広告:女声男子-3-ガンガンコミックスONLINE-険持-ちよ
[携帯Top] [文字サイズ]

■Shinkon(1)

[0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 
次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

(c)Eriko Kawaguchi 2012-03-22

 
「命(めい)って、女の子と見ても美人の部類の気がするなと思ってたけど、お化粧すると、ますます美人になるね。スカート穿いて、その顔でコンビニとかにでも行ってくる?」
「さすがに勘弁して」と言った。
 

↓ ↑ Bottom Top

それは高校3年の年末近くのことであった。僕が学校から帰ると、神社の氏子代表の鈴木さんが来ていて「ああ、帰ったね。今年、というか来年になるけど、祈年祭の踊りを、命(めい)君にやってもらえんかね?」と言われた。
 
うちの田舎は一般の交通機関に見放されたような地区で、電車もバスもタクシーも無い。自動車が無ければ生活できない地域である。高校に行くのにも朝と夕方に1回ずつ運行されるスクールバスが頼りなので、クラブ活動もできない。
 
村は村役場のある中心部を除いては、2〜3km置きに点在するいくつかの集落に別れているが、僕が育った集落は、家が100軒ほどある、比較的大きな集落で(大半の集落は20〜30軒である)、昔は郵便局の分局もあったが、20年ほど前に合理化で廃止されてしまった。集落はどこも斜面に家が点在しているのだが、うちの集落ではそのいちばん奥の所に古い神社があり、近隣のいくつかの集落で、共同で崇敬されていた。
 
↓ ↑ Bottom Top

この集落では神主さんが毎月1度各家を訪れて神棚の前で祝詞を奏上するし、家々の当番で神社の清掃などもしていた。女の子のいる家では、小学1年生の頃から巫女舞の練習をして奉納していた。本来は巫女舞は生理が始まる前の女の子により舞われるものなのだが、人数が少なく、そんなことも言ってられないので、幼なじみで同い年の理彩(りさ)なども、高校1年の時まで巫女舞をしていた。てっきり高卒までやるのかと思ったら去年いなかったので「あれ?辞めたんだ?」
と聞いたら「うん。免除してもらった」と言っていた。
 
「祈年祭の踊りって、巫女舞だけじゃないんですか?」
「ああ。この踊り知らなかったんだ?」と鈴木さん。
「通常の祭りの前夜にやる秘祭なんだよ。やるのは原則として18歳の人で、複数いる場合、実際に誰にやってもらうかは占いで決める。でも、これを踊る人は自分が選ばれたことも人に言ってはいけないし、秘祭の様子も人に言ってはいけないことになってる」
 
↓ ↑ Bottom Top

「それじゃ、全然情報が漏れない訳ですね。それに18歳の子って、春になったらみんな都会に行ってしまうから、村の中にそれを知ってる人が残らない」
「確かにそうなんだよね。だから村がどんどん衰えていく」
「村に仕事先も無いですし」
「林業の仕事ならあるんだけどね。誰もやりたがらない」
 
「でもまあ、占いで選ばれたんなら、やっていいですよ」
「助かるよ。いや、今年は君ひとりだったんで、占いはしてないのだけどね」
と鈴木さんが言った。
 
その時、僕はあれ?と思った。18歳は僕と理彩の2人いる。でも男から選ぶのかなと、この時は思った。
 

↓ ↑ Bottom Top

2月の祈年祭に踊るのなら、今から練習しておくのだろうと思ったのだが、練習は不要ということであった。教えてもらったのは、祈年祭の前夜0時ジャストから始まる祭りということだけで、どのくらい時間が掛かるのかとかも、その時になれば分かると言われて、教えてもらえなかった。
 
そういう訳で、僕はこの時期、受検勉強に専念することができた。この集落で18歳は僕と理彩の2人なわけだが、2人とも関西の国立大学を受験する予定である。塾とかがある訳でもないので、僕たちは毎日学校から帰ると、どちらかの家で一緒に勉強していた。2人とも分からない所は、電話を掛けて夏休みの予備校の夏期講習で知り合った都会の友人などに聞いたりもしていた。
 
↓ ↑ Bottom Top

僕たちは小さい頃から近くに居た同い年の男女ということで、お互いにけっこう恋愛的な要素を意識したことはあるし、中学生の頃にはキスしたこともある。でも、その後よく話し合って、自分達は恋人ではないかもね、ということで納得している。だから、基本的に「お友達」という線を越さないようにしていた。
 
ただ、僕たちは基本的に仲良しだったから、双方の親は僕たちが大学を出たあたりで結婚して、またこの村に戻ってきてくれないかな、ということを若干期待している雰囲気もあった。ふたりとも村に戻って生活する気は、この時期は、毛頭無かったのではあるが。
 

↓ ↑ Bottom Top

年明け、僕たちは近隣の地方都市まで行って、センター試験を受けてきた。そこまで車で山を幾つも越えて1時間半掛かる。僕たちは学校が用意してくれたマイクロバスに乗り、早朝から出かけていき、1泊2日の日程で受検してきた。
 
田舎の高校で大学進学率も高くないし、その中で国立を受ける子も少ないので3年生約100人の内、センター試験を受けたのは18名(男子12名・女子6名)であった。僕たちは受験地のホテルに男子は4人1組・女子は3人1組で詰め込まれて宿泊した。泊まる部屋は男女別に単純名前順で区切られたのだが、就寝時刻前は、けっこう男女入り乱れて、気の合う子同士で同じ部屋に入って、あれこれ話ながら勉強していた。
 
僕も、昔からの友人の香川君と、理彩、そして理彩の古くからの友人である春代の4人で、お互い教え合いながら勉強していた。学校の通常の中間期末のテストの成績ではいつも香川君がトップで、次が春代である。僕と理彩はいつも10番目くらいにいたのだが、僕も理彩も模試ではひじょうに高い偏差値をマークしていて、僕たちふたりが十大国立(旧帝大7校+一橋・東京工大・神戸)の圏内、香川君と春代はそのボーダーライン付近であった。
 
↓ ↑ Bottom Top

それで香川からは「お前たち、ふだんのテストで手抜きしてない?」と言われるのだが、別にそういう訳ではない。「多分、学習内容を確認するテストでは怪しいけど、模試の質問のされ方なら、自分が持ってる知識から回答できるんだよ。あと少し模試だけで使えるテクもあるしね」と僕は答えていた。
 
さて、センター試験は1日目が社会・国語・英語、2日目が理科・数学であった。
 
「1日目は朝早く叩き起こされて頭が回ってなかったら、思考力より記憶や感覚を使う科目で助かったよ」などと春代が言う。
「確かにあの頭の状態でいきなり数学だと、問題が解けないよね」と僕。「今夜はぐっすり寝ないと」と理彩。
「こうやって集団で来てると、寝過ごす心配が無いのだけはいいよね」と香川君。
 
↓ ↑ Bottom Top

「みんな志望校は確定?」と春代。
「1日目の感触が良かったし、明日失敗しなかったら予定通り、阪大かな」と僕。「私も明日失敗しない前提で阪大」と理彩。
「ふたりとも凄いよね。でも阪大行くつもりなら、もっと都会の高校に行ってれば良かったのに」と春代。
「親を説得できなかったからね。高校進学の時は」と僕。
「同じく」と理彩。
「でも同じことばを春代と香川にも返したいけど」
 
「いや、僕は偏差値一覧を見てて、自分の成績なら女子大には行けるなと思ってたから女子大に行くつもりでいたら、男子は女子大に入れないと言われてえー?そうなのかってんで、それから志望校考え始めたから」と香川君。
 
「男子を入れてくれる女子大ってのはレアだろうね」
「昔は武蔵野女子大学に男子学生いたらしいよ。今は共学になって武蔵野大学だけど」
「高校でもよければ、今でも桐朋女子高校には男子生徒がいるね」
 
↓ ↑ Bottom Top

「田舎だから、みんなのんびりしてるよね。進路指導の先生も就職の世話のことしか頭にないから、福岡大学を国立で九州大学を私立と思い込んでいたくらいだもん。という私も3年生になってから志望校を考え始めたんだけど」と春代。
 
「僕は明日の成績次第だな。うまく行ったら神戸大だけど、不調だった岡山大にするかも」と香川君。
「私は親は女子大に行けって言ってるんだけどね。今日は何とかなった感じだし、明日の成績次第では思い切って神戸大受けようかと思ってるのよね」と春代。
 
「みんなの入試がうまく行くようにおまじないの言葉教えてあげる」と理彩が唐突に言い出した。
「おまじない?」
「『ソーミーショーリョー』っていうの。この4人だけの秘密」と理彩は言う。「なんか秘密のおまじないって言われると効きそうな感じ」と春代。
「ソーミーショーリョーか・・・・」と香川君。
「『ソーミーショーリョー』『ソーミーショーリョー』。よし試験の前に唱えよう」と春代。
 
↓ ↑ Bottom Top

翌日、化学・生物・数IA・数IIBと受けたが、直前に理彩から習ったおまじないの言葉を唱えると、何だか勘が冴える感じで、とても調子よく解答することができた。この呪文すごっく効く!と思った。
 
帰りのバスを待つ試験場の前で、何となく昨日一緒に勉強していた4人で集まった。
 
「昨夜、理彩が教えてくれたおまじないのおかげで、今日は調子よかったよ」
と僕が言うと、香川君が
「おまじない?何だっけそれ?」と言う。
「え、昨日聞いたじゃん。あれ」
と僕は周囲にも人が居るこの場では、あの言葉は唱えてはいけない気がして、具体的な呪文は口に出さずに言った。
 
「何だろう?僕は知らないけど」と香川君。
「でも、今日は何だか凄く調子良かったよ」
 
↓ ↑ Bottom Top

「おまじない?何かいいおまじないあるの?」と春代。
「でも私も今日は不思議と勘が冴えてたなあ」
 
「え?ふたりとも覚えてないの?だってね、理彩」
と僕は言ったのだが、理彩が首を振っている。どうもこの話はここではしてはいけないようだということに気付き、僕は話題を変えて、試験の出来の話をしはじめた。
 
結局、僕らは自己採点の結果4人ともセンター試験の出来がこれまでの模試で出していた成績よりワンランク上という感じであったので、僕と理彩は阪大、香川君と春代も神戸大を受けることにした。結局うちの学校で国立上位校を(本気で)受けることにしたのは、この4人だけであった。
 

↓ ↑ Bottom Top

2月17-18日の金土が、神社の祈年祭であった。春の始まりに、今年の豊作を祈って、行われる行事で、この日は都会に行っている若い人たちも帰って来て御神輿を担いだりする。3つの御輿が勇壮に走り回る様は、近年少なくなってきた激しい祭りだということで、毎年テレビ局も取材に来る。ただこの祭りは本当に激しいのに、少なくとも戦後になってからひとりの死者も出していない。「神様の加護があるから死なないんだ」などと一度大怪我して半年入院したことのある、理彩のおじさんなども豪快に語っていた。そのおじさんも怪我が治ったらすぐ翌年からまた御輿担ぎに参加していた。
 
また御輿祭りに先立って初日の朝8時に行われる巫女舞もその美しさが知る人ぞ知るものである。この巫女舞は撮影禁止なので、ここに早朝から見物に来た人だけが目にすることができる。一度こっそり撮影しようとした人は、カメラ自体がCCD破損、内部のデータ完全消失、更には持っていたパソコンも完全沈黙でディスクも真っ白、更には自宅のハードディスク,CD類まで完全破壊されていたらしい。本人は数十年来撮り集めた写真を全て失って呆然としていたそうだが「命(いのち)があっただけでも儲けものだよ」とうちの父などは怒るように言っていた。
 
↓ ↑ Bottom Top

ともかくも、この春先の祈年祭と秋の燈籠祭は、村が盆正月以上に賑わう日である。
 
僕がすることになっていた秘祭は16日の深夜に行われた。言われたのはひとつだけで「夕方、お風呂に入って丁寧に身体を洗い、ヒゲや体毛を全部剃ってほしい」ということだった。
 
「体毛って、髪の毛もですか?」
「いや、髪はそのまま」
「あそこの毛もですか?」
「あそこはそのままでいいけど、お腹付近までつながっていたら、お腹の付近は剃って。パンツで隠れている部分は剃らなくていい」
「はあ」
 
そういう訳で、僕はその日の夕方、お風呂に入り、カミソリでまずヒゲを剃り、そのあと足の毛、腕の毛、お腹の毛、そして脇毛を剃った。毛が無くなってすべすべした手足を見ると、なんか不思議な気分だ。こんな状態になったのは、久しぶりだ(夏休みに強引に理彩に剃られた時以来だ)。僕はこういうのなんか綺麗でいいよね、と思ってしまった。
 
↓ ↑ Bottom Top

23時前、衣装には現地で着替えるということだったので、僕はふつうのジーンズ・セーター、それにダウンのハーフコートを着て、神社に向かった。来ていたのは、神職さんの他は、氏子代表の鈴木さん、それに巫女舞で太鼓を叩いている鳴川さん、篠笛を吹いている臼井さん、の3人だけであった。鈴木さんも僕が来るとすぐに「では」と言って帰ってしまった。いつもいる神職の奥さんも見かけない。聞くと、秘祭は関係者以外完全非公開なので、今夜はお友達の家に行っているらしい。僕は今更ながら、この祭りの秘密主義に驚いた。
 
この衣装に着替えてと言われる。下着まで全部脱いだ上で、真っ白い絹のパンツのようなものを渡される。トランクスみたいな形であるが、前の開きなどは無い。その後、やはり白い袴を穿き、巫女さんが着る服に似た貫頭衣を着た。かなり薄着だが社務所の中はストーブが焚いてあるので、寒くは無い。真っ白い靴下、それに真っ白いウォーキングシューズを渡されたので履いた。23:50頃、神社の奥の森に案内された。
 
↓ ↑ Bottom Top

「ここ、禁足地だったのでは?」
「この秘祭をする時だけ入っていいの。潔斎が必要だけどね」
 
小川が流れていて、そのほとりにかがり火が3つ焚かれている。ここで踊るということのようであるが、この時点で僕はまだ踊り方を教えてもらっていなかった。それを聞くと「命(めい)君の心のままに踊って」と言われた。うーん。適当でいいのか? ExileのRising Sunでも踊っちゃろか?
 
神職さんが持っていた時計が0時を告げるのと同時に、笛と太鼓の音が始まる。そして神職さんが「おーーーー」という低音で長く叫んだ。音楽はいつも3なのに無駄に絶対音感のある僕はCの音だと思った。僕は何となく神妙な気持ちになって、小さい頃よく踊っていた盆踊りみたいな身振りで踊り始めた。僕は何となく3つのかがり火を取り囲むように歩きながら踊った。
 
↓ ↑ Bottom Top

笛や太鼓の音が心地良い。ああ、日本の音楽というのもいいものだな、と僕は少し思った。5分も踊っていた時、僕は何だか、誰かが一緒に踊っているような気がした。それを感じた時、神職さんの「おーーーー」という声が止み、神職さんは笙を持って吹き始めた。なんか幻想的だ。というか、自分が今夢を見ているのではないかという気がした。
 
笛・太鼓・笙の演奏が続く。僕はそこにいる「誰か」と一緒に、かがり火の回りを踊って歩き続けた。その「誰か」というのは目に見えるものではないのだが、何だか優しさが伝わってくる感じであった。僕はその「誰か」から踊り方を教わるような感じがして、自然と一定の踊り方に落ち着く。
 
そういえば、この踊りっていつやめれぱいいんだろう? それもそういえば聞いていなかったが、止める時は何か指示か合図があるだろう。もう30分ほど踊っている気がするが。まぁ、体力には自信があるから2〜3時間くらいは平気だと思うけど。
 
↓ ↑ Bottom Top

それにこれ、何だか楽しい!
 

↓ ↑ Bottom Top

次頁目次

[0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 
Shinkon(1)

広告:Back-Street-Girls-6-ヤンマガKCスペシャル