高野山までの運転頼んだ時も自信が無いなんて言ってたし」
「そうそう。千里は元々運転がうまかったのに、あの時期は私が頼んでも、ごめーんとか言っていたんだよ」
 
「そのあとミラを買ったんだよ。それで運転している内に少しずつ自分を取り戻していったみたい」
 
「そうか。そうだったのか」
 
「その彼氏が今の奥さんと婚約したのがその1年前、2012年の夏だよ」
「ん?」
「その直後にちー姉は、桃姉の指輪を受け取ったんだよ」
 
と青葉は言う。
 
「そうだったのか・・・・」
「だからちー姉はもうそれで彼のことは忘れるつもりだったらしい。それで桃姉の指輪を受け取って1ヶ月もしないうちに桃姉の浮気現場を目撃して、激怒して、もう左手薬指には付けないと」
と青葉が言う。
 
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「いやあ、あれはまずった」
などと桃香は言っている。
 
「呆れた子だね」
と母も怒っているようであった。
 
「まあそれでも、ちー姉は実際には彼とたまに会っているみたい。これ私が言ったとは言わないでよね。だけど彼は結婚したんだから、あくまでも友人として会うだけで、キスしたりセックスしたりすることはないって」
 
と本人は主張してるけど怪しいよなあ、と青葉は思う。
 
「そうだったのか。まあ単に会うくらいまでは許してやるか。私も浮気してるから、千里を責められん」
 
「だからたぶん、ちー姉が桃姉との同居を解消するのは、桃姉が他の女の子を連れ込んでいた時に、ちー姉が寝る場所が純粋に無いからだよ。今までもあちこち友だちの家とかに泊めてもらってたみたいだし。だから桃姉のこと嫌いになったんじゃないと思うよ」
 
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青葉が「嫌いになったんじゃないと思う」と言ったので桃香は少し安心したようである。
 
「いや、悪いとは思っていたのだが」
「仕事で疲れて帰って来て、お風呂とかにも入れないんじゃ困るわよね」
 

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