広告:ここはグリーン・ウッド (第5巻) (白泉社文庫)
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■女子高校生・夏はスカート(7)

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その日、桜製菓の副社長・片倉は社長の交野に言った。
「銀馬車を買収したいから協力してくれ」
「銀馬車って何だっけ?」
「姫路と周辺で6つの店舗を持ってるパン屋さんなんだよ」
「いいけど、何で買収するの?」
「まだ大学生の頃なんだけど、俺が雨の日に自転車で走ってたらこの店の前で滑って転んでさ」
「うん」
「俺が起き上がれずにいたら店の中から店長らしき人が出て来たんだよ」
「うん」
「それで心配でもしてくれるのかと思ったらさ『店の前に座り込まれたら邪魔だから早くのいてくれ』と言うんだよ」
「ああ」
「こんにゃろ。この店では絶対買わんと思った。それ以来恨んでる」
「完璧な私怨だね。まあいいよ。パン屋を所有すれば色々展開ができる可能性があるし」
 
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それで桜製菓は銀馬車を買収したのである。やや強引な買収だったが、銀馬車の社長は1000万円の退職金と引き換えに経営権を片倉に譲渡した。ここ10年ほど赤字が続き社長は経営意欲を失っていた。
 
片倉たちは万桜ホールディングという持ち株会社を作り、その下に万代堂・桜製菓・銀馬車が並ぶ形の会社構成にした。
 

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片倉は銀馬車のパンを食べてみてから製造担当の人と話をした。
 
「このシャルネーゼというパンは美味しいけど、他のパンははっきり言って美味しくない」
「シャルネーゼを評価してくださってありがとうございます。そのパンはサワードウ発酵という方法で作っています。手間もコストもかかるので前の社長からはもう廃止しろと言われてました。他のは簡単なイースト菌発酵です」
「むしろ全部この方式にした方がいい」
「ほんとですか。ぜひそうさせてください。手間はかかりますけど」
「作業時間が掛かったらちゃんと残業代は払うから」
「ありがとうございます」
 
片倉は職場改革も実施した。開店(始業)30分前に来て店舗の掃除をして体操をして社是を大声で唱えるなどというのを廃止し、出勤は開店10分前でいいことにして、そこからちゃんと労働時間としてカウントするとしてタイムカードを導入した。これは桜製菓の店舗と同じ方式である。また掃除は清掃会社に外注した。またトイレを万代堂のトイレを参考に衛生的に改造した。ほかに店の前のタイルを滑りにくく水捌けのよいものに交換させた。また比較的広い3店舗に飲み物の自販機のあるイートインスペースを作った。これは飲み物を自販機にしたのがミソで、洗い物をせずに済むのである。コップが欲しい人には紙コップを渡した。
 
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イートインを作ったことでトイレを借りる人も増えたがトイレがきれいで快適なので、そのことがSNSにも投稿されて、お客さんが増える結果となった。
 

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また店内でお客さんがパンをピックアップするのにこれまではプラスチックのトレイを使っていたが紙のトレイに変更した。資源の無駄遣いという批判はあったが衛生的というプラスの評価も多かった。このトレイはそのままお持ち帰り用の箱にもなるようになっていた(後述の播磨製紙の製品)。このトレイ→箱の変形は小中学生に面白がられた。変形の仕組みについて、夏休みの自由研究で発表した子もあったらしい。
 
(実は変形は簡単なのだがトレイの状態で崩れないようにするのに少し工夫している)
 
また営業時間外にパンが買えるパンの自販機を多くの店に設置したら、これもよく売れた。朝の時間帯が特によく売れているようだった。自販機は売れ残り対策にもなった。
 
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その内ひとりの店長が片倉に気づき青くなった。彼は謝罪し、クビにしてもらっていいと言ったが片倉は
「困っている人がいたら助け合いの精神で」
とだけ言い、15年前の事件については不問に付した。
 
銀馬車は「パンが美味しくなった」と評判になり(特に天然志向の若い女性層に支持された)、売上も伸びたが、彼が店長をする店は特に伸びた。パンの配置に色々工夫をしていたようだったので、店長会議でも発表してもらい、他の店でも見習ったらみんな売上が良くなった。
 
これらの改革の結果、銀馬車は10年赤字が続いていたのに黒字に転換した。イートインも好評だった。トイレ改造やタイル交換を含めて店舗改造費は全店で2000万円掛かったが、すぐ取り戻すことができた。
 
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また片倉は姫路市内10個の駅に支店を出したが、どこでもよく売れて、これでも営業成績がよくなった。また駅の店には全店パンの自販機も設置したので、“駅に行けば銀馬車のパンがあるし、いつでも買える”というイメージが広がった(駅に銀馬車♪というCMを流した)。支店を出してなかった駅からも「是非うちにも出して」という要請があり、支店を出した駅の数は20に増えた。小さい駅では店のスタッフが改札業務を請け負ったところもある。また中には駅構内にどうしてもスペースが無く、駅の外にユニットハウスの店舗を“置いた”ところもあった。こういう所では桜製菓の店舗を併設。バンダイキャンディー・桜最中・小桜饅頭も販売した。小桜饅頭はおやつとして、よく売れた。千里の意見から全品キンカン蜂蜜を使った“小桜饅頭・松”も出したら、これもよく出た。ただこの年はキンカン蜂蜜・白小豆・大納言をあまり多くは確保できず、本格的な売上は翌年からになる。これは生産力の問題からコンビニには出せなかった。
 
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なお、千里は何かで役立ちそうな気がしたので、アイリスとシレーヌの姉妹をこのパン屋さんの工房に入れてパン作りの勉強をさせた。工房では体力のあるスタッフが加わってくれて助かったようである。
 

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その日、千里ときーちゃんは姫路市内のホテルの会議室に来ていた。実は播磨製紙というローカルな製紙会社が経営危機になっており、関係者が集まって再建のために話しあいたいということだったのである。千里たちは横浜製材が製紙材料を納入していた関係で呼ばれていた。
 
さて“経営危機”という話だったのだが、資料を見ると、むしろ既に倒産しているとしか思えなかった。
 
銀行団からは
・100%減資する。
・現経営陣は全員退任する。
・オーナー家から1億円支払う。
 
というのが“最低”の条件であるという意見が出た。その代わり銀行からの融資の返済は免除する。その上でどこか営業を引き継いでくれるところがないかということになる。
 
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千里は手を挙げた。
 
きーちゃんが呆れたような顔で見たが、千里はこの会社は“使える”と思った。それで千里は製紙会社を保有することになったのである。
 

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千里は所有する雑木林の木の一部を伐採してミンタラ木材で木材チップにし、播磨製紙に持ち込んで製紙材料にした。このほぼ材料費ゼロで生産されたトイレットペーバーは一時的に播磨製紙の収支を改善し、千里は社員たちに6・7月の給料とボーナスを払うことができた。この会社のトイレットペーパーは大手国産メーカーのものより2割ほど安く、パッケージもださいため、中国産と思った人が多かった(MADE IN JAPANと印刷しているが信じてもらえない)。それで「中国産にしては品質が良い」「まるでバージンパルプみたいに肌触りが良い」などと言われた。でもホームセンターやドラッグストアでたくさん扱ってもらった。
 
きーちゃんは神戸の元男の娘(現在は完全な女性で出産も経験済み:幼稚園児の息子がいる)で桂美枝さんという人を連れてきて、彼女に社長をしてもらうことにした。彼女は若い頃大手製紙メーカーに勤めていたことがあり、またここ5年ほど公認会計士事務所に勤めていて、経営理論にも詳しかった。
 
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桂さんは千里に言って、千里が兵庫・北海道で所有する林で間伐を実行した。これでまた低価格でトイレットペーパーを生産できた。それで8・9月の給料も払えたので最初は「女社長かよ」などと言っていた社員たちも、「この社長はなかなかやるぞ」と思ってくれたようであった。この会社では3ヶ月続けて給料が支払われたのは数年ぶりだったらしい(酷い会社だ)。桂さんは全社員とひとりずつ話をし、特に会社の中で中核になりそうな社員とはお酒を交えてたくさん話をした。彼女は元男性だけあって男性のノミュニケーションにも強い。それで社員たちは「話のわかる社長だ」と思ったようである。実際社員たちから出て来た改革案や新しい製品の企画もできるだけ実行した。トイレの改造(和式は全て洋式に変更。またセンサー蛇口・ペーパータオルの導入など)や社員食堂の設置・喫煙所の設置と分煙、コーヒーサーバーの導入などは評価が高かった。フレックスタイムの導入も朝に弱い社員や子供の居る女性社員から歓迎された。またサービス残業を禁止しタイムカードを導入した。
 
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社員から出たアイデアで作ったコンパクトなポケットティッシュ(10枚入りだが詰め方に工夫があり普通のものより薄い)はかなり売れた。これは提案した人にアイデア料として100万円払ったが、そのことで色々新しい提案・企画をする人が増えた。前述の箱に変形するトレイも社員の提案に基づき制作したものである。また女性社員からの要望で制服の男女共通化をおこない、女子のズボンも男子のスカートもOKとした。実際は女性の8割がズボンに変更したし、男子でも数人スカートを穿いた人がいた。彼らのために男子トイレは個室を増設した(これはそのあとすぐ実行した車椅子を使っている社員の採用でも役に立った)。スカートを穿いた男子社員たちは「夏はスカートが涼しくていいよ」などと言っていた。きっと涼しい季節になったらズボンに戻すのだろう。
 
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しかしこの社員との交流を通じて会社のモチベーションはかなり上がった。
 
5人ほどどうしても桂流を受け入れられないという人には充分な退職金を払って辞めてもらったが、これが結果的には“お局様駆逐”になった。
 
桂はまたB型作業所を併設して材料の運搬や一部の製品の箱詰めなどの作業を発達障害の人にさせた。その他、先程も少し触れたが車椅子を使っている人を数名採用した。これらのことで県から表彰されたりもした。
 

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千里はこの後、兵庫・奈良で多数の“放置林”を買ったが、九重たちに間伐をさせてそれを安く播磨製紙に売った。それで播磨製紙の営業もうまく回っていったし、九重たちは山奥で木を切ってそれを運んで、楽しそうだった。また千里は花粉をたくさん出す戦時中から戦後間もない頃に植えられた杉を切り、代わりに檜をたくさん植えた。50年後くらいには檜林ができるはずである。
 
伐採した杉では家具などを作らせると共に、切れ端や小枝は製紙材料にした。九重たちが組み立てた本棚や椅子などは
「凄い丈夫に出来てるね」
と言われて、ホームセンターに買ってもらえた。九重たちの馬鹿力で釘を打ったりボルトを締めてるから、丈夫な物が出来たようである。
 
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千里はまた、重要な所だけ杉で作り、強度を必要としない部分にはミズナラを使った“廉価版”の家具も作らせた。これもホームセンターに買ってもらえた。ホームセンターでは全部杉で作ったものの半値くらいで売ったようである。
 
伐採した樹木はミンタラ木材姫路支所で加工していたが、ここだけでは追い付かなくなったので、奈良県の吉野製材という倒産寸前の製材所を買収してここでも処理させた。千里の2番目の製材所である。なお、この時代は製材の際に出る葉や樹皮などの余剰物はそれほど多くもなかったので木材乾燥機の燃料として燃やしていた。どうにもならなくなって歓喜に泣き付くことになるのは6年くらい先である。(先に泣き付いたのは栃木県で製材所をいくつも買った(*2)“東の千里”で、西の千里はそれに便乗した)
 
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(*2) 2012年、東の千里は貴司の裏切りを契機に多数の体育館を建てるが、その材料の木材を得るため、栃木県で多数の山を買った。その樹木の製材のため、製材所も買ったので樹皮が余り、これを歓喜に(有料で)引き取ってもらった。
 
樹皮の処分というのは実は多くの製材所で大きなコスト原因になっている。樹皮は抜本的な処分方法が存在せず、歓喜の処分場でも粉砕して家庭の庭に撒く(敷く?)素材として加工している。
 
樹皮などを歓喜のところに持って行くのは腕力が必要なので九重たちにさせたが、“龍殺しの歓喜”を九重たちはかなり怖がっていた。人間で言えばライオンに餌をやりにいく気分だったろう。千里は九重たちに
「お前たちは私の眷属なのだから歓喜さんに危害を加えられることはないから」
と言ってなだめていた。
 
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(虚空や紫微などに言わせたら、千里の方が歓喜よりよほど怖い)
 

7月31日、全国高校野球選手権大会(甲子園野球)の兵庫県予選決勝が行われ、H大姫路は勝って5年ぶり11度目の夏の甲子園出場を決めた。甲子園での本戦は8月6日からである。青沼君は県予選には出なかったのたが、予選中に怪我人が出たため、本戦の代打要員として甲子園のベンチに入れてもらえることになった。
 

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