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■女子高校生・夏はスカート(6)

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「まそれで、これは私の親友の木里清香のお父さんが蔵元をしている酒蔵の日本酒と、峠の丼屋さんの子会社のお菓子屋さんで開発中のお菓子です」
 
「あちらにも峠の丼屋さん出してるの?」
「姫路では失敗しました。全然お客さん来てくれまませんでした」
「やはり都会じゃ難しいか」
「でも岡山県に今4軒出してるんですよ」
「へー。岡山か」
「これ岡山で好評だったものです」
と言って、アイリスに配らせる。
「おお、牡蛎丼か」
「なんか牡蛎がでかい」
「これは岩牡蛎だね」
「よくご存じですね。能登半島産の岩牡蛎です」
「何?普通の牡蛎と違うの?」
「岩牡蠣は普通の牡蛎より大きくて、夏がシーズンなんですよ」
「へー。そんな牡蛎があるのか」
「広島には“牡蠣小町”といって生殖しないので通年出荷可能な牡蛎も存在しますよ」
「へー」
「普通の牡蛎の冷凍で作った牡蛎丼も出してますが、この岩牡蛎丼はみなさんに特別に」
 
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「やはりシーズンがずれる商品は価値が出るんだな」
「それビジネスの基本かもね」
「うん。ハウス物の野菜とかも高く売れるし」
「但しシーズン外したクリスマスケーキは売れない」
「難しいね」
「秋のイチゴは売れても冬のスイカは売れない。ニーズとの兼ね合いだな」
「それイチゴとスイカは結構微妙な話だね」
「季節感がなくなってしまったものも多い」
「夏野菜のピーマンも冬野菜の大根も今は1年中ある」
「しいたけも本来春と秋にしか無かったのが今は菌床栽培のが1年中ある」
「そうそう。だから昔は椎茸って干し椎茸を戻して使うものだったのに今ではいつでも生椎茸が手に入る」
「だから干し椎茸の戻し方を知らない主婦が増えてるらしい」
「ほほお」
「銀鮭なんかも季節感が無くなりつつある」
 
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「ぼくたちの桜鱒はいつ頃の出荷かなぁ」
「多分2-3月頃」
「天然物とあまり変わらない」
「来年はもう少し時期を早める?」
「それがいいかも」
「その場合、夏を乗り切るのが多分課題」
「水温の調節とかが必要かもね」
「そういうのはいっそ陸上養殖の方が制御しやすい」
「陸上養殖に切り替える?」
「陸上養殖で大変なのは実は停電対策」
「ああ」
「自家発電の設備は必須」
「色々初期投資がかかりそう」
「それが陸上養殖の問題だろうね」
 

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7月15日(土)早朝。
 
宴会の後、そのまま神社に泊まっていた(ゴロ寝していた)“桜組”の手で神輿が船に乗せられる。和弥と付き添いで常弥も同乗し、船は沖に出る。そして日の出と同時に和弥は神降ろしの祝詞を奏上した。
 
神霊の乗った神輿を浜に持ち帰り、今年もP神社の例祭が始まった。今年は千里は祭り自体には参加せず、普段P神社に来ている巫女さんたちにお任せしておく。今年の笛は玲羅が吹いている。
 
「赤のお姉ちゃん、いつ戻って来たの?」
「昨夜ジェット機で飛んできた」
「へー。ねぇ。卓球部の合宿があるのよ。費用出してくんない?」
「いくら?」
「おやつ代コミで3万とか無理だよね」
「いいよ」
と言って諭吉さんを3枚渡したら喜んでいた。
 
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「それとさ、余裕のある時でいいから、安いのでいいからフルート買ってくれたりしない?」
「じゃ後日」
 
これは姫路に戻ってから、姫路市内の楽器店(白鷺楽器)でヤマハの洋銀製のフルートを買って、送ってあげた。安いのなら白銅製もあるが、玲羅の龍笛を聴いていても白銅フルートのレベルを既に卒業しているのは明らかである。玲羅はこのフルートを高校の時まで使い続ける。
 
千里は神迎えの儀式の間は大神様に呼ばれて神社深部で、大神様とおしゃべりをしていた。大神様に桜最中の試作品を差し上げたら「美味しいお菓子だ」と喜んでおられた。
「白小豆を使った白餡は珍しい」
「よくご存じですね。私は白小豆なんてものがあること自体知りませんでした」
 
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海から戻ってきた神輿は町内を一周し、神殿に収められる。この巡回コースは昔とは少し変わっている。C町の奥の方は住人が居なくなり、ヒグマも出没して危険なので行かないようになり、代わりに浜沿いのA町まで回る。
 
 
高校生巫女(国田広海・高山世那・木村美那・高木紀美)による巫女舞のあと、町内会長や市会議員さんなどの玉串奉奠、そして幼稚園児(だけでは人数がたりないので2年生以下)の巫女舞が奉納される。小さい子たちの巫女舞を見ていて、千里は十数年前の自分を思い出し、懐かしい気分だった。
 
巫女舞の後は稚児衣裳の男の子たちが今朝穫れた魚を奉納する儀式が行われる。玲羅の笛が鳴る中、和弥が祝詞奏上をした後、祭りは小休止に入る。
 
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出店は昔はせいぜい1〜2軒だったが今年は6軒(千里が出した2軒を含む)も出ていた。内1軒は小学校の児童会が出した鈴カステラ屋さんである。(昔はサーターアンダギーだったが鈴カステラに進化?したようだ)
 
峠の丼屋さんも熊カツカレー、猪カレー、(冷凍牡蛎の)牡蛎丼、海鮮天麩羅丼などを出した。牡蛎丼がよく売れた。桜製菓のお店も出したが、バンダイキャンディー、小桜饅頭(実はこの時は試作品段階で、まだ名前が決まってない/キンカン蜂蜜を使っていたので後でコンビニで売ったものより美味しい)などを売った。どちらも「これ美味しいね」と好評だった。でも買った人はきっと姫路のお菓子とは思っていない!
 
常弥さんから
「千里ちゃん、せっかく来たんなら何かやってよ」
と言われたので、藁を立てて、村正で試斬りをしたら、物凄い好評だった、その後、公世を召喚!して模範試合をしたら、小中学生が見取れていた。
 
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「なんでぼくここに居るの?」
「女は細かいこと気にしない」
「ぼく男だけど」
「男はもっと気にしない」
 
そのあと公世が審判を務めて小学生剣道大会をしたら、物凄く盛り上がった。優勝者には公世が木刀を贈呈したが、優勝者の宝物になったらしい。ちなみに本人の認識は「凄く強い高校生のお姉さんにもらった」というもの!この木刀は神戸の剣道道具店で勾陳(姫路に常駐している5番)に買ってきてもらったものである。
 
夕方からはお神楽が奉納された。
 
境内で鞠古君と留実子のカップルを見かけたが、留実子がスカートを穿いているので驚く。
 
「サーヤのスカートは珍しい」
「蓮菜に填められた」
などと本人は言っている。
「スカート夏は涼しくていいじゃん」
と鞠古君。
「じゃトモが穿きなよ」
「僕は別にいい」
 
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でも後から見かけた時は鞠古君がスカートを穿き、留実子はズボンにしていた。多分ふたりのボトムを交換したのだろう。ふたりはウエストがほぼ同じ(鞠古69留実子70)でボトムが共用可能である。しかも鞠古君はスカートがわりと好きである。ただしスカートを穿いているとしばしば留実子に殴られる!でも二人が並んでいる所を見ると、多くの人が鞠古君のほうを女性と思う。
 

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翌日はまた午前中に神輿が町内を練り歩き、昼間は民謡大会・カラオケ大会があった。児童会が主催したビンゴ大会(景品は花絵が提供)も盛り上がった。
 
夕方、ソーラン節が奉納される。民謡をやっている人が10人ほど拝殿に並び歌う。参拝者が歌いながら踊り、境内は熱狂となった。そのあと、神輿を船に乗せ沖合に出る。そして日没と同時に和弥が神上げの祝詞を奏上して祭りは終わった。
 
この神上げの神事が行われている間も千里は大神とおしゃべりをしていた。大神が
「これやる」
と言って、何かの種をくれた。これを(休耕していた)畑に蒔いて育てると良質の白小豆ができた(白小豆は7月くらいに種を蒔く)ので、翌年から姫最中にはこの白小豆を使用した。(17年後にはガトームーランの練り切りにも使用されることになる)
 
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「これは白銀じゃないか」
と農協の理事長さんが言っていた。もう50年ほど途絶えていた品種らしい。
 
「北海道で、親戚の人に頂きました」
「そうか。北海道に残っていたのか」
 
少し分けてほしいと言われたので、種を一袋分けてあげた。理事長さんはこれを農業試験場で増やした。それで幻の品種が復活したのである。2009年から一般農家でも育てられるようになり、白銀は岡山県八橋村の特産品となった。が、その半分くらいは実は千里がきつねたちに耕作させているものである。白小豆は育てるのに手間がかかり(何度も“中耕”という作業が必要)、兼業農家さんには難しいと思う。お年寄りが辞めようとしていたのも体力を使うゆえである。きつねたちはお年寄りが育てていた畑で従来品種を育てながら同時進行で、休耕していた畑(+若干?の開墾した土地)で白銀を育てている。育て方は比較的元気だったお年寄りに習っている。(山林から畑への地目転換は九重に申請させた。開墾の際に伐採した木は製紙材料(後述)に使った)
 
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また大神は
「これを後で和弥に渡しなさい」
と言って金色と銀色の金属鏡を1枚ずつくれた。
「これは」
「和弥が姫路にこの神社の遙拝所を作ろうとしている。銀色の鏡はP神社の遙拝所に、金色の鏡は旭岳の遙拝所に収めなさい」
「分かりました。これは材質は」
「金色のは真鍮の金メッキ、銀色のは洋銀の銀メッキだな」
「へー」
「千里が100億くらい寄進してくれたら純金、純銀で作れるようになる」
「ではたくさん儲かったら」
 

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和弥や千里は月曜日の朝、留萌を出た。旭川から神戸へジェット機で飛んでお昼過ぎに姫路に戻った。千里は機内で和弥に2枚の鏡を渡した。また和弥に言った。
「私が関係している工務店があるから、そこに遙拝所の祠は安い値段で作らせるよ」
「そう?だったら頼む」
 
なお、この行程に同行したのはRだが、Y2はずっと姫路に居たので、月曜日はY2が朝から学校に行った。
「自分が何人かいると便利」
と言うと、小糸が呆れていた。でもY2は自分が不得意な授業にも出ねばならず大変だったようである。なお部活にはRが出た。
 
公世のほうは、姉の弓枝に見付かり
「あんた戻ってきたのなら家に顔を出しなさい」
と言われて連行され、月曜日にRや和弥たちと一緒に姫路に戻ったので月曜日は学校を休んだ。でもビジネスジェットに乗るのは楽しかったと言っていた。やはり男の子は乗り物が好きである。公世が男の子なのかは多少の疑問はあるが。
 
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次は秋祭りに行くことになる。
 

その日、針間工務店の万奈が千里のところに来て言った。
「うちが仕入れている製材所が潰れそうなんですよ。助けてもらえません?」
「潰れないように柱を追加する?」
「あ、いえ、建物じゃ無くて会社が潰れそうで」
「それは難儀だね」
 
それで、きーちゃんに調べてもらったのだが、その横浜製材所というところは先週、手形を落としそこない、銀行から警告を受けていた。今週水曜日の手形も決済できる見込みが無いと言う。きーちゃんは製材所の社長と話しあったのだが、さすがのきーちゃんも「だめだ、こりゃ」と匙を投げた。
 
社長は酒に酔っていた。万奈によると、この人はいつも飲んでいるらしい。そこで、きーちゃんは会社は救済してやるからあんたは社長をやめなさいと通告した。本人はよくわかってないようだったが、奧さんが謝り、社長をやめさせるから会社は助けてほしいと言った、それできーちゃんは取り敢えず不渡りになっていた手形をきちんと決済し、今週期限の手形も決済できるようにした。そして旭川のミンタラ木材の木村さんという人(元々大阪出身)を姫路に連れて来て新しい所長に据えた。そしてここはミンタラ木材の姫路支所ということにしたのである。社員さんたちも製材に明るい人がトップになってくれてほっとしていた。製材所は6・7月の給料が未払いだったが、これもきちんと払った上でボーナスも払ったので社員さんたちは喜んでいた。
 
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ミンタラ木材は長万部と留萌にも支所を持っていたので、ここは3つ目の支所ということになる。
 

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