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■女子大生・夏は絹(7)

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6月21日(日).
 
姫路の立花K神社では、和弥・越智さんと数人の氏子さんの手で茅の輪が設置された。今年も大祓の季節である。氏子さんたちには既に人型(ひとがた)が配られている。
 
留萌のP神社でも茅の輪が設置された。こちらも既に氏子さんたちには人型(ひとがた)が配られている。
 

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6月23日(火).
 
高田裕人はついに最後のひとり、熊野サクラを発見した。大阪の飲食店で働いていたのを鞠原の友人が見つけてくれた。これで後は合宿にちゃんと村山千里と佐藤玲央美が来てくれればフルメンバーで世界選手権に行くことができる。
 

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6月23日(火).
 
遠駒恵雨さんが名古屋の自宅で亡くなった。91歳だった。
 
遠駒春来と高木真理の直接電話会談で、喪主は嫁に当たる遠駒藤子が務め、春来が葬儀委員長をすることになった。通夜・葬儀は名古屋の一般の葬儀場でおこない、普通に親族などのみで葬儀(神式)はおこなって、教団葬のような形にはしないことも決めた。実際理数協会も解散済みである。葬儀の祭主は中立派の教師、弘田月影さんにお願いする。
 
通夜・葬儀への元信者さんの出席もご遠慮願い、親族、来光か恵雨の直弟子などのみでおこなう。また香典の類いも全て辞退と宣言した。そう言っておかないと、恐ろしい金額が集まりそうである。
 
それで出席者は藤子・真理、真理の夫である高木東治、紀美・貞美の姉妹、春来と妻子、湯元雅成や岡本昭博などの高弟、など30-40人ほどになりそうだった。千里は恵雨の直弟子になるので、夜梨子が出席することにした。
 
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(今年は夜梨子もあれこれ忙しい。そういう日はたいていアイリーンか夜詩子が、京都北邸に入り、京平と遊んであげて國學院に通う。夜詩子(スモールy)は普段は姫路司令室に居る。夜詩子は夜梨子とよく似ているので京平には区別が付かない。もっとも京平には赤の千里と黄色の千里も同じに見える)
 

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恵雨さんが亡くなったことで光辞原本の帰属が問題になったが、春来が
「法令通りに」
と言ったので、藤子さんが相続することになった。相続税は「祭祀に関わる物」と認定されて無税だった。(来光が亡くなって恵雨が相続した時も同様の扱いだった)
 

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「せめて記帳だけでもしたい」
という信者さんからの声が物凄かったので、紀美から相談を受けて千里は名古屋郊外に体育館サイズの記帳所を九重達に作らせ、ここで記帳を受け付けることにした。待ち行列が凄まじいので番号札の発行機を設置し、待っている人のための休憩所を兼ねた食堂まで設置した。
 
建築費は約1000万円だったが全額喪主の藤子さんが出した。土地代は2億円で、これも藤子さんが出した。
 

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地元の人は「宗教団体の指導者が亡くなり、その弔問記帳所ができる」と聞いて、建設の反対運動をしようとしたものの、運動が組織される以前に記帳所は完成してしまい、運動は空振りに終わった。ただ、藤子さんは地元の代表と会い、いくつかのことを約束した。
 
(1) ここは恒久的な施設にはしない。遅くとも年内には閉鎖する。
(2) ここで宗教的な儀式・集会や布教活動などはしない。
(3) 騒音が無いように、また路上駐車などが無いように指導する。
 
駐車に関しては警備会社と契約して、多数の警備員に駐車場への誘導をしてもらった。
 
実際には、弔問客のおかげで地元の飲食店やコンビニなどが潤い、結構歓迎された。信者さんたちも概ねマナーが良かった。また食堂が安い(ラーメン300円カレー350円など。家賃が要らないのでこれで採算が取れる)ので地元の高校生や大学生、更には会社員や近所の主婦などまで記帳所の食堂を利用していた。
 
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記帳所が運用終了したあと、ここは自治体が買い取って居抜きで公民館になった。食堂跡には大手のファーストフードが入居した。
 

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雅に例年の10倍以上の注文が入ってしまったことは京都の呉服業界でも話題になっていた。多くの関係者が言った。
「とてもその注文をさばけるわけがない。雅はただちに注文を受けられないと表明して謝罪すべきだ」
 
しかし雅では5月中に丹後縮緬の製造業者に増産のお願いをする一方、昨年の振袖販売数の倍の数の但馬縮緬反物(現物)が5月中に亀岡市の倉庫に納入済みであった。それと同数程度の中国産縮緬の反物も6月上旬には輸入され、千里が急遽建てた姫路市内の臨時倉庫に納められた。またシルック生地も6月中旬には納入された。
 
そして6月29日(月)、千里が手配していたブラジル産縮緬を積んだジェット機が関空に到着した。恐らく一週間程度で通関できるものと思われた。千里からの連絡を受けて、小川社長は記者会見をした。
 
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(1) 既に仮注文を頂いた数を超える数の縮緬反物を確保した。
(2) 廉価品に使用するインクジェットプリンターも増設予定である。
 

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(3) 仮注文をして頂いた方が全員本注文をしてくださっても全員にちゃんと振袖を製作してお渡しできる。既製品振袖も充分な数を用意しているので、本注文受付終了後も、既製品振袖から選んで購入していただくことが可能である。
 
(4) 但し特上品の丹後縮緬使用・手描き友禅・注文お仕立て品は数が限られるので、だいたい7月中旬くらいで売り切れるものと思われる。早く本注文してくださる方は幅広いグレードの中から選択することが可能である。
(と言って↓のようなフリップを見せる)
 
特上品:手描き友禅・丹後縮緬使用
準特上:手描き友禅・国産縮緬使用
上級品:手描き友禅・上質縮緬使用
お買得品:プリンタ染め
 
20-30万円のお買い得振袖の本注文受け付け終了は月遅れのお盆8月15日くらいを予定している。
 
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(雅は7月頭には“振袖21”を発表し、グレードは5クラスになることが明らかになった)
 

業界ではおそらく韓国産や中国産の縮緬を含めて数をなんとか確保したのだろうと思われたようであった。“国産縮緬”に関しては首をひねる人が多かった。まず思いつくのは浜縮緬だが、そんなに数を確保できるとは思えない。群馬県産や北陸産など幾つかの産地を取り混ぜたものかもなどと見る人もあった。
 
これに関しては組合向けの説明資料で但馬縮緬と明記したのでそれを昨年の振袖販売数の倍確保したと説明され、組合側は驚いた。
 
「実はプリンセスのオーナーが但馬縮緬の工場を所有してるんですよ」
「それは運が良かったね」
と組合の理事さんたちが言った。説明会では理事さんたちに但馬縮緬のサンプルも配ったが
「これは丹後縮緬ではないのか?」
とその品質に驚かれた。
「うちのベテランの職人さんたち何人かに判定させたら全員間違えました」
「凄いね」
 
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ただ丹後縮緬使用品と但馬縮緬使用品は厳密に分けて丹後縮緬使用品のみを京友禅として売ることを表明し了承された。
 
それにしても縫製が間に合うのかというのは業界でも見方が割れていた。ただ、エレガントにプリンスプリンセスグループの資本が入ったことは知られていたので、その資金力で何とかするのかもと見る人たちもあった。
 
また業界では雅の既製品振袖買い付けに協力的だった。また縫い子の派遣をしてくれた会社も数社あった。雅が欠品問題を起こせば京都の呉服屋全体の信用にも関わる。この派遣してもらった縫い子さんたちは多くを東山の第一工房に入れた。
 
既製品の振袖買い付けは全部で300点ほど、金額では1億円を超えている。これとか反物の仕入れ資金も千里からの借入金を元にしているが、雅は1月に全額返済している。空前の利益も出たが、翌年の仕入れに使うことになる。
 
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しかし実際この大量受注問題は千里がいなかったら謝罪して全部キャンセルする以外の道は無かったであろう。
 

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縫い子さんの派遣には高額報酬を払ったので、派遣元にも喜ばれた。経営の苦しかったところがこれで持ち直したケースもある。結果的には大量受注は京都の呉服屋全体の利益となった。一歩間違えば雅もエレガントも廃業に追い込まれていたが。天国と地獄の分かれ道だった。
 

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6月27日、全日本女子学生剣道選手権大会および東西対抗戦が、静岡県武道館(藤枝市)で行われた。千里たちは新幹線で静岡駅まで行き、東海道線で藤枝駅まで行ってバスで会場に入った。
 
大会は11:30から始まった。最初に個人戦の全日本女子学生剣道選手権大会が行われる。出場者は全国各ブロック大会で上位に入った合計120名である。
千里も清香も順調に1回戦・2回戦・3回戦・4回戦と勝ち上がった。しかし双葉は4回戦で敗れ、BEST16で終わった。
 
千里は準々決勝で鹿児島の大学から来た桜田さんに苦戦したが延長で1本取り辛勝した。しかし準決勝で筑波大の金山さんに終了間際に面を取られて敗れた。それで千里は今年はベスト4(3位)だった。清香も同じく3位だった。
 
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個人戦が終わった後、東西対抗戦が行われる。東西の区分けはこのようになっている。
 
「東軍」北海道(2)東北(2)関東(5)北信越(1)
「西軍」東海(2)関西(4) 中四国(2)九州(2)
 
千里は関東の人と、清香は東北の人と当たり、どちらも勝った。しかし全体では東軍の勝ちとなった。
 
双葉も入れた3人は夕方の新幹線で京都に戻り、自宅に帰ってから打ち上げで焼肉(オージービーフ)をした。飲み物はコーラである。
 
翌日28日に大阪府立体育館で行われた男子の試合では公世はBEST16であった。東西戦も公世は勝ったが全体では東軍の勝ちだった。
 
公世はその日の遅く京阪で帰宅したので、また焼き肉をして打ち上げをした。飲み物はビールでも飲む?と訊いたが、ノンアルコールがいいと言うので、コーラにした。
 
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6月30日(火).
 
大祓である。
 
和弥とまゆりは早朝立花K神社(北町社)で星弥・月弥を連れて茅の輪くぐりをした。
 
15時すぎ、和弥とまゆりは星弥・月弥を連れてウィングロードに乗り神戸空港に向かった。空港で京都から来た千里(ロビン)と落ち合う。
 
16時半頃桜ジェットに乗り旭川空港に飛ぶ。千里はお弁当を和弥とまゆりに渡した。
「晩ご飯にどうぞ」
「ありがとう」
「まだ暖かいね」
「空港に入る直前に買いましたから」
「へー」
 
ちょっとした予行練習だが、うまく行ったなと思う。星月にはチーズ蒸しパンを渡したが、美味しそうに食べていた。
 
18時頃旭川空港に到着し、和弥たちはサハリンが持って来てくれていたカローラに乗る。千里は別途タスリンの車にサハリンと一緒に乗り、まゆりたちの車の後をフォローする。
 
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一行は20時半頃留萌P神社に到着。こちらでも茅の輪をくぐった。
 
札幌から睦美(和弥の母)がヘルプに来てくれているので、子供たちを預けて神事をする。
 
氏子さんたちが持ち込んだり送って来ていた人形(ひとがた)を境内の小川に流す。でも30mほど先で回収する。この流す役をまゆりが、回収役を和弥が務めた。
 
姫路の立花K神社北町社でも22時頃、花絵と越智さんの手で同様の行事が行われた。花絵の手で人形(ひとがた)が流され、越智の手で回収された。上町社に持ち込まれた分もまとめて北町社で処理した。
 
そして留萌でも姫路でも23時すぎに回収した人形(ひとがた)をお焚き上げする。
 
そして24時前に留萌では和弥(P神社禰宜)が、姫路では花絵(立花K神社権禰宜)が大祓の祝詞を神前で奏上し、大祓の行事は終了した。
 
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