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■娘たち・各々の出発(10)

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7日の夕方、千里は朱音からメールが入っているのに気づき電話した。
 
「千里、姿を見ないから今期の履修票出したかと心配になって」
と朱音は言う。
「ありがとう。実は華原先生に頼んで出してもらったんだよ」
「ああ、そうだったんだ!」
「こちら実は1日から11日まで都内某所で缶詰になっていて」
「へー。なんか公用と聞いたから」
「うん。今年の前期は多分、ほとんど講義に出席できないと思う。大量にレポート書くことになりそう」
 
「ああ。じゃ授業のノートとかそちらに送ろうか?」
「助かる。アパートに放り込んでくれると助かる。コピー代は次会った時に渡すよ」
 
「OKOK。でも何の用事でそんなに缶詰になってるの?」
「バスケの合宿なんだよね〜」
「ああ。やはりバスケだったんだ」
「今年はロシアとかリトアニアとかインドにも行ってくることになるし」
「何だか凄いね!」
 
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と言ってから朱音は探るように訊いた。
 
「ね、千里が入っているのって男子バスケ部?女子バスケ部?」
 
すると千里は笑って答えた。
 
「私はC大の男子バスケ部には入ってないよ」
「じゃ女子バスケ部?」
「私が女子バスケ部に入れる訳ないじゃん」
 
「うーん・・・」
「じゃ、練習に戻らないといけないから、またねー」
と言って千里は電話を切った。
 

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4月10日。美幌町の牧場。
 
「わぁ。大きなピアノ!」
と、しずかが歓声を上げた。
 
「ママが弾いてないときは、しずかが弾いてもいいよ」
と桃川は微笑んで言う。
 
「その大量の段ボールに入っているのは何?」
と八雲が尋ねる。
 
「CDとかLPとかDVDとか。レーザーディスクもあるみたいだけどこれは東京に持って行って、★★レコードの技術部の人に頼んで変換してもらうよ。でもこの箱の中身を本棚に並べるのに1年掛かりそう」
と桃川は言う。
 
「楽器ケースが色々あるね」
「うん。ヴァイオリン、フルート、ギター、エレキギター、ベース、ドラムス、クラリネット、トランペット、トロンボーン、サックス。他にもあったかな」
 
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「音楽の先生ができる」
「うちのお母さん、音楽の先生だったから」
「そうだったんだ!」
「亡くなって以来、トランクルームに預けてあったのを持って来たんだよ」
 
「ここの部屋は完全にハルちゃんに占領されたな」
と大宅が楽しそうに言った。
 
弓恵の遺産はずっと札幌市内のトランクルームに預けてあったのを、桃川がオーナーの許可を取り、ここ10年近く使われていなかった旧宿舎を大掃除して引き取ってきたのである。掃除は素人には手に負えなかったので、業者に依頼した。カビの生えた壁板や床板などは張り替えたりもしている。これはカビが楽器に飛ばないようにするためである。掃除というよりリフォームに近い改造で、特にピアノを置いたラウンジや幾つかの小部屋は防音工事をして新しい空調も入れている。費用は全部で700万円ほど掛かり、むろん全額桃川が出しているが、そのようなことをしていたので、実は引き取るまで時間が掛かったのである。
 
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「このグランドピアノとか、ドラムスとか、空いてる時は貸して下さい。私も練習したい」
と陽子が言うので
 
「うん。みんな好きに使って。ただ、持ち出す時はノート用意するから、それに書いてね」
と桃川は笑顔で言った。
 
「チェリーツインの曲に生ドラムス入れてもいいかも知れないなあ」
と秋月が言う。
 
これまではドラムスパートはMIDIで流したり、ライブの時はキーボードのリズム機能を使用していた。
 
「ドラムスって誰が打てるんだっけ?」
「みんな練習してみよう」
 

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千里たちの合宿は11日に終わったが、最終日の最後にベテラン対ヤングの試合を行った。ベテラン組は前回と同じメンツだが、ヤング組は王子が抜けて月野英美が入っている。
 
試合は今回もまた大敗したらやばいという危機感を持ったベテラン組が必死になって頑張ったので、かなりの接戦になった。
 
千里も亜津子も川越美夏を圧倒したが、三木エレンには老獪さでやられてしまう。「あんたたちもまだ私の敵ではないね」とエレンはわざと千里や亜津子を燃え上がらせることばを放っていた。自分のライバルを強くして、更に自分自身を鍛えようということなのだろう。
 
佐藤玲央美や寺中月稀などの若手実力派がベテランのフォワード陣を翻弄し、ベテラン組の表情がどんどん険しくなっていった。
 
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試合は最終的に同点の場面から亜津子のスリーがブザービーターで飛び込み、82-85でヤング組が勝った。
 
「では次はゴールデンウィークに。各自それまでにまた鍛え直してくること」
と夜明コーチは楽しそうに言った。
 

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4月11日(日)。花野子はお店に入ってきた京子に手を挙げて自分の位置を報せた。
 
京子が花野子の向かいに座る。
 
「久しぶり〜。どうかしたの?」
「うん。まあ好きなの頼んで。おごるから」
「なんか怖いな」
「心臓売ってくれなんて話じゃないから安心して」
「心臓売ったら死んじゃうじゃん!腎臓ならまだ分かるけど」
 
「人間の身体って全部売ると2000万くらいになるらしいね。捨てる所はほぼ無いらしいよ。借金返せなくなった人が東南アジアとか中国とかに連れていかれて解体して売りさばかれるんだって」
 
「恐ろしい話だ」
 
それで京子はフルーツパフェを注文する。
 
「まあそれで単刀直入に言うと、真乃が辞めちゃってさあ」
「もしかしてゴールデンセブンとかの?」
「ゴールデンシックスね」
「ああ。シックスだったか!」
 
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「それで新しいCDを制作するつもりだったのに、どうにも演奏の頭数が足りないんだよ。多重録音で乗り切る手はあるけど、多重録音するにはそれだけ余分に長時間スタジオ借りないといけないから、お金が掛かるんだよね。私たち、ほぼ予算とか無いから」
 
「ああ。それで演奏者が必要なのか」
「京子、ピアノとかドラムスとかトランペットとかできるよね?」
「ピアノはあまりうまくないよ」
 
「じゃトランペットとかフルートとか吹いてくれない?真乃が担当していたピアノは私が弾くから」
 
「さりげなくフルートと言われた気がする」
「フルートは1本千里から巻き上げたから、それでよければ無償提供するから」
 
「ああ。楽器貸してくれるなら少し練習してもいいよ」
「トランペット吹けるんならフルートは吹けるはずと麻里愛が言ってた」
「うーん。麻里愛なら何でも吹ける気がする」
「でも麻里愛はギターが弾けない」
「それも不思議なんだが」
 
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4月12日(月)。千里はこの日朝からC大医学部にひとりで行き、今年の健康診断を受けた。
 
昨年は男子と女子の「隙間」を巧みに使って、できるだけ怪しまれないようにしたのだが、それでも女子の時間帯に香奈に目撃されてしまっている。今年はひとりだけなので、気楽である。
 
実際に医学部の指定された棟に行くと、入口の所に「平成22年度健康診断(特)女子9:00-10:00, 男子10:00-12:00」と書かれている。恐らく急用や急病で受けられなかった人が今日受けるんだろうなと思った。
 
実際、受付の所に行くと受診票(兼問診票)が数枚置いてあり
「2年数理物理学科の村山千里です」
と言うと、その中から1枚取って渡してくれた。
 
まずはトイレ(むろん女子トイレ)に行き採尿してから、採血に行く。その後、レントゲンに行く。待っている間に問診票に記入する。既に《村山千里・女・H3.3.3生 Rh+AB》と印刷されているので、その後の病歴等についてだけ書いていく。
 
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レントゲンの所では千里の前に2人並んでいて、千里が椅子に座った後も女子学生が3人来たので、結構今日受ける人いるんだな、などと思っていた。やがて自分の番になるので、中に入り服を脱ぐ。ワイヤーの入っているブラをしていると言うと、それも外して下さいと言われ、上半身完全に裸になって撮影機の所に立った。
 
レントゲンが終わると心電図の所にまた並ぶ。ここで問診票の後半を記入する。質問の最後に「妊娠したことがありますか?」「現在妊娠していますか?あるいは妊娠の可能性がありますか?」はいづれも「いいえ」を選ぶ。
 
この質問はよく見られる「女性の方へ」という注意書きが付いていないので、おそらくこれは女性用の問診票フォームなのだろう。男性用のフォームにはそもそもこれは印刷されていないのだろうと千里は思った。
 
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視力・聴力・身長・体重を計り、最後に内科医の診察を受ける。
 
昨年は訊かれなかったのだが、今年の内科健診の先生は
 
「スポーツなさってますか?」
と訊いた。
 
「はい。バスケットしています」
と答える。
 
「ああ。それでかな。心臓が大きいので」
「スポーツ心臓だねと言われたことあります」
「うん。それそれ。スポーツしているのなら問題無いです」
 
それで今年は解放された。去年のドキドキしたのに比べると楽勝である。
 

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桃香は本来なら4月7日に健康診断を受けなければならなかったのだが、寝坊してしまった。それで学生課で相談したら「4月12日が予備日になっていますから、そこで受けて下さい。書類を回しておきます」と言われた。
 
「すみませーん」
「男子は10時から12時までですので、今度は遅れないようにしてください」
「えっと、私、女ですが」
 
学生課の窓口の若い女性は改めて桃香を見、額に手を当てた。
 
「えっと、性転換なさったんですか?」
 
「いえ、最初から女です。学籍簿も女になってるはずですが」
 
それで窓口の女性は再度モニターを見ている。
 
「ああ。ちゃんと女性になってますね。実際、他の女性と更衣室などで一緒になっても問題無いお身体ですか?」
「問題無いですよー」
 
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「だったら性転換者でも問題無いかな。では女子は9時から10時までですので、どんなに遅くても9:20くらいまでには来て下さい」
「分かりました!」
 
結局性転換者と誤解されたままなのはもう気にしないことにした。
 

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それで桃香は12日はちゃんと遅刻しないようにしなければ・・・と思っていたのだが、完璧に寝過ごした! 慌ててバスに飛び乗り、医学部に行く。バスを降りてからダッシュするが、受付の所にたどり着いたのはもう9:40である。それで
「2年数理物理学科の高園です」
と言ったのだが、受付の人は受診票を探しているものの、見つからない。
 
「受診票が無いようですが、本当に今日来るように言われました?」
「はい。今日の9時から10時までだからと」
 
「え?あなた男性ですよね?」
「女ですー」
 
「女子学生の受付はもう終わっているのですが」
「そこを何とか」
 
それで受付の人は何か電話している。
 
「じゃ受診して下さい。最初に心電図に・・・あっと、あなた走ってきました?」
「はい」
「じゃ、内科健診行って、レントゲン行って、その後心電図行って下さい。そのあとで、視力・聴力、採血・採尿に進んでもらいますが、このあたりはもう男子学生と一緒になってしまいますが、構いませんか?」
 
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「裸になって視力検査する訳ではないから大丈夫です」
「では2階の内科に行ってください」
「分かりました」
「あ。走らないで。走って行くと、正しく診察できないので」
「はい!」
 
それで桃香は歩いて医学部の診察棟に入ったのだが、そこでバッタリと千里に遭遇する。
 
「あれ?桃香、どうしたの?」
「7日に寝坊してしまって今日別途健診になっちゃったんだよ」
「ああ。そういえば去年もそんなことしてたね」
「面目ない。千里は?」
「うん。今年は用事があって7日休んだんだよね。それで今日別途になった」
「なるほど」
「でももう終わった所。桃香はこれから?」
「うん。内科に行ってくれと言われた」
「内科、私今行ってきた。そこ階段上がって、右手だから」
「ありがとう」
「じゃ、またね」
「うん。また」
 
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それで千里と入れ替わるようにして桃香は建物の中に入り、階段を歩いて昇ったのだが、ふと疑問を感じた。
 
あれ〜。もう男子の早い子は終わったんだっけ?
 
しかしこないだ学生課で、男子は10時からと言われた気がする。今まだ9:45で、男子の健診は始まってないはずである。だったら千里は女子の健診時間に受診したとか?
 
とまで考えてから、まさかね〜と思い、この件はその後きれいさっぱり忘れてしまった。桃香は細かいことは気にしない性格なのである。
 

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娘たち・各々の出発(10)

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