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先年・2005年夏、2代目・子牙(五島照子)が亡くなり、子牙の名跡は孫の七尾善美が継いだ。この継承を知るのは虚空(丸山アイ)・千里などごく少数の人のみである。そもそも2代目は「自分は子牙を名乗るには力不足」といって子牙を名乗っていなかったし、実際大きな力も持っていなかったから彼女の死で“力の空白”は生じなかった。そのため、子牙が亡くなったこと自体に多くの人が気付かなかった。
さて善美は後継者には指名されたものの実際にはあまり霊力が無いので、実務は千里に頼った。それで3代目・子牙というのは、実は善美と千里(主としてV)の“二人羽織”状態になるのである。善美は霊力こそ小さいものの“伊豆霧”という強い龍を眷属として連れていた。それで結果的に彼やその仲間たちが千里の保護下に入ることとなった。彼らは九重たちや勾陳たち、また北海道の龍たちとすぐ仲よくなった(チャンバラごっこの仲間)。
九重たちが関西の龍であるのに対して伊豆霧やその仲間たちは関東の龍でこの中に常陽兄弟などもいる。関西組の中心は九重や南田兄弟などの“八龍”グループだが関東組の中心になったのが七石グループ(白石・青石・赤石・黒石・上石・中石・下石)だった。
ある日、白石は言った。
「カズノコがいっぱい食いてー!」
「カズノコ養殖でもする?」
「カズノコが泳いでたら怖いぞ」
「そうか。カズノコの親魚を育てればいいのか。カズノコって、何の卵だっけ?」
「漁師の娘の発言とは思えん」
「特に留萌の漁師の娘の発言とは思えん」
「ニシンの卵だよ」
「じゃニシンを養殖する?」
{できるのか?」
「なんかでっかい生け簀で飼えばいーんじゃない?」
「基本はそれだと思う。管理が難しいけど」
「管理はあんたたちに任せた」
しかしそんなことするのなら、船が必要だと千里は思った。そこでスケソウダラの不漁で廃業する船の中で割と設備がまだ新しめのものを、きーちゃんに村山千里の名前で買い取らせた。
「ああ。村山さんのお嬢さんになら売るよ」
といって船主さんは快く売ってくれた。これが第八潮見丸といい、これから10年ほど、白石たちの良いおもちゃとなる。売ってくれた船主さんは、お陰で船員さんたちに退職金を払うことができたらしい。きーちゃんは船と一緒に漁協の株も買った。これがなければ魚を市場に揚げられない。
彼らの“養殖”は洋上を網で大きく区切って生け簀化するなどかなり大雑把な手法ではあったが、“しけ”に対してはバリアを張って魚たちを守るなどダイナミックな手段で1年半、魚を育て上げた。それで翌年末には大量の鰊を初水揚げできた。
「おお鰊か。随分たくさん穫れたね」
「漁場は秘密ね」
「(ロシア領海に)越境してないよね?」
「大丈夫。日本の領海内で穫った」
「だったら問題無いよ」
しかしそれで留萌港から数十年ぶりに大量の鰊が出荷され、大量の
カズノコも得られて白石たちは満足したのであった。
白石たちは養殖場から少し離れた海域に他の漁船(特定の船限定)がいる時に鰊を一部放流した。放流は毎週土曜日に行った。それで、それらの船も鰊を獲った。それらの船も漁獲場所は秘密にした。しかしそれで『留萌沖に鰊のいる場所があるらしい』、『土曜日に獲れるらしい』という噂(土曜日の鰊伝説)だけが留萌の漁師の間に伝わった。
この春、千里(R)はH大学付属姫路高校に進学したのだが、スポーツ特待生クラスであった。ここに居れば一般科目の成績は問われないし、授業料も要らない。千里は剣道の特待生だが、同じクラスに野球部の特待生で青沼明君という子がいた。千里は密かに彼に、同じく野球をしている初恋の人・青沼晋治の影を重ねていた。彼が新学期早々『俺学校を辞める』と言い出したのである。
「どうしたの?」
「怪我してしばらくプレイできないから特待生の枠から外された」
「わたしたちスポーツ特待生って常にそのリスクがあるよね」
と同じ剣道部の島根双葉が言う。
スポーツ特待生制度は全国の高校にあるが、怪我して特待生から外され、高校も退学するハメになる生徒は毎年多数出ている。
「それにしても怪我が治るまで一般生徒で頑張るとかは」
「編入試験受けたけど合格点に1点足りなかった」
「1点くらいオマケしてもらえないの?」
「それにしても授業料が払えん。親父廃業するらしいし」
「青沼君のお父さんって何してるの?」
「岡山で牡蛎の養殖してるけど、設備投資に銀行から借りたお金が返せなくて破産するしかないらしい」
「岡山で牡蛎?」
「広島の牡蛎って有名じゃん。広島でできるなら岡山でもきっとできると言って親父は始めたんだけど広島の牡蛎みたいなブランド力が無くて」
「ああ」
(この物語ではそういうことにしたが、実際には岡山県は牡蛎の生産は広島県に次ぎ全国2位。宮城県より多い)
千里は、きーちゃんに相談した。
「お金の問題なら天野産業で融資してあげて救済できない?」
しかし、きーちゃんは言った。
「これお金の問題だけじゃない気がする、きっと営業力にも問題がある」
「ああ」
「岡山の牡蛎というのをうまくアピールできてない。営業できる人材が必要」
「うーん・・・・」
それで、きーちゃんは杉村真広に相談したのである。
「よし。うちの社員をそちらにやろう」
それで彼女は、北海道新鮮産業の根室支店・副店長だった山藤さんをこちらに派遣してくれることになった。彼はしっかりした経営観の持ち主で真広は彼を買っていたのだが、根室支店の店長とも真広の父とも合わず冷遇されていた。彼は根室で昆布の養殖を手がけていた。動物と植物の違いはあるが、牡蛎も昆布も“無給餌養殖”をするという共通点がある。特に餌をあげなくても海に漬けておくだけで養殖できる。
彼のために“岡山新鮮産業”という会社を設立して、彼に社長になってもらう。この会社は天野産業の100%子会社だが、新鮮産業のノウハウで運用する。
彼は腹心の部下3名(久保・佐藤・元岡)と一緒に岡山に来ると積極的な活動をした。まず、青沼海産を天野産業の資金で買収し、設備投資資金の返済問題を解決。それとともに。ここの牡蛎を使った牡蛎フライを作り、関西一円のスーパーに持ち込んで美味しさをアピールした。それで販路を開拓したのである。ここの牡蛎はやや小粒だが加熱してもあまり縮まず、ジューシーで牡蛎フライによく合った。それでスーパーでは、お惣菜用に買ってくれた。むしろ売れすぎて、養殖の面積を拡大することになる。スタッフも増員した。
しかしこれで青沼君のお父さんは“雇われ社長”として安定した収入が得られ、授業料を払えるようになる。青沼君は点数をオマケしてもらって、半年間一般生徒として頑張り、甲子園予選には間に合わなかったものの9月には特待生に復帰して・ベンチメンバーにも入ることができた。
しかし山藤さんは千里と初めて会った時
「あんた変な人だ」
と言った。
「真広ちゃんが変な人だと思ってたけど村山さんはもっと変だ」
とも言っていた。
「あはは。変人同士で気が合うんです」
「ああ、そうだろうね」
さて、千里と真広はそのようにして“岡山新鮮産業”をたちあげたのだが、その後、真広から“北陸新鮮産業”という会社を作らないかという提案があった。
「なんで北陸?」
「お米が欲しい。新潟産コシヒカリも富山県産コシヒカリも名品」
「確かに」
「北海道ではあんなに美味しいお米は作れないんだよ」
「ああ」
「北陸は結構寒冷だから結構うちのノウハウが使えるし、うちが持ってる種からきっと作物が育てられる」
「そうかも」
)
ただしこの付近の本格的展開は千里が北陸に拠点(青葉)を持つことになる2011年以降の展開になる。特に大豆など2022年に初めて作付けした。ただ長野や富山の高原地帯にレタスなどの農場を作ったり、乳牛を飼う牧場を結構作り、牛乳・バターなどを生産した。
能登の鰤・岩牡蠣・クジラ、富山の白エビ・ホタルイカなどは結構北海道に送った。魚の輸送にこちらも谷口海運という海運業者を買収し、北北海運という名前に改名した。北若海運と連携して運用する(おかげでクルーがしっかり休みを取れるようになった)。この船で新潟・富山のコシヒカリや能登の鰤・鯨などを北海道に送り、北海道の小麦粉を北陸・関東に運んだ。(当時長野県本拠地で関東方面で売られていたパンメーカーに卸していた
また翌年には留萌のサクラマスを富山に送るようになる(鱒寿司用)。
天野海運(後の朱雀海運)
┣北若海運(留萌・小樽−舞鶴)
┣北北海運(小樽−富山)
┗北総海運(苫小牧−勝浦)
山藤さんの部下・元岡さんに北陸新鮮産業の社長をしてもらったので、資本的な依存関係は無いものの、北陸新鮮産業は岡山新鮮産業の精神的な子会社である。
さて、千里はH大姫路で剣道部に入ったのだが、4月23日(日)には、兵庫県高校剣道の春の大会が行われた。この代表選考で少し揉めた。
「当然、木里さんと村山さんに大将・副将を」
と上級生。
「そんな。1年生が大将とか聞いたことないです。私たちは先鋒・次鋒で」
と清香・千里。
しかしこの大会では顧問の鐘丘先生が
「どの位置に置いても変わらない気がするけど」
と言って、次のようなオーダーが決まったのである。
先鋒・島根双葉(1年・二段)
次鋒・村山千里(1年・三段)
中堅・木里清香(1年・三段)
副将・武原玲花(2年・三段)
大将・横山恵美(3年・三段)
千里と清香の三段は全国大会優勝のご褒美に特例で授与されたものである。
そして大会が始まってみると鐘丘先生が「どの位置に置いても変わらない」と言った通りであった。1回戦不戦勝のあと、2回戦・3回戦・準々決勝と、双葉だけで相手5人に勝ったので千里以下4人は座ったままであった。座り大将・座り副将・座り中堅・座り次鋒である。準決勝は西宮のW学院であったが、双葉は相手の副将まで倒したが、大将に敗れた。しかしそのあと、千里が出ていき、鮮やかに大将を倒して決勝進出である。
決勝の相手は兵庫県の絶対王者・神戸市のE高校であった。先鋒の双葉は相手の中堅まで倒したが、副将との闘い、延長までもつれて敗れた。しかし千里は相手を瞬殺する。そして相手大将・西川さんからも時間内に2本奪って勝った。
それでH大姫路は春の大会に優勝したのである。しかし鐘丘先生は連盟から
「強い人を先のほうに置くオーダーはよくない」
と注意された。それで次の大会(インターハイ予選)からは、ちゃんと実力順のオーダーにすることを約束した。
ところで西の千里が高校時代に清香・公世と一緒に住んだ家(現在の西の千里の家でもある)は、橘丘新町という新興住宅団地内にあったが、この団地の入口の所に立花K神社という小さな神社があった。中学時代の千里に剣道を指導してくれた越智さんという人の親戚がここの宮司をしていた関係で、千里はH大姫路高校に入学する前からここのバイト?巫女をしていた(バイトではなく正職員だった可能性が濃厚)。神社では様々なものを売っている。
御札、御守り、熊手や破魔矢・絵馬などの縁起物、神棚、神宮館の運勢暦、三重県本拠地の業者から仕入れていた招き猫・ダルマ・蛙(当時は千里も直接ルートを持ってなかった)、銀杯、扇、茶碗と箸、鉛筆、福米、御神酒、お清めの塩。
そういった開運グッズに紛れて万代飴という素朴な飴も売られていて、わざわざこの飴だけ買いに来る人もあった。
4月下旬、この飴を納品に来たおばちゃんが言った。
「もうこれが最後になるかも」
「どうしたんですか」
「お金が無くて、もう材料も買えないし給料も払えない、とうちの社長が」
「ありゃぁ。この飴、美味しいのに」
千里も買って食べたことがあるが、ほんとに美味しい飴だと思っていた。
それで、きーちゃんに動いてもらったのである。きーちゃんは最初に自分は“峠の丼屋”という飲食店を経営していて、店頭に置きたいから飴を売って欲しいと申し入れた。しかし社長さんから資金難で廃業予定と聞かされる。それでお金の問題ならうちが出資しましょうと言ったのである。
それでこの名も無きお菓子屋さんを“株式会社・万代堂”として会社化し、その全株を天野産業が引き受けた。社長はこのお菓子屋さんの御主人の娘婿の交野(かたの)淳一さんという人にやってもらうことにした。千里もきーちゃんも彼を見た時、すごい“やり手”だと思った。彼は市内の不動産会社に勤めていたが、そちらを退職してお菓子屋さんの経営に専念することにした。
ところで留萌で村山家の古い知り合いに福居さんという一家がいた。福居さんは現在60代で、孫もいる。福居さんの息子は農協に、孫は新聞屋さんに勤めていた。一家は以前市営住宅の村山家の近くに住んでいたが、8年ほど前に市内に家を建てて引っ越していた。福居さんは留萌湾内でホタテの稚貝の養殖をしていた。千里の父は昨年スケソウダラの漁船が廃業したあと、福居さんに声を掛けられて、このホタテ稚貝の養殖場を見回る作業を時々一緒にしていた。
しかしその日福居さんは言った。
「村山さん、養殖もう辞めるかも」
「どうしたんです?」
「養殖始めた時の設備を整えるのにマリンバンクから2000万借りたんだけど返済がきつくて」
養殖も大変なんだなと千里は思った。ちなみにこの話を聞いたのは旭川のN高校に行った“東の千里”千里(F=Bs-Y1-Bw.)(第二次統合千里)である。鰊(にしん)の養殖や岡山の牡蛎(かき)の養殖に関わったのは“西の千里”千里(R)である。
千里(F)は、きーちゃん(2)に相談した。
「何とかしてあげられないかな」
「何とかしよう。千里、一緒においで」
「うん」
それで、きーちゃん(2番)は千里(F)を連れて福居さんの家に行ったのである。
「こちら母の親戚の天野さん」
と千里は貴子を紹介する。
「それで福居さん、設備投資の借金の一部をうちで引き受けられませんかね」
「どのくらい?」
「1000万くらいなら出しますよ」
「それだけ出してくださるのでしたら養殖の設備は私と天野さんの共有にしましょうよ」
「いいですけど、私は社長とかしないから、福居さんが社長はお願いしますよ」
「分かりました」
でも貴子は会長に任命されてしまった。それで、福居海産は貴子が会長、福居さんが社長という状態で運用され、この年は武矢は巡回1回あたり5000円の手間賃をもらうことになる(翌年度からは月3万円)。武矢と時々(夏頃からは毎回)一緒に巡回する福居さんの孫の忠行君も同額のお小遣いをもらっていた。もっともこの年は武矢は主として船を動かすだけで、貝の様子は福居さんまたは忠行君が確認していた。
(福居さんが孫に交替したのは病気で身体が不自由になつたため)
姫路。
インターハイ予選が迫る中、女子剣道部主将の横山さんぱ
「私学校辞めるかも」
と言い出した。
「何かあったんですか」
「お父ちゃんの会社が廃業するらしくて。お父ちゃんも失業濃厚なのよ」
「お父さん、何の会社に勤めてるんですか?」
「岡山なんだけど、ハマチの養殖なのよ」
また養殖かい、と千里は思った。鰤は関西ではワカナ・ツバス→ハマチ→メジロ(イナダ)→ブリ. と出世する。“ハマチの養殖”というのは、ブリのサイズになる前に水揚げして出荷するのか?あるいは、地域によっては養殖物をハマチと呼ぶので、その流儀か。
ブリの養殖では海面を網で区切り、生け簀の状態にしてそこで魚を飼う。白石たちがやっている鰊(にしん)の養殖とも似ているが、ブリは湾内など穏やかな海で育てるし、餌はペレットと呼ばれる固形餌である。白石たちは他人に見付かりにくい沖合に養殖場を設定したし、小魚などの生餌で鰊を育てている。
千里は岡山新鮮産業の久保さん(山藤さんの部下)に状況を調査してもらった。
すると。横山さんのお父さんが勤めている会社・白川漁業は、生産したブリを今まで買ってくれていた海産物流通会社が倒産して販路を失い、苦しんでいた。また養殖設備・船などの設備投資の借入金返済にも苦労していた。