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■女子高校生・冬の宴(6)

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姫路のH大姫路の校舎の近くに、仏蘭西亭(ふらんすてい)というケーキ屋さんがあった。このお店のマークが桜模様なので、もしかして桜製菓と何か関係あるのかなと千里は思っていた。
 
実はここは元は“桜堂”という飴屋さんで、江戸時代に創業した古いお店だった。実はここにも“飴買い幽霊”の伝説が残っている。
 
大正時代にここの当主の長男は
「これからは西洋菓子の時代だ」
と言って、神戸の洋菓子店で修行した人を招き、桜・仏蘭西亭という洋菓子のお店を桜堂の隣に建てて営業を始めた。一方の次男は長崎県の諫早に行った時に食べた最中(もなか)の味が忘れられず
「こういうものこそ日本人には受ける」
と言って、諫早から職人さんを招いて桜最中という店をやはり隣に建てた。それで一時期は桜堂の両隣に、仏蘭西亭・桜最中か並んでいた。ここで仏蘭西亭は桜堂の東側にお店があったので、これを始めた長男の系統を“東家”。桜最中は桜堂の西側にお店があったので次男の系統を“西家”、そして結果的に桜堂を継いだ三男の系統を“中家”という。この3つのお菓子屋は昭和に入るといづれも会社化されたが、3つの家では互いに株式を持ち合って、お互いに支え合った。
 
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しかし桜堂はその後廃業してしまい、中家は仏蘭西亭・桜最中(後の桜製菓)の大株主としてだけ残った。また中家の当主さんは昭和大恐慌の混乱する相場に乗じて一財産築き、戦後は多数の大企業の株を持ち、高度経済成長期にその財産を何倍にもした。その人の息子に当たる人が今年の5月に亡くなり、交野はその遺族から、まんまと桜製菓の株式30%ほどを買い取ったのである。(そのほか元従業員などに声を掛けて買い集めた)
 
なお、この時交野は「ついでに」と言われて、仏蘭西亭の株も大量に買い取った。
 
中家の奧さんは三家で支え合うなどという思い入れは今更無かったし、一流企業の株を処分するより、ほぼ無価値と思っていたローカルな非公開会社の株が売れるならと交野の話に乗った。
 
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その日、仏蘭西亭のシェフ(主任製菓人)の吉川は桜製菓の本社を訪れ言った。
 
「片倉さん、助けてもらえませんか」
「どうしたの?」
 
仏蘭西亭の社長から助けを求められるのなら分かるが、シェフからの訴えというのは普通では無い。片倉は本能的に「そちらの内輪もめには巻き込まれたくないぞ」と思った。しかし話を聞いてみるとこういうことだった。
 
・現在仏蘭西亭のお店のある界隈が区画整理の対象になった。
・近隣の土地への移転を指示されているが、新しい土地はかなり狭くなる。
・新しい土地ではお店の間口が狭くなる。それを我慢しても面積が狭くケーキの工房が確保できない。
・社長は営業が難しいなら、もうこの機会に店を畳んでも良いと言っている
 
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「何とか続けられる道が無いでしょうかね」
「2階建てにして2階に工房を置くとかは」
「その案はあったのですが、今のお店はケーキを作っている所をお客さんが見られるのも魅力なんですよ」
「ああ」
 
片倉は兄弟会社のよしみで救済に乗り出すことにした。まず仏蘭西亭の社長と話しあい、充分な店舗面積が取れるなら、お店を続けるという確約を取った。
 
・区画整理で移動される土地に連接する土地の新所有者と交渉し、その土地を売ってもらうことにした。
 
これで新しい土地でも充分な広さが確保できることになり、仏蘭西亭は営業を継続することになった。
 
仏蘭西亭の社長は新しい土地と交換で片倉に仏蘭西亭の株の自己所有分の半分を譲渡した。その結果、桜製菓が元々持っていた株、5月に交野が買い取った株と合わせて、桜製菓は仏蘭西亭の株の75%を保有することになり、仏蘭西亭は桜製菓(万桜)の8つ目の子会社になることになった。
 
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今回の救済劇について世間は兄弟会社として当然の救済劇と捉えた。そもそも世間は仏蘭西亭を最初から桜製菓系列の洋菓子店と思っていた。
 

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その日千里が太田フルート工房で、不動産会社のCMでフルートを吹いたことを言うと、太田さんはそれを是非見たいと言った。それで千里が仲介をした六甲アーツの藤沢さんに連絡すると、西宮市の事務所でビデオを見られることになった。それで千里も一緒に西宮に向かった。
 
それでCMのビデオを見る。
「なるほど。音は撮影とは別録りか」
「屋外とかではいい音が録れないので」
 
太田は言った。
「しかしこのフルートは吹きやすさ優先で穴の配置がオフセットだから撮影用にはインラインのフルート使ったほうがいいかもね」
「ああ。でも私インラインのフルート持ってないし」
「じゃ買ってあげるよ」
「え〜!?」
「作ってもいいけど時間かかるし」
と太田さん。
「それ用意していただけたら撮影し直しますよ」
と藤沢さん。
 
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それで太田さんは姫路の白鷺楽器まで行って、ミヤザワのインラインフルートを買ってきて千里にくれたのである。それで藤沢さんは千里と太田さんを先日撮影をした住宅展示場に連れて行き、このインライン・フルートを使って撮影をやり直した。リビングでの撮影では太田さんが急遽呼び出した神戸市在住の女子大生・小泉さんにピアノを弾かせた。
 
「ふーん。曲は Au clair de la lune か」
「この家が軽量鉄骨構造の“ムーンドリーム”というシリーズなので」
「なるほど」
「3月くらいには重量鉄骨構造の“サンライズ”というシリーズのCMを撮りたいと思ってます」
「へー」
「ムーンドリームだとお月様だから銀色のフルートが合うんですが。サンライズのお日様に合わせて金色のフルートとか無いですよね」
「ああ作ろうか」
と太田さんは言った。
「それぜひお願いします。撮影は3月くらいですから」
「金色のフルートって金で作るんですか」
と千里は何気なく訊いた。
「まあ普通は銀の金メッキだな」
「なるほどー」
「村山さんがお金持ちで制作費を前金でくれるなら本当の金で作ってもいいけど」
「制作費っていくらくらいですが?私お金持ちではないけど、何百万とかくらいなら出しますよ」
「何百万とか出せるのは充分お金持ちだなあ」
と太田さんは言い、
「まあ800万はほしいかな」
と言った。
「払います!銀のフルート2本も頂いたし」
と千里は言った。
「銀のフルート2本でほんの100万くらいだけどね」
 
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「何かお金持ち同士の会話だ」
と藤沢さんは言っていた。
 

しかしそれで千里はきーちゃんからお金を借りてその日のうちに太田さんに800万円を振り込んだ。それで太田さんは彼にとって生涯唯一の作品となる金のフルートの製作を開始したのである。材料は純金(24K)だと柔らかすぎて加工しにくいということで23.6Kで作ることになった。また好きなマークを入れてあげるよと言われたので
「三尾の狐でお願いします」
と言って、実際に絵を描いて渡した。太田さんはこの絵を管体にレリーフで入れてくれた。
 
このフルートはインラインで製作し、それと別に銀の金メッキのオフセット・フルートも作ってもらうことになった。撮影用と録音用である!
「金のフルートなんてそもそもまず音が出せないから」
と太田さんは言っていた。
 
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ふたつのフルートはインラインとオフセットの違いだけで同じ位置にキイを作る。キイはむろんソルダードである。音階は太田さんの最新の研究に基づく理想的な音階である。
 

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ホームセンターの“めでた”は民謡の『めでた』(めでためでたの若松様よ)とは無関係で“メデタレイニアン”(地中海)から来ている。瀬戸内海を地中海に見立てて、その周囲にたくさん店を作るぞといってこの名前で営業を始めた。ただし実際には創業者の松井太郎が作り長男の一郎が現在運営している姫路店と、次男の二郎がやっている倉敷店の2つしかない。
 
その日九重が若い職人たちを連れて“めでた”に納品に行ったら社長の松井一郎さんが言った。
 
「徳部さん、よかったらそちらもホワイトナッツになってもらえませんか」
「ホワイトナッツ?白い木の実??」
「いや、なんかそんな名前の」
 
松井さんの説明はよくわからなかったが、どうもこういうことらしい
 
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・“めでた”が大手ホームセンターのN社に買収を仕掛けられている。
・でも売りたくないので味方の株主がたくさんほしい。
 
「よく分からないけど、金の話なら会長を連れてくるよ」
 

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九重は千里に言うとまた叱られそうな気がした(山山家具の件ではかなり叱られた)ので青池に相談した。青池は松井さんと会って話を聞いたが、ホワイトナッツではなくホワイトナイツを求められていた。既にN社はヘラクレス市場でTOBを掛けているらしい。
 
「よし。だつたら対抗TOBを掛けよう」
「わっ」
「それでもしうちが大半の株を押さえた場合も経営は松井さんたちに任せるから」
「ありがとうございます」
 
それで青池は勝手にミンタラHLDの名前を使い“めでた”に関する対抗TOBを宣言した。
 
N社側が“めでた”4株に対してN社株1株を交付するとしていたのに対してミンタラ側は現金での買い取りを提案した。それで一般株主の多くがミンタラ側のTOBに応じたのである。
 
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(青池は千里のお金を勝手に使っているが、この程度は千里は気にしない(そもそも気付かない)という確信があった。また株式操作で1ヶ月程度で取り戻して補填した。でもきーちゃんには気付かれ注意された)
 
結果的にN社のTOBは失敗、めでたは買収を免れた。株式の50%を押さえたミンタラは経営は現在の経営陣に任せると宣言し、めでたの独立は守られた。ただ資本的にはめでたは、ユーニン・山山家具に次ぐ3番目の(製材所以外の)一般系列会社となった。
 
系列会社になってどういう良いことがあったかというと・・・ほとんど無かった!
 
家具とか木炭・木材や板などをめでたに売り渡す価格は以前より安くなった!(系列会社だから)。むろんその分、店頭価格が抑えられ「あそこで買うと安い」と言われて、めでたの売上はあがり、その利益は親会社のミンタラに還元される。しかし九重たちは微妙な気分だった。
 
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また店頭で、客の求めに応じて板や角材などを頼まれたサイズに切るサービスなどにも九重たちは系列のよしみで応じたが、これは、ま楽しいので、いいことにした。
 

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12月22日(金)、和弥の両親、翻田民弥・睦美は玲羅と一緒に夏川(サハリン)さんの運転するカローラに乗り、旭川空港に行った。そしてパイロットの山橋さくらに案内してもらい、桜模様のビーチ400XPに乗り込む。やがて飛行機は離陸し、2時間弱のフライトで神戸空港に着陸した。
 
ここで玲羅たちは星子が運転するアクセラに乗り、姫路に向かった。一方和弥はコリンのウィングロードで伊勢から姫路に移動した。どちらも取り敢えず全員花絵の家に入る。花絵がお寿司を取っていたので、それを食べて夕飯とした。
 
花絵の家では民弥夫妻を客間に泊め、和弥はこの家でいつも泊まっている四畳半に行った。また玲羅は千里と一緒に千里の家に行った。
 
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「ここがお姉ちゃんの家か。広いね」
「広いのは道場だね」
「私も高校は姫路に出て来ようかなあ。そしたらここに住んでもいい?」
「いいけど、うちの入試に合格できたらだな。少なくともK高校の入試よりは難しいよ」
「それは厳しいなあ。私絶対S高校にも落ちる自信ある」
 
あとで玲羅に去年の入試問題をコピーしてあげたが
「難しすぎる。さっぱり分からない」
などと言っていた。
 
この日玲羅は地下の客間に泊めたが、遅くまでピアノルームでピアノを弾いていたようである。
「ここ凄く音響がいい!」
と言っていた。
 

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