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「凄く楽しかった。ボクたち会う度にバスケやらない?」
「そうだね。映画見たり遊園地行ったりするより、私はその方が楽しい」
それで夕食も一緒にとり、交替でシャワーを浴びてから休む。
ちなみに千里はベッドに寝て、貴司は床に敷いたクッションの上で寝る。
「今すぐ阿倍子さんに別れの手紙を書いて、私に再度プロポーズしてくれたら一緒に寝られるよ」
「ごめん。その件は申し訳無い」
「私、ここしばらく忙しくて、千里(せんり)のマンションの方に行ってなかった。明日貴司を送って一緒に大阪に行って少し掃除してこようかなあ」
「あ、それは要らない」
と貴司が焦ったように言うので千里は疑問を感じた。
「ねぇ、まさか、私に見られたくないものでも置いているとか?」
「見られたくないものって?」
「阿倍子さんのヌード写真とか?」
「え、えっと・・・」
千里はその貴司の反応でピーンと来た。
「もしかして阿倍子さんと同棲はじめたの?」
「ごめん」
と言って貴司は土下座した。
そして説明した。
「彼女が住んでいた家の権利を巡って揉めているらしいんだよ。それで3月31日までに退去するよう要求されていたんで、取り敢えず僕のマンションに住まわせてくれというので泊めている。でも同棲はしていない」
「阿倍子さんが住んでいるのなら同棲じゃん」
と千里は厳しい顔で言う。
「でも僕はずっとここに泊まっている」
「へ!?」
「彼女がマンションに来て以来、ずっと僕はこちらで暮らしていて、向こうには週に1〜2度、郵便物のチェックのため会社の昼休みに行っているだけ。面倒だからクレジットの明細とかは全部会社に送ってもらうように変更手続きをした」
「それで郵便物のチェックのついでに彼女の身体もチェックする訳?」
「そんなことしないよ。誓って言う。そもそも僕は彼女とは1度もセックスしていない。キスもしていない」
「でも彼女を妊娠させたんでしょ?」
「あれはなぜ妊娠したのか謎なんだよ」
「それって、本当に貴司の子供だったの?」
「彼女は絶対に他の男性とはしていないと言う」
「でも貴司とはしたんでしょ?」
「性器を接触させたことは認める。でも中には入れてない。いや先端くらいは少し入ったかも知れないけど」
千里は腕を組んだ。
「それでも貴司は彼女と結婚するつもりなの?」
「いや、その件はその・・・」
と、この問題については、どうも貴司は歯切れが悪い。
「貴司、怒らないから正直に答えて。私のこと嫌い?」
「千里のことは好きだ」
「阿倍子さんのことも好きなの?」
「ごめん。その質問の答えは保留させて欲しい」
ふーん。。。答えないということは好きなのか。まあ好きでも無い女と付き合っているような詐欺野郎なら、貴司に幻滅するけどね。
「ねぇ。前にも言ったけど、彼女に払う慰謝料のあてがないなら、私が出す。1000万でも2000万でも、彼女が欲しいというだけ出してあげる。そして貴司が私と結婚してくれるのなら、私は貴司には慰謝料を請求しない。だからそろそろこの問題をハッキリさせてくれない?」
貴司は30秒くらい考えてから口を開いた。
「こんなこと言ったら殺されるかも知れないけど」
と貴司が言うと
「今すぐ殺してあげてもいいけど」
と千里は言う。《こうちゃん》が拳銃を千里に渡そうとするので、取り敢えず押しとどめておく。
「千里、高校の時言ったよね」
「ん?」
「自分が京平を産んであげられないから、僕が誰か他の女性と結婚して、男の子が生まれたら、その子に『京平』という名前をつけてほしい。それは誰が産んだとしても、千里と僕のこどもだって」
千里は腕を組む。
「様々な偶然とか巡り合わせで、僕は阿倍子と婚約してしまった。ここ数ヶ月その問題で悩んでいる内に、もしかしたらそれって、京平を作るためなんじゃないかという気がしてきたんだよ」
千里は腕を組んだまま目を瞑って、斜め上を向いた。
「だから千里には本当に申し訳無いんだけど、僕は阿倍子と結婚して子供を作りたいと思っている。京平をこの世に連れてくるために」
千里はかなり考えた。そして言った。
「ふーん。話は分かったけど、それを口実に阿倍子さんとセックスしまくるつもりなんだ?赤ちゃんができるまで」
「いや。彼女とはセックスしない」
「なんで?」
「彼女とセックスすることに罪悪感を感じる」
「なぜ?」
「ごめん。今それをハッキリ僕に言わせないで」
千里はちょっと嬉しい気分になった。
「だから人工授精するつもり」
「へー!」
「でも人工授精を病院でしてもらうためには法的に夫婦でないといけない。だから便宜的に彼女と婚姻させてほしい」
実際には貴司はこの時点で多分体外受精が必要だろうと思っていた。
千里は3分くらい考えた。そして言った。
「その話はおかしい。正式な医療としては認められていないけど、代理母を斡旋しているところはあるよ。法的に夫婦でなくても人工授精をやってくれるところはあるはず」
「それも考えたんだけど、やはり彼女と婚約してしまったことが、この方向に進めと運命から言われているような気がしてさ」
と貴司は言う。
千里は彼が言うとても微妙なニュアンスを一瞬理解してしまった。たぶん合理主義者には分からないニュアンスだ。
「その件は少し考えさせて欲しい」
と千里は言った。
「うん」
千里は昨年6月に季里子と破談して沈んでいた桃香と話していた時「子供産むためだけに結婚しないといけないの?種だけもらったらいいじゃん」と言ったことを思い出していた。
結婚と生殖を別のことと考えてしまう自分はもしかしたら非常識なのかも知れない。季里子のお父さんとか、貴司とかの考え方の方が常識的なのかも知れない。千里は悩んだ。
「でもひとつだけ宣言しておくけど」
と千里は自分を振るい立たせるようにしてから言った。
「うん?」
「何があろうと、私は貴司の妻だから」
そして、千里は左手の薬指に輝くプラチナの指輪を貴司に見せた。
装着が素早い!と貴司は思った。さっきまではそんなものつけていなかったはずだ。
「その指輪が・・・うちの祖母ちゃんが千里に贈った指輪?」
「うん。貴司の嫁の証としてね」
貴司は言った。
「その指輪はつけていて構わない。そして以前僕が贈ったアクアマリンの指輪もつけていて構わない」
「うん。そのつもり」
「プラスチーナの指輪もつけてていいけど」
「ああ。あれは日常の家事をする時に便利」
「それは言えるよね」
「貴司もプラスチーナの指輪、つけないの?」
「実はこないだから移動する時とかにつけてる。バスケ練習の時は外すけど」
「ふーん」
プラスチックの指輪ではあっても貴司がそれをつけるというのは、自分の夫であることを貴司が意識してくれているということだ。千里は嬉しくなったが、それが表情に表れないように頑張った。
「千里、僕が去年贈ったダイヤのエンゲージリングもつけていいんだけど。母ちゃんが預かっているみたいだけど、千里の所に持って来てくれるよう言うからさ」
「それは貴司が私に再度プロポーズして自分で私の指につけてくれるまでお断り」
「分かった」
そこまで話が進んだ所で貴司は部屋の机の引き出しから、フェイク・ベルベットの袋を取り出した。
「これ渡すタイミングを悩んでいたんだけど」
「何?」
「僕たちの携帯に取り付けている指輪を新しいのに交換しない?」
「あぁ」
「今つけているのは、お互い入ることは入るけど、少しきついじゃん。だからこれ昨年作った結婚指輪のサイズに合わせて新たに作った。同じ酸化発色ステンレスなんだけど」
「その提案は受け入れる。もらう」
「うん」
それで千里は貴司から金色のステンレスの指輪を受け取った(*5)。その場で今携帯につけているものと交換する。
「今つけていたのはどうする?」
「各自保管しておくということで」
「OK。そうしよう」
「このジュエリー袋あげようか?」
「もらう」
「僕たちが結婚できなくても、この携帯のリングは毎年サイズをチェックして交換が必要なら交換していくことにしない?」
「その前半については受け入れられないけど、後半の提案は検討してもいい」
「うん」
(*5)指輪の材質
千里と貴司の携帯リング:真鍮→酸化発色ステンレス(金色)
(真鍮のリングは保志絵・理歌・美姫がアクセサリーショップで買った1000円の品)
千里と貴司の結婚指輪(Tiffany):18金
アクアマリンの指輪:プラチナ
ダイヤの指輪(Tiffany):18金 (1.2ct)
淑子が贈った指輪:プラチナ
貴司はこの他にアクアマリンのイヤリングとネックレスも千里に贈っている。
千里と信次の結婚指輪:ジルコニウム
ダイヤの指輪:ジルコニウム (0.5ct)
信次が優子に贈ったダイヤの指輪:プラチナ (0.5ct)
信次は優子と千里に優劣を付けたくなかったので、優子に贈ったのと同じサイズの石を載せた指輪を千里に贈ったのである。結婚指輪は優子が「結婚する訳ではないから要らない」と言ったので作らなかった。
桃香と優子の携帯リング:100円ショップで買った怪しげな金属
桃香と季里子の指輪:プラチナ
ルビーの指輪:プラチナ
桃香と千里の指輪:プラチナ
ダイヤの指輪:プラチナ (0.7ct)
貴司と阿倍子の指輪:チタン(金色)
ダイヤの指輪:チタン(金色) (0.3ct)
美映は物事にこだわらない性格なので結婚指輪を作らなかった。婚約指輪も要求していない。一緒に記念写真を撮ってフレンチのコースを食べただけである。
千里は、少し気分転換しようよと言い、ふたりで一緒にコンビニに行っておやつとヱビスビールを買ってきた。コンビニに行く時、千里は今受け取ったステンレスの指輪を左手薬指につけた。貴司はつけなかったが、取り敢えずいいことにした。
ヱビスビールを開ける。
「じゃ、貴司が日本代表として活躍できるよう祈って乾杯」
と千里が言って、ビール缶を合わせた。ぐいっと飲む。
「美味しい!」
「ほんと美味しいよね。あまり自分では買わないけど」
「そうだね。私も貴司には買ってくるけど自分ではあまり飲まないや」
ちなみに貴司は500ml, 千里は350mlのを飲んでいる。
そして結局、結婚問題は棚上げして、ふたりは2時間くらいバスケの話題で盛り上がった。そしてけっこう楽しい気分になった所で
「おやすみ」
「おやすみ」
と言い合ってキスしてから寝た。
むろん千里はベッド、貴司はクッションの上である!
翌朝は一緒に朝御飯を食べたあと
「今日は私が貴司を会社まで送って行くよ」
と言い、貴司をGladius 400のタンデムシートに乗せ、会社のビルの前まで送り届けた。下道を通ったが(*6)、2時間半で到着。始業1時間前なので余裕の出勤となった。行程中、貴司が千里に抱きついた状態で心臓がドキドキしているのを感じられて千里は快感だった。
会社のビル前でおろしてもらい、キスをした後、手を振って去って行く千里のバイクが目で捉えられなくなった頃、貴司は女のような身体に戻った。
ため息をつく。
《こうちゃん》は千里に“悪だくみ”がバレないように、しかし貴司には苦しみを与えるように、万が一にも貴司が更に他の女と浮気しないように、そしてギリギリ貴司の「仮面男子生活」が破綻しないようにかなり綱渡りの運用をしていたが、彼の計画に巻き込まれてしまっている《とうちゃん》も《びゃくちゃん》も少し呆れていた。
一方千里は途中のマクドナルドで小休憩してトイレに行き、朝マックを食べてから、またバイクで市川まで戻った。帰りは1人なので高速に乗った。
眷属に託してもいい所をわざわざ2時間、自分でバイクを走らせたのは、昨夜貴司が言っていたことを自分なりに考えてみたかったからである。しかし結論は出なかった。なお千里は今朝からずっと貴司から昨夜もらったステンレスの指輪を自分の指につけ、代わりに淑子から贈られたプラチナの指輪を携帯につけておいた。
市川ラボの車庫に戻ってから、ため息をついてエンジンを停め、キーを抜くと、スペインに行っている《すーちゃん》と位置交換してもらった。時刻はスペイン時間で午前3時である。千里はシャワーを浴びるとベッドに潜り込んだ。
(*6)千里は自動二輪免許を取ってからまだ1年7ヶ月しか経っていないので、高速2人乗りができない。高速道路での2人乗りは、2輪免許を取って3年経過している必要がある。
千里は高速に乗ろうとしたが貴司に指摘され、素直に下道を走った。実際にはまだ時間が早いので混んでいなかったし、大阪市内でやや交通量が多い箇所も、バイクは渋滞とは無関係なのでスイスイ進んだ。