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■春春(14)
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とにかく行ってくれと言われて来たので、こちらの業務を何も聞いてないと夏樹が言うと、寺下さんと教室課長(兼・教室長)の山道さんとで、まずは全般の業務を説明してくれた。
この支店の業務は、フランチャイズしている△△音楽教室の運営と、楽器販売保守部門が2つの大きな柱である。合わせて楽譜やCDなどの販売も行っている。販売している楽器は、管楽器類:弦楽器類:鍵盤楽器類=2:3:5。鍵盤楽器では電子キーボードが数的には多いが、教室の生徒さんを中心に、ピアノ類やエレクトーンも売れているらしい(金額的にはエレクトーン、次いでクラビノーバが多いということだった)、
「歴史的には市内でピアノ教室を運営していた$$楽器と、主として小学校や幼稚園向けに足踏み式のリードオルガンの製造・販売をしていた££楽器が合併して¥¥楽器になりまして。リードオルガンの技術者が多数いたことから、1980年代にYY楽器の傘下に入って、リード・オルガンだけでなく、パイプオルガンのメンテも行うようになったんですよ」
「パイプオルガンか!」
やはり自分はパイプオルガンから逃れられないのだなと思う。音楽教室運営の責任者をしてればいいという訳ではないようだ。
「パイプオルガンについては、北陸の重要拠点になっているので、担当地域は、北陸三県のほか、長野県・岐阜県・新潟県にまで及びます。この地域には現在60台ほどのパイプオルガンが設置されており、様々なビルダー(*21)のものがあるのですが、保守契約を委託されている所もありますし、それ以外でも緊急の点検や修理を依頼される場合もあります。特に2020年春以降は、コロナのせいで本国から技術者が来日できないことが多く、臨時に依頼されるケースが増えて、忙しくなっていたんですよ」
(*21) パイプオルガンを作る製造者は“メーカー”ではなく“ビルダー”と呼ばれる。あれは“作る”というより“建てる”ものである。多人数の技術者がいる大きなビルダーから、個人の職人さんがほぼ1人で組み立てる所まで様々である。
「更に現在、建築計画中の大型パイプオルガンがあり、亡くなった前支店長の**は、色々調整に飛び回っていたようで」
それで支店長が過労死した訳だ!
なお、前支店長さんは50代の男性だったらしい。50代の男が過労死したから、39歳の女である自分が送り込まれてきた訳か!体力のある若い人を起用するとともに、きっと女のほうが男より無理しないと考えたか。支店長が2代続けて過労死したら、その後、誰もやりたがらなくなる。って、私過労死しないよね?
「大規模ってストップとパイプ数は?(*22)」
「70ストップ5000本くらいの予定です。実際の数は制作中に変わる可能性があります」
「それは国内でも10個くらいしかない規模じゃないですか!(*23)」
うちの会社がこれまで製造を請け負った中でも五指に入る規模のオルガンだ。国内で製造したものの中では間違い無く最大(中国で6000パイプのオルガンを製作したことがある:後述)。
自分は本当に最高に忙しい所に来たようだ。そして、この製作を仕切ることのできるのはたぶん自分か国重部長や武石常務あたりしか居ないと思った。常務や国重さんが本社を離れることはできないから自分に任されたんだ。北陸の人と結婚したからなんて全然関係無いじゃん!
これ、実際の製造は、たぶん坂本課長が直接こちらに来て指揮を執ることになるだろう。自分がまずしなければならない仕事は、坂本さんが来るまでの環境作りと仕様確定・予算見積もりだな。
(*22) パイプオルガンは様々なサイズのパイプに空気を送って音を出す。パイプは10mを越えるものから数cmのものまで様々である。当然小さいパイプは高い音が出る。そしてパイプの数が多いほど多くの音が出る。空気を送るのは現在は電動方式だが、古くは人力とか水車とかで送っていた時代もある。
パイプオルガンの簡易型として発展したリードオルガンでは、足踏みペダルにより送風していた。
ストップとは音色のセットを切り替える装置である。エレクトーンで言うと音色選択あるいはレジストレーション変更ボタンに相当する。伝統的には、ストップ操作をする助手が付いていて、楽譜上の指定あるいは演奏者の指示に従い、これを操作して音色を切り替える。小浜のミューズシアターに導入したものなど、近年のパイプオルガンには、これをエレクトーンのレジストレーション変更ボタンのように、演奏者自身が切り替えられるように作られていて、助手無しでも演奏できるものがある。
(*23) 2021現在の日本国内でストップ数70以上のパイプオルガン↓
(数字はストップ数−パイプ数:ミューズシアター以外は実際の数字)
東京芸術劇場 (126-8286)
NHKホール (92-7640)
愛知県芸術劇場 (93-6883)
京都コンサートホール (90-7155)
東京芸術大学奏楽堂 (76-5368)
所沢市民文化センター (75-5563)
サントリーホール (74-5898)
ミューズシアター (73-5604)
川崎シンフォニーホール (71-5248)
新宿文化センター (70-5061)
ハーモニーホールふくい (70-5014)
教会などの小型のオルガンではストップが4個以下でパイプも30〜200個程度のものも多い。1ストップ30パイプなら、音色は1種類で2オクターブ半しか音が出ないことになる。それでも教会のミサには結構使えるし、電子キーボードなどで伴奏するより、随分荘厳で、有り難みを感じる。
午前中、色々と書類を見て、また決裁を待っていた大量の書類にひたすらハンコを押した。お弁当(自分で作って来た:優子は引越疲れでダウンしていた)を食べた後、市内のショッピングモールなどに出店している店舗を寺下さんと一緒に巡回し、各々の店長と名刺を交換してきた。
夏樹の名刺は午前中に社内のプリンタで印刷した。女性的な角丸四角形のペールブルーの紙に「YY楽器金沢支店長 古庄夏樹」と丸ゴシックで印刷されていて、エレクトーン、フルート、ヴァイオリン、ギターの絵が印刷されている。また名刺の縁取りに『主よ人の望みの喜びよ』の楽譜が薄い灰色で印刷されている。分かる人には分かる名刺だ。
夕方には(勤務時間を越えるが、支店長の勤務時間はわりと無視される)山道さんと一緒に、8階の音楽教室に顔を出して、この日来ている講師さんたちを集めて挨拶した。
「挨拶のメッセージ代わりに」
と言って、夏樹は教室のロビーに置かれたSTAGEAの前に座ると、『トッカータとフーガ・ニ短調』を演奏してみせた。
講師さんたちから思わず歓声と拍手が起きた。
ま、つかみはこんなものかなと夏樹は思った。
「女性の支店長さん、応援します」
「楽器のできる支店長さんは大歓迎です」
などという声も出ていた。
翌日(4/8 Fri)は、その70ストップ5000パイプのオルガンを作るという顧客を訪問することになった。来てみると、火牛アリーナである!
事務局で挨拶したら、館長の白石さんが出て来て、まずは名刺交換する。白石さんは、60代の女性である。小学校の校長先生をしていて2021年春に退職したらしい。穏やかな感じの人で、これなら生徒に慕われたろうなと思った。
「ちょっと失礼」
と言って、内線を掛けている。
「YY楽器の新任の支店長さんが、いらっしゃっているのですが。はい。ではお通しします」
と言っている。
「今、ちょうど社長が来ておりますので、ぜひこちらもご挨拶したいとのことです」
とのことで夏樹たちは社長室に通された。
「おはようございます。YY楽器、金沢支店長に就任しました、古庄です」
と挨拶し、向こうも
「おはようございます。サマーガールズ・フェニックスの社長、村山です」
と向こうが挨拶する。
「え?」
「あれ?」
と双方驚いて声を出す。
「千里さんが社長なの?」
「夏樹さんが支店長になったの?」
白石館長も寺下課長も驚いている。
取り敢えず応接セットに座って話す。20代の男性がケーキとコーヒーを持ってきてくれた。千里がコーヒーを飲み、ケーキも一口食べたので、夏樹たちも頂いた(ここは物凄く換気されていて寒いくらいである)。
「ここは、元々妹の青葉が“うっかり”この土地を買ってしまったからさ。それで私が体育館を建てることにしたんだよ。するとそこにローズ+リリーのケイが乗ってきて、ライブ会場としても使えるのにしてくれと言って、それで運営会社を設立したから、私が社長で、ケイが副社長。実際には同等の権限を持っている」
「へー!」
「2021年1月に小浜のミューズシアターにパイプオルガンを建設したけど、今度はここにも作ろうという話になってね。コロナで国境を越えての移動が困難で、小浜でもそれで苦労したから、今度は国内のメーカーに依頼しようということになった。それで10年ほど前に中国の蘇州(スーチョウ)に大規模なパイプオルガンを建設していたYY楽器さんにお願いすることにしたのよね」
千里が“蘇州”を“そしゅう”ではなく“スーチョウ”と発音したので、夏樹は『できるな』と思った。
蘇州(スーチョウ)のオルガンのビルドには夏樹も参加している。あれは(責任者じゃ無かったから!)わくわくする作業だった。でもあの時も最初の営業担当者は過労死している!うちの会社、なんか過労死多くない??
(亡くなった人は蘇州語が分からず北京語で話していたものの、相手と充分なコミュニケーションが取れなくてストレスが溜まったとも聞いた)
夏樹はこの時、蘇州語(上海語に似ている)を覚えた。営業担当なのだけど(*24)実際には製作の実作業にもかなり参加してパイプを切ったり削ったり、配線のハンダ付けをしたりしていた。テスト演奏もかなりしているが、大規模なオルガンを弾くのは物凄く快感だった。
あの時の営業責任者が今常務になっている武石さんで、製作のサブリーダーが坂本課長(当時は主任)である。当時の製作のリーダーの人は、3年後に会社を辞めて“奧さん”の郷里の“常州”(*25)で家具屋さんをしている。でも当地の教会に頼まれて数年前、ひとりだけでパイプオルガンを作っちゃったらしい(制作費は30万元≒600万円だったとか;結構大きなものという気がする)。
(*24) 当時は向こうの人とひたすら飲み明かしたので、かなり俗なというか卑猥な表現も覚えた。接待の一環として女をあてがわれて焦ったこともあった。
無理矢理服を脱がされて、女物下着を着けているので「え?」と向こうが戸惑った所で「ぼくは“同志”なので君を抱けないけどお話しよう」と言って、おしゃべりして夜を過ごした。ジャニーズの話とかで盛り上がり、結構楽しかった。でも次回はホテルの部屋のベッドで可愛くメイクした美少年が寝て待っていて、これはもう追い出した!
(*25) 蘇州(スーチョウ)の西が無錫(ウーシー)で、その西が常州(チャンチョウ)である。常州といっても、茨城県ではない!
千里の説明は続く。
「こちらも、小浜のとだいたい似たような感じのものを作りたいということで、前の支店長さんには随分奔走してもらったんだよ。それでどうも過労死なさったみたいで。お葬式には行ってきたけど、気の毒なことしたと思ってた」
と千里は言う。
「小浜のミューズシアターのはドイツのヘクター・ウント・フーファイゼン社ですよね?」
と夏樹は確認する。
「さすがよくご存じだ。ミューズシアターを所有しているムーランの社長・山吹若葉の夫が、シュトゥットガルトに住んでいるので、そこの会社を使ったみたいだよ」
「もしかして遠距離夫婦?」
「そそ。以前は年に数回ドイツに行ってたけど、コロナが流行り始めてからは1度も会ってないと言ってた。ひたすら電話で話す」
「大変そう!」
「モニカちゃんもここ半年ほど大変だったでしょ?」
「その名前は勘弁してよ〜」
「モニカって何かあるんですか?」
と帰りの車の中で、羅下さんに尋ねられた。
「いや、私が昔時々ガールズ・オンリー・バーに行ってた頃、そのお店の中で名乗っていた“仮の名前”なんだよ」
当時“モニカ”名義のクレカまで作っていたことは言わない。
「だから当時の常連さんには、よくその名前でからかわれる」
「ガールズ・オンリー・バーって一度行ってみたい!じゃ村山社長さんもそこの常連だったんですか?」
「村山さんの彼女というか夫が常連だったんだよね」
寺下さんは少し考えていた。
「ビアン婚ですか!?」
「そうそう、私もだけどね」
「素敵!私も女の子と結婚したいと思ってた時期ありますよ」
と寺下さんはワクワクした顔で言った。
優子と夏樹のパートナーシップ宣言だが、この制度を導入している自治体で、“連携協定”をしている所同士なら、簡単に移行できるのだが、あいにく千葉市と金沢市の間にはそのような協定が無い。それであらためて宣言する必要があり、そのための書類も取り寄せなければならないことになる。
それで結局5月6日(金・みつ)にすることにし、その日は休ませてもらって、市役所に行き、宣言をすることにした。
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