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■春暉(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-03-21
2014年5月24日、12年間にわたって工事が続けられていた北陸新幹線延伸部分(長野−金沢)のレールが全てつながり、8月5日から「かがやき」「はくたか」に使用予定のW7系の車両を実際に使用した走行試験が始まった。
JR西日本の師笠運転士はその日新型車両の運転席に座り、黒部宇奈月温泉駅から白山総合車両所までの区間を試験走行していた。同僚の運転士が白山から黒部まで運転してきていた。
新幹線自体の運転歴はもう10年になる。事前にシミュレーターで充分練習しているし、既に運用開始されているJR東日本の同型車両E7系にも同乗させてもらっているので個人的にはあまり心配はしていなかったものの、新型車両の初運転はやはり緊張する。
視線を遠くに投げ線路に異常がないかどうか見ながら、実際にはほぼ自動で運転されている新幹線のシステムの状態に気を配る。しかしこの新幹線はトンネルが多い。今回の延伸部分で一番長いのは長野−上越妙高間にある飯山トンネル22,251mだが、他にも朝日トンネル7570m, 新親不知トンネル7035m, 高丘トンネル6944m, 松ノ木トンネル6787m, 倶利伽羅トンネル6632m といった長いトンネルがある。
速い速度で狭いトンネルに突入したり出たりするとその度に空気抵抗が凄まじく、結構な衝撃がある。どうしても緊張は高まる。
だいたい遠くの方に視線をやっているのだが、その影はほんとに目の前にいきなり現れた。
「あっ」
という声を出すより速く身体が動いていた。
物凄い音を立てて新幹線が緊急停止する。
「どうしました?」
同乗しているメーカーの技師が急ブレーキで倒れたものの起き上がって尋ねる。
「人をはねました。間に合いませんでした」
と師笠運転士は青くなって答えた。
「え〜〜!?」
列車はトンネル内で停車してしまったのだが、乗車していた職員や技師で降りて懐中電灯で照らして車両を点検する。しかしどこにも異常は見付からない。しかし人をはねたとあっては放置できないので、近隣の駅からも応援の職員を呼び、大きな照明なども使ってあたりを探す。列車を取り敢えずトンネル外まで動かした上で、車両を点検し、あらためてトンネル内をかなり捜索した。
新幹線が思わぬところで停まっているので、twitterでも情報が広まったようで、撮影マニアが多数集まって写真を撮っていた。
捜索はつごう2時間ほど行われたものの、車両にも線路にも異常は見付からなかった。
「お前、寝ぼけていたんじゃないのか? 昨夜は何時に寝た?」
と上司から問われる。
「昨夜は10時に寝て、今朝は6時に起きました」
「酒は?」
「昨日は飲んでいません」
「取り敢えず車両基地に戻ってから事故報告書を書け」
「はい」
師笠は「これは絶対新型新幹線の運転クルーから外される」と思いながらも、上司の命令に素直に返事をした。
「松射、お前が車両基地まで運転しろ」
と白山から黒部まで往路を運転した同僚に上司が指示する。
「分かりました」
と言って彼が運転席に座る。
それで現場に出ていた全員が新幹線に乗り込み、W7系は動き始めた。
時を戻して7月中旬。
「そういう訳で、今年の合唱コンクールの自由曲を何にするか決めたいと思います」
と青葉たちの高校の合唱軽音部の部長・真琴さんは言った。
「やはり今年流行っている歌を歌いたいよね」
「例のディズニー映画の主題歌とかは?」
「ディズニーは権利関係が面倒くさいんだよね」
「そうそう。許可の取り方はあるらしいんだけど、高岡C高校でも許可取ろうとしたものの、難しすぎてギブアップしたと言ってた」
「C高校は何歌うの?」
「結局、しまうららの『初恋の丘』。女声四部に編曲されたスコアが販売されていたから、それを使ったらしい」
「ああ。既に四部合唱に編曲された譜面が存在してないと難しいよね」
「編曲自体が結構大変だし、自分で編曲する場合は、それを作曲者に提示して許可も取らないといけないし」
「でも『初恋の丘』は30年近く前の歌だから」
「やはり今年の歌がいい」
「でもそれ編曲できるの?」
「きっと青葉がやってくれる」
青葉は思わず咳き込んだ。
「青葉なら、きっと作曲者の許可もコネで取ってくれるよね?」
「私、そんなにコネ無いよぉ」
「そうだ。遠上笑美子ちゃんが歌ってる『魔法のマーマレード』は?」
「あれ、可愛い曲だよね」
「青葉、あれ編曲できる?」
「編曲はできると思うけど、あれ誰の作品だったっけ?」
「あ、確認してみる」
とひとりが言ってスマホでチェックしてる。
「葵照子作詞・醍醐春海作曲だって」
「知らないなあ」
「あ、その曲、元々はKARIONが歌ってて、それを遠上笑美子ちゃんがカバーしたんだよ、確か」
とひとりが言い出す。
「KARIONなら、青葉、水沢歌月さんと知り合いだよね?」
「うん、まあ」
「だったらコネがつながらない?」
「うーん。ちょっと連絡してみようかな」
青葉は冬子(ケイ=水沢歌月)と連絡を取ろうとしたのだが、忙しいようで、なかなか連絡が付かなかった。7月17日(木)になって、やっと向こうから電話が入った。
「ごめん、ごめん。引越しやってたもんだからメールとかの返事溜めちゃって」
と冬子は青葉に謝った。
「そうか。お引越しなさったんでしたね。おめでとうございます」
「段ボールがとにかくどかーんと積み上げてあるよ。開くのに1年以上かかる気がする」
「たいへんですね」
「それで何だったんだっけ?」
「実はうちの合唱部でのコンクールの自由曲なんですけど」
「あ、私の曲を使いたいの?」
「すみません。実はそうではなくて」
と青葉は冷や汗である。
「実は遠上笑美子ちゃんの『魔法のマーマレード』という曲を使いたいという話になったのですが、これって元々KARIONが昨年のアルバム『三角錐』の中で歌った曲でしたよね?」
青葉も一応そこまでは調べたのである。
「そうそう。でも私の曲じゃないよ」
「ええ。それでその作曲者の醍醐春海さんに、連絡を取って編曲のご許可を頂けないかと思って、でも連絡先が全然分からなかったので、冬子さん連絡先の分かる方をご存じないかと思いまして」
「なーんだ。そういうこと」
「済みません。お忙しいのに、雑用で連絡して」
「醍醐春海との連絡なら、私を通さなくても直接彼女と話せば良い」
「すみません。その連絡先を・・・」
「その連絡先は、青葉が携帯から無料通話で掛けられる所だよ」
「は?」
「青葉ならそのヒントで分かるはず。じゃねー」
と言って電話は切れてしまった。
無料通話で掛けられる相手!?
うっそー。
青葉は考えてみた。無料で掛けられる相手って・・・・。
110番や119番じゃないよね?
まさか。警察の業務に作曲というのは無かったはず。
家族割を使用して、母(朋子)と義理の姉である桃香へは無料で掛けられる。それ以外に3ヶ所、無料通話先を登録できるので、恋人の彪志、もうひとりの義理の姉である千里(桃香は後見人の娘なので法的にも義理の姉に準じるが、千里は法的には赤の他人である)、そして仕事上の連絡の都合で佐竹慶子を登録している。
つまり5人いる。
ひとりずつ考えて行く。
うちのお母ちゃんが作曲とかやるなんて聞いたことない。佐竹慶子さんは音痴だ。作曲などできるわけがない。彪志も人にはピアノの弾ける女の子はいいなあとか言ってピアノを練習させた癖に実はへ音記号の部分ではドレミも分からないのが確認済み。
残るのは桃香と千里。
桃香は洋楽キチガイだ。マドンナ、マイケル・ジャクソンに始まり、クイーン、ビートルズ、レッド・ツェッペリンやKISSから、最近のレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ストラトヴァリウス、またテイラー・スウィフト、アヴリル・ラヴィーンに至るまで、洋楽は古いものから新しいものまで手広く聴いている。歌もうまくてカラオケ屋さんに行くとパンチの利いたパワフルな歌唱をする。
桃香が作曲している所を想像してみた。
青葉は吹き出した。
絶対あり得ない!!!
となると、答えは千里だ。
そもそもちー姉って(下手だけど)ヴァイオリンを弾くし、(雨宮先生が言うには)ピアノもうまいと言うし、(聴いたことはないけど)龍笛が物凄く上手いらしいし、ちー姉ってカラオケ行っても「私はいい」とか言って歌わないから全然知らなかったけど、こないだローズクォーツの『性転換ノススメ』のPVで見たら実は歌が結構上手い。たぶん桃姉よりうまい。
そういうのを考えてみたら、作曲くらいしても全然不思議ではない。
ただ、そんな話、今まで一度も聞いたことが無かっただけだ。
青葉は千里に電話を掛けてみた。電話は呼び出し音が1回も鳴らないままつながった。
「はい」
という千里の声。
こちらが電話するのをちー姉、予測していたな、と思う。
「おはようございます、醍醐春海さん。ちょっとお願いがあるんですか」
と青葉は言う。
「おはようございます、大宮万葉さん。何かしら?」
と千里は極めて平静な声で答えた。
青葉は、この時自分が千里の前で物凄く小さい存在のように思えた。私ってひょっとしたら、ちー姉の掌の上で飛び回っている孫悟空なんじゃなかろうかなどという気さえした。
「うちの合唱部で大会に出るのに葵照子さん作詞・醍醐春海さん作曲の『魔法のマーマレード』を歌いたいんだけど、こちらで女声四部に編曲して使わせてもらえないかと思って」
「それはOKだけど、今からわざわざ編曲しなくても、こちらで女声四部合唱、4分30秒に編曲したピアノ伴奏譜付きスコアがあるから、そちらにメールするね」
「合唱のスコアがあるの〜〜!?」
「昨夜ファミレスの夜間勤務の合間に編曲しておいた。はい。今送信したよ。書面の編曲承諾書は明日にも書いて投函しておくね」
「ちー姉、予定調和が凄すぎるよ!」
「青葉には負けるよ。じゃ、またね〜」
そういう訳で青葉が自分のパソコンでメールチェックをすると、譜面のPDFとCubaseのプロジェクトデータが送られて来ていたので、青葉は首を振ってそれをプリントし、翌日学校に持っていった。
8月2日(土)朝9時。青葉は友人の美由紀・日香理と一緒に朝、氷見線で高岡駅に出た。この時期開催されていた高岡七夕祭りの手伝いを頼まれたので、そちらに向かうことにしていたのである。
3人がおしゃべりしながら駅を出たら、そこに女子高生の集団がいる。その中に中学時代の同級生・奈々美が居たので、それに気付いた青葉と美由紀が手を振ると、奈々美も手を振ってから、何か思いついたように、そばにいた上級生っぽい人に話をしている。するとその人が頷いて、奈々美はこちらに駆け寄ってきた。
そしていきなり美由紀に抱きつき
「おお、我が友よ」
などと言う。
「どうしたの?どうしたの?」
「あんたたち暇?」
「暇ならこんな朝から市街地に出てくる訳ない」
「それでさ、今から私たち、千葉に行くんだけど一緒に来てくれない?」
「千葉?」
「うちのバスケット部がインターハイに出るのよ」
「おお、それはおめでとう!」
「だから一緒に来て」
「何のために!?」
「だから応援しに行くのよ」
美由紀などもそうだが、奈々美もわりと途中をすっ飛ばして話をする癖があるので意味が分からないことがある。
「なぜ、私たちが行かなければならない?」
「私たちこれから七夕の準備なのに」
「お昼は美味しいお弁当が待ってる」
「そこを同じ高岡の女子高生のよしみで」
「私、性転換して男子高校生になろうかな・・・」
「性転換手術って痛いらしいよ」
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