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京教では8月3-7日に前期の試験が行われた。その結果が発表され、全員単位が取れたことを確認し、千里たちは8月12日(水)にフィンランドに向けて出発した。
朝から関空に集合し、飲み物食べ物を買ってから、アムステルダム・スキポール空港行きのKLM(オランダ航空)便に乗る。
なお公世はsex:Fと書かれたパスポートでもちろんノートラブルだった。
KIX 10:20 (KL0868 B777) 15:00 AMS (飛行時間11h40m)
飛行機の座席は左端の窓際に公世、その隣が千里、その隣の通路側に双葉、通路をはさんで清香、シルキーである。シルキーの向こう側は空いている。
「何時に着くの?」
と双葉が訊く。
「15:00」
「じゃ5時間か。オランダって結構近いのね」
「違う違う。日本とオランダの時差が7時間あるから約12時間のフライト」
「半日かあ」
「地球を1/3くらい回るからね。関空が東経135度、アムステルダムは東経5度。だから子午線を130度移動する」
「長いね。何してよ?」
「寝てるの推奨」
「ゲームでもしてるかな」
「疲れるだけという気がする」
清香は映画を見ていた。公世は目を瞑って音楽を聴いている。どちらもきっと途中で眠ってしまうだろう。双葉はDSをしていたが、2時間近くして日本時刻の時計でお昼頃、最初の食事が出てくる。千里はそれを食べたところで音楽を聴きながら眠った。
双葉の「お腹空いたよぉ」という声に起こされる。時計(日本時刻)を見ると16時すぎである。ああ、起きてればそろそろお腹空くかもね。
「はい、お弁当」
と言って双葉に渡したら、清香も「お弁当、私も食べようかな」と言うので渡した。公世とシルキーは寝ているようだ。
「暖かいね」
「保温バッグに入れてたからね」
「凄い」
実際は今アイリスに買わせて機内に転送したものである。これをやってみたかったので先日大祓の時に桜ジェットの中で練習しておいた、時速100kmの車の中や時速200kmの新幹線の中への転送は経験があったが、時速800kmの飛行機への転送は、あれが初めてだった。B777は桜ジェットより少し速い900km/h くらいである。きーちゃんは
「速度は関係無いよ。人工衛星から転送した事もあるよ」
と言っていた。人工衛星だと速度も凄いが、距離も凄そうである。
お弁当を食べた後、音楽を聴いていたら眠っていた。日本時間の時計で20時頃、機内食が配られるので起きて食べた。公世とシルキーも起きて食べていた。
飛行機は日本時間の時計で22時にアムステルダム空港に到着した。
「乗換はどのくらい?」
「なんと明日の朝まで無い」
「そんなに時間あったら何してるのよ?」
「ホテル取ってあるから休も」
と言って一行はこのアムステルダムで、いったん入国することにする。入国審査を通り空港のそばの予約しているホテルに入る。ホテルの部屋はシングル5つである。公世をシングルにせざるを得ないし、シルキーを他の子と同室にするのはお互いに気を遣うから彼女もシングルにする、となると、千里と清香は同室にすることも可能ではあるがそこだけツインにするのも不自然なので全員シングルになった。ただ明日の朝、誰が清香を起こすのかという問題はあるが!公世を清香の部屋に転送してやろうか?
ともかくもこの日はホテルのレストランでワーテルゾーイ(クリームシチューみたいな料理)とオランダ風パン(パンの中にチーズが入っている)を食べた跡、みんなでホテル近くのスーパーに行き、食料(非常食?おやつ?)を買い出ししてホテルに戻った。
清香・双葉・公世にシルキーまで日本語で色々訊くのを千里がオランダ語で店員さんに尋ね、けっこう満足いく買い物ができた。
「千里、オランダ語もできるのね」
「オランダ語はできる。でもオランダでは英語もかなり通じると思うよ」
と千里は言うが
「英語で会話する自信無い」
とみんな言っていた。
シルキーは
「ヨーロッパでは16歳以上ならお酒飲めるんだよ」
と言ってハイネケンのグリーンボトルを買っていた。ハイネケンはオランダを代表するビールである。
(フィンランドでは18歳以上だが今オランダに滞在中なのでオランダ方式で16歳で飲むことができる。この5人は全員18歳以上なので、どっちみち問題無い)
ホテルでは双葉の部屋に全員集まり、ビールで乾杯し、ポテチとかチョコとかチーズとかウィンナ・ソーセージに、小形のクロケットなど食べながらおしゃべりしていた。
(クロケットは日本のコロッケの元になった、油で揚げた料理。オランダでは手軽に食べられる料理として人気が高い)
翌日はホテルの朝食を食べるが典型的な“コンチネンタル・フレックファスト”なので清香が「こんなんじゃ足りん」と言い、結局またスーパーに買い出しに行き、パンやウィンナーなどを買ってきて食べた。
腹ごしらえが出来たところで空港に入り、ヘルシンキ行きの飛行機に乗った。
8/13 AMS 9:40(KLM B737) 13:05 HEL (2h25m)
所要時間は2時間半だが、時差が1時間あるので到着は現地時刻の13:05である。日本時刻では19:05になる。機内食が出て来たが、清香が「これ晩ご飯だっけ?」などと言っている。
「清香、時計が日本時刻のままなのでは?」
「どうすればいいの?」
「清香の時計も双葉の時計もワールドウォッチ機能があると思うから、ギリシャあるいはアテネに合わせればいい」
「アテネでトランジットするの?」
「違う。違う。フィンランドが゛ギリシャと同じ時刻帯に属している。ヨーロッパ東部時刻。それで夏時刻にしてね」
「ああ、そういうことか」
双葉はそれで調整していたが、清香はよく分かってないようだった(特に夏時刻を理解していない)ので、公世が調整してあげていた。
ちなみに今朝、清香を起こしたのも公世である。5分くらいおきに「さやちゃん、朝だよ」「朝だよ。起きて」と声を掛けるというのを、1時間ほどひたすら続ける。ちーちゃんはよくこれを毎朝やってるよと思ったらしい。最後は「朝御飯食べに行こう」で起きたらしい。でもその朝御飯がパンとコーヒーとサラダだけだったので「腹減った」となったのであった。(サラダがあるだけまだマシだと思う)
「ところでフィンランドという名前は英語っぽいけど、フィンランド語では何と言うの?」
「スオミ」
「へー」
「英語とは全然違うね」
「そういう国は多い。スペインはエスパーニャだし、ジャーマニーはドイチだし」
「ドイツはまだ日本語のほうが原語に近い」
入国手続きは既にアムステルダムで終わっているので、そのまま連絡バスでヘルシンキ中央駅に移動する。近くのスーパーで食料を買い込んだ。
「しかしヘルシンキって凄い名前だ」
と清香が言っている。
「日本人の耳には辛気くさい地獄と聞こえる」
などと言うと、シルキーが笑っている。千里は言った。
「スカンジナビアの言葉でヘルというのは急流という意味。ノルウェーにはヘルゴヤという地名もある」
「地獄の小屋か」
双葉が「ムーミンに会いたい」と言っているので、先にムーミンワールドに行くことにしている。ヘルシンキ中央駅から特急でフィンランド第3の都市トゥルク(Turku) に移動する。かつてはフィンランドの首都であった古い都市である。
ムーミンワールド(Muumimaailma) はトゥルク近郊の小さな町ナーンタレにある。一行はその日はトゥルクのホテルで一泊したが、清香はホテルの飯が不味いと文句言っていた。
「フィンランドの料理はイギリスの次に不味いと言われるからね」
とシルキーが言っている。
「そんなに評判が悪いのか」
「貧乏な国で大した食材が無かったから」
ただ、お粥入りのパン(カレリアン・ピーラッカ)は双葉が面白がっていた。
「お米文化とパン文化のクロスポイントだ」
などと言っていた。
結局近くのスーパーに行き、色々買って帰って部屋で食べた。
「あれ?何かイギリス人のコックを雇い、日本の家に住んで、とかいうジョークがあったよね」
「ああ」
「世界で最も幸せな男は、アメリカの給料をもらい、中国人のコックを雇い、イギリスの家に住み、日本人女性を妻とする男だ。そして、最も不幸な男は、アメリカ人女性を妻とし、中国の給料をもらい、イギリス人コックを雇い、日本の家に住む男だ」
「あはは」
「まあアメリカの給料といってもトップは凄い給料もらってるだろうけど、下っ端は安いからなあ」
「日本より住宅事情の悪い国もたくさんある」
「スイスとかもパンが不味いことで有名」
「へー」
「スイスは永世中立国だから、国防のため、小麦を数年分備蓄していて、古いものから順に使う。だから新しい小麦が使われないのでパンがまずくなる(*14)」
「それは仕方無いな」
「不味いパンを美味しく食べるためにフォンデュが発達した」
「なるほどー」
「日本もかつては食糧管理制度(*13)で米は全部政府が買い上げて、古古米とかから売ってた。消費者の米離れが起きた上に備蓄のコストがかかりすぎて、食糧管理制度自体が崩壊したけど」
(*13) 元々は戦時中の食糧不足に対応するために生まれた制度。米だけでなく、麦や芋まで対象になった時代もあった。戦時中は配球方式。戦後は販売方式になったものの、1970年頃までは、米穀通帳というものがあり、これを“米屋”さんに持って行かないとお米が買えなかった。スーパーで米が買えるようになったのは、1985年頃からだったと思う。
元々少ない米を国民に平等に行き渡らせるためにできた制度だったが、戦後豊作が続き、一方国民の食生活が洋風になって、米の消費量は落ち、米は逆に余るようになった。そのため、どんどん溜まる米の政府在庫を古いものから売却するため、政府から出る米は1年前の古米、2年前の古古米、3年前の古古古米と、どんどん悪化した。また備蓄コストの増大に加え、政府の生産者買い取り価格の方が消費者売り渡し価格より高い“逆ざや”のため、米は政府に巨額の赤字をもたらし3K(米・国鉄・健康保険)と言われた。
生産者が政府に納めず直接消費者に売るヤミ米(戦後間もない頃のヤミ米とは全く性格が違う)が横行し、やがて“自主流通米”として追認される。美味しいお米として認知されていた。一方政府から出るお米は“標準価格米”と呼ばれる様々な品種産地をミックスした米で、とてもまずかった。結局は食管制度は廃止され、様々なブランド米が売られる時代が到来した。ササニシキ、そしてコシヒカリが評判になり、あきたこまち、きらら397なども存在感を見せて、消費者がお米の味を選ぶ時代となった。
(*14) スイスの小麦の話は筆者が中学生時代に聞いた話で、今はもうやってないという説もあるが、廃止されたという信頼できる資料が見当たらないし、今でもスイスのパンはまずいと書いているサイトは多いので、まだ続いている可能性がある。