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それで宏恵が進行係の人に
「お騒がせしました。演奏します」
と告げて、自分は指揮台の所に行った。龍虎がピアノの所に座る。佐和美が最前列に立つ。
それで宏恵が龍虎とアイコンタクトして龍虎が楽譜をまさに初見で弾き始める。そしてソロを取る佐和美が「銀河旅行をしてきたの」と歌い始めた。
最初30秒ほど歌った所で、全員の歌唱になる。そこまで辿りついた所で佐和美は脱力したかのように座り込んでしまう。みんなギョッとするが、大丈夫そうではあるので演奏を続ける。きっと極度の緊張の中、何とか頑張ったらそこで力尽きたのだろう。
その後、弾むような龍虎のピアノ演奏に乗せて、みんな楽しくこの曲を歌いあげた。輪唱になる部分もうまく行った。
大きな拍手をもらう。全員でお辞儀をして上手に退場した。佐和美も他の子に助けられて立ち上がり何とか自力で退場する。下手から次の学校が入ってくる。宏恵はそちらの学校の先頭に立って入ってくる、おそらくは部長さんと思われた子に、
「時間を食ってしまって、大変申し訳ありませんでした」
と声を掛けた。向こうは笑顔で
「お大事に」
と言ってくれた。
「この子、もし歌手になったら、物凄いスターになると思う」
と清子が言った時、それを聞いていたのは田所だけだった。
紅川は演奏中に部屋を出て舞台上手の方に行った。うまい具合にQS小の子たちが降りてくる所をキャッチする。
「君たち頑張ったね」
と言って拍手する。
龍虎たちは一瞬顔を見合わせたが、きっとイベントの運営の人、それもたぶんお偉いさんだろうと判断した。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
と宏恵が謝る。
「いやトラブルが起きた時にそれにどう対処するかで人の価値は決まるんだよ」
と紅川は言う。
「君は歌も上手いし、ピアノも上手かったね。普段の練習では倒れちゃった子と交替で伴奏してるの?」
と龍虎に訊く。
「あ、いえボクは臨時参加だったもんで」
と龍虎は言う。
「この子、本来ソロを歌っていた子が転校してしまったんで、助っ人で歌ってもらったんですよ」
「そうだったんだ!」
「コーラス部に入って欲しいんですけどね。本人、ピアノとヴァイオリンとバレエのレッスンで忙しいみたいで」
「色々やってるね!」
「こないだピアノの関東地区コンテストで3位になりましたし」
「凄い」
「昨日はバレエの発表会でプリマが踊る金平糖の精の踊りを踊ったんですよ」
「君、天才みたいだね」
「今もピアニストが倒れて誰も弾けないと言っていたんですが、この子初見に無茶苦茶強いから絶対行ける!と言って弾いてもらったんですよ」
「あれ初見だったの!?」
とさすがの紅川さんも驚いている。
「ね、ね、君、歌手とかになるつもりない?今年の夏にこういうコンテストをやるつもりなんだよ。もし良かったら応募してよ。あ、僕の名刺あげておくね」
と言って紅川はパンフレットと一緒に自分の名刺を龍虎に渡した。
それで紅川は「打合せがあるんで、また」と言って去って行った。
「何何?」
「第1回ロックギャルコンテスト?」
「要するにオーディションかな?」
「ちょっとこの名刺!」
「どうかした?」
「§§プロダクション代表取締役・紅川勘四郎って」
「有名な人?」
「桜野みちるとか秋風コスモスとかの事務所の社長だよ」
と言って宏恵は興奮しているが
「へー!」
と言って龍虎はよく分からない状態である。
「在籍している歌手の数こそ、そう多くないけど、売上げでは業界でもトップクラスの事務所のひとつだよ」
「ふーん」
「龍、あんたこんな大事務所の社長に目を付けられたんだから、歌手になっちゃいなよ。龍はアイドルになったら凄く売れるよ」
「アイドルか・・・」
と言って、龍虎は男の子アイドルグループ超特急の“バックボーカル”タカシ(*2)が可愛く女装して歌っているのを先日テレビで見たことを思い出していた。
ああいう可愛い格好できるならアイドルもいいかなあ、などと考えたりしたが多少?歪んだことを考えていることに気付いていない。また龍虎は“ギャル”という最近の若い世代にはほぼ死語になっている単語が女の子を意味することを知らない。
(紅川さんはギャルという単語がほぼ死語になっていることを知らない)
なお、倒れたピアニストの梨菜だが、医務室に連れて行くと5分くらいで痛みも取れて起き上がれる状態になった。何かあぶないものを食べたような記憶も無いということで、極度の緊張からきた精神的な腹痛だったのかもということになった。
(*2)超特急は「メインボーカルとバックダンサー」ではなく「メインダンサーとバックボーカル」で構成されるおそらく史上初のユニットである。この時点ではメインダンサー5人とバックボーカル2人で構成されていたが、2018年4月にバックボーカルの1人コーイチが脱退してタカシ1人だけの状態になっている。
ユーコ(ユーキ)、ユースコ(ユースケ)、タカミ(タカシ)による少女ユニット“コロン”はライブでおなじみだが、特にタカシは女装すると上級の美少女になるので、女装させられる機会も多い。
翌日12月25日。龍虎は毎年この時期に受けている入院検査を受けるために渋川市の病院に入院した。ただ今回、主治医の加藤先生は、学会に出ていて30日、入院の最終日に診てくれることになっている。龍虎はその話を秋に聞いていたので、ある問題を放置することにしていた。
長野支香と田代幸恵に付き添われて病院に行く。初日は尿と血を採られて検査部門に回される。入院中は尿は全量検査されるし、血液も日に3回採血されて検査される。初日は絶食で点滴で栄養を取る。
入院は個室にしてもらっている。尿は全検査なので尿器にしてそれを大きな瓶に入れるのだが、最初男性用の尿器を渡された。それで若い女性看護師さんに言う。
「すみません。これはボク使えないんですけど」
すると看護師さんはその尿器を見て
「あら、それ男の子用じゃん。ごめんねー。伝票が間違ってたみたい」
と言い、普通の女子用の尿器を持って来てくれた。
初日の午後に若い研修医さんが来て、
「田代君、おちんちんの長さ測らせてね」
と言う。
「恥ずかしいから自分で測っていいですか?」
「うん。いいよ。じゃこの用紙に記入して、次に看護師さんが来た時にでも渡してね」
と研修医さんは言って帰った。それで龍虎はその用紙に(測ろうともせずに)、全長56mm 体外露出32mm 外周26mm と記入した。
(本当は全長32mm 体外露出-6mm 外周16mmくらいである)
しかし念のため川南や千里たちの協力で“男性偽装”していたのを見せずに済んでホッとした。必ず自分で測定しようとするか、患者が自分でしますと言ったら任せてくれるかは、その担当医の性格次第と思っていたのだが、どうもアバウトな性格の人のようで助かった、と龍虎は思った。
2日目(木)の朝に直腸内の検査をされた。この時、結果的に偽装している男性器を見られるが、じっと見られたりはしないので誤魔化せたようである。
そして午後には全身くまなくMRIで検査された。そこまでの検査が終わった所でやっと御飯を食べられることになり、龍虎は24日の夕食以来2日ぶりに食事を取ることができた。
3日目(金)には心電図を取ったり、バリウムを入れての造影検査などもした上で内科医による検診も受けた。心電図も内科医検診も、最初男の技師・医師が居る部屋に案内されたのだが
「あれ?君女の子だよね?待って」
と言われて、少し待った上で、女の技師・医師が居る部屋に再度案内された。女性の内科医からは聴診器で心音などを確認された上で
「胸はけっこう大きくなっているね。今どのくらいある?」
と訊かれる。
「今アンダー63 トップ75でちょうどA65のブラが適合します」
「なるほど。小学6年生では大きい方だね」
「そうなんです。今Aカップつけてる子はクラスに3人しかいません」
と言うと医師は頷いている。
「生理は定期的に来てる?」
と訊かれ
「はい。ちゃんと来ています」
と答えた。
そういう訳で龍虎は心電図や内科検診は「女子」で通してしまった。
龍虎としては女性ホルモンをやめると身長の伸びが止まってしまうので、もう少し身長が伸びる所まで女性ホルモンをやめたくなかったのである。
4日目・5日目は土日なので尿と血液の検査を定時にする以外は特に大きな検査はなく、病室でのんびりと過ごしたが、日曜の午後には設備が空いているのを利用して再度MRIの全身検査を3時間掛けておこなった。
そして6日目12月30日にやっと学会から戻ってきた加藤先生の診察を受けたが、先生はMRI検査その他でどこにも腫瘍の発生の兆候が無いのを確認して満足げであった。
「これはもう完治したと言っていいでしょう」
と言うと、龍虎も支香も
「ありがとうございます。先生のお陰です」
と言った。
幼稚園の時に原因不明の痛みで病院に運ばれて以来、7年間にわたる闘病だった。もっとも“治療”を受けていたのは4年生の時までで、その後は経過観察だった。
「ちんちんも順調に大きくなっているようだね」
と先生はカルテを見て言う。
「そうですね」
ここで加藤先生は、龍虎のおちんちんを服の上から触った。
「おお。かなり成長している」
と先生は嬉しそうである。
触られた時はギクッとしたが、さすがに服の上から触っただけでは偽装はバレないであろう。
「それでもあんた立ってしてないよね?」
と幸恵が言う。
「座ってする方が好きだから」
「まあそれは好みの問題だから良いでしょう」
「それではこれ以降は年に一度入院しない簡易な検査で」
「分かりました。よろしくお願いします」
ところで龍虎が入院した初日12月25日の夕方、冬子や千里はベージュスカのライブを見に行った。
この時見に行ったのは、先日出雲に一緒に行った、冬子・政子・ゆま・千里とζζプロの青嶋さんである。青嶋は松原珠妃の最初のマネージャーで冬子とは旧知である。現在はζζプロの制作部長の肩書きを持っている。ζζプロには他に、谷崎潤子・聡子姉妹、チェリーツイン、などが所属している。
ライブに信子は女装で出ていたが、それよりも彼女が女声で歌ったのに、冬子も千里も驚いた。ボイストレーニングを受けて発声法を習得したと言っていたが、わずか1ヶ月半で女声が出るようになったというのは、元々ある程度女の子っぽい声を出してはいたのだろう。
ただ彼女はまだ女声で話すのは苦手と言い、この日は男声・女声を混ぜて話していた。しかしこんな短期間の間に女声で歌えるようになったのなら、女声で話せるようになるのも時間の問題では無いかと冬子たちは思った。彼女は
「ちょっと西の方へ旅行に行ってきたらいつの間にか女になっていた」
などと言っていた。それは実は出雲へのヒッチハイク旅行のことなのだが、多くの観客は外国に行って性転換手術を受けて来たのではと解釈したようである。
青嶋は性転換して女の子になった子をメインボーカルとするバンドが果たして売れるものか悩んでいたが、千里が
「CD出してみればいいんですよ。一般の人はその“音”で判断してくれますよ」
と言うと、
「そうかも知れないね」
と言って頷いていた。
この時、青嶋は《作曲家・鴨乃清見》からの意見で、積極的な方向に考えてくれたのだが、そのことを冬子はこの時点で知らない。
ライブを見て青嶋さんはベージュスカおよび一緒に演奏したホーン女子のことが気に入ったので、ぜひともデビューの方向で考えないかと彼女らに言い、彼女たちも驚きはしたものの、前向きに考えることにして、年明けにも詳しい打合せをする方向で同意した。
打合せが終わって駅の方に向かおうとしていたら、千里に声を掛けてくる女性があった、見ると高校時代のチームメイトで親友の若生暢子であった。
暢子は千里と少し話がしたくて東京に出てきたものの、千葉方面に行く途中で迷子になって都内付近を何周かぐるぐる回っていたと言った。
千里はそういえば今年初めに暢子が「年内に結婚するから。相手は当日発表」などと言っていたのに、その後、音沙汰が無かったことに気付いた。それで冬子たちと別れて暢子と一緒に居酒屋に行ったものの、話の内容が深刻で周囲に聞かれたくないと思った。それで結局コンビニで食糧を調達してから、一緒に近くのホテルのツインの部屋を取り、そこで明け方近くまで話した。
暢子は婚約者と破局したのだと言った。それで千里も貴司とのこの1年半のことを語り、ふたりはお互いに涙をぼろぼろ流しながら話した。その上で千里が40 minutesのことを話すと、暢子はぜひ自分もそこに参加したい。入れてくれと言った。
「入ってくれるのは歓迎だけど、うちお給料とか出ないから、生活費は別途何かで稼ぐ必要があるよ」
「そのくらい何とかするよ」
「だったら、暢子にはマジック・ジョンソンの32番の背番号を進呈しよう」
「おお!それはすばらしい!」
と言ってから暢子は言った。
「そうだ。私が仕事先と住まいを確保するまでの間、千里のアパートに泊めてくんない?」
「私も友だちと同居してるけど、それで構わなければ」
「OKOK。ついでに最初のお給料が出るまでの生活費を貸してくんない?」
「じゃ出世払いで」
そういう訳で暢子は年明けにも札幌のアパートを引き払って、東京に出てくることになったのである。
これが12月25日の夜(12月26日早朝)であった。