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話していると、その女子高生2人(実際には退学したらしい)は歌手志望だったらしく、ふたりとも凄く歌が上手かった。
それを見ていて春美は唐突に思いついた。
「ね、ね、2人羽織みたいにしてさ、虹子ちゃん・星子ちゃんのバックで八雲ちゃん・陽子ちゃんが代理歌唱したらどうかな?」
それは面白いと秋月さんたちも言い、やってみる。
森高千里の『ストレス』をカラオケで流しながら、虹子・星子の2人がマイクを持って楽しそうに「歌う」。そのバックで八雲と陽子が声を出して代理歌唱する。
「ね、これバンド形式でも良くない?」
と見ていたオーナーさんが言い出す。
何でも秋月さんがギター、大宅さんがベースを弾くらしい。
そこで、ふたりが伴奏して虹子・星子の「歌」、八雲と陽子の発声歌唱で演奏してみた。
「あ、いい感じ、いい感じ」
「でもギターとベースだけでもいいけど、もう少し音に彩りがあるといいなあ」
とオーナーの妹さんが言う。
「電子キーボードでも入れる?」
「誰か弾けない?」
「あ、私が弾こうか?」
と春美が言う。
「弾ける?」
「私、教育大の特設音楽課程・ピアノ専攻を出てるので」
「それは凄い!弾いて弾いて」
そこで秋月・大宅のギター・ベースに加えて春美のキーボードも入れて演奏した。
「おお、いい感じ、いい感じ」
と言ってオーナーが拍手をしてくれる。
しかし『ストレス』はバンドで演奏するには微妙だね、と言っていた時、八雲が「『See again』を演奏しませんか?」と言った。
津島瑤子の今年の大ヒット曲である。津島瑤子は数年前に『出発』という曲をヒットさせたものの、その後は鳴かず飛ばずで、一発屋とみなされていた。しかし今年のこのヒットで、一発屋を返上したのである。
「あれは結構リズミカルだね。でも声域広いよ」
「私と陽子なら歌えます」
「それは凄い」
それでキーを確認した上で、大宅・秋月と春美で『See Again』を演奏する。それに合わせて虹子・星子が「歌い」、八雲・陽子が声を出す。
「結構うまく行ったね」
「ちょっと間違ったけどね」
虹子が筆談で「この歌好き」、星子も「気持ち良かった」と書いた。
「ねね、今月下旬にうちの町で歌謡祭があってさ、ゲストにしまうららさんも来るんだよ。それに出ない?」
「ああ、そういうのに出るのも楽しいかもね」
それでこの7人で練習してそのイベントに出ようということになった。
オーナーが早速申込書を書く。
「あ、ユニット名は何にしようか?」
「うーん」とみんなで悩んでいた時に春美は唐突に思いついて言った。
「ツインチェリーズにしよう」
「どういう意味?」
「ボーカルの2人が双子だからツイン、バックコーラスが桜木八雲と桜川陽子でどちらも桜の字が入っているからチェリー」
「私たちバックコーラスだったのか!」
「メインボーカルじゃないもんね」
「確かに」
「僕たちは?」
と大宅が訊く。
「おじさん・おばさんたちは伴奏スタッフということで」
と春美は楽しそうに言った。
つい数日前まで死ぬことしか考えていなかったことをもうこの時彼女は忘れてしまっていた。
このイベントでツインチェリーズに大いに興味を持った、しまうららさんはうちの事務所からデビューしないかと誘った。
東京に出て行き、主として気良姉妹以外の5人でしまさんの事務所ζζプロのポップスを統括する観世専務と話したものの、微妙に違和感が残った。ただ、当面インディーズで活動し、反応を見てメジャーデビューを考えるという方針には同意し、それで7人は年明けくらいに契約をする方向でいくことにした。曲に関しては、数々のヒット曲を生み出している東郷誠一さんから1曲頂き、もう1曲はコンペで募集しようかという話であった。
この方針でツインチェリーズがデビューしていたら、おそらくほとんど話題にもならず消えて行っていたであろう。
ところがここで大きな事件が起きる。
八雲は12月中旬に東京に赴き、ζζプロとデビュー曲制作のスケジュールについて打ち合わせた。
世間ではあまり認識されていないのだが、実は彼女はこのユニットのマネージングリーダー的役割を果たしている。それは本来の共同リーダーである大宅と秋月は「時々牧場に来る」人であり、ふだんは山歩きばかりしていて連絡がつかず、春美は自律神経が弱くて遅刻魔、陽子は感情の起伏が大きく精神的に不安定。虹子・星子では交渉事ができない。
それで牧場に常駐していて、男性的な性格で交渉事も嫌いではない八雲が事務的な面の管理者になっていたのである。
だいたい話がまとまり北海道に戻るのだが、この時、旭川駅でドリームボーイズの蔵田孝治にナンパされてしまった。
元々が男性同性愛である蔵田は、八雲のような男装女子もかなりツボなのである。
「君、男の子?女の子?」
などと訊かれる。
婚約者の樹梨菜がついていたので「未遂」に終わったものの、蔵田は浮気をごまかすかのように、この子たちが今度歌手デビューするというから、曲を書いてあげるんだよ、などと言い出す。
それで取り敢えず牧場に来て、ツインチェリーズのパフォーマンスを見た蔵田は面白い!と言ってこのユニットを気に入り、牧場のオーナーから美味しい料理とお酒をふるまわれてご機嫌となり、東京に戻ると、助手!のケイをスタジオに呼びつけて、一緒にツインチェリーズのデビュー曲を制作した。
ただこの時、蔵田は「ツインチェリーズ」という名前がうろ覚えになっていて「チェリーツイン様」という宛名書きで楽曲データをζζプロに渡した。持って行ったのはケイで旧知の兼岩会長に渡したのだが、それを見た兼岩は
「蔵田君がチェリーツインと書いているから、君たちの名前はチェリーツインにしよう」
と言って、勝手に改名してしまった!
《ツインチェリーズ》の命名者である春美は「え〜〜!?」と言ったものの、芸能界に数年身を置いていた八雲と陽子は
「これよくあることですよ。偉い人に言われたら、その名前を使った方がいいです」
と笑いながら言っていた。
なお「ツインチェリーズ」は画数的には20画で凶だが、「チェリーツイン」は16画で吉になる。
しかし蔵田とケイの力(リキ)の入った作品のおかげで、チェリーツインはインディーズ・デビュー曲が4万枚も売れ、一躍全国に名前を知られることになる。
また彼女たちのパフォーマンスは、全国の多くの言語障碍の子供を抱える親たちを勇気付け、支援学校、作業所、支援施設などが、BGM用などの名目で購入してくれたりもした。
なお、デビュー前の段階で、蔵田としまうららの話し合いで、八雲と陽子はお面で顔を隠して気良姉妹のバックで踊るということを決めた。
これは2人が「メテオーナ」として一時的にマスコミに顔をさらしていたので、素顔を露出するとふたりの身元が結構な人に知れ渡ることになり、八雲の喫煙補導問題、陽子の姉の放火事件のことで騒がれる可能性があると考えて、2人は当面顔も名前も出さないほうがよいという配慮もあった。
ところで春美は自殺未遂前にクレカで思いっきりキャッシングしていたのだが2008年4月になって、そのクレジット会社から連絡が来た。
春美は素直に謝り、実は自殺未遂してそのあと牧場で療養させてもらっていたことを説明した上で、借金は少しずつでも返していくと言ったのだが、向こうが
「それではこの残債を返却してください」
と提示した額が妙に少ない。
「あのぉ、2007年11月に100万円キャッシングで借りた分は?」
「え?」
それでクレジット会社の人が確認してみると
「翌月きちんと決済されています」
と言う。
それで春美も慌てて確認した所、自殺未遂の直前に真枝先生の口座に振り込んだ120万円が、先生の口座が廃止されていたようで「該当口座無し」で手数料だけ引かれて戻って来ていたこと、また少し遅れてアパートの敷金の払い戻し分が入金していたことが判明する。それで翌月分は決済されていたのである。
「いえ、決済は先月分まできちんとされていたのですが、桃川様の住所が分からず、請求書が宛先不明で戻って来ていたのでカード自体は使用停止にさせて頂いていたのですよ」
とクレジット会社の人は説明する。
「従って残金はリボ払いの残高32万円なのですが」
「それなら払います!」
と言って、春美は牧場に来て以来頂いたものの実際には使い道もないためほぼまるまる貯金していたお金が40万円あったので、それで一括返済した。
クレジット会社は事情が事情であったこと、連絡が取れたら即対応してくれたこと、それに安定した収入があるようだということから、カードは無効にせずそのまま使えるようにしますと言った。
それでクレカの件は片付いたものの、結果的には亜記宏には全くお金は渡さなかったことになる。しかし精神力を回復させていた春美は、考えてみたらそもそも「亜記宏に」お金を「返す」いわれはない気がした。
この件に付いては弁護士さんに相談した所「一切金は渡さない方がいい」と弁護士さんは言った。へたに10万でも渡してしまうと、債務があることを春美が認めてしまうことになるのだという。
そもそも真枝先生は春美の未成年後見人だったので、被後見人の費用を本人の財産から支出する、あるいは本人の債務として処理するには全て裁判所の許可が必要だったはずだというのである。
これはしばしば被後見人を食い物にする悪質な後見人がいるので、それを防ぎ被後見人を守るための規定なのだという。
「裁判所にちゃんと収支報告書も出していたと思いますよ。おそらく教材費とか通学定期代とかを桃川さんが入れていた奨学金で支払っていたのではないでしょうか。そのくらいしか裁判所は認めませんから」
「そのあたり全然聞いてなかった」
「もし裁判になったら、その収支報告書を開示請求して確認できると思います」
「後見人になるというのは養子縁組はしなくても事実上、親になるということなんですよ。親が子供に『お前を育てるのにこれだけ掛かった。その分の金を返せ』とか言いますか?真枝さんは無償であなたを育ててくれたんだと思いますよ」
という弁護士の言葉に、春美は涙を流した。
それに弁護士さんは高校時代の学資の援助額で400万円というのはそもそも計算がおかしいと言った。授業料は全免になっていて、しかも奨学金をまるまる渡していたのだから、せいぜい100万円くらいにしかならないはずと試算してくれた。
しかしそもそも返済の必要性が無いものだから、向こうが何か言ってきたら、弁護士名で債務不存在の主張を内容証明で送りつけますよと言ってくれたのだが、結局亜記宏はその後、全く連絡してこなかった。
チェリーツインのインディーズデビューから1年半後。
2009年7月、日本の奄美大島付近の領域で皆既日食が見られた。これを大宅と秋月が見に行ったのだが、彼らはそこで雨宮三森・上島雷太・醍醐春海の3人と遭遇した。もっとも最初会った時大宅たちは3人の正体に気づかず、普通の親子連れだと思い込んでいた。
しかし後になって上島と雨宮のことに気づき、10月下旬に偶然醍醐春海と遭遇したことから、自分たちが書いている曲を雨宮先生に添削してもらえないかと打診した。
チェリーツインの曲はデビュー曲こそ蔵田孝治から頂いたものの、その後は蔵田が多忙でなかなか曲が書けない(実はケイが忙しかったせいである)ということで、大宅と秋月のペアが主として書いていた。しかし自分たちの曲はあまり売れないようだと、彼らは認識していたのである。
雨宮はチェリーツインのビデオを見て「面白い」と言い、その話を快諾。彼らが次のアルバム用に書いた曲を、半分はケイ、半分は醍醐にリライトさせた上で、大宅たちの曲にどういう問題があったのか、これまで何曲もヒット曲を出しているケイや醍醐がなぜこう書き直したのかを、長時間掛けて講義し、ふたりもかなり刺激を受けていたようであった。
それでケイたちが書き直してくれた曲をベースにアルバムの制作をしていた春美はふと『雪の光』という曲のことを思い出した。
制作中のスタジオの片隅で、春美はふと雨宮にその曲のことを漏らした。
「それ記憶で譜面を再現できないの?」
「あのあと私自殺未遂起こして、記憶がかなり飛んでいるんですよ。実際に記憶に頼って書いてみたこともあるのですが、もっといい曲だった気がして」
「でも死ぬ前って自分を美化しているよ。実は大したことない曲だったかもよ」
「その可能性はあるんですけどねー。あのノートがあれば」
「そのノートはどこかで無くした訳?」
「たぶん旭岳の雪の下だと思うんですよ」
ふたりがこの曲のことでことばを交わしたのはその時だけで、春美もそんな会話を雨宮と交わしたことを、ほとんど忘れていた。
2009年12月25日。チェリーツインは「アイドル・クリスマス」という東京でのイベントに参加するために上京した。
ついでにアルバム用のPVも撮影しようということにしていた。このイベントでは新しいアルバムの曲もいくつか披露し、結構な反響を得ていたようであった。
翌日、大宅・秋月・春美の3人は雨宮に呼び出された。この時点で3人は何の用事なのか聞かされていない。ただ“旅の用意”をしてこいと言われただけである。それで気良姉妹のことは八雲・陽子に頼み、3人で出てきたのである。
待合せ場所に行くとローズ+リリーのケイと、KARIONの和泉がいた。この時点で3人はケイがKARIONのメンバーでもあることは知らない。
そしてそこに雨宮が現れ、唐突に旭岳に行くよと言った。
雨宮はその場にいた和泉とケイにも一緒に来るように言い、6人で新幹線に乗った。
「北海道に行くのに飛行機じゃないんですか?」
とケイは尋ねたが
「私の弟子で霊感のある子が大間からフェリーに乗れと言ったからよ」
と雨宮は言った。
このフェリーの上で和泉はKARIONのヒット曲の中でも出来としてベスト3に入れてもいい曲『海を渡りて君の元へ』を書いた。
当時の新幹線は八戸までである。八戸で雨宮の筆頭弟子・新島鈴世と合流。彼女は冬山を歩くための装備を用意しておいてくれた。
特急つがるで野辺地まで行き、大湊線に乗って終点の大湊まで行く。ここに雨宮の弟子・毛利五郎がいてエスティマを持って来ていた。その車に乗って大間まで行く。一泊して翌朝のフェリーで車ごと函館に渡る。そして車でひたすら走って、午後、旭岳の麓に到着した。
ロープーウェイで上に登る。春美はちょっと心が痛むような気分だった。今回は全員往復切符を購入しているが、前回春美は行きの切符しか買っていない。(帰りは病人搬送ということで結果的にタダで乗せてもらっている)
しかし冬の旭岳は白一色である。
こんな一面の雪野原でノートなんか見つかるのか?とケイは思ったものの、春美が自殺未遂をしたという場所の付近を歩いていたら、何かを感じる場所があった。同じ場所に和泉も立ち止まった。
「あんたたち何か感じた?」
と雨宮が訊く。
「いや偶然、私も和泉もここに何か感じたんです」
とケイが言う。
「よし。男に掘らせよう」
と雨宮は言い、大宅・秋月・毛利の3人でそこを掘る。すると本当にその下にノートが埋もれていたのである。ノートはかろうじて読める感じであった。
このノートを発見した時、そこから何か白いガラス玉のようなものが落ちて雪の中に埋もれたことに、その場に居た誰もが気づかなかった。