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■女子高校生・冬の宴(9)

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2007年のお正月、千里や和弥は1月7日に留萌を出て姫路・伊勢に戻ったが事件はその翌日起きた。
 
夕方、男たちは突然やってきた。
 
鳥居に車をぶつけながら、荒々しく境内に入ってくると、軽トラの荷台から5-6人の男たちが降りて来る。荒々しく、御札頒布所を乗り越えて社務所内に乱入する。
「あなたたち、何ですか!?」
と言った菊子を壁に押しつけ(壁ドン?)
「光辞はどこだ?言え」
と脅す。
 

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菊子は「またかい」と思うと
「この廊下の一番奥の部屋の床の間に置いてる桐箪笥」
と答えた。
 
男たちが走って行く。
「この部屋か」
「床の間と言ってたぞ」
「床の間にタンスがある」
「光辞が入っている」
「これか」
「よし」
 

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巫女控室から善美が出てくる。菊子は停めたのだが、善美はそれを振り切って光辞の部屋に向かった。
 
「あなたたち何ですか?出てって。警察を呼びますよ」
 
しかし男たちは善美が思いもよらないことをした。
 
「やれ」
という声とともに、桐箪笥に灯油を掛ける。そして着火ライターで火を点けたのである。
 
「霧!」
と善美は眷属の伊豆霧を呼んだ。
「へいへい」
「消火器持って来て」
「へいへい」
 
それで伊豆霧は消火器を持ってくると・・・・・
 
火を点けた男たちを殴った!(原因を“元から絶つ”正しい対処かも:善美が「殺すな」と命じたので死なない程度に殴った)
 
「よっちん、110番」
「うん」
 

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それで善美は110番した。
 
「もしもし。警察ですか。こちらは三泊のP神社です。社務所が放火されました。犯人たちは6人ですが全員拘束しました」
「火事は」
「消し止めました」
と善美は伊豆霧が消火器で火を消し止めたのを見て言う。
「消防に連絡しなくていい?」
「大丈夫です」
 
それで警察はパトカー3台できてくれて全員を現住建造物放火の疑いで緊急逮捕した(逮捕状を請求している時間が無いが、警官は火を点ける所を見ていないから現行犯逮捕はできない。但し緊急逮捕できるのは警部補以上)
 
犯人グループは「天聖様(来光)の妻を自称する輩が勝手に作った富嶽光辞の北海道の無断分霊を破壊した。これで光辞は神聖なる河洛邑のものだけとなった」という犯行声明を新聞社にFAXした(現場でパソコンで送っていた)。
 
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善美と千里・和弥・常弥はチャットによる緊急会談をして、燃やされた桐箪笥の写真を神社のホームページで公開することにした。燃やされたり消化剤の掛かった光辞の写真も上げている。
 

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しかしこれで多くの人が留萌の分霊は消滅したと思ったのである。紀美は母や祖母(藤子)・曾祖母(恵雨)に電話し、光辞は予備があるから大丈夫だけど失われたと思われた方が類似の事件を防げるから人には言わないようにと要請した。それで恵雨は
「大事な分霊が失われて悲しい」
などというコメントを発表した。しかしこの恵雨のコメントでますます多くの人が本当に分霊が失われたのだろうと思った。
 

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警察は、教団の中で反恵雨派の中心人物である、来光の前妻との息子の子供・遠駒春来(真理の従兄)から任意に事情を聴いたが彼は犯行グループとの関わりを否定したし「光辞は多くに分散して保管すべきなのに」と声明を出した。また社務所修理のためP神社に1000万円の寄付をすると表明した。それで警察は多分反恵雨派の一部分子の暴走と判断した。
 
またこの事件は恵雨が「ぜひ自分が生きてる内に」と進めていた光辞の出版事業も加速させることになる。
 

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社務所については千里Rは万奈を連れて行き、状況を見せた。
 
「これは火事以前にかなり傷んでいる。建て直し推奨」
と万奈は言う。
「分かった」
 
それで千里は常弥と話し合い、社務所を建て直すことが決まった。千里が関西組を留萌に呼び、半月ほどで社務所を建て直しさせたので常弥が驚いていた。なお、春来さんからの寄付は工事代金として千里がありがたく受け取った。実は他にも多数の信者さんから寄付が送られてきたので寄付の総額は2000万円ほどになった。工事の実費は3000万円ほどである。神社ではこの会計を公開したが
「1000万では足りなかったですね」
と言って春来さんは更に1000万円くれたので千里はありがたく受け取った。
 
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しかし再建が僅か3000万円でできたのは、千里が自分の山の木を使ったからである。
 

この建築の材料に千里は岡山県産の杉を使用した。結婚式場を建てたときは、あれは8月に計画が浮上したので、奈良県の山奥の所有林から檜を切り出し、奈良県と兵庫県の6つの製材所で2ヶ月掛けて樹木を乾燥させ、製材して使用した。しかし今回は時間が無かった。たまたま千里は花粉を出す杉を岡山県でたくさん切り、製紙材料に使うつもりで乾燥させていたものがあったので、それを転用することにしたのである。
 
今回の建設は関西組を主として動員したが。4組に分けて並行作業している。
 
4組は女子と男の娘、一部特に女子たちからリクエストされた男子のチームで最初に社務所の荷物を隣接する宮司宅に退避させてもらった。デリケートな作業なので女子にやらせた。ただ重たいものは女子だけでは運べないので何人か男子も動員した。荷物には巫女さんの服や私物も含まれている。
 
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囲炉裏の火は千里自身の手により、いったんランプ2つに移した(万一のため予備も作った)。囲炉裏の灰は数個の金属バケツに入れた。
 
荷物を撤去した後は、3組に分類した“壊すのが好きな連中”(後の播磨工務店茶組)に現在の社務所を崩させた。その後は瓦礫を撤去し、更に雪掻きをして敷地内の雪を全部撤去し、地面が見えるようにする。根雪になっているところはバーナーなどで融かし、古い基礎も撤去して完全に更地にする。
 
1組は姫路スタートで万奈が設計したサイズに正確に部屋のユニットを作ってもらった。1組の中を7つの班に分け、各班で1つずつユニットを作る。各ユニットには畳も入れ、出入口の障子や、屋根(軽くて丈夫なジンカリウム鋼板製)まで取り付けている。
 
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ユニットの中のひとつだけは、真ん中にも障子を入れ、奥側に囲炉裏(いろり)を作った。
 
社務所は、宮司控室・囲炉裏部屋の西側に、第1待合室・第2待合室(兼・会議室)・巫女控室・資料室(勉強会部屋)・倉庫部屋(巫女更衣室)・第2倉庫(光辞部屋)と6つの部屋が並んでいた。
 
宮司控室と囲炉裏部屋は元々ひとつの部屋を表側の宮司控室と奥側の囲炉裏部屋に区切ったもので、その間の障子は夏は閉め、冬は開けておく。囲炉裏部屋は『夏でも暖かい部屋!』である。囲炉裏の上にはいつも鈎に南部鉄瓶が掛けられていてお湯が沸いているので巫女さんたちがよくお茶を入れたりカップ麺を作ったりしている。
 

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2組も姫路スタートで、彼らにはプレキャストコンクリートの基礎の部品を作ってもらった。コンクリートが固まるまで一週間おいてから、留萌まで運んでもらう。そして3組により更地になった敷地にそれを並べ、ボルトで留めることで現地作業1日で基礎ができた。
 
そのあと、1組が作った部屋ユニットを持ち込んで、並べてボルトで留めた。それで基礎ができた翌日には新しい社務所が姿を現した。その翌日には4組の手で、退避していた荷物が運び戻される。囲炉裏の灰もバケツから戻される。最後に千里の手でランプに退避させておいた火が囲炉裏に戻された。囲炉裏にはよく乾燥させた白樺の小枝や木炭を沢山入れておいた。
 
倉庫部屋には巫女さんたちの私物の入った箪笥もあったが、この機会に個人別のロッカーを導入した。荷物の分類は本人たちにさせた。
「私たちOLみたい」
などと本人たちは言っていた。
 
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「私のロッカーまであるの?」
と千里は驚いたが
「だって、千里さんの私物多いです」
とみんなに言われた。
 
光辞に関しては、山山家具にあった桐箪笥をひとつ持って来てもらい、光辞部屋の床の間に設置した。光辞の“コピー”は元々もう1セットあり、段ボールに詰めて宮司住宅側の書斎にも置かれていたのでこれを桐箪笥に入れた。この作業は高木姉妹が志願したので2人にやらせた。
 
千里は姫路に置かれた原本からコリンとサハリンに再度コピーを取らせ、サハリンが2tトラックに積んで留萌に運び、また宮司住宅に運び込んでもらった。これは宅配便などで送ると荷物の性質上、“光辞がこの世にあると困る邪霊たち”の働きにより高確率で紛失されると思われたので、手数だがサハリンに輸送を頼んだ。サハリンは水垢離で潔斎し、作業中はナマグサを食べずに頑張ってくれた。
 
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なお、新しい社務所には各部屋にスプリンクラーを設置した(拝殿・神殿にも設置した:秋祭りの時はむろん停めておく:実際は外しておいた)。
 

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社務所の火事や再建の話は地元の新聞の地方欄にのみ(小さく)掲載された。こんな田舎の無名神社の火事など大手のマスコミの興味は引かなかった。ただし新聞はまさか半月で“再建”されたとは思わず“修理が完了した”と書いた。
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この記事に関心を持った人も少なかったが、札幌在住の理数協会の女性信者さんが大いに注目して現地まで行き、きれいに再建された神社も写真を撮ってきたし、高木紀美と握手もしてもらってきた(紀美としては信者さんへのサービス)。そして彼女は「神社再建完了。光辞も予備から復旧されたらしい」と2chに書いた。彼女は巫女さんから聞いた話として「光辞は元々表に出している閲覧用と外に出してない保管用があったらしい。燃やされたのは閲覧用で再度保管用からコピーし直したらしい」というコメントも書いた。(実際は誰もそんな話はしておらず、この人の勝手な想像と思われる。ただしこの人がテレパス能力のある人なら、紀美と握手した瞬間、情報を読み取った可能性はある)
 
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しかしこの書き込みを震源として「光辞の留萌分霊は無事かも」という噂が理数協会の一部メンバーの間では結構広がったのである。この噂は河洛邑の絶対性を歓迎しない大阪教団や東京教団、来光の友人だった人を始祖とする淡路井戸会の人たちにはかなり信じられた。大阪教団の中心人物(に祭り上げられてしまった)・藤子さん(真理の母)が「光辞は無事」と語ったという情報も流れていた。(但し藤子は実際は何も語っていない。彼女は立場上、肯定も否定もできない)
 

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北海道でミンタラ木材で製材しているA大神が実質所有している森林は人間社会ではカイ林業という会社の所有林ということになっている。この会社の社長はA大神のしもべのひとりで、横井正さんという人だったのだが、2007年1月、千里はA大神から言われた。
「横井が東京に引っ越すことになった。千里、カイ林業を引き受けてくれ」
「私は兵庫に住んでますけど」
「半分は北海道にも住んでいるではないか」
ということで、千里はまたひとつ会社を所有することになった。千里は“ニタイ・ホールディング”という会社を作り、この配下にカイ林業、“ニタイ奈良”“ニタイ兵庫”“ニタイ岡山”を並べることにした。数ヶ月後にはカイ林業もニタイ・カイと改名した。これは全て県単位の会社で、森林を保有してそのメンテをし、また樹木を販売する。まあ要するに龍たちの遊び場(砂場?)である。千里は彼らに
「少々山を崩したり湖を作ったりする程度はいいけど、人に被害が出ないようにすること」
と命じた。
 
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清川は青池に訊いた。
「万一人を死なせたらどうなりますかね」
「そんなの千里が許すはずがない。まあ明日には君のお墓ができることになるだろうね」
「怖〜」
「ああ。千里は優しいから、お墓くらいは作ってくれるだろうね」
と勾陳も言った。
 
みんな並外れたパワーを持つ勾陳が何度も千里に敗北しているのを知っているので、みんな言い付けをしっかり守って人間に被害が出ないよう、気を付けて山崩し?や湖・池沼作りをしていたようである。また行方不明になった登山者の捜索・救出にも大いに協力した。
 
なおカイとは北海道の古名(北海道の語源)で、ニタイとは森林のことである。(ミンタラというのは“神の庭”:北海道中央部の森林地帯のこと)
 
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女子高校生・冬の宴(9)

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