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(C)Eriko Kawaguchi 2016-11-25
「そうそう。そこ押さえておいて」
男がビニールの端を押さえている間に、農家の人は巧みにビニールを骨組みの上に広げていった。
「あんた、農作業とかは初めて?」
と近くに立っている農家の妻が訊く。
「はい。札幌で会社勤めしていた期間が長かったので。中学高校時代はサッカーしてたのですが」
「だったら基礎的な体力はあるのかな」
「ええ。体力はある方だと思います。腕力は無いですけど」
「そうだね。あんた女並みに細い腕してるね」
と言って農家の妻は男の腕に触っている。
「あんた肌も白いしね」
「日焼けしない体質なんですよ」
「最近よくある女の子になりたい男の子とかじゃないよね?」
「僕の年齢だともう女の子にはなれないですね」
「ああ、もう立派なおばちゃんかもね」
と言って農家の妻は笑っていた。
それで男は農家の人と一緒にビニールハウスのビニール張りをしていたのだが、突然強い風が吹いてくると、彼の押さえていた所が外れてしまう。
「わっ」
「ちょっとぉ、もう少ししっかり押さえておいてよ!」
「済みません!」
急いで外れてしまった所を追いかけていき、枠組みの所まで引っ張ってくる。彼の所が飛ばされてしまったので、隣で押さえている人の所もそれに煽られて外れてしまい、そちらでも修復をしていた。
「うん。今度はしっかり押さえててね」
それで彼らが押さえている間に、農家の妻がビニールを枠組みに留めていく。
この作業をずっとやっていたのだが、30分ほどした時、また強い風が吹いてきた時に、また彼の押さえていた所が外れてしまう。
「おい、しっかりしろよ!」
「すみません」
それで午前中ずっと作業していて、男は5回も風に抵抗できず、ビニールを飛ばされてしまった。
「あんた、ちょっと非力すぎるなあ」
「すみません。頑張ります」
「頑張るのはいいけど、あんたの所が外れる度に、他の人も影響受けるからさあ。もしかして力仕事とかしたことない?」
「そうですね。今までデスクワークばかりだったので」
「これあんたには無理かもね」
ということで男は結局、この日の午前中だけで首になってしまった。
「女かい?」
ワゴン車に乗り込んできた作業服姿の彼女を見て運転席に座っていた50歳くらいのヒゲの男性が不快そうな声をあげた。
「女でも男並みに働きますから」
と彼女は答えた。
「ふーん。足手まといにならないようにしてくれよ」
とヒゲの男性は言うと車をスタートさせた。
現場は、新しい家を建てるのに、今まで建っていた家を崩す作業をしている所である。その日は家の壁や柱などを崩しては、一輪車でトラックのある所まで運んでいく。家が路地の奥にあってすぐそばまでトラックを寄せられないので、人手で運ぶ必要があるのである。
現場を指揮している工務店の人は最初彼女にはできるだけ軽い廃材を乗せてあげていたものの、彼女が結構しっかり運ぶのを見て、少し重たい柱の破片なども乗せてみる。すると彼女はそれも普通に運び、トラックに乗せた。
「あんた結構頑張るな。こういう仕事したことあった?」
「いえ。初めてです。でもうち農家だっから、小さい頃から農作業していたし、それで鍛えられたんだと思います」
「おお、それは頼もしい」
と現場の指揮者は微笑んで言った。
「ところで、あんた本当に女だっけ?」
と派遣組リーダーのヒゲの男性が彼女に訊いた。
「どうでしょう?あまり意識したことないですけど、夫は居ましたよ」
と女は答える。
「へー。女にしては凄い力あるし、もしかして女になりたい男とかじゃないかとか確かめてみたくなった」
「確認してもいいですけど、確認して女だったら、結婚してもらいますよ」
「うーん。。。そんな話になったら女房に多額の慰謝料払わないといけないからやめとくか」
2010年3月16日、千里が旭川N高校を訪問した日、もう帰ろうとしていた時に知らない電話番号からの着信がある。
「はい」
「こんにちは。村山千里さんですか?私(わたくし)、田原幸次郎と申しますが」
「レッドインパルスのヘッドコーチの?」
と言って千里はびっくりする。
レッドインパルスとは高校時代に1.5軍という感じのメンバーと手合わせさせてもらったが、その時に田原さんから「うちに入る気無い?」などと、勧誘(?)されたことがある。
「うん。以前レッドインパルスのヘッドコーチしていたんだけど、今は日本代表A代表のヘッドコーチなんだよ」
「済みません!フォローしてませんでした!」
正直A代表など、自分とは無縁の雲の上の世界と思っていたので、あまり人事にも注意していなかったのである。
「実は今年9-10月の世界選手権に向けて日本代表の活動を開始するんだけど、その代表候補に村山君も入ってもらえないかと思ってね」
「え〜〜!?私がですか?」
そう言えば、さっき理事長・宇田先生と一緒にお昼を食べた時に、宇田先生が「村山君はフル代表に呼ばれる可能性もある」と言っていたことを思い出した。が、本当にそんな話が来るとは思いも寄らなかった。
「でも私、U20の方に呼ばれるかと思っていたのですが」
「うん。だから両者の兼任ということになると思う。大学の授業にあまり出られなくなってしまうかも知れないけど」
「いえ、そちらは何とかなるとは思うのですが」
「昨年U19代表になっていた時、C大学と書いてあったなと思ってそちらに照会したら、村山さんはうちには入ってないんですよと言ってローキューツというクラブチームの名前を教えてもらったんだけど、そのチームの事務局とかの連絡先がつかめなくて、それでレッドインパルス事務局の川西(靖子)君が確か同じ高校だったなと思って、彼女に電話番号を聞いて直接連絡してみたのですが」
「すみませーん!うちは事務局も何もなくて、選手同士が電話やメールで連絡しあってやってるチームなので」
「だけどこないだの関東クラブ選手権で準優勝したらしいね」
「はい。それで今週末の全日本クラブ選手権に出場することになりました。結成以来初めての全国大会なんですよ」
「じゃ新しいチームなんだ?」
「3年目で、4月から4年目に入りますけど、以前は試合当日5人揃わずに不戦敗というのばかりで、実質今年度がまともに大会に参加できるようになった最初みたいなもので」
「へー。実質初年度で全国大会に行くのは凄いね。いやメンバー見たら森下誠美とか母賀ローザとか入っているし」
「母賀ローザは昨年度で辞めて、今年度は実業団の関東2部のチームで活動したんですよ。U19で一緒だった佐藤玲央美などと同じチームです。1月に入れ替え戦で勝って4月からは関東1部ですが」
「ああ。佐藤君のチームか!その佐藤君も一緒に呼ぶから。彼女の場合はチームに連絡が取れたから、チーム側から連絡がいったはず」
「なるほど!」
日本代表は4月1-11日に第一次合宿をするので、よろしくという話であった。
千里は旭川N高校を出ると、その足で市内の司法書士さんの事務所を訪れた。先日から依頼していた株式会社設立の件での打ち合わせである。
千里の個人会社に関しては、昨年の内から新島さんに設立を勧められていた。津島瑤子『恋遊び』が物凄いヒットになったことから、その印税と著作権使用料も物凄いことになり、結果的に千里は2009年度は物凄い税金を払うことになってしまった(実は年末にN高校に1000万円寄付したので少しだけ税金が減った)。そのことで悩んでいたら、会社にすると税金が随分安くて済むということを教えられたのである。
それで千里は1月に北海道に来た時に、税務申告の処理でお世話になっている旭川市内の伊川税理士を尋ね、彼女からこの赤坂司法書士を紹介してもらって会社設立の準備を始めた。
千里は今住所は千葉市内ではあるものの、関係者の多くが旭川・留萌・札幌に居るため、旭川で作業を進めてもらった方が楽だったのである。赤坂さんは千里の実質的な代理人を務めてくれた美輪子と連絡を取りながら、定款作成から認証の作業、銀行との交渉などまで代行してくれた。取扱銀行に関しては千里の印税関係の振込先になっている###銀行札幌支店が引き受けてくれた。
「まああの振り込まれている額を見たら銀行も喜んで引き受けてくれますよ」
と赤坂さんは言っていた。
正直、会社の登記場所をどこにするかについては結構悩んだのだが、高校2年の時以来税務申告を伊川さんにしてもらっていたこと、そして印税の振込を札幌の銀行で受け取っていたことから「実績のある」北海道で設立した方が良いという判断になった。
つまり千里は今年から会社の法人税は北海道で納税し、会社から受け取る個人の報酬については千葉で納税するということになる。会社の登記上の所在地は美輪子のアパートである。美輪子には常務になってもらうことになっている。もうひとりの取締役は名前だけ借りて母である。
1月中に定款の認証を終えて銀行に株式申込事務取扱委託書を提出。口頭で株式を引き受けてくれると言っていた友人のリスト宛てに株式申込書を配ってもらった。全部で50枚ちょっと配ったのだが、そのうち45人から返送があり、もちろん全員に各々が希望した数の株式を割り当てた。
株式は1株500円だが、暢子など本当に1株申し込んできた。高校時代の友人たちの多くは10〜40株(5000-20000円)である。美輪子と賢二は300株(15万円)ずつ、貴司は1000株(50万円)、玲羅は20株(1万円)。最高額は鶴岡の瀬高さんが「千里ちゃんの会社なら配当率凄そう」と言って申し込んできた2000株(100万円)であった。株主総会招集請求権を持つ3%以上の株式を保有することになるのは瀬高さんと貴司の2人だけになる。但し美輪子と賢二は共同でなら招集を請求することができる。
その払込期間が3月1日で終了したので、すぐに創立総会召集通知を発送したが、実際の創立総会は3月14日に美輪子のアパートで結婚式に行く前に「開催」した。千里自身が株式の3分の2以上を所有しているので、実は千里ひとりで充分なのだが、美輪子・貴司・賢二・玲羅も「出席」してくれている。
その日の内に取締役・監査役になってくれる、美輪子・母・賢二に承諾書を書いてもらい、それで議事録等もすぐに《りくちゃん》に頼んで司法書士事務所のポストに放り込んでもらっておいたのだが、赤坂さんが全部チェックしてくれて、問題無いということであった。
「じゃ後は登記申請するだけですね」
「そうなります。登記の希望日はありますか?」
「23日の15:16以降、24日の11:16以降、25日の12:24-13:38の間のどれかで」
と言って千里は占星術で割り出した登記に良い日時のリストを赤坂さんに渡す。
「この中のどれがいいですか?」
「どれでも大丈夫ですよ」
「でしたら23日の15:16以降で出しましょうか」
「それではそれでお願いします」
設立後は会社の法人口座を###銀行札幌支店に作ることにしているが、この件に関しても銀行側から口頭で内諾を得ている。
千里は16日の最終便(20:15-22:05)で羽田に戻り、夜中の0時頃、千葉駅に戻った。夕食を食べ損なったので、どこかでのんびりと食べようかなと思い、駅近くのジョナサンに入る。
スタッフが「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれたものの、配膳で忙しい様子である。それで適当に空いている席を探して中に入っていく。テーブルがひとつ空いているのを見つけたので、そこに座ろうとしたら
「千里ちゃん!」
と男性から声を掛けられた。
それで見てみると、大学1年の同級生だった宮原文彦君である。実は千里のヌードを見ている数少ない男性友人のひとりだ。
「文彦君!」
と千里は笑顔で答えて、彼と同じテーブルの向かい側の席に座る。
「バイト終わった所か何か?」
と宮原君が訊く。
「ううん。ちょっと用事で北海道まで行ってたんだよ」
と千里は答える。
「ああ。実家に行ってたの?」
「実家までは行ってないけど、叔母ちゃんの結婚式に出てたんだよ」
「へー。何歳?」
「30歳」
「若いね!」
「うん。うちのお母ちゃんと12歳離れているんだよね〜」
「それはまた随分離れている。その間に何人かいたの?」
「ううん。4人きょうだいで、一番上から昭和38,40,42年生まれで1人だけ昭和54年生まれ。親もまさかできるとは思っていなかった時に、唐突に出来てびっくりしたんだと言ってた」
「ああ、そういうのもあるんだよね〜」