[*
前頁][0
目次][#
次頁]
「男の娘は純粋な女の子に比べて恋愛では不利かも知れないけど、男の娘ならではの魅力で迫ると、かえって女の子にはできない大胆な迫り方もできて、彼氏のハートをキャッチできる場合もあるんですよ」
と純子が言うと
「何の話をしている?」
と勘屋さんが呆れている。
「んじゃ、最後のピリオドは男の娘疑惑のあるメンツで出て行ってもらおうか」
と黒江コーチが笑って言った。
「私も中高生時代、よく男の子だと思われていたよ。男の娘じゃなくて男の子ね」
と183cmの黒江コーチは言っている。
「じゃ、誰々ですか?」
「まず186cmのヒナ」
「はい」
と小松日奈が苦笑して手を挙げる。
「男の子と思われてたろ?」
「銭湯に行くとふつうに『あんたこっち違う』と言われました」
「181cmのジュン」
「はい。私も普通に男と思われてました」
と渡辺純子。
「176cmのホープ」
「まあ男と思われるのには慣れてますね」
と久保田希望。
「173cmのジーコ」
「私実は男ですというジョークを言おうとすると、だいたい他の人に先を越されます」
と黒木不二子。
「そして自分は男の娘であると主張しているサン」
「それ本当なんですけどね〜」
「でも一昨年子供産んでいるし」
「最近の男の娘は子供も産めるんですよ」
チームメイトはみんな千里が乳パッドを使用しているのを知っているので、妊娠出産したのは間違い無いと思われており、それで男の娘という話はジョークとみなされている。
「じゃその5人の男の娘パワーでサンドベージュを倒してきて」
「分かりました!」
第4ピリオドは双方このようなラインナップで来た。
SB 山岸典子/翡翠史帆/湧見絵津子/広川久美/夢原円
RI 黒木不二子/村山千里/渡辺純子/久保田希望/小松日奈
若手主体であるが、千里はたぶんこれが本当の両者の最強ラインナップだと思った。不二子は登録はPF(パワーフォワード)であるが、実際にはガードフォワード(GF)の性格が強く、旭川N高校時代からしばしばポイントガード役も務めていた。
松前乃々羽は「パスの下手な」ポイントガードだが、黒木不二子は「ドリブルが下手な」ポイントガードで、どちらもポイントガードに絶対必要なものが欠けている。しかしそれが意外性を生み出す。千里も純子も希望も日奈もそういう不二子のプレイをたくさん見ているし、純子や希望は高校時代その「下手なドリブル」に散々やられてきている。
このピリオドの相手では、不二子のドリブルが下手であることと、それに突っ込むと絶対やられることを認識しているのは元チームメイトの絵津子だけである。
いかにもスティールできそうに見えるので突っ込んで行くと、絶対に失敗するのである。
この日も山岸典子がスティールに行くと、不二子はそれを見てドリブルを失敗し、ボールが転がっていったものの、そこに希望が走り込んでボールを拾い、結果的に典子が飛び出してきて抜けた穴から中に突っ込んで得点するというプレイがあった。
典子が「え〜〜!?」という顔をしていた。それで絵津子に「あれ突っ込んでいったらだめ」と注意していた。
翡翠史帆はこのピリオドでも千里とマッチアップして負け続けた。サンドベージュの監督もかなり我慢していたものの、途中であきらめ。大沼マリアを出してくる。しかしマリアは千里によけい勝てない。マリアは最近の1年間の千里の進化を知らないのである。監督は絵津子に千里を対応させたいのだが、純子が絵津子を離してくれないので、結果的にマリアの担当になってしまうのである。
そういう訳でこのピリオド残り2分までに千里は5本のスリーを放り込む。一方、サンドベージュは不二子の“ハプニング・プレイ”に翻弄されて、なかなか点数が取れなくなっていた。それでこの時点で80-72まで追いすがったが、この15点は千里と純子の共同作業によるものともいえる。
ここでレッドインパルスは相手に混乱をもたらして健闘した不二子を下げて、鞠原江美子を投入する。相手はホッとした感もあったが、今度はサンドベージュはこのラインナップから誰が攻撃の起点になるのか判断できなくなったようで、さっきまでとは別の混乱が生じる。それで江美子・純子・希望に連続得点を許してしまう。
これで80-78まで追撃して、もうあと1ゴールで追いつく状態である。
サンドベージュが絵津子で2点取り、レッドインパルスが千里の今日10本目のスリーで82-81と1点差に迫る。
サンドベージュの攻撃。残りは23秒。ショットクロックは止まる。
ところがここで田宮寛香(SB)から夢原円(SB)へのパスをうまく純子(RI)が途中カットした。そのまま速攻に行くが、絵津子(SB)が必死で戻って回り込み何とか停める。純子は反対側に走り込んで来た小松日奈(RI)にパスする。日奈がそのまま中に侵入しようとするが、大沼マリア(SB)に阻止される。日奈はミドルシュートに切り替えて、そこから撃った。ゴールまで4mくらいである。
入るか!?
やや微妙か?と思った時、ゴールから1.5mくらいの所に走り込んで来た夢原円(SB)が思いっきりジャンプし必死に手を伸ばし、かろうじて指を当てる。
ボールは円の指に当たって軌道が変わり、バックボードに当たった上でコートの端に飛んで行き、そのままアウトオブバウンズとなった。
審判が笛を吹いた。
ああ、ゴールテンディングになったかな、と千里は思った。
バスケットでは、シュートされたボールが最高点に達し、落ち始めた後を叩くのは違反である。ブロックする場合は、最高点に到達する前の、放物線の前半にブロックしなければならないのである。
この、一般の人にはやや不思議に思えるかも知れないルールは昔NBAでジョージ・マイカンという物凄く長身の選手がいて、相手チームのシュートがゴールそばにスタンバイしているマイカンに全てブロックされてしまうという事態が起きたために、導入されたものである。野球の走塁妨害に似たルールと言えるかも知れない。
円がもう少し日奈に近い位置でブロックしたのなら正当なブロックなのだが、今ブロックした位置はゴールに近すぎたのである。
計算上は小松日奈の背丈で4mの距離から50度の角度でシュートされたボールは回転を無視して計算した場合、2.4mの距離を飛んだ所で最高点(床から3.5m)に達する。つまり円がゴールから1.6m以上離れた地点までにブロックすれば正当なブロックだったのだが、円がブロックした場所は、その最高点に到達したポイントより、わずかにゴールに近かったようだ。
実際千里の目にもボールのカーブの頂点の少し先で円は弾いた気がした。ただ3.5mなどという高さに指が到達した円も物凄い。
おそらくは円も頂点に到達する前にはじけるかどうか五分五分と見たのだろう。しかしそのまま放置すれば日奈のシュートはかなりの確率で入る。それを阻止しようとしたのは当然である。
むろんそんなプレイは円の背丈とジャンプ力が無ければできないことで、うまく行っていたら、円のスーパープレイになっていた所であった。
夢原円もゴールテンディングを素直に認めて手を上げている(ちなみにゴールテンディングはファウルではない)。
そして審判は右手の指を2本立てている。得点ボードが82-83となり、場内アナウンスは「2ポイントフィールドゴール、レッドインパルス小松日奈」と言っている。
これでレッドインパルスの逆転である。
場内が騒然とする。
日奈のシュートはゴールに入っていない。
それなのに2点が認められるというのに、サンドベージュのファンが納得していない。レッドインパルスのファンでさえ戸惑っている。
試合は大事な山場である。罵声まで飛んでいる。
主審はきちんと説明した方がいいと判断したようである。
マイクを取って説明する。
「今のプレイ、青の23番(日奈)のシュートが最高点に達し、ボールが落ち始めた直後に、白の10番(円)がボールに触れました。これはゴールテンディングになり、ボールはたとえゴールに入らなかったとしても、得点が認められます。従って今のプレイで青側に2点が入ります」
主審の説明で『ボールが入らなかったけど得点になる』というルールがあるのだということを多くの観客が理解したようであるが、それでもそんな細かいルールは知らない人も多いので、相変わらずかなりの観客が納得していないようである。
選手達が困惑している。
日本一のチームを決める大会の決勝戦。その最後の最後でこのような微妙なプレイが生まれてしまったことに、お互いすっきりしない思いができてしまった。千里はこれはこのまま勝っても、後味が悪くなるという気がした。
その時唐突に昨夜アクアとコスモスと夜通し話した時に、アクアが言っていたことばが思い起こされたのである。
『自分はスッキリとしたヒット曲が欲しい』
そうだ。スッキリしないままの状態で勝っても後味が悪い。だったらスッキリとした状態で勝てばいいんだ。
千里は場の雰囲気が騒然としていて、みんなが少し浮き足立っていることを認識する。まだ審判に罵声を浴びせている観客もいる。選手も全員気持ちが乱れそうになるのを何とか抑えようとしている。
チャンスだ!と千里は思った。
試合が再開される。
残りは5秒である。
サンドベージュは逆転する気、満々である。
何と言っても自分たちのボールだ。
サンドベージュは広川久美がセンターライン付近、他の3人はゴール近くに陣取る。レッドインパルスの選手もゴール近くに集まる。
田宮が審判からボールをもらい、大きく振りかぶる。
田宮は意外にもセンターライン付近に居る久美に向けて投げた。
つまりコートの端から端まで投げると、どうしてもコースの精度が落ちる。どちらの選手が取るかは50:50(フィフティー・フィフティ)になってしまう。それより、確実に味方にボールをつなげるように敢えて中継したのである。
それでボールを受け取った久美が「エン!」と叫んでボールを投げた時のことであった。
いつの間にか久美のそばに来ていた千里がそのパスをブロックするかのようにきれいに叩き落とした。
そして落ちたボールをそのままドリブルに変えて走る。
スリーポイントラインの手前で停止して、きれいなフォームでシュートする。
直後に試合終了のブザーが鳴った。
このブザーが鳴った時点で既に勝敗は決していた。
だから千里のシュートが入るかどうかは、この試合の結果には影響しない。
しかし千里は「スッキリ」と勝ちたかったのである。
実は久美がボールを受け取る時、千里は気配を殺して久美の背面に立っていたのである。それで気配を殺しているので久美自身は気付かず、久美の陰になっていたので、投げた田宮も気付かなかった。
しかもサンドベージュは白いユニフォーム、レッドインパルスは赤いユニフォーム。白いユニフォームの選手の後ろに隠れると目立たないのである。身長も広川久美は173cm、千里は168cmで久美の方が大きい。
千里は昔U20アジア選手権で190cm以上の長身で白いユニフォームを着た中国選手の後ろに黒いユニフォームを着た167cmの竹宮星乃が隠れていて、パスを横取りする形で日本の勝利につながるスティールを決めたことを思い出していた。
千里が放ったボールは美しい放物線を描いて、ダイレクトにゴールに飛び込んだ。
審判が3点のジェスチャーをしている。
「3ポイントフィールドゴール、レッドインパルス村山千里」
という場内アナウンスがある。
得点板が82-86となった。
これで試合終了である。
サンドベージュの応援席からため息が漏れ、レッドインパルスの応援席から物凄い歓声が聞こえてくる。
千里は追いついてこちらのコートに来た純子・江美子と笑顔で抱き合った。向こう側では、希望と日奈が抱き合っている。ベンチに居た選手も飛び出してきてハグし合う。
整列する。
「86-82でレッドインパルスの勝ち」
と主審が告げた。
お互いに相手のベンチに挨拶に行く。観客席のファンにも挨拶する。
その後、胴上げが始まる。
松山監督、黒江アシスタントコーチ、小坂代表、そして広川キャプテン、勘屋さん、三輪さん、更には千里が胴上げされ、純子、日奈も胴上げされた。
10分ほどおいて表彰式が始まった。
最初に個人成績が発表される。
「得点1位は村山千里・レッドインパルス125点、2位・夢原円・サンドベージュ75点、3位・高梁王子・ジョイフルゴールド69点」
王子のジョイフルゴールドは準々決勝で敗退していたのだが、表彰式のために呼ばれていたようで、名前を呼ばれて、ゲスト席で頭を下げていた。千里は目が合ったので手を振っておいた。王子の隣には玲央美と渚紗も座っていたが玲央美がすぐに名前を呼ばれた。
「アシスト1位は佐藤玲央美・ジョイフルゴールド32本、2位は入野朋美・レッドインパルス26本、3位・翡翠史帆・サンドベージュおよび松前乃々羽・ハイプレッシャーズ共に25本」
玲央美も立ち上がってお辞儀をしている。彼女にも手を振っておく。
「リバウンドは1位・夢原円・サンドベージュ41本、2位・堀江希優・ハイプレッシャーズ32本、3位・三輪容子・レッドインパルス28本」
ハイプレッシャーズの堀江希優が2位に食い込んだのは、何と言ってもあの快進撃のおかげで、乃々羽の貢献度が高い。
「スリーポイントは1位・村山千里・レッドインパルス39本、2位は中折渚紗・40 minutes 21本。3位は萩尾月香・ビューティーマジック15本」
このほか、ブロックショットは夢原円、スティールは広川妙子が1位であった。
なお1試合あたりの数字では、RI, SB, HPが4試合、JG, 40, BMが3試合なので
得点は 1.千里 31.25/ 2.王子23.0/ 3.円 18.75
アシスト 1.玲央美 10.67/ 2.朋美 6.5/ 3.史帆&乃々羽 6.25
リバウンド 1.円 10.25/ 2.希優 8.0/ 3.容子 7.0
3P 1.千里 9.75/ 2.渚紗 7.0/ 3.月香 5.0
となり、微妙に順位が入れ替わった。
(試合数は 4=RI SB Hi W大/ 3=BM JG 40 Rocu TS大 岐阜F/ 他は2試合以下)
各部門の1位に記念品が渡される。
千里・玲央美・円の3人が前に出て、千里が得点と3P、玲央美がアシスト、円がリバウンの1位の賞状と記念品を三屋裕子会長から受け取った。3人でお互い握手する。2位以下への賞状は後で事務局から伝達される。
続いてベスト5が発表される。
「松前乃々羽(Hi)、村山千里(RI)、渡辺純子(RI)、湧見絵津子(SB)、夢原円(SB)」
このコールに会場がどよめく。名前を呼ばれた乃々羽本人が「うっそー!?」という声を挙げた。しかし、今大会の快進撃の立役者である。成績だけから見たら選ばれて当然だ。チームメイトたちから笑顔で拍手され前に出る。
今回は決勝戦に進出した2チームは、サンドベージュは田宮寛香・竹山裕美・山岸典子、レッドインパルスは三笠恵比子・入野朋美・湊川妃菜と各々3人のポイントガードが分散して使われており、誰か1人卓越した成績を残した人は居なかったのもあったかな、と千里は思った。
純子と絵津子も驚いていたようだが、実際の2人のプレイを見れば当然であろう。数字だけでは高梁王子や佐藤玲央美の方がいいかも知れないがやはり準々決勝で敗退したチームから選ぶわけにはいかなかったであろう。
5人が前に出て、賞状とトロフィーに記念品の入った箱をもらった。お互いに笑顔で握手しあった。
そしていよいよチームの表彰である。
まず3位の、ビューティーマジックとハイプレッシャーズが表彰台に登る。バスケット協会のふたりの理事さんから全員銅メダルを掛けてもらう。そして各々のキャプテンが3位のプレートを受け取った。
続いて準優勝のサンドベージュのメンバーが表彰台に登る。Wリーグ会長でもあるバスケット協会の副会長から銀メダルを掛けてもらう。そして準優勝のプレートと賞金(200万円と書いたボード)をもらう。
最後に優勝のレッドインパルスのメンバーが表彰台に登る。バスケット協会の三屋会長の手で金メダルを掛けてもらう。その後、広川キャプテンが皇后杯の銀色のカップを受け取り、勘屋さんがJOC杯、三笠さんが日本バスケットボール協会杯、朋美が優勝のプレート、賞金(500万円と書かれたボード)を春名さんが受け取り、千里がウィニングボールを受け取った。
君が代の音楽が流れる中、日の丸、バスケ協会のマークが描かれた旗、そしてレッドインパルスのエンブレムを染め抜いた旗が、掲揚された。
大きな拍手の中、女子の部の閉会が宣言され、選手が退場する。その後は各軍入り乱れて交歓した。
「最後はやはり男の娘パワーで頑張れましたね」
などと純子が言っているので、絵津子が
「何それ〜?」
と言う。
「うん。実はうちのチームは全員男の娘なんだよ」
「それは凄いことを知ってしまった」
[*
前頁][0
目次][#
次頁]
女子バスケット選手の日々・2017オールジャパン編(12)