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男はよろよろと歩いて来たが手に持つ銃をこちらに向けた。
千里は狙いを絞ると相手を怪我させないように威力を充分弱くして男の足に向けてエネルギー弾を発射した。男は銃のトリガーに指を掛ける前に躓くようにして倒れた。後ろから追いかけて来た警官たちが男を拘束し手錠を掛けて逮捕した。
「君たち怪我はない〜?」
と警官がこちらに向かって言った。桜井君(野球部)が
「こちらは大丈夫ですよー」
と答えた。念のため
「みんな大丈夫だよね?」
と言って周囲を見回す。
「誰も声とかあげてないし大丈夫じゃないかな」
と宮本君(サッカー部)。
宮本君はサッカーボールをリフティングしている。桜井君は野球のボールを握っている。宮本君が千里に訊いた。
「もしかして村山さん何かした?」
「あ、そういえば村山さん、小学生の時ソフト部だったと言ってたね」
「うん、まあ」
「球技大会の時凄いピッチングしてた」
「5者連続三振とかやってた」
「あの男に石でも当てたの?」
「桜井君も宮本君もボール当てるつもりだったでしょ?」
「高崎君(柔道部)は男が来たら投げ飛ばす態勢だったみたいだけど、あんな危険な奴は遠隔攻撃に限るよ」
「銃持ってたね」
「M36だった。多分あの男、警官を襲って銃を奪ったんだよ(*1)」
「よくこの距離から識別するね」
(*1) 日本の警察官の銃は以前は新中央工業のニューナンブM60が使用されていたが同社が銃器の製造から撤退したため、その後アメリカのS&W(スミス&ウェッソン)が日本の警察向けに製造しているM36の派生モデル M360 "Sakura"が使用されている。このモデルはグリップなどに一部ミネベア(新中央工業の後継会社)の部品が使用されておりS&Wのロゴに加えてミネベアのロゴ"NMB"(*2)も入っている。日本の警察や海上保安庁などにのみ出荷されており、市販はされていない。
なお中央工業の前身は南部麒次郎陸軍中将が設立した南部銃製造所である。中央工業は戦後いったんGHQにより業務停止した後、警察や保安隊への銃の供給と米軍の銃器のメンテのため新中央工業として再建され、1975年にミネベアに吸収された。
(*2) NMB = Nippon Miniature Bearing 。どこかのアイドルグループではない。ミネベアの主力製品はミニサイズのベアリング(機械等の回転をよくするための金属ボール)である。この分野では世界的にシェア1位。元会長・高橋高見の経営理論には尊敬する人が多く(批判者も多い)、弟子ともいうべき経営者・経営コンサルタントもまた多い。長崎バイオパークとオランダ村(後のハウステンボス)の創設者・神近義邦なども弟子のひとり。
その日の夕方のニュースが報道していた。
「今日午後2時頃、姫路市内の派出所で道案内を依頼する振りをして入ってきた男が居合わせた警官をナイフで襲う事件がありました。男は警官の銃を奪って逃走しましたが、襲われた警官の必死の通報で近くを警邏していた他の警官が急行して追跡、男を銃刀法違反の現行犯で逮捕しました。襲われた警官は2ヶ月の重傷ですが、幸いにも他には怪我人はありませんでした。奪われた銃は1発発射された跡がありましたが、付近で銃弾に当たった人はいないもようです。警察では弾丸の行方を捜索しています」
この弾丸は結局翌日、H大姫路の校門の学校名が書かれた看板にめり込んでいるのが発見された。学校ではあらためて各クラスに誰か怪我した人がいないか緊急調査をした。
きーちゃんは頭が良くて霊力が高く、人脈も豊かなので東西の千里から一番良く使われている。それで忙しいので、時々6人のきーちゃんの内2人以上が協同していることもある(基本的に0番は全体司令室にいるだけで自らは動かないので1〜6で対応する)
西の千里に関わる姫路の案件は主として1番ノエルが処理しているが、時々6番のアンナ・マリアが手伝っている。そして東の千里に関わる旭川の案件は主として2番のルミナが処理しているが、時には3番のセリナが手伝っている。セリナは1番ノエルの手伝いをすることもある。
千里が複数居ることをノエルやセリナは(実際に複数の千里を見ているので)認識しているが、ルミナは認識していない。ただしノエルにも複数の千里を見分けることはできない。腕時計のベルトの色が頼りである。逆に複数のきーちゃんを見分けているのはGとRくらいでVは分からないと言っている。一応腕時計が違うが偽装している場合もあるのは千里同様である。
1番ノエル:ロレックス
2番ルミナ:カルティエ
3番セリーナ・パピヨン:フランクミュラー
4番マルガリータ:ウブロ
5番エヴァ;シャネル
6番アンナ・マリア:オメガ
0番ジャンヌ:?
夜梨子(千里Y2)は、9月下旬の土曜日、ガード役のコリンを連れて、新幹線を乗り継ぎ東北の仙台まで行った。駅まで光辞研究会の湯元さんが迎えに来ていたので彼の車レクサスに乗り彼の拠点であるC神社まで行く。
社務所の応接室に通され、極上のコーヒー(トアルコトラジャ)とケーキを頂いた。
「村山さんに見て欲しいものがあったんですよ」
と言って光辞の写し?が書かれた紙を渡される。
「それ“読め”たりしませんよね?」
夜梨子は“読んだ”。
「心を中に保ち、正しい声を聴き分けよ。いかにも信頼できそうに見える者の言うことがしばしば間違っている。我は神なりと名乗る者はたいていよこしまな小物である。正しい声は注意深く聴かないと聞こえない」
「おお!やはり読めますか」
「これはどうしたんです?」
「うちの光辞研究会で村山さんから頂いた光辞のコピーをお手本に参加者の方が各自自分で書き写しをしているのですが、その中で七森さんという方が描き写したものなんですよ」
「コピーの写しなんですか!」
「そうなんですよ。でもこの写しが他の人の書いたものに比べてひときわ輝いているような気がしましてね」
「なるほど」
「村山さんが、真理さんの書写した光辞は読めたのにPPCでは読めなかったとお聞きしていたので、光辞は描き写さなければならず、コピーでは本来の力を失うのかもとも思っていたのですが、もしかしたらコピーや写真を経由しても最終的に巫女力のある人が書き写せば力を持つのかも知れません」
「だったら、光辞の出版で日本中にたくさんの分霊ができるかも知れませんね」
「それこそ来光さんが望んでいたことですよ。この話、恵雨さんに話していい?」
「どうぞどうぞ」
「きっと出版事業の励みになるよ」
千里(夜梨子)は七森さんとも会ったが、見るからに霊力のありそうな人だった。教祖とかにもなれそうだ。彼女は自分が書き写した光辞を千里が朗読できたというので嬉しがっていた。そして数年掛けても全編描き写したいとも言っていた。
「でも光辞の書き写しは凄い体力・精神力を使いますから無理なさらないでくださいね」
「はい。ちょっと描き写すだけでもぐったりになりますね」
「休憩しながら、美味しい物も食べて」
「ええ」
「1日に描き写す量を決めておいて決してオーバーペースにならないようにしたほうがいいです」
「そうします!」
悩んだ時、いろいろ聞いてもいいかと言われたので自分の分かる範囲なら答えますよと言って彼女とは電話番号とメールアドレスを交換しておいた。恵雨さんに聞いてもらったほうが役に立つとは思うが、高齢で体力を使わせるのが申し訳無いし、そもそも恐れ多い。
帰ろうとしていた時、神社の玄関に置いてある張り子の首振りべこ(牛)人形が気になった。
「可愛いですね」
「お気に入りなら、これ作ってる工房に案内しましょうか」
「あ、はい」
それで千里とコリンは湯元さんの車で東北道を南下、郡山JCTから磐越道に分岐。会津若松ICで降りて、会津若松市内のヤング・クラフトショップというところに連れて行ってもらった。お店の看板に「ナうなヤングのベコ牛」と書かれている。
「いらっしゃい」
と言って出て来たのは、ヤングだった頃にゴーゴーを踊ってたかもという感じのハイカラなお婆ちゃんである。
「ヤングというのはもしかして“若松”からですか」
「そそ。♪めでためでたの若松様よ♪」
とお婆ちゃんは歌い出したが上手い!民謡の名人級だと思った。
もっともこの歌の若松様と“会津若松”の若松は無関係と思われる。会津若松の若松は、この地を治めた蒲生氏郷(がもう・うじさと)の生まれ故郷(現在の滋賀県日野町)にあった“若松の森”という森の名前に由来する。
お店の中には多数の赤べこが並んでいる。
「凄く可愛い」
「これとか今風にアレンジしたものだけど、やはりこちらの伝統的なデザインのが売れるのよ」
「ああ、私もこちらがいいです」
「何なら2〜3個買ってかない?」
「じゃ取り敢えず10個買ってこうかな」
「10個ってあんたお店か何かしてんの?」
「神社なんです」
「だったら、来年のえとの縁起物にどーんと20個くらい買ってかない?卸値で売るよ」
「じゃ20個」
ということで夜梨子はここで赤べこ定価1680円を卸値1176円で20個買ったのである。お店のパンフレットもたくさんもらった。
荷物はコリンに持ってもらったが、帰りは湯元さんに郡山駅まで送ってもらい、そこから新幹線で姫路に帰還した。
“光辞が出版されると光辞の分霊が多数出現するかも”という話にロビンは懐疑的だった。
「だって光辞が出版されてそれを何人が買う?」
「うーん。東野啓吾みたいには売れないだろうからなあ。それでも1000人くらいは買ってくれないかなあ」
「仮に3000人買ったとして、その中の何人が自分でも書き写してみようとする?」
「うーん。。。20-30人くらいは」
「さて、その中に何人能力者がいると思う?」
とロビン。
「ゼロだね。だめだ、こりゃ」
と夜梨子も言った。