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(C)Eriko Kawaguchi 2016-10-22
1年とちょっと前。
2008年8月に旭川N高校はインターハイで、あと少しの所で準決勝で静岡L学園に敗れBEST4に留まった。優勝は同じ北海道代表の札幌P高校であった。
不完全燃焼の思いだった千里は今年からインターハイの優勝校・準優勝校はウィンターカップに自動出場になり、北海道はP高校とは別に予選をやってその優勝校がウィンターカップに出場できるようになったという話を聞き、心を燃えあがらせた。
道予選がU18アジア選手権と日程的に重なり、千里自身は道予選に出られなかったものの、暢子や雪子、新戦力の湧見絵津子などの活躍で旭川N高校は12年ぶりのウィンターカップ出場を決める。
そしてどちらも北海道代表ということで別の山に振り分けられた札幌P高校と旭川N高校は各々勝ち上がっていき、2008年12月28日、同じ北海道代表同士の全国大会決勝戦というドリームマッチを実現する。
そしてこの試合に延長戦までもつれる激戦をして、千里は、結果的に敗北したものの、全てを燃やし尽くした思いだった。
千里は
「私、もう今日でバスケット辞める」
などと言ったが、暢子は
「千里、1年後のウィンターカップの時に、千里がほんとにバスケを辞めていたら、千里に100万円払ってもいい」
と暢子は言った。
すると千里は
「じゃ、もしバスケやってたらN高校女子バスケ部に1000万円寄付するよ」
と言った。
高校を卒業した後、千里は大学のバスケット部にも入らず、軽くジョギングしたり、個人的に市の体育館でシュート練習する程度しかしていなかったものの、半ばなりゆきで勧誘されて、千葉ローキューツというクラブチームに入りバスケット活動に復帰する。しかし高校時代に比べれば随分少ない練習量であった。
夏にはU19世界選手権の日本代表として招集するからと言われ、選手管理担当の高田コーチ(札幌P高校コーチ)から再三連絡が入っていたのだが、その連絡を黙殺していた。
一方、札幌P高校の佐藤玲央美もウィンターカップのあの劇戦で燃え尽きた気分で、彼女も一時的にバスケから離れていた。玲央美も高田コーチから再三連絡があったものの、それを黙殺していた。
2009年12月。
この年のウィンターカップには北海道からは札幌P高校と旭川N高校が代表で出てきた。札幌P高校が今年もインターハイで優勝して、ウィンターカップに自動出場となったため、それ以外のチームで道予選を行い、旭川N高校が勝ち上がって代表となったのである。
各々の学校では、関東周辺にいるOGで、選手たちのお世話や練習相手になってくれる人を募集。千里は旭川N高校のお世話係、玲央美は札幌P高校のお世話係で出て行った。
ふたりは12月21日の早朝偶然コンビニで出会ったのだが、その後、朝6:00 一緒にいる所をまとめて2009年7月1日の朝にタイムスリップしてしまった。
そしてふたりはもうひとつの時間の流れの中で日本代表の合宿をし、タイに渡ってU19世界選手権を戦って7位の成績をあげたのである。チームとしての順位は低かったものの、玲央美がアシスト女王、千里がスリーポイント女王を取る活躍だった。
そしてその時間の流れの8月5日6:00に、再びふたりは12月21日6:00へとタイムスリップして元の時間に戻された。
あらためて振り返ってみれば、千里はこの1年、前半はU19日本代表になって世界選手権でスリーポイント女王を取るほどの活躍をし、その後、ローキューツでシェルカップに準優勝、関東クラブ選抜で優勝、千葉クラブ選手権で優勝、関東総合でBEST4、純正堂カップで優勝、と結果だけみると快進撃を遂げている。
「私ってバリバリの現役じゃん」
ということで千里は所有していた東京電力株50単元(1172.5万円)を売却して資金を作った上で、1年前の暢子との約束にもとづき、旭川N高校の口座に1000万円を振り込んだ。
旭川にいた校長から連絡を受けて驚愕した教頭が千里に尋ねる。千里はこれは1年前の暢子との約束に基づくものであることを説明。そして自分は特待生にしてもらえたおかげで、父の失業で高校進学は諦めてくれと親から言われていたのを、高校に入ることができ、更にバスケもすることができたこと、その恩返しをしたいのだということを言った。
そしてまだ呆然としていた宇田先生に千里は言った。
「宇田先生。まだ足りなかったら、私資金提供しますから、今年の冬、旭川N高校女子バスケ部は地獄の合宿しましょう」
一部悲鳴もあがる中、絵津子が楽しそうに言った。
「それ食事代も出ますよね?」
「うん。いっぱい食べてね」
「頑張って食べます!」
「食べて練習もしなくちゃ」
「食べるために練習します」
と絵津子は言った。
急遽、部長の絵津子、副部長の不二子、部長補佐のソフィア、宇田先生、南野コーチ、白石コーチ、教頭、そして千里と急遽会場内に居たのを呼び出した暢子の9人で会議を開く。
暢子は千里が1000万円払ったというのに驚いていた。
「私はその話、忘れかけていたのに」
などと言っていた。
会議の途中で教頭がV高校の教頭と何度か連絡を取った結果、V高校の施設をV高校の冬休み最終日の1月7日までなら使ってもよいという回答を得たので、この冬休みの合宿は前半を東京で行い、引き続きV高校の施設に泊まりながら1月5日のオールジャパン準々決勝まで見学して(試合見学後練習)、後半は今から旭川近郊の適当な場所を、旭川に戻った教頭と向こうにいる北田コーチとで探すという方向で決めた。
千里たちも時間の取れる子は指導係兼対戦相手としてそのまま参加することにする。
合宿は東京合宿・北海道合宿ともに希望者の参加とするが、教頭は今日でいったん帰ることにし、このあとの東京合宿には参加せずに旭川に戻る生徒に付きそうことにした。揚羽・志緒・雪子の3年生3人は受験を控えているので教頭と一緒に旭川に戻る。
それでいったんV高校に引き上げ、帰る人たちは荷物をまとめて今日の最終の飛行機で帰ることにする。東京合宿に参加するかどうかは各自、教頭や揚羽たちが出発する時刻までに保護者と連絡を取って決めてと部員たちには通達した。
それで東京体育館を出てV高校に戻ろうとしていたら、出口のところで札幌P高校の一行と遭遇する。
「優勝おめでとうございます」
「ありがとう」
と言葉を交わす。
「そちらはもう帰るの?」
と玲央美が千里に訊く。
「合宿延長。オールジャパンを5日まで見てから帰る」
と千里。
「なるほどー。じゃうちの試合を最後までは見ないのね?うちは決勝戦まで行くけど」
と玲央美。
「そちらが東京見物している間にこちらは地獄の合宿を」
そんなことを言っていたら、十勝監督が寄ってくる。
「宇田さん、そちらまだ居るなら、取り敢えず練習試合とかしません?」
「いいですね」
「いつしましょう?」
「今日、夕方からとかはどうですか?」
と宇田先生は言った。
十勝さんは驚いていたが、言った。
「ぜひやりましょう」
話を聞いた双方の部員たちが
「え〜〜!?」
と言っていた。
結局札幌P高校のメンツがN高校の宿舎に来るということになる。向こうはいったん旅館に戻ってから、札幌から駆けつけて来ていた学校関係者と一緒に祝勝会をしたようである。
その祝勝会が終わってから来たので、一行がV高校に来たのは夕方7時になった。この時点で、雪子たち3年生や、他に数人帰宅を希望した生徒は教頭と一緒に羽田に向かっている。
なお、東京合宿に参加を希望した部員については、宇田先生・南野コーチ・白石コーチ・教頭が手分けして実際に各々の保護者と電話で話をして東京合宿延長の承諾を得た。
「最初、OG対戦をやろう」
などと札幌P高校の高田コーチが提案したので、このようなメンツで対戦することになる。
N高校 PG.海原敦子(神奈川J大学) SG.村山千里(千葉C大学)白浜夏恋(東京LA大学)SF.麻野春恵(KQ鉄道)PF.若生暢子(H教育大旭川校)瀬戸睦子(旭川E大学)佐々木川南(千葉K大学)歌子薫(東京A大学)山口宏歌(AS製薬)田崎舞(東京W大学)C.花和留実子(H教育大旭川校)
P高校 PG.竹内裕紀(札幌N女子大)徳寺翔子(札幌F大学)SG.石川里夏(NF商事)SF.佐藤玲央美(JI信金)片山瑠衣(神奈川J大学)岡田琴音(赤城鐵道)PF.宮野聖子(千葉K大学)長井浩水(BC運輸)坂本加奈(レピス)
C.堀江多恵(MS銀行)河口真守(札幌F大学)
「ポジションがアンバランスだ」
「たまたま来ていたメンバーで構成しているからな」
「しかしP高校さんはさすが実業団1部・関学1部が多い」
「日本代表経験者は2人ずつか」
ここで「日本代表」は候補者まで入っている。N高校は千里と留実子、P高校は佐藤玲央美と堀江多恵である。堀江多恵は千葉ローキューツの創立者・堀江希優(初代背番号4)の妹である。
取り敢えずスターターはこうなった。
N 敦子/千里/暢子/宏歌/留実子
P 竹内/石川/佐藤/坂本/堀江
事前に高田コーチが
「君たち、後輩の前だからといって無理しないように。絶対に怪我しないこと」
と言ってから始める。
しかしやっている内にお互いに結構白熱してくる。P高校の年齢が上の選手の中には旭川N高校など弱小だろうと思っていた風の選手も結構いたようだが、接戦なので、プライドを汚される気分だったようで、坂本・長井などの関東実業団一部のメンバーはかなり頭に血が上っていた。
40分やっても疲れるだけだしということで、試合は20分で打ち切られたものの、結果は31-38で旭川N高校OGの勝ちである。
試合後キャプテンを務めた坂本さんが
「このままでは済ませない」
などと穏やかならざる言葉を吐く。
「どうすんの?ナカちゃん」
と高田コーチが笑いながら言う。
「N高校さん、1月5日まで居るの?」
「そうですよ」
と南野コーチが答える。
「じゃ1月5日に再戦。それで勝てなかったら女を辞める」
と坂本さん。
「ああ、いいんじゃない」
と十勝監督は笑いながら言う。
「こちらは望む所です」
と宇田監督も笑顔で言った。
「坂本さん、性転換手術してくれる病院のパンフレットを取り寄せてあげるね」
とN高校OGの山口宏歌が言うが
「要らない。勝つから。それ山口さんが使いなよ」
などと坂本さんは言っていた。
その後現役チーム同士の戦いをする。スターターはこのようになる。
N SF.久美子/SG.ソフィア/SF.絵津子/PF.不二子/C.紅鹿
P PG.江森月絵/SG.伊香秋子/SF.猪瀬美苑/SF.渡辺純子/C.歌枕広佳
N高校には愛実・紫・胡蝶と3人もポイントガードがいるのだが、現時点では誰もいまひとつという問題があり、この試合ではSF登録の久美子が先発した。千里がいた頃は不二子をポイントガードに起用することもあったのだが、不二子はドリブルが苦手という根本的な問題をどうしても解決することができないでいた。
江森はここ1年でP高校ではいちばん成長した子である。片山・徳寺とセンスのよいポイントガードが卒業してしまった後、一時P高校は正ポイントガードと呼ぶべき選手が不在で、昨年の新人戦では日替わりで色々な選手が司令塔を務めた。しかしインターハイ本戦になって、江森が3回戦・福井W高校戦で大会屈指のポイントガードと言われていたW高上野からスティールを決めて、それが逆転のきっかけとなったことから調子に乗り、その後の試合でも大活躍。P高校の正PGの地位を獲得するとともに大会ベスト5にも選ばれた。
試合はその江森のセンスの良いゲームメイクで序盤P高校優位に進む。ところが1ピリオド5分経過した所で“意外性”の不二子がその“成長株”の江森からスティールを決めると、それをきっかけにソフィア・久美子がスリーを連発して、あっという間に追いついてしまう。
その後も江森は何度もうまく不二子にやられてしまい、インターハイで付けた自信とプライドを揺るがせるハメになった。
実は江森は昨年のウィンターカップでも不二子にかなりやられており、不二子は彼女にとって天敵のような気分である。
P高校も伊香のスリーで対抗しようとするが、伊香のスリーはN高校は昨年以来徹底的に研究して対策を打っており、ソフィアや紅鹿、花夜や由実などの連携でほとんどブロックしたり軌道を変えたりして入れさせない。
最後は純子がシュートしようとした所を絵津子が巧みにスティールしてソフィア経由で久美子につなぎ、久美子がブザービーターとなるスリーを決めた。これがダメ押しとなって67-71で旭川N高校が4点差で勝ってしまう。
そのブザービーターのボールが床をバウンドするのを見て、絵津子にスティールされた渡辺純子が呆然としていた。