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(C)Eriko Kawaguchi 2018-07-07
男性的な性格の橘姫(たちばなのひめ)と、女性的な性格の桜君(さくらのきみ)はしばしば入れ替わって過ごし、橘姫は男装でよく外出し、桜君の方は女装で男子禁制の場所に行ったりしていたのですが、10歳の年の春、とうとうその入れ替わりが父の大将(だいしょう)にバレてしまいました。
父君はまず激怒しました。
主殿の父君の部屋に、桜君と乳母、筆頭女房の伊勢、橘姫と乳母、筆頭女房の少納言の君が呼ばれ、大将は激しく叱咤します。
これには桜君も橘姫も素直に謝りました。
更に大将は双方の乳母、伊勢と少納言に首を言い渡します。4人は青ざめたものの「申し訳ありませんでした」と言い、退出しようとしますが、これに桜君と橘姫は猛反発します。
入れ替わりは自分たち2人だけでやっていて、乳母や女房は一切知らないことであったとし、それを解雇するのは筋が通らないと主張したのです。3人は激論します。
「お前たち2人だけでできる訳が無い」
と言う大将に対して、桜君も橘姫も
「自分たちふたりだけでこっそりやっていました」
と言って、絶対に譲りません。
それで結局父はふたりに妥協してしまいます。父は特に桜君が物凄く頑張ったことで、こいつもなかなかやるじゃないかと思って、許してやることにしたのです。
「しかし本当に誰も知らなかったのか?」
「ふたりだけでやってましたよ」
「分かった。4人の解雇の件は取り消す。申し訳無かった」
と大将は4人に謝りました。4人もそれを受け入れて、引き続き、桜君・橘姫に仕えることにしました。4人の中でもっとも狼狽していた桜君の乳母は自分は知っていたし協力していたとして自主的に辞任を申し出たい気分でもあったのですが、それでは若君たちの必死の努力を無にしてしまうので我慢して黙っていました。
父はふたりに今後の入れ替わりの禁止を言い渡します。
しかしこれにもふたりは反発しました。
「私は身体も弱いし、武術もできないし、漢字もまともに読めません。私は静かに家の中で箏や和琴を弾いている方が性(しょう)に合っています。橘姫は体力もあるし、漢籍を読みこなし、漢詩も作れば、馬術も弓もうまく、笛や琵琶をたしなみます。そういう生活を認めて欲しいのです」
と桜君は主張しました。
「しかしお前はいづれ俺の後を継いで帝を助ける仕事をしなければならないのだぞ」
と父君。
「それは私には無理です。橘姫になるできると思いますが」
と桜君。
「橘姫はいづれ帝の妻にならなければならない。今からでも遅くないから、化粧を覚えて箏を弾き、行儀作法も覚えて欲しい」
と父。
「私にはそれは無理です。一日中部屋の中に閉じこもっているなんてできません。私は弓を射るのも馬を操るのも大好きです。私は外に出て行きたい。帝の妻なら、兄上の方が務まると思います」
と橘姫。
「男を帝の妻にできるか!」
この問題についても3人は激論しましたが、結局2人が
「できないものはできない」
と頑張るので、ついに父君は2人に言い負けてしまいました。
「ではお前たちはこれからどうするのじゃ?」
「今まで通りに」
「私はふつうに弓矢や馬の練習をして漢籍もしっかり学びます」
と橘姫。
「私はあまり外に出たくありません。家の中にずっと居て、囲碁をしたり箏を弾いたりしていたいです」
と桜君。
「それでは男女逆ではないか」
と父。
「いっそ私は男になりたい」
と橘姫。
「だったら桜は女になりたいのか?」
「別に女になりたい訳ではないですけど、自分は男らしくは生きられないなと思っています」
と桜君。
桜君と橘姫は結局自分たちの主張を押し通してしまいました。
それでこの後の2人の生活はこのようになってしまったのです。
橘姫は今まで通り、毎日髪を美豆良に結い、男物の服を着て、弓や馬の練習で頻繁に外出します。笛・琵琶を弾きます。漢籍を学び、日本の歴史や仏典なども学んで、漢詩を作ります。
一方桜君は今まで通り、ずっと自分の部屋に居て、自分のお付きの女房や女童など以外にはほとんど会わず、和琴や箏を弾き、女房たちと囲碁や双六などをしています。ひとりの時は結構人形遊びなどもしています。
今までと違うのは、橘姫が外出している間、桜君は別に西の対に行ったりせず、東の対にそのまま居るようになったことです。ですから、桜君は女装する機会がこれまでよりぐっと減りました。それでも舞や歌の先生が来た時は髪をほどいて振り分け髪にし、姫の衣裳を着て先生に習っていました。また姫の衣裳を着る時はお化粧もしていました。
ふたりは荷物も交換しました。桜君の部屋にあった漢籍・仏典など、笛や琵琶などは西の対の橘姫の部屋に移しました。橘姫の部屋にあった人形など、箏と和琴は東の対の桜君の部屋に移しました(もっとも人形の大半は既に東の対にあった)。
ついでにふたりは尿器も交換しました!
橘姫は男装の時はもちろん女装の時も、おしっこする時は尿筒(しとづつ)を使うようにしました。
「この方が楽〜。いちいち袴を脱がなくてもいいし」
一方、桜君は女装の時はもちろん男装の時も虎子(おおつぼ)を使うようになりました。
「この方が楽だよ。おちんちんの先がどうなってるか考える必要無いし」
実際、桜君のおちんちんは相変わらず膠で肌に留めたまま、タマタマは体内に押し込んだままにしていたのです。
ふたりの入れ替わりを全く知らなかった春姫はびっくりしました。
「何か変だとは思ってたけど、まさか入れ替わっていたなんて、思いも寄らなかった」
と春姫は言いました。
「母上、ごめんなさい。でもこの方が私にとっても橘姫にとっても自然なんです」
「やはりお前、女になりたいの?」
「女になる気は無いけど、男よりは女の方が楽かなあという気はしている」
「女になりたいなら、男の印を取ってしまう?そういう術はあるらしいけど」
「おちんちんが無くなってしまったら、それでも何とかやっていける気はするけど、積極的に女になりたいわけではないから、そこまではしなくていい。でも橘姫は本当に男になりたいみたい」
「あの子はそうかもね」
「おちんちんを付ける術は無いの?」
「それは聞いたことが無い」
桜君と橘姫が自分たち以外には誰も入れ替わりを知らなかったと主張したことで桜君の女房や乳母は処分を免れたのですが、のんびり屋の春姫はそれを信じていたようで、結局桜君の乳母は1年前に書いていた辞表を出すこともありませんでした。
秋姫は桜君と橘姫が、乳母や女房たちを守ったことを褒めてくれました。
「あんたたちはよくやった。乳母たちも涙を流して感謝していたよ」
「だって私たちのことなのに、他の人に迷惑を掛けてはいけないもん」
「うん。私たちの趣味に協力してくれていたのに」
「乳母たちも女房たちもこれに感動して、あんたたちをずっと守って行くと言っていた。あんたたちは結果的にとても忠実な家人(けにん)を得たことになる」
と秋姫は言っていました。
「でもあんたたち、結果的に今までより楽に生活できるようになったみたいね」
「うん。楽になった」
「私は堂々と外出できるし」
「私は堂々と部屋の中に居られるし」
「あんたたち2人ともそれが好きみたいね〜」
と言って秋姫は微笑んでいました。
ふたりは相変わらず髪を同じ長さに調整していました。昨年春に少し切った桜君の髪も、いよいよ床につくくらいの長さまで伸びました。このくらい長いと美豆良にする時少し面倒なのですが、後ろの真ん中付近の髪の大半を服の内側に入れ、脇の髪を中心に美豆良にすれば、美豆良の髪の量がそれほどでもなく、わりと自然になるのです。
橘姫は「かったるい。切りたい」と言ったものの、秋姫はそれを許さず、この点には橘姫も妥協しました。桜君の方は髪が床につくようになったのを「なんか大人になったみたい」と嬉しがっていました。実際には「大人の女」に近づいている気もするのですが、桜君はそれをあまり意識していません。
桜君は元々は別に女になりたいような気持ちは無かったのですが、度々女装させられている内に、けっこう女の格好をするのが好きになりつつありました。
そして・・・・
父・大将はガックリと落ち込んでいました。
女みたいだった息子が最近は男らしくなって元気に武術とか漢籍とか学んでいると思い込んでいたら、それが実は娘の方であり、男みたいだった娘も最近はおしとやかになってきたと思い込んでいたら、それが実は息子の方だったというのは物凄いショックで、一気に10歳くらい年を取ってしまったかのようです。
息子をいづれは自分の跡継ぎにして大臣に、娘はいづれ帝の妻にと思っていたのに、そのプランも完全に崩壊しました。あんな御転婆の娘など、とても帝に差し上げる訳にはいかず、あんな女みたいな息子ではとても跡継ぎにはできません。
そんな大将の姿を兄の右大将をはじめ周囲の人は不思議に思いました。
「大将の所は息子さんはこないだ小弓比べで優勝したそうですね。元気だし、漢籍にもとても詳しくて、既に史記も三国志も読破したと聞きましたよ。良い跡継ぎがおられて楽しみですね」
「大将の所の姫君は箏や和琴をとても上手に弾きこなし、舞も上手で、松尾神社の秘祭でも舞を舞ったそうですね。良き姫君が居て羨ましい」
そんなことを言われる度に大将は将来を絶望して、ますます落ち込むのでした。
その日、父君が西の対に住む娘“橘の姫”の元を訪れてみると、元気な横笛の音が聞こえてきます。
様々な色の下着の上に萌黄色の狩衣を着て赤紫の指貫(袴)を穿いています。完全に男性の装いです。髪も美豆良に結っており、表情が明るく、友人の男子たちを数人、部屋に上げて一緒に合奏しています。
合奏が終わると庭に飛び出し、一緒に蹴鞠をしたり、小弓で遊んだりしていました。
父君は「男の子たちが集まってきている」というのが、美しき深窓の姫君を一目見ようと集まってきているという状態であったら、どんなに良いことだろうと思ってしまいました。
「“橘君”様は本当に元気でいらっしゃる」
とお付きの女房の少輔命婦が言っています。
どうも女房たちが“姫君”ではなく“若君”と呼んでいるようだなというのをあらためて認識すると、父はこの子は僧にでもするしかないかもと悩んでしまいました。
そんな様子を半ば放心状態で1時(2時間)も見てから、父君は東の対に住む息子“桜の君”の元を訪れてみます。すると本人は御帳(みちょう)の中で箏を弾いています。
その調べが美しいなとは思ったものの、父は御帳を開けて
「閉じこもっているばかりでなく、外に出て桜の花など見てごらん」
と言ったのですが、父はその子のあまりの美しさにドキッとしてしまいました。
長い髪は扇を広げたようです。顔色は紅梅の咲き出したようにつややかで、涙を浮かべたような目がまた美しい。桜色の六枚重ねの服の上に赤紫の袿(うちき)を着ています。
“桜姫”がこういう服を着ていたのは実は舞の先生が来るからだったのですが、父君はふだんからこの子はこういう服を着ているのだろうと思ったようです。
「姫様、舞の先生がいらっしゃいました」
と女房の伊勢が告げます。
それで舞のお稽古が始まりますが、その様は美しく、大将は見とれていました。なんて素敵なと思ってから、待て待てこいつは男だぞ、と思い直します。
そして、この子は尼にでもするしかないかも知れないと父君は悩んでいました。
ところで権大納言家の周囲の人々は噂をしていました。
「大納言様の所って、春姫様の所が息子さんで、秋姫様の所が娘さんだっけ?」
「あ、それ俺もそう思い込んでいたのだけど、逆みたい」
「うん。こないだ俺も勘違いしていたことに気付いた。実際には東の対に住む源宰相の姫君のお子様がお姫様で、西の対に住む藤中納言の姫君のお子様が立派な若君だよ」
秋姫様の配慮で1年前からふたりができるだけ主殿で人に姿を見せるようにしていたことから、ふたりが開き直って各々の部屋でも人に会うようにしても、このように多少の混乱は生みながらも素直に受け入れられてしまったのです。
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男の娘とりかえばや物語(9)