【竹取物語2022】(1)かぐや姫の生い立ち
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かぐや姫の生い立ち。
語り手(元原マミ)「今となっては昔のことですが(*18)、竹取翁(たけとりのおきな)という者が居ました。野山に入り竹を採り、籠(かご)などを作って売って暮らしていました(*1)。名前を“さぬきの造(みやつこ)”(*2) と言いました」
画面には、竹取翁(藤原中臣 (*3) )が野山で竹を鉈(なた)で(*4) 切る様子、家の中で、その竹を鑿(のみ)で縦に割る様子、彼と竹取媼(たけとりのおうな:入江光江)が籠(かご)を作っている様子が映ります。
場面はまた竹取翁が山の中を歩いている様子が映ります。そこに天女のような銀色のふわふわとした服を身につけた女性(アクア)が現れます。
翁は女性を心配して声を掛けます。
「女人(にょにん)、こんな山の中で道にでも迷われたか?」
女性は何も答えずにっこり微笑むと、翁を導くように山の中に入っていきます。
「これ、適当に歩いていると、山から脱出できなくなりますよ」
と翁(藤原中臣)は声を掛けて女性の後を追います。女性は5分ほど歩いたところで立ち止まり、翁に向かって微笑むと突然姿を消しました。
「これは何としたことか。夢でも見たか、あるいは変化(へんげ)の者か?」
と思ったのですが、女性が消えた所にある竹の切り株が明るく光っているのに気が付きました。何だろう?と思って近づいて見ると、竹の筒の中に9cm (*5) ほどの可愛い女の子がスヤスヤと眠っていました。
★音楽:常滑舞音『竹の中に見ぃ付けた!』
「なんと不思議な。これはきっと私の子となるべき人だろう(*6)」
と言って、翁はその人を家に連れ帰りました。翁と媼はその赤ちゃんに竹子という名前を付けました。そして村の女性で最近出産したばかりの垂女(たらめ:原野妃登美)という人に頼んで少しお乳をわけてもらい、それを細い竹筒で(ピペットのようにして)吸い上げて少しずつその子にあげる方法で飲ませて育てました(*7)。赤ちゃんは小さいので、翁と媼が作った籠(かご)の中に寝せていました(*6).
乳母の人も時々見に来ましたが
「こんな小さな赤ちゃん見たことない」
と驚いていました。
「無事育つといいね」
「はい、私祈ってます」
「でも可愛い服着せてるね。女の子?」
「ちんちん見当たらないからたぶん女の子」
「小さいからどこかに隠れてたりして」
媼はこんな小さな子供が果たして生き延びられるかとても不安でしたが、その子はもらった乳を苦労して飲ませている内に3ヶ月もすると普通の赤ちゃんのサイズまで育ち、媼もホッとしました。そこまで育つと、乳母に頼んだ人の乳房から直接飲むこともできるようになりました(*8).
このサイズになってもちんちんは見当たらないので、やはりこの子は女の子であるようでした。
(やはりアクアは女の子だよね、と視聴者の声)
(*1) 竹取物語の一般的なテキストでは「竹を採って色々なものに使っていた」とあるが、竹取物語の原形を伝えると言われる今昔物語の『竹取翁見付女児養語』では籠(かご)を作って売っていたとあるので、この物語ではそちらに従った。
(*2) 竹取翁の名前について、現存各種本では「さぬきの造」「さかきの造」、「さるきの造」という3種類がある。恐らくどれかが元々で残り2つは誤写と思われるが、どれが本来かは不明(全部誤写で元は“さえき”だったりして)。
“造(みやつこ)”というのは、元々は“国造”(くにのみやつこ)のように地域の長官を意味したが、この当時はただの名前として使用されていたものと思われる。
大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷(現・奈良県北葛城郡広陵町三吉)に讃岐神社が建っており、ここが竹取翁の故地であるとの説がある。ここは平城京から南に15kmほど行った所で、藤原京からは北に9kmほどの所である。この讃岐神社のすぐ傍には長さ300mほどもある巨大な巣山(すやま)古墳がある。
(かぐや姫のお墓だったりして)
(*3) 今回のドラマで竹取翁・媼を誰に演じてもらうかは制作部内でかなりの議論があった。当初考えられたのは、マリナ&ケイナだが、竹取翁・媼はお笑いではないとして退けられた(*9).
次いで候補に挙がったのが、今井葉月の両親である黒部(くろぶ)座の高牧寛晴・柳原恋子夫妻である。舞台俳優で、演技力は全く問題無いし、夫婦が夫婦を演じるのは息のあった演技を期待できる。しかし、竹取翁・媼はゲストキャラではなく、準主役級であるとして、舞台俳優ではなく、テレビ俳優または映画俳優として評価の確立している人が良いという意見が大勢となった。
そこでアクア映画に多数出演していて、アクア・今井葉月の後見人に近い存在となっている藤原中臣さん(72)にお願いすることになった(当初は王卿役を想定していた)。相手役は円熟した演技を見せる名女優として入江光江さん(62)にお願いした。
竹取翁・媼は、かぐや姫を20年余り育てたということになっているので、この初期のシーンでは、ふたりともかなりの若作りをしている。藤原さんは若い頃身体を鍛えているので、元々今でも60歳前後に見え、50歳を装うのも何とかなった。黒髪の美豆良(みづら)髪のかつらを着けての演技である。顔も手も美容液パックをして、より若い感じの顔・手にしている。
(*4) この当時は鋸(のこぎり)がまだ無いので、斧か鉈で切っていたものと思われる。当時は家を建てる時も斧・鉈の類いや、鑿(のみ)・槌だけで製材していた。そのため、建材としては、きれいに割ることのできる針葉樹のみが使用された。
(*5) 原文「三寸ばかりなる人」。当時の“寸”は現代の寸(3.03cm)より少し短い 2.963cm である。どっちみち9cm くらいということになる。
(*6) 竹取翁は竹を採って籠(こ)を成していた。だから竹の中にいた人も自分の子(こ)になす、というダジャレである。更に子(こ)を籠(こ)に入れて育てたとある。この物語の書き手はこの手の文章的な技巧が高く、とても教養があり(仏教説話などにも詳しい)、文章を書き慣れた人と思われる。多分小説を書いたのもこれが初めてではない。
作者として紀貫之説・菅原道真説などもあるが、カタブツの紀貫之や菅原道真にこのような柔軟な文章が書けたとは思えないので、紀貫之でも菅原道真でもないと思う。この小説を書いたのはシャレの分かる人物である。
(*7) 原作では9cmほどの人をどうやって育てたかの記述が一切無い。竹取物語の作者は男性とする説が有力だが、実際女性であったなら、育て方について何らかの言及があってもよいと思う。きっと作者はお乳の飲ませ方とか、なーんにも考えてない。
そのあたりからも作者は都に住んでいて、地方に赴任したりしたこともない男性の中級貴族と思われるのである。ただし当時安くはなかった紙を大量に使えたということは、経済的余裕はあったはずである。
(*8) 小さな人が9cmサイズから小さめの新生児サイズ(40cm)まで育つ過程の撮影は9cmと40cmがベビーロボットで、途中経過は中間をモーフィング補間したCGである。
(*9) ローザ+リリンはお笑い芸人扱いになっている。もっとも元々はローズ+リリーのそっくりさんなので、女の服を着て登場して女かと思わせておいて、裸になってちんちん見せておぱちゃんたちに「きゃー」と言われていた芸人である←こういう書き方をすると、コート男・セーラー服男の親戚の痴漢みたいだ。
語り手「竹取翁が女の子を保護した後、竹を採っていると竹の中に黄金が入っていることがよくありました」
映像では翁が竹を切ってみるとその中に黄金が詰まっていて驚く様子が映る。
語り手「竹取翁は正直者なので、竹の中に黄金が入っていたといって、その竹ごと、村長(むらおさ)に届け出ました」(*13)
村長(中平弦太)が言います。
「これは何とも不思議な」
「村長(むらおさ)殿、これはどうすればよいでしょうか」
「これは竹の中に入っているのだから、木の実と同じだ。だから採ったそなたの物ということで良いと思う」
「分かりました。ではありがたくいただきます」
語り手「それでこの黄金を村長に頼んで米俵、また絹や麻の布と交換してもらい(*15), それで翁は乳母をしてくれる人へのお礼も払うことができました。また得た黄金の半分は税金として村に納めていました」
映像では、翁が黄金と交換に多数の米俵を積んだ荷車、また絹・麻の反物などを受け取るシーンが流れる。
語り手「翁はその後、年に数回、竹の中に黄金を見付け、一応毎回村長に届け、村長は見付けたそなたの物であると認定してくれました。そして半分を税金として納めていました。でもその内村長も面倒になって!報告書だけ出すように言いました。ただ翁は字が書けないので、乳母・垂女(原野妃登美)の夫・竹内(大林亮平! (*10))に代筆を頼んでいました」
「竹子は大きな病気もせずに成長し、やがて3歳(年齢は数え。満年齢なら1歳半)になったので“髪置きの儀”(*11)をしました」
「竹子は人の心を明るくしてくれる子でした。人々が言い争いをしている時に媼が竹子を抱いてその場に行くと、不思議とみんなの心がやわらぎ、妥協する雰囲気になって争いはやみました」(*12)
(*10) 大林亮平は、原野妃登美のリアルの夫である。このドラマでは夫婦が夫婦の役をしている例がとても多い。原野妃登美は現在所属事務所が無いが、大林亮平の縁で、§§ミュージック事務取扱とした。
(*11) “髪置きの儀”は現代なら3歳の七五三に相当する。昔の子供は幼い頃は男女とも坊主頭で、これを過ぎると髪を伸ばし始める。
(*12) この時代の人の心を温かくするというかぐや姫の描写と、成人しての後の美人だが冷酷で男を破滅させる(ファム・ファタール!)かぐや姫の描写があまりにも違いすぎる。元になる複数の話をつなぎあわせた結果生じた不整合か?
語り手「それまで貧乏であった竹取翁が急に豊かになったこと、子供を産めるような年齢でなかった2人が子供を育てていることについて、村長は『都(みやこ)の貴人から託された訳ありの子供らしいよ。だから貴人から養育費を頂いているらしいね』と言っていました。人々も『確かにあの子は貴人のような顔をしている』と、その説明に納得していました。“訳ありの子”なんてよくある話です」
「しかし秘密は長くは隠し通すことができませんでした。竹取翁が竹の中に黄金を見付けているらしいという噂が広まると、自分も見付けようと野山に入って竹を切る者が多数いました。しかし誰も黄金を見付けることはできませんでした」(*14)
山に殺到して竹を切る者たちの映像が流れる(出演者は、朱雀林業の社員たち。この映像は、朱雀林業が所有する竹林で撮影した)。
語り手「竹が無秩序に切られ放置されているのを悲しんだ翁は、切った竹を自分が買い取ると表明しました。それで竹を切ったものの何も出てこなかった人たちがその竹を翁のところに持っていき、買い取ってもらいました」
竹を多数抱えた男たちが列を作っている様子、そして翁が買い取った竹が大量に積み上げられている映像が映る。
(*13) ちゃんと届けずに自分の物にしていたら確実に盗んだものとして捕まるであろう。その段階で竹の中に入っていたと言っても誰も信用せずに翁と媼は死罪になっている。だからきちんと届けることはとっても大事。原作はこの問題をスルーしている。
(*14) 竹取翁が度々竹の中に黄金を見付けていたら、当然ゴールドラッシュが起きるはずだが、原作はこの問題について何も触れていない。
語り手「翁は竹があまりにもたくさんあって、自分たちではとても加工できないので、人を雇って籠(かご)その他の竹細工を作らせることにしました」
「人をたくさん使う必要があるので、村の集落の中にあった廃屋を買い取って修繕してもらいました。実際には権利者が不明なので村長に適当な額を供託しました。そしてそこに人を集めました」
12畳ほどの広さの板間で竹細工を作る多数の女性たちの映像が出る(出演者は朱雀林業の女性社員たち)。
語り手「竹細工が多数できるので、これを人に頼んで、あちこちに売り歩いてもらいました。都(藤原京)の市場にもお店を出しました。またあちこちで『こういうものがほしい』と言われたものを作って売るようにするとそれがまたよく売れました」
竹細工を売り歩く行商人(海沼夬時:友情出捐)の映像、そして都の市場(いちば)で竹製品を売っている様子が映る。
また作業所では、籠(かご)だけでなく、皿や箸、櫛(くし)、箒(ほうき)、釣り竿、行李(こうり (*17))、などを作っている様子が映る。また別の部屋では若竹を大釜で煮て、それを漉(す)いて紙を作っているところ、その紙と竹で扇子(せんす)や団扇(うちわ)に傘(かさ)を作っているところ、また別の部屋では竹で笛を作っている所などまで映る。
(*15) この当時はまだ貨幣が一般的ではない。近畿地方では米、また絹や麻などの布、が貨幣の役割を果たしていた。日常の取引には米を使うが重いので、旅先などでは、絹・麻を使用した。絹は高額取引用、麻は少額取引用である(この当時は木綿は無い)。
日本で最初に貨幣が発行されたのは708年に元明天皇が平城京を作るための労賃として支給するのに“和同開珎(わどうかいちん)”を発行したのが最初である。和同開珎は1枚が労働者1人1日の労賃に相当し、だいたい米2kg程度の価値であった。当時は補助貨幣が無いので、まだ充分な貨幣経済は成立していない。
(*16) 後述するように時代設定を奈良時代初期に想定しているので、当時の都は平城京(奈良市)であるが、“なんと素敵な平城京”710年には天皇の執務所が作られた程度で、都の機能が藤原京から完全に移転するには10年以上掛かったものと思われる。だからこの市(いち)は藤原京の市である。
(*17) 行李(こうり)とは、竹・柳・籐(とう)などを編んで作った蓋(ふた)付きの箱で衣服を入れて保管したり運んだりするのに使用するもの。現代でいえばプラスチックの衣裳ケースのようなもの。1960年代頃まではよく使用されていた。
(*18) 竹取物語が書かれたのは、平安時代初期で、だいたい9世紀後半と考えられる(鳴くよウグイス794平安京)。
物語の中に“頭中将(とうのちゅうじょう)”という官名が出てくるが、この職が設けられたのは810年のことである。また富士山の煙について描写があるが、富士山が噴火したのは864年7月(貞観大噴火)であり、また905年に完成した古今和歌集の序に「今は富士の煙も立たず」とあるので、富士山が煙を上げていたのは、864-905の間に限定される。
そしてその時代に「今は昔」と書かれたのだから、舞台設定は8世紀前半(701-750頃)より以前と考えられる。
(864以前では富士山は781, 800, 802 にも噴火している。それ以前の噴火については記録が残っておらず不明。802-864の間は恐らく噴火していない)
一方、5人の求婚者の中に実在の人物がいて、その生存年代は下記である。
阿倍御主人(あべのみうし)645?-703
大伴御行(おおとものみゆき)646?-701
石上麻呂(いそのかみのまろ)640-717
物語の途中で亡くなってしまう石上麻呂がリアルでは最も長生きである!
これらの人物の実際の年代から見ると舞台設定は、5人の貴公子の求婚が行われたのが670年頃に想定されそうである。
ところがこの考え方には重大な問題があり、五人の貴公子の求婚を670年とすると帝との交際が675-678ということになり(*19)、この時代の天皇は天武天皇(622生)で当時54-57歳である。当時の55歳といえば今なら70歳近い感じに老けている。いくら帝であっても、かぐや姫が相手にする訳が無い。
かぐや姫が交際を考えたかもしれない、このくらいの時代の男性天皇として考えられるのは文武天皇(683-707, 在位697-707) と聖武天皇(701-756, 在位724-749)である(当時はとても女帝が多い時代)。
文武天皇の場合、わずか25歳で亡くなっており病弱であったと考えられるので竹取物語に出てくる帝の姿に似合わない。となると、3人の貴公子の年代とは大きくずれるが、聖武天皇がこの物語の帝のモデルかもしれない。そこから、天皇がかぐや姫に求婚したのを聖武天皇が即位(724)した24歳の時として、その時かぐや姫が21歳だったとすると(*19)、かぐや姫は704年生で727年に月からの使者が来たと考えられる。
この時代の都は藤原京(694-710)・平安京(710-794) である。
かぐや姫の年代は、だいたい白鳳時代(645-710)から奈良時代(710-794) に想定する研究者が多い。但し壬申の乱(672)よりは後と考えられる。
“かぐや姫”という名前については、垂仁天皇の妻のひとりである“迦具夜比売”がその元ネタではないかという意見が多い。系図をあげる。
スペースの都合で“稲日”と略した人は正しくは播磨稲日大郎姫という人で、吉備津彦(桃太郎のモデル)の姪にあたる。つまりヤマトタケルは、桃太郎の姪の息子である!
崇神天皇というのは日本書紀に「初めて国を治めた天皇」と記されており、この人から大和朝廷は始まると考えられる。開化天皇は、その父である。その息子で崇神天皇と兄弟になるのが日子坐(ひこいます)で、この人が“日本を作った”大将軍と思われる。
『銀の海金の大地』では日子坐は輿に乗った貴人として描かれているが、むしろ武装した、たくましい武人だったのではなかろうか。
開化天皇と“竹野姫”の子に彦湯産隅という人が居て、その子供に大筒木垂根王・讃岐垂根王という兄弟がいた。迦具夜比売は大筒木垂根王の娘で“狭穂彦の乱”のあとで、垂仁天皇(360頃)の妻のひとりとなり、男の子を産んでいる。
ここで“竹野”とか“筒木”とか“讃岐”とか、とっても“あやしい”名前が出てくる。筒木というのは竹の別名。今回竹取翁の名前として“さぬきのみやつこ”を採用したのは実はここに讃岐垂根王という人が絡んでいたからである。
しかし後に迦具夜比売は“帰された”という伝承もあり、これは若くして亡くなったことを意味するかもしれない。それが“月に帰った”ということになったのかもしれない。
垂仁天皇の最初の皇后は狭穂姫(さほひめ)という人だが、この人の同母兄である狭穂彦が謀反を起こして倒される。この時狭穂姫も兄に殉じたが、自分の後継の皇后として姪にあたる日葉酢媛(ひばすひめ)を推薦すると遺言した。それで日葉酢媛が後継の皇后となり景行天皇や倭姫(伊勢の神宮の創始者)などを産んだ。
ところが、この時、狭穂姫が推薦したのが迦具夜比売で、迦具夜比売は丹波道主(たんばのみちのぬし:狭穂姫の異母兄弟)の娘である、という説が存在する。
あらためて系図を見てみると、彦湯産隅(ひこゆむすみ)と日子坐(ひこいます)、大筒木垂根王と山代之大筒木真若王というのが名前が似ている。
もしそうなら、迦具夜比売というのは実は日葉酢(ひばす)媛の別名であったという可能性もある。四道将軍の1人で時の執政者であったと考えられる道主(みちのぬし)の娘であれば“光輝く姫”と形容されてもおかしくない。またそういうことになれば“竹取翁”というのは、道主その人であったかも。
なお竹取物語の作者が借りたのはあくまで“かぐや姫”という名前だけで、この物語は垂仁天皇の時代の物語ではないと思われる。
(*19) このドラマではかぐや姫の年代を下記のように想定している。年齢は数え年である。
1歳 誕生
15歳 成人式
16歳 五人の貴公子の求婚(-20歳)
21歳 帝との手紙のやりとり(-24歳)
24歳 月からの使者
翁は月の使者に「私は姫を二十余年育ててきました」と言っているから、使者が来たのを24歳の時(誕生から23年)と考える。姫は帝と3年間文のやりとりしたというので、帝との交際は21-24歳と考える。すると5人の貴公子の求婚はそれとの間に1年ほど置いたとして16-20歳と考える。すると成人式の後1年くらいで求婚者が5人に絞られたとすると、成人式はかぐや姫が15歳の時という計算になる。
当時の女性はだいたい12-16歳くらいで成人式をしていた。13歳で成人式というのも充分考えられるのだが、14歳(今で言えば中学1年生)の娘が5人の貴公子に過酷な課題を与えたというのは考えにくい。最低でも16歳(今の中学3年生)と考えたい。
場面が変わる。
6歳くらいの振分け髪の女の子(白雪大和)(*20) がお花がたくさん咲いているのを眺めていたら何かの気配を感じてそちらを見ます。何か動物がいます(CG)。犬?かと思ったら、どうも犬ではないようです。まさかオオカミ!?
少女は気合を入れてオオカミを睨みます。するとオオカミも飛びかかっては来ません。しかし「グルルルル」と、うなり声をあげています。
睨み合いが続きました。少しずつお互いの位置を変えていきます。しかしやがてオオカミはこちらに向かってきます。
やられる!
と思った時、石か何か飛んできてオオカミの頭に命中しました。オオカミはそれでひるみます。更に、こちらへ髪を美豆良に結った少年(岩旗雪華)が走ってくるのを見ると、分が悪いと思ったか逃げて行きました。
少女はホッとしましたが、それで気が緩み、ふらついた拍子に倒れそうになります。そして足を踏み外して崖から落ちそうになりました(*21)。オオカミと睨み合っている内に、いつのまにか崖の傍まで来ていたのです。
「危ない!」
と言って、少年が飛び付くようにして少女の手を掴みました。
でも少年も身体が横になってしまいます。とても少年の力では少女を引き上げきれません。それどころか、少女の手を握る手もどのくらい持つか分かりません。
「助けろ!」
という別の少年(白雪さくら)の声があります。
大人の男性(川井唯)が駆け寄り、少女のもう片方の手を握ると、ぐいっと引っ張って引き上げてくれました。
「ありがとうございます」
と少女が大きな息をつきながらお礼を言いました。
少年の傍にはもうひとり男性(中川友見)が付いています。
少年はあらためて、助けた少女を見ます。
「美しい娘だ。お互いもう少しおとなであったら、すぐにも求婚したい所だ」
そんなことを言われて、少女は顔を赤らめました。
最初に少女の手を掴んで落ちるのを防いだ少年(岩旗雪華)も少女を見詰めていました。
その時気付いて、両親(藤原中臣・入江光江)が駆け寄ってきます。そして助けてくれた一行に、地面に手を付いて
「ありがとうございます」
とお礼を言いました。
最終的に助けてくれたおとなの男性が
「いや無事で良かった」
と言います。
「本当にありがとうございます。よろしかったらお名前を」
男性が少年(白雪ひかり)を見ますが少年は首を振ります。男性は言いました。
「名乗るほどの者ではない。以後気をつけるように」
「はい、気をつけます。せめてものお礼をしたいので、ちょっと待ってください」
と言って翁は走って行きます。そしてすぐ戻って来て笛(龍笛)と扇子を男性に渡しました。
「私どものところで作っている製品でございます。もしよろしかったら、お納めください」
少年がその龍笛を吹きます(*22)と、とても良い音色がしました。
「これは良い笛だ。もらっておこう」
と少年は言いました。少年は扇子のほうは、お伴の少年に渡しました、
そして一同は立ち去りました。
(*20) この場面の出演者
少女:白雪大和(小1)♂
少年:白雪さくら(小5)♀
お供の少年:岩旗雪華(小5)♀
お供の男性:川井唯(26)♀
もう1人のお供:中川友見(22)♀
美事に全員リアル性別と逆の性別の役を演じている。これは別に川崎ゆりこの差し金とかではなく、その年齢に見合っていて演技力のある子(人)を使ったら、こうなってしまったもので、偶然の産物である。
(*21) この場面は高さ1.5mほどの段差の所で撮影している。白雪大和が転落してその手を岩旗雪華が掴むシーンは、白雪大和が台の上に立って手を伸ばすポーズをしているところに、岩旗雪華が飛び付いて手を掴む、という形で撮影した。
柔道四段の川井唯(エレメントガードのドラマー)は、マジで約20kgの白雪大和を片手で引き上げた。
なお、中川友見も柔道三段で、川井唯とはとても仲が良い。
(*22) 白雪さくらは本当に龍笛を吹いている。元々ファイフや篠笛は吹けたので、千里が指導して1週間特訓し、龍笛が吹けるようになった。このドラマで使用した龍笛は、千里4が所有する、梁瀬龍五の名作龍笛No.210“赫夜(かぐや)”である。かぐや姫の物語なので特別に貸与した。
語り手「竹取の翁と媼は、竹子が崖から落ちそうになったことから、村の集落の中に引っ越すことを決めました。集落内に土地を買い、こぢんまりした家を建てました」
「また村長が“竹子ちゃんには字とか楽とかを学ばせたほうがいい”と勧めたので、村長のツテで式部という引退した女房に村まで来てもらい、竹子にまずはカナ(当時は平仮名・片仮名が生まれる前で万葉仮名の時代)、足し算、そして箏(そう)と舞を指導しました」
映像では式部(今井葉月)(*23) が幼い竹子(白雪大和)に箏を指導している所が映る。
語り手「竹子は教えられたことをどんどん習得し、万葉仮名は全部読み書きできるようになりましたし、足し算だけでなく引き算もできるようになります。また箏も舞もとても上手になりました」
竹子に指導を始めてから2年ほど経った時、式部は言いました。
「この子はとても優秀です。都に行って、もっとしっかりした先生に習った方がいいですよ。この子はきっと漢字とか、掛け算とかも覚えられますし、箏だけでなく和琴(わごん)も覚えそうです。舞ももっとうまくなりますし、和歌とかも学ばせるとよいです」
「うーん。確かに頭が良さそうな顔をしているなあ」
(*23) 今井葉月は今では伝える人の居ない古い流派・八橋流の弾き手で、ここでも八橋流の伝授をした。もっとも八橋検校は江戸時代初期の人で、その弾き方は奈良時代の弾き方とは異なるはず。
語り手「それで、竹取の翁・媼は、都近くに土地を求め、そこに小さな家を建てました。そして竹子が9歳の年にそこに引っ越しました。村の竹細工製作所は、乳母の垂女の夫・竹内(大林亮平)に委ねることにしました」
「そして都の近くまで出たので、竹細工を売るお店にも時々顔を出しますが、お店自体は番頭に任せ、翁はまるで雑用係の爺さんのような顔をして店頭で働き、お客様の生の声を聞いては、製品を改良したり、新しい製品を開発したりしていました。それで翁は毎週、都と村を往復していました」
映像では、お店の番頭(海沼夬時)が上の段に座っている中、翁(藤原中臣)が荷物をお客様の牛車まで運んでいく様子などが映っている。(*25)
語り手「そしてここで竹子は漢字、仏典、掛け算、箏(そう)と和琴(わごん)、舞、歌唱、和歌なども学びました。ほかに嗜みとして、囲碁と双六(*24) も学びました、竹子は物凄く強くなり、指導した先生でさえも竹子に囲碁や双六で勝てなくなりました」
映像は竹子が囲碁や双六をしているところ。
語り手「翁が村に帰っている時、しばしば銀色の服を着た人が訪ねてきました」
映像で、翁の家の戸がノックされ、翁が出てみると銀色の天女の衣のような服を着た女性(月城たみよ)が立っている。誘われるように翁が天女の後を付いて行くと、山の中に入り、竹林の中に黄金の竹があった。
語り手「このようにして翁はまだまだ、黄金を得ていました」
(*24) この時代に“双六(すごろく)”と呼ばれたのは現代のバックギャモンである。この遊びは日本では中世に途絶えてしまい、明治以降に再輸入された。昔は囲碁とともに貴族の男女の基本的な嗜みのひとつとされた。
ただ金銭や物などを賭けて行われることが多かったので禁令も何度も出ている。
(*25) 藤原中臣はひたすら端役・チョイ役を50年続けて来た人なので、こういう手代(てだい)役が異様に似合っている。
「ぼくが番頭や主人の役をしても、手代が番頭さんの留守番してるようにしか見えない」
などと本人は言う。
都に出て3年ほどした頃(竹子12歳の年)、以前よく竹紙などを買ってくれていた中辺の姫君(秋風コスモス)の女房(川崎ゆりこ)が竹取翁の自宅まで訪ねてきて言いました。
「実は姫君の夫であった少納言殿が亡くなりまして」
「ありゃ、それは大変でしたね」
「それで姫君は後ろ盾が無くなって今までのような生活が出来なくなりまして、資産を色々整理しているのですよ」
「ああ、それで最近あまりお顔を拝見しなかったのですね」
「それでかなりの家財を売り払ったものの、もう売るべきものが無くなって」
「あらあ」
「ところで新しい都ができて、一応姫君も新しい都に土地を頂き今住んでいる場所を離れて、新しい都に家を建てて移り住むように言われております」
「ええ」
「それでご相談なのですが、その土地の権利を、さぬきの造(みやつこ)殿に買って頂けませんでしょぅか?」
「はい?」
「そして代わりに造(みやつこ)殿が住んでおられるこの家を買い取らせて頂けないでしょうか?このくらい小さな邸宅なら何とか維持できると思うのです」
「新しい都の近くでなくていいのですか?」
「むしろ都から離れた場所で静かに亡き夫の菩提を弔いたいのです」
「なるほど」
「それとついでに姫君の女房の若い子と女童(めのわらわ)も引き取ってもらえたらと」
「へ!?」
語り手「中辺姫の女房の話では、ある程度年を経た女房たちは、転職のしようも無いので、充分な退職金を払って里に帰したり。帰るあての無い者は尼になったりすると言います。でも若い子はまだ尼にするのは可哀想だし、こちらで使ってもらえないかという話でした」
「翁は姫君に同情し、平城京の土地の権利を買い取り、そこに家を建てさせることにしました。そしてその家が完成したら、翁たち一家はそこに引っ越し、姫君とごく少数の女房がこちらに引っ越してきました。翁は差額として充分な黄金を差し上げました。そして6人の若い女房・女童も引き取ったのです」
映像は6人の娘が並ぶ様である。
藤(花園裕紀)
桐(箱崎マイコ)
紫(広瀬みづほ)
桃(川泉パフェ)
桜(入瀬ホルン)
橘(入瀬コルネ)
(男の娘が多い気がするのはきっと気のせい)
竹取翁はこの他に、村の若い男性2人(佐藤光史・中村繁彦)を雑用係にお願いして雇い入れました。
藤と桐は
「お前は尼になりなさいと言われるかと思っていたのでホッとしました」
と言っていました。
語り手「翁は藤に家のこと全般を任せ、桐に媼(おうな)の身の回りの世話をさせました。そして残りの4人は曖昧に竹子のそばに付けておきました。桃が結構囲碁と箏をたしなんでいたので、竹子と対局したり、合奏したりして楽しんでいたようでした。また竹子“が”若い桜・橘に和琴を教えてあげたりしました」
画面では竹子(白雪ひかり)と桃が囲碁をしている所(*26)、箏を合奏している所(*27)、また竹子が桜と橘に和琴を教えている所(*28)、などが映る。
(*26) この盤面は、アクアと葉月が途中まで打った盤面で、囲碁の分かる人には凄くハイレベルな戦いが行われていることが分かるようになっている。
碁盤は日本棋院所有の古い碁盤をお借りした。双六盤は正倉院に残っている双六盤の写真を参考に制作した(このドラマは本当に予算を掛けている)。
(*27) 白雪ひかりは箏が弾ける。川泉パフェも母が弾いていたので結構自分でも触っていた。今回のドラマ撮影では2人とも一週間桜木ワルツから指導を受けた。
ワルツも葉月に八橋流を指導してくれた“女性”から直接習ったので八橋流の弾き手で、その弾き方が白雪ひかり・川泉パフェにも伝えられることになった。
(*28) 和琴は一昨年『とりかへばや物語』のために制作した2個(*29)を今回桜と橘が使用し、竹子の和琴は新たに制作した。蒔絵を施した豪華なものである。アクアは『とりかへばや物語』でも和琴を弾いたので結構上手い。入瀬ホルンはギターを弾くので、その応用でわりと弾けた。入瀬コルネは撥弦楽器の経験が無く、かなり苦戦したが、そのたどたどしいところがうまく絵になっている。
(*29) 『とりかへばや物語』では花子(女の子として育てられている兄君/演:アクア)と和琴の先生(演:槇原愛)が弾いた。2人は、和琴が弾ける非常に少ない人(?) のひとりである、山村マネージャーに習った。
なおあの時、吉野の君の長女(高崎ひろか)が弾いたのは和琴と混同されやすいが“琴の琴(きんのこと)”と呼ばれる別の楽器である。どちらも長方形の楽器であるが、和琴(わごん)は六弦で、箏と同様に琴柱で音の高さを調律する。琴の琴(きんのこと)は七弦で三味線のように指で押さえて音の高さを定める。
竹取翁はずっと田舎で暮らしてきたので都会の風習などにも疎かったのですが出入りしているお客様から
「あら、あなたの所の孫娘さん、まだ裳着(もぎ)をしてないの?」
と言われ、竹子15歳の年に、裳着(成人式)をさせることにしました。藤たちのツテで中辺の姫君が色々手配してくれました。
昔の家というのは固定された壁が無く、パーティションで区切れられています。それで男手を頼んでこのパーティションを移動し、広い部屋を創り出します。そしてその奥に帳台を作ります。
高さ2.5m(*30) ほどの柱を立て、横木を渡して、布(御簾)を垂らします。中には畳を2枚、正方形状に敷き(*31)、その上に敷物(カーペット)を敷いてその上に茵(しとね:座布団!)を置いて、ここに竹子を座らせます。
この畳の縁の模様、御簾の模様などが身分によって細かく規定されているので中辺姫が直接職人に指示していましたが、翁は「こんなの一般人には分からん!」と思いました。
宴を開くのに必要な食べ物・お酒なども中辺姫に指示してもらい、たくさん用意しました。
また竹子に着せる服も姫様に指示してもらいました。
(*30) 昔の仕様では7.1尺(2.13m)であるが、昔の人の身長に合わせたものなのでこのドラマでは2.5mで作った。
(*31) 昔の家は(良い部屋で)板張りである。畳は必要な時だけ、その部分だけに敷くものであった。
そして裳着の儀式は行われました。
(ここからはアクアが竹子を演じる(*33))
髪上げをして笄(こうがい:ヘアクリップ)を刺し、女性の礼装である裳(スカート)を着けます(*32)。貴族であれば、裳を留める腰紐は、誰か偉い人にお願いするのですが、平民なので、竹取翁が自分で結んであげました。
このあと、本式では眉を剃って書き眉をし、お歯黒を塗るのですが、現代のドラマなので、これは省略されました。
語り手「竹子の成人名については三室戸斎部の秋田という人を呼んで付けさせました。秋田は“若竹(なよたけ)の赫夜(かぐや)姫”という名前を付けてくれました」
映像では秋田(鞍持健治:特別出演)が「若竹赫夜姫」と短冊に毛筆で書いて掲げる様子が映る。
「若竹(なよたけ)とはまだ硬化していない柔らかい竹のことで、“赫(かく)”は明るく火が燃えている様を表します。この子がいることで夜も明るくなることを表しています」
語り手「竹製品の販売店関係者、村の主だった人たち、またお店のお得意様などを中心にたくさんの来客があり、宴は3日も続きました。かぐや姫の姿は帳台の御簾(みす)で隠れて見えませんが、姫が弾く箏や和琴の調べが美しく、人々はきっと美しい姫君なのだろうと想像しました」
(*32) このシーンはアクアが参加できるのを待って撮影していては間に合わなかったので、わりと演技力があり、アクアと身長が近い早幡そらが撮影時の代役を演じた(後でアクアの映像に差し替える。今井葉月はアルバム制作で忙殺されていた)。
早幡そらは衣裳を見せられて
「え?ぼくもしかして女の子の衣裳を着るんですか」
と驚いた。
「アクアの代役だし」
「アクアさんなら男役かと思った」
「男役もするけどアクアは女役をしないと視聴者が見てくれない」
「あ、そうですよね」
「女物の服とか少し恥ずかしいかも知れないけどお願い」
「いえ、女物の服着られるなんて嬉しいです」
「やはり君を代役にして正解だったようだ」
(*33) アクアがかぐや姫を演じることになった経緯は下記である。
「昔話シリーズ」は、昨年のアクア主演『火の鳥』をきっかけに始まった。昨年アクア主演で『シンデレラ』『浦島太郎』『ピーターパン』などを撮って物凄い視聴率を出し、それで今年もやることが決まった経緯がある。それでこのシリーズの担当プロデューサーである鳥山渚は、今回もまずはアクアでスタートし(陽気なフィドル)、アクアで夏休みに盛り上げて、最後もアクアで締めようと計画した。
その場合、アクアが『陽気なフィドル』を撮り、『少年探偵団』の撮影が終わる3月中旬から『黄金の流星』『お気に召すまま』と2本の大作映画を撮ることがネックになった。アクア本人の時間が取れない中で何とかする必要がある。
そこでアクアに主演してもらい、しかも夏休みにふさわしいビッグな物語で豪華な予算を掛けて制作する価値のある話として『竹取物語』が想定されたのである。この物語は、かぐや姫は主役であるにも関わらず実は出番がそう多くない。
だから制作に参加できる日数が限られるアクアが主演できると鳥山は考えた。それにアクアって3〜4人居る気がするから多分何とかやりくりがつくだろう!
問題は「自分は男だから女役だけの仕事は受けない」と常々言っているアクアをどう説得するかであった。
鳥山がコスモス社長と交渉したところ
「ギャラは最低2億円。そして本人がやってもいいと言ったら受ける」
と言われた。ギャラはもちろん受諾する。そしてアクアを説得すべく、3月下旬、代々木にあるアクアのマンションをコスモス社長と一緒に訪問したのである。
鳥山さんがわざわざ私邸まで来たことで、アクアはかなり警戒していた。
鳥山さんなので、彩佳は自分の部屋に引っ込んでおり、代わりに竜崎由結を呼び寄せて応対してもらった。
鳥山さんは室内に女性の持ち物があることに気がついたが、アクアは半分女だからあるのだろうと思ったようである。アクアは女物の服を着てテレビ局などに来るのは普通である。ただし男物の服で来ることもあるから、もしかしたらアクアは噂されるように本当に男と女が居るのかもしれない気もする。
「かぐや姫の役なんですか?ぼくは女役しませんよ」
と案の定アクアは不快そうに言う。
(↑アクアはとても微妙な言い方をしている。Fは女役するかも知れないけど!)
「でもアクアちゃんさぁ、よく自分には感情が無い、愛情もよく分からない。だから映画やドラマで恋人の役をする時は、今まで見た色々な映画とかのシーンを思い浮かべて、恋人ならこんな感じの表情をするのではないか、こんな感じで相手を見詰めるのではないかと想像して演技してると言ってるじゃん」
「はい。愛情というのが分からないというのは事実です」
とアクアも認める。
「かぐや姫って、まさに愛情の分からない女だよ」
「あぁ!」
「今をときめく大納言や中納言からプロポーズされたり、更には帝から結婚を求められたら、普通の女ならそんな凄い人となら結婚してもいいかなと思うものじゃん。でもかぐや姫は愛情が分からないから、熱烈なラブレター書かれても何とも思わないし、ああ結婚せずに済んでよかったなどと喜んでいる」
「そんな愛情に対してクールな女って、普通の女優さんにはできない。熱い言葉言われたらお芝居と分かっていても気分良くなってドキドキしたりするよ。でもどんなに熱烈に求愛されても何も感じないって、それこそ愛情が分からないと言ってるアクアちゃんにしかできない役だよ」
「なるほどー」
(↑かなりやる気になっている)
「それにもちろん2役で」
「何の役ですか?阿倍御主人(あべのみうし)あたりですか?」
「あ、やっばりアクアちゃんが見てもあの5人の中の本命は阿倍御主人だよね?」
「一番易しい課題でしたから。失敗しましたけど」
「阿倍御主人は松田理史君にお願いした」
と鳥山が言った時、アクアは左手で口を覆った。
それを見て、やはり噂通りアクアと松田理史は特別な関係なんだろうなと、鳥山は思った。ただ普通の女優さんなら、ここで頬を赤らめてもおかしくない。それが口を手で覆う程度の反応というのがやはり感情が本当に小さいのだろうと感じた。
(↑本当はここに居るのがMだから。Fはもちろん喜んでかぐや姫を演じる。またFなら突然理史の名前を出されたら、赤くなってしまったと思う)
「アクアちゃんに演じて欲しいのはね、かぐや姫が昇天してしまった後、帝と結婚して後任の皇后になる、光輝く姫君だよ」
「どちらも女役じゃないですか!」
語り手「美しい姫がいるらしいと聞き、竹取翁の家の周囲には、多数の若い男性が出没するようになりました。みんな姫君の顔を一目見ようとするものの、垣根から覗いても、姫の部屋はいつも部屋自体に御簾が降りていて、中の様子を見ることはできません」
★音楽:ラピスラズリ『プロポーズ・ラプソディ』
「中には木に登って中を見ようとする者、垣根を越えて中に侵入する者、更には穴を掘って侵入を試みる者まで現れましたが、女童(めのわらわ)が悲鳴をあげ、他の女房たちも駆け付けてくるので逃げていきました」
映像は侵入者(ノンクレジット:実は§§ミュージック・システム部の盛岡君)に気づき、橘(入瀬コルネ)が悲鳴を挙げて、紫(広瀬みづほ)と藤(花園裕紀)が駆け付けてくるシーン。
語り手「夜も昼も男たちが邸の周囲を這い回るように出没するので、これより後、女に求婚することを“よばい”(夜這い)(*34)と言うようになったのです」
語り手「竹取翁はかぐやに何かあってはいけないと考え、武術の心得のある女房を雇い、姫の部屋の外に控えさせました」
映像は御簾の降りた部屋の表側に2人の女房、松(夕波もえこ)と竹(川泉スピン)が控えている様子を映す。松は弓矢を持っており、竹は木刀を持っているが腰には万一の場合に備えて刀も差している。
(*34) 実際には「よばい」は男女が“呼び合い”することから“呼ばい”という単語が生まれたとされる。以下の作者による語源説明も全てジョークである。
語り手「紳士的に姫に文(ふみ:手紙)を書く者も多くありましたが、かぐや姫は一切お返事を書きません。使用人に言伝(ことづて)を頼もうとする者もいましたが、使用人たちは一切お断りするように言われているので、どうにもなりません」
「あまりにも姫が難攻不落で取り付く島も無いので、次第に多くの人が来なくなっていきました。やがて1年が経過した頃、多数の求婚者の中で、プレイボーイとして名を馳せていた5人の貴公子がまだ諦めずに毎日通ってきていました。それは雪の降る日も雨の日も、台風の日でさえも続きました。5人はこの人たちです」
映像では5人の貴公子が1人ずつ字幕付きで紹介される。
“黒”石作皇子(弘田ルキア)
“白”車持皇子(キャロル前田)
“赤”右大臣・阿倍御主人(松田理史)
“黄”大納言・大伴御行(森原准太)
“青”中納言・石上麻呂(七浜宇菜)
(性別の微妙な人が多い気がするのはきっと気のせい)
語り手「彼らの中には姫の部屋の前で和歌を詠む者、歌を歌う者、笛を吹く者、琵琶を弾く者、恋しい思いを語る者なども居ました(*35)。彼らは自宅に戻っては坊主に祈祷させたり、思いにふけって恋文を書いたりしていました」
★音楽:キャロル前田とアドベンチャー『愛しいかぐやちゃん』
★音楽:松田理史『愛の振動』(龍笛。歌無し)
「また彼らは翁(おきな)を捉まえては『ぜひお孫さんを私に下さい』と申し入れたりもしましたが、『あの子が誰とも結婚しないと言うもので』と翁も困ったように言いました」
(*35) キャロル前田はバンドリーダーで歌もとても上手い。松田理史はアクア本人から指導されていて元々龍笛が吹ける。それで自分の龍笛(手作り煤竹の100万円くらいの品:実はアクアからのプレゼント!)で吹いた。森原准太はギターを弾けるのでその応用で琵琶を3ヶ月でマスターした。七浜宇菜はもちろん歌わなかった!
媼(おうな:入江光江)はかぐや姫に諭すように言いました。
「およそこの世では、男は女と結婚し、女は男と結婚するものです。あなたも女の形をしている以上、いつまでも男と結婚しないということはできませんよ」
「私は誰とも結婚したくないのです」
とかぐや姫(アクア)は言う。
(視聴者の声「アクアが男か女かは議論の余地があるが、女の形をしていることは間違いない」)
「5人の貴公子はいづれも立派な方でとても熱心にあなたに求婚しています。どなたと結婚してもきっと幸せになりますよ」
「得がたいから熱心になっているだけで、いざ私を自分のものにしたら、きっとすぐに飽きて今度は別の女性に入れ込むでしょう」
「あなたも困ったものですね。私も翁も60歳を越えました(*36)。今日明日にも、あの世からお迎えがくるとも知れません。どうか私たちが生きている間に結婚してほしいのです。でないと安心してあの世にも行けません。だいたい私たちが死んだら、あなたを守る人も無くなりますよ」
かぐや姫は溜息を付きました。
(*36) 原文「翁年七十に餘りぬ。今日とも明日とも知らず」
(翁はもう70歳を過ぎた。今日明日も知れない)
ところが後のかぐや姫の昇天の所にはこうある。
「翁今年は五十許なりけれども「物思には片時になん老いになりにける」と見ゆ」
(翁はまだ50歳ほどであるのに、心労で一気に老け込んでしまったようだと人が思う)
とあって、とっても矛盾している。5人の貴公子の求婚から昇天まではだいたい10年近い月日が経っている。これを後の方を活かして前の部分を
「翁年四十に餘りぬ。今日とも明日とも」
の誤写と考えると、40歳でいつ死ぬか分からないというのは大げさである。一方で前の方を活かして、後のを
「翁今年は八十許なりけれども物思には片時になん老いに」
の誤写と考えると、80歳は元々老けていて変である。
つまりこの問題は単純な誤写と考えても解決できない。おそらく竹取物語の成立過程で複数の物語を繋ぎ合わせている時に生じてしまった矛盾ではないかと思われる。
このドラマでは貴公子の求婚の時が60歳ほどで、昇天の時が70歳くらいであり、「急に老けこんだ」という記述は採用しないという方針で制作した。結果的に竹の中に姫を見付けたのは45歳頃ということになる。
翌日昼過ぎにやってきた(*37) 5人の貴公子に翁は言いました。
「かぐやが皆さんにお話があるそうです。どうぞ中にお入りください」
5人はお互い顔を見合わせましたが、翁に案内されて中に入りました。
かぐや姫のお部屋に通されます。部屋には良い薫りが焚いてあります。控えている女房・女童(めのわらわ)も素敵な服を着ています。姫は
帳台の中に居るようです。
(*37) 昔は仕事は夜明けとともに始まり、お昼頃には終わっていた。午後は日記などを書いたり、遊んだりしていた。
「皆さん、毎日熱心に通ってきて頂いて、本当にありがとうございます」
とかぐや姫が帳台の中で言います。
5人の貴公子は、なんて可愛い声なのだろうと思い、ますますかぐや姫が好きになりました。
「でも5人の方が皆さん同様に熱心なので、私はその中のひとりに決めきれないのです。それで私が皆さんにほしいものを伝えますので、5人の中で最初にそれを持って来てくださった方がいちばん熱心だと思って結婚したいと思います」
語り手「5人の貴公子は、わが国ではほとんど見ない金剛石(ダイヤモンド)とか紅玉(ルビー)でもねだられるか、あるいは広い館でもねだられるかと考えました。そして自分の権力と財力の限りを尽くしてそれを用意してやろうと思いました。しかし、かぐや姫の要求はとんでもないものでした」
「詳しくは藤から」
とかぐや姫は言います。
それで傍に控えていた女房の藤(花園裕紀)が言いました。
「それでは、石作皇子(いしづくりのみこ)様には、お釈迦様が母君から頂いて使っていたという仏の御石の鉢を。車持皇子(くらもちのみこ)様には、東の海に蓬莱という山があり、そこに銀(しろがね)を根とし金(こがね)を茎とし、白玉(しらたま:真珠)を実として立つ木があるので、その一枝を折って持って来てください。もうひとりの方(阿倍右大臣)(*39)には、中国にあるという火鼠の皮衣をお願いします。大伴大納言様には龍(りゅう)が頸(くび)につけているという五色に光る珠を。石上(いそのかみ)中納言様には、燕が持っているという子安貝をひとつ取って持って来て下さい」
と藤(花園裕紀)は読み上げました。
この姫の依頼品を聞いた5人の貴人たちは内容に絶句し、
「要するに2度とうちに来るなという意味か?」
などと言いながら腕を組んだり、首をひねったりしました。
かぐや姫(アクア)は桃(川泉パフェ)に御簾(みす)を揚げさせました(*38). かぐや姫の光輝く美しい姿が貴公子たちの前にあらわになります。貴公子たちは
「何と美しい姫なのだ!」
と感動し、この姫のためなら、何とかしてやろうじゃないかと闘志を燃やしました。しかし、かぐや姫は言いました。
「皆さん、どうかご無理なさらないでくださいね。皆様がお怪我などしたら私も悲しいですから」
それで御簾は下げられ、5人の貴公子は藤に促されて退出しました。そしてみんな腕を組み、考え事をしながら帰って行きました。
★音楽:アクア『菅原の市(いち)(スカーバラ・フェア)』(未来居住超訳版)
S&G版ではなく古いメロディーを使用している。
(Alto)どこに行くの? (Tenor)菅原(すがはらのいち)へ。
(Soprano)Parsley, sage, rosemary and thyme
(Alto)そこに居る人に伝えて、あの人は私の思い人。
(Alto)仏様が使ってた
(Soprano)Parsley, sage, rosemary and thyme
(Alto)鉢を持ってきてくれたら、私あなたの妻になるわ。
(Alto)東の海の蓬莱にある
(Soprano)Parsley, sage, rosemary and thyme
(Alto)金銀真珠の枝持ってきたら、私あなたの妻になるわ。
(Alto)唐国(もろこし)にあるという
(Soprano)Parsley, sage, rosemary and thyme
(Alto)火鼠の衣持ってきたら、私あなたの妻になるわ。
(Alto)龍が首に付けているという
(Soprano)Parsley, sage, rosemary and thyme
(Alto)五色の玉を持ってきたら、私あなたの妻になるわ。
(Alto)燕(つばめ)が持っているという
(Soprano)Parsley, sage, rosemary and thyme
(Alto)子安貝を持ってきたら、私あなたの妻になるわ。
(掛け声:オリジナル!)
(Alto)糸も針も使ってない
(Soprano)Parsley, sage, rosemary and thyme
(Alto)縫い目のない服持ってきたら、私あなたの妻になるわ。
(Alto)海と浜の間にある
(Soprano)Parsley, sage, rosemary and thyme
(Alto)土地を買ってくれたら、私あなたの妻になるわ。
アクアは2種類の声(Soprano/Alto)を使って歌っている。
Tenorを歌ったのは篠原君である。こんなに短い時間で声を切り替えるのはさすがのアクアでも無理。多重録音すればいけるが、そういうことは基本的にしないのがポリシーである。掛け声を掛けたのは木下君。
(*38) かぐや姫は多くのシーンで御簾内に居る→撮影時の代役がとっても使いやすい!
(*39) 原文「今ひとりには」。名前が書かれていないが、他の4人の名前は出ているので、ここで指名されたのは右大臣・阿倍御主人(みうし)である。3番目の人を呼ぶのに「もうひとり」と言ったのは、この物語の求婚者が元は3人だったのを、後で5人に増やした名残であると言われている。
今昔物語の『竹取翁見付女児養語』でも求婚者は3人で次のような課題を与えられている。
初には「空に鳴る雷を捕へて将来れ。其の時には会はむ」
次には「優曇華と云ふ花有けり。其れを取て持来れ。然らむ時に会はむ」
後には「打たぬに鳴る鼓と云ふ物有り。其れを取て得させたらむ折に自ら聞えむ」
雷→龍の珠、優曇華の花→蓬莱の金銀の木、と思われる。鼓はこちらには該当するものが無いが、火鼠の衣が少し近いか?
それで今昔物語は、求婚者たちには、海へ行って亡くなった者もあれば、山に入って帰って来なかった者もあると書いている。(竹取物語より死亡率が高い)
(“打たぬに鳴る鼓”ってデンデン太鼓ってことはないよね?ここでもこれがいちばん易しい気がする)
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【竹取物語2022】(1)かぐや姫の生い立ち