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■春動(8)
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「そうそう、吉田さん、新しい名刺ができたから」
と課長は言った。邦生はその名前の呼ばれ方に違和感を覚えた。課長はいつも彼を「吉田君」と呼んでいた。
それで課長から渡された名刺を見て、邦生は困惑した。
これまでの名刺は長方形の形状で、字が明朝体だったが、新しい名刺は角丸長方形になっていて、字は丸ゴシックである。思わず可愛い!と思った。
「済みません。なんかこの名刺、まるで女性の名刺みたいに見えるんですが」
「うん。君、東京にいる間に性転換手術を受けて女性になったんでしょ?うちの銀行は性別の移行に関して寛容だから、これまで通り普通に勤務してね」
「そんな手術受けてません!」
「え?そうなの!?」
と課長は戸惑っている。
由美が言う。
「課長、やはり私たちが言ってた通りですよ。くにおちゃん、性転換手術なんてとっくの昔に終わってたよね」
「えっと・・・」
「だったら何の手術受けたの?」
と課長が訊く。
「女子たちの間で流れていた説によると、以前にヴァギナを作る手術までは終わってたけど、今度は卵巣・子宮を移植したんだよね?これで妊娠出産もできるようになったんでしょ?」
「そんなのドナー居ないのでは?拒絶反応も起きるだろうし」
と邦生は呆れて言う。
「だから自分の細胞をiPS化して、それを卵巣と子宮に育てたんだよね?」
と由美は言った。
さて、この状況で、何から説明すればいいのだろう?と邦生は悩んだ。
そしてその日の休憩時間、トイレに行こうとして、自分の社員証では男子トイレに入れなくなっていることに気付き、ショックを受けたのであった!
「それで今日から女子行員になったの?」
と真珠は、笑いながら、その日帰宅した邦生に尋ねた。
「客先訪問用にスカートスーツ買いに行く?ぼくも付き合ってあげるよ」
と真珠は楽しそうな顔で言う。
「結局長谷課長に状況を説明して、無効化されていた男子社員証を再発行してもらった」
「良かったね」
「長谷課長は大笑いしてたけど」
長谷知香課長は、金沢支店の女子行員たちの事実上のリーダーである。キャリアが長いので、事務的な問題については、副支店長なども彼女を頼る。
「でも一度無効化された社員証は絶対復活できないらしいんだよ。だから社員番号も新しいのが振られた」
「そりゃセキュリティ上そうだろうね」
「お陰で男子トイレに入れるようになった」
「別に男子トイレに入る必要無いと思うけどなぁ。クニちゃんは可愛い女の子なんだから、トイレも男子トイレとか使わずにちゃんと女子トイレを使えばいいと思うよ」
「俺、男なんだけど」
「またご冗談を」
などと真珠は言っている。
こいつ俺の男性器を昨夜は“確認”した癖に、なんで俺のこと女の子みたいに扱うんだろう、と邦生は疑問を感じた。
「ところで今夜はぼくを抱いてくれない?」
と真珠は言った。
邦生は返事をしなかった。下手なことを言うと彼女を傷つけそうな気がした。
「明恵ちゃんとかはさぁ、女らしい性格だから、その内言い寄る男の人も出ると思うけどさ。ぼくって男っぽいし。元男だった女の子とか、わざわざ結婚する気になる人なんて無いと思う。でもクニちゃんはぼくのこと、女の子だと思ってくれるよね?」
「まこは可愛い女の子だと思うし、元男の子だったことなんて、何も気にしてないよ。明恵ちゃんとか、青葉とかについてもそうだけどさ」
と邦生は言う。
「やはりそう思ってくれるよね。だからクニちゃんくらいしか、ぼくを抱いてくれそうな子、思い付かないんだよね」
まだ若いんだし、無理して性的なことしなくてもいいのにと邦生は思った。
一方真珠は、“ユウキさん”はたくさんセックステクニックとか教えてくれるけど、絶対にぼくのバージンを奪ったりはしないからなあ、などと思っている。
「お前バージンじゃないの?普段はいかにも経験あるかのようなこと言ってるけど」
と邦生は指摘した。
「だから抱いてよ」
と言って、真珠は邦生に抱きついた。
邦生は彼女の背中を優しく撫でてあげた。
翌朝、邦生が出掛けるのに着替えようとすると、真珠はプラ&ショーツのセットを出してきた。
「くーにん、この下着着けて。これだと“こぼれにくい”と思う」
「俺、あまり女の下着を着ける趣味無いんだけど」
「またご冗談を。好きなくせに。一昨日も言ったけど、ぼくとペアランジェリーしようよ。ぼくもこのシリーズ着けるからさ」
なんか自分を見詰める視線が熱いのを感じる。可愛いじゃん。
「じゃパンツはこれ使う。ブラジャーは俺胸無いし、会社に行く時は着けない」
「でも女子社員になったんでしょ?ブラジャーは着けたほうがいいよ。女の子に胸が無いのは変に思われるし、最悪胸が無くても、ブラジャーも着けてないの着替えの時に見られたら性別を疑われるよ」
「お前、俺の話のどこ聞いてたんだよ!?」
真珠はきょとんとしていた!
(ほんとに全然話を聞いていなかったのでは?今日の夕方帰宅したら、邦生の身体に合うスカートスーツが用意されているという説に1票)
12月中旬、優子は、千里のスマホに電話をしてみた。
「ちょっと娘と両親を連れて東京まで往復してきたいんだけど、飛行機は空いてたりしないよね?」
「何人?」
「私と奏音、両親、それと私の彼氏で5人なんだけど、彼氏は車で走らせてもいい。親はいい年だから車での往復が辛いだろうと思って」
「いつ?」
「能登空港あるいは富山空港から熊谷までが1月7日、帰りが1月9日とか」
千里はどうもカレンダーを見ているようだ。
「1月7日(金)の午前中ならOK。帰りは1月11日(火)ではダメ?」
「OK」
「だったら能登空港2往復で予約入れるよ」
「ありがとう!お金はいくら払えばいい?こないだはついでだからってタダで乗せてもらったけど」
「そうだなあ。燃料費と着陸料くらい払ってもらえばいいよ。パイロット代はサービス」
「燃料費というと、20-30万かなあ」
そのくらいなら夏樹が払えるはずだと思う。実際航空会社の飛行機で往復すれば軽く20万飛ぶ。
「ホンダジェットが使えるから、熊谷と能登の往復500kmで2万円くらいかな」
「そんなに安いの!?」
「今回2往復になるから4万円で、それに着陸料2回分1万円払ってもらえばいい」
「分かった。じゃ5万円ね。でもなんか車のガソリン代並みだね」
「だってホンダだもん」
「凄いね!」
ホンダジェットの燃費は3.3km/kgなので、熊谷−能登1往復500kmで使う燃料は150kg=190Lほどである。灯油缶10本分くらいであり、価格はだいたい2万円程度と思われる。着陸料は1回4400円だが、“この”千里はアバウトな計算をした。
能登空港−熊谷市を車で走ると(道路がまっすぐ走ってないので)往復1000km, 12km/Lとして85Lくらいで、ハイオク180円/Lとして1.5万円。
ホンダジェットの凄さが本当によく分かる。
優子が千里とそういう話をしたのが12月中旬くらいだったのだが、それで1月7日は早朝高岡市南部を2台の車で出発して、能登空港まで走った。
ムラーノ:優子父が運転して、優子母が同乗
MX-30:優子が運転して、夏樹・奏音が同乗
夏樹ではなく優子が運転したのは、能越自動車道は、道幅が狭くてカーブ・アップダウンが多く、慣れてないドライバーには結構恐怖!を感じる道たからである(特に氷見市内の道幅の狭さは異常)。
なお能登空港より富山空港の方がずっと近いが、富山空港は結構な本数の飛行機が飛んでおり、自由が利かない。また無料駐車場が狭いが、能登空港は全て無料駐車場である!
能登空港に到着した所で言われていた電話に連絡すると、パイロットさん!が来て案内してくれて、一家はHonda-Jet
Tigerに乗り込んだ。
「なんか虎の絵が可愛いですね」
「以前使ってた会社のシンボルだったらしいですね。だから夏頃までには再塗装する予定です」
「へー。なんかもったいない」
それで30分ほどのフライトで熊谷の郷愁飛行場に到着する。ここでレンタカーのセレナを手配していたので、それに乗って千葉に向かった。
その日は香取市内のホテルに泊まり、1月8日(土)、夏樹の実家に行った。
「どうもお世話になります」
「遠くからわざわざ済みません。こちらがそちらに挨拶に行かなければならなかったのに」
「って、この2人、どちらが嫁でどちらが婿なんですかね」
「よく分かりませんね」
などと双方ともに混乱しているようである。
お仏檀にお参りするが、夏樹がお遍路をして頂いてきた御朱印の掛け軸がかかっている。
「これ、お前が持って行くか」
と父に訊かれたが
「これはここに置いといて」
と夏樹は言い、引き続きここに置くことにした。
この御朱印は“父の息子”夏樹の遺品なのである。今は娘となった夏樹には不要のものである。
この日は実家に春道夫妻も来ていたが、美奈は連れてきていなかった。夏樹も美奈を見たら平常心を保てない気がしたので、ホッとした。でも写真は見せてくれた。夏樹は見て涙が出そうになったが、優子も両親とともに覗き込んで「可愛いね」と言っていた。
春道が手配して、高級仕出しが取られていたので、それを全員で頂く。あまり子供向きの料理ではないので、春道の妻・柚希がオムライスを作ってくれて、奏音は美味しそうに食べていた。
午後からは、2台の車(夏樹たちが借りて来たセレナと春道のプリウス)に分乗してまずは香取神宮に行って参拝した。要石(かなめいし)を見せて
「日本列島の真下に居る大鯰(おおなまず)をこの石で押さえつけてるんだよ」
などと春道が教えると、奏音は
「なまずさん、ごはんはちゃんと食べてる?」
と心配していた。
「日本の周囲は海ばかりだから、たくさんお魚食べてるのでは?」
と夏樹が言うと
「あ、そうだよね!」
と奏音も安心していたようである。
その後は、伊能忠敬旧宅を見てから水郷佐原の舟巡りを楽しんだ。これは夏樹の両親からのプレゼントである。両親はまた孫が増えて、嬉しそうであった。
「佐原と香取ってどういう関係なんでしたっけ?」
「元々は佐原町と香取町があったんですけどね。戦後間もない頃に合併して佐原市になったんですよ。でも平成の大合併で周辺の町を併合した時に今度は香取市になっちゃったんです」
「なんか微妙な勢力争いしているような」
「でも佐原市より香取神宮のほうが全国的には遙かに有名だった」
「確かに確かに」
優子たちはその日は香取市内のホテルに連泊した上で、1月9日(日)は優子・夏樹・奏音の3人で再度ディズニーランドに行き、優子の両親は、東京のデパートで買物を楽しんでいたようである。
この日は熊谷まで戻り、レンタカーを返却して郷愁リゾートのホテル昭和に泊まったが、優子の父がファミコンのマリオにハマっていた!(優子母も「飛び出すトースターとか懐かしい」と言っていた)
1月10日(月祝)は、午前中は白雪姫のお城を見た後、リゾート内のプール&スパに行ったが、奏音にとっては、プールもお風呂も大差無いものだったようである!
そして11日(火)午後、“夏樹以外”がホンダジェットで能登空港に移動。ここに駐めていた2台の車(ムラーノ・MX-30)に分乗して高岡の自宅に戻った。
(つまり夏樹のMX-30は富山に置き去り!)
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