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■女子大生・夏は絹(2)

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(2) 素材とする絹織物の調達体制の強化
 
京友禅に使う絹織物は、京都府内で生産される、丹後ちりめん(*6)である。友禅をたくさん生産するには、これもたくさん調達する必要がある。これまで納入してもらっていた業者さんに支援金を払い増産をお願いする。また新たに別の業者さんとも契約した。近年は呉服市場が縮小して絹織物の売り上げも落ちていたことから、生産余力のある縮緬製作所を獲得することができた。
 
しかし、丹後ちりめんだけでは足りないのは明白だった。千里は兵庫県内に所有する養蚕場・製織工場で生産している但馬ちりめんを使ってみてくれないかと提案した。
 
社長は消極的だったが奧さんのほうが「“準友禅”ということで使いましょう」といってこれも投入されることになった。友禅工房の技師さんたちは
「但馬ちりめんって結構品質がいいね」
と言っていた。筆遣いの感触とか裁断や縫製する時の感覚もほぼ同じだと言っていた。
 
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丹後産と同じ織機を使っているので、実は差が出るわけがない。ただ京友禅として認定できないだけである。今年はこの但馬縮緬使用品は丹後縮緬使用品より2割ほど安い価格で販売した(結果的に物凄いお買い得品になった)。
 
但馬ちりめんは基本的には山崎工房でのみ使用し、東山の第1工房では使わなかった。
 
工房を分けたのは両者が混じる事故を防ぐためである。いったん混ざったら両者を確実に区分けできる人は居ない。試しにベテランの職人さん3人に判定させてみたら、全員間違えた!(後述の東京縮緬やブラジル産はちゃんと見分けた)
 

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(*6) 縮緬(ちりめん)とは、経糸(たていと)には撚り(より)の無い糸を使い、横糸には、左撚りと右撚りの糸を交互に使用した絹織物のことである。糸の撚りが戻ろうとする力により、布の表面に小さな凹凸(シボという)ができるのが特徴で、海外ではクレープ(crepe)織りと呼ばれる。crepe というのは“縮れる”という意味。
 
丹後縮緬は海外でも“タンゴ・クレープ”と呼ばれて評価が高い。
 
お魚の“ちりめん”は小魚を多数干している様子が縮緬に似ていることから、また料理のクレープは焼いた生地の表面の凹凸がやはりクレープ織り(縮緬)に似ていることから名づけられた。
 
縮緬以外の絹織物としては、サテン(繻子:しゅす)、羽二重(はぶたえ)、紬(つむぎ)などもある。
 
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日本の縮緬の発祥は大坂の堺であるが、京都に伝わり西陣で“お召し縮緬”として発展した。
 
享保年間に丹後峰山の絹織職人・絹屋佐平治(後に苗字帯刀を許されて森田治郎兵衛)は、西陣の製織屋に弟子入りし、本来は主人と番頭以外は入れない蔵の中に侵入して織機を密かに観察、この技術を盗み出すことに成功(産業スパイ)。雨の夜に紛れて帰郷し、門外不出の技術を丹後に持ち帰って、丹後縮緬(たんご・ちりめん)が生まれた。佐平治はこの技術を村内に公開したことから、縮緬は峰山の重要産業となった。同じ頃、丹後の加悦谷でも別ルートで京都の縮緬技術が導入された。
 
その後、西陣では大火事により製織工場が大打撃を受け、絹織物が不足したことから、丹後縮緬が京都に逆輸入されることとなり、やがてこちらが主流となった。
 
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当時は大量の縮緬の反物を屈強な男たちが丹後から京都へ運ぶ“縮緬飛脚”が活躍していた。彼らは反物を持って大江山を越え、丹後から京都へ3日で運び、帰りは売上代金を持って2日で丹後に戻ったという。
 

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この技術は早い時期に長浜(滋賀県)にも流れ、“浜縮緬”(はまちりめん)が生まれたが、その後、丹後縮緬と浜縮緬は別々の発展をし、現在は仕様が異なるようになっている。今日(こんにち)の全国各地の絹製和服は京友禅も加賀友禅も多くが丹後縮緬を使うが、一部、浜縮緬を使う業者もある。
 
浜縮緬は古式の縮緬の形式を伝えると言われる。
 
加賀友禅の一部には石川県産の縮緬を使う所もある。なお、某ドラマで有名な“越後の縮緬”は高田(現上越市)などで生産されていたようである。
 
ただ縮緬はどこの生産地でも零細企業や家族経営という所が多く、増産などには対応できないところが多いと言われる。またどこも後継者不足である。更に韓国や中国で生産された安価な縮緬に圧迫されている。
 
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丹後に近い但馬の出石(いずし:現・兵庫県豊岡市)でも、早くから丹後の技術が導入されて同様の絹織物が生産されており、これを出石縮緬(いずしちりめん)あるいは但馬縮緬(たじま・ちりめん)という。ただしここも近年は後継者難でかなり衰退していた。
 
千里は数年前からもう廃業しようとしていたお年寄りから、養蚕(ようさん)(*7)や製織の設備・技術をおキツネさんたちに継承させていた。それで実は千里だけが充分な量の但馬縮緬を供給できたのである。
 
これまでは千里の工房で生産した但馬縮緬はパジャマ、ドレス、カーテンなどに加工していたが、ここで初めて和服にも投入されることになった。
 

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(*7) 絹(きぬ)は蚕(かいこ)の繭から作られる繊維である。
 
中国で生まれたもので、これを西方に運ぶためシルクロードが開発された。
 
蚕の繭は1本の糸でできており、その長さは1kmほどにも及ぶ。とても貴重な長繊維である。蚕はBC3000年以前から家畜化された昆虫で人間の手助けが無いと生きていくことはできない。鶏や豚などと同様天然には存在しない生物である。蚕を、生えている桑の葉の上に置いても、蚕にはそれが餌とは分からず餓死するらしい。また身体が白いのは目立つので鳥などに捕食されやすいと言われる。
 
蚕の餌は桑(くわ)の葉なので、養蚕では、桑を育て、それを蚕の餌にする。繭を茹でて糸を得るが、中身のさなぎは、多くの地域で佃煮などにして食用とされている。戦時中の絹織工場では従業員におやつとして提供していたが、かなり人気だったらしい。
 
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千里の配下の養蚕場では、キツネたちが
「このカイコ凄く美味しそうなんですけど」
と言うが、
「繭を作るまではだめ」
と言って、繭を作ってから茹でて糸を取ったあとのさなぎをあげている。凄い人気である。
 

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繭から取ったままの糸を数本まとめて繰り糸にしたものを生糸(きいと)といい、これから化学処理によってセリシンという蛋白質を落として光沢や柔軟さを増したたものを撚糸(ねりいと)という。ただしセリシンを完全に落とした物はセリシンを僅かに残したものに比べて、著しく光沢が落ちる。つまり僅かに残すのが最も美しくなる。
 
絹の加工技術は19世紀以降に大きく進展しており、それ以前のものとは見た目からしてかなり異なるとされる。
 
だから白雪姫やシンデレラのドレスは現代のシルクのドレスからするとかなり見劣りするものであったはずである。
 

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なお蚕が成虫になってしまった後に残された繭は繊維が短く寸断されており、通常の絹としては使えない。また玉繭といって2頭以上の蚕が共同で作ってしまった繭は2つの糸が絡み合っていてやはり使えない。こういう“くず繭”は、真綿(まわた)にしたり、紬(つむぎ)の材料にする。
 
(絹の繊維でできた綿を真綿(まわた)という。現在は綿といえば木綿(もめん)を指すが、木綿は近世以降作り方が広く知られたもので、室町時代頃までは綿といえば真綿を意味した)
 
紬(つむぎ)は玉繭なども材料に使っているため、どうしても糸の太さが不均一になり、こぶなどもできる。それが紬の着物の独特の風情となる。どうしても硬い着物になるので、昔は最初は番頭に着せ、著こなれて柔らかくなってから主人が著るなどと言われた。
 
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(3) 姫路ネオラボの立ち上げ
 
新しい工房まで立ち上げでも例年の10倍以上来てしまった注文をさばききれないのは明らかだった。小川夫妻と千里は話しあい、廉価品に使用するインクジェットプリンターを2台増設することにした。
 
このため、千里は姫路市の北西部、旧・安富町(やすとみちょう)のスーパー跡地を購入。ここに九重たちを使って一週間で新しい工房の建物を建設した。一週間で建物が出来たのに小川夫妻が驚いていた。
 
ここで廉価品の振袖を量産しようという魂胆なのである。
 
「材料が足りないと言っている時、インクジェットに正絹(しょうけん)は、もったいないですよ」
と千里は言い、ここで生産する和服には絹ではなく、絹によく似た東レの“シルック”という合成繊維を使うことにした。これは家庭で洗濯することも可能なすぐれものである。
 
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そしてこれをセパレート型の振袖に仕上げることにしたのである。これだと美容室で着付けしてもらう必要も無い。
 
なお、プリンタの調達、シルック反物の調達では紫微に協力してもらった。どこかで滞留していた現物を回してくれたようである。普通は調達に半年か1年かかる。千里は紫微に協力のお礼として(代金以外に)1億円払っている(裏金!)。
 
(紫微としては、10年後に虚空の天下になるのは仕方無いとしても、何らかの対抗手段は確保しておきたいということで、千里に色々協力してくれている。虚空よりはまだ千里のほうが“お話し”ができる)
 

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このセパレート型インクジェット振袖について。
 
奧さん(常務)は言った。
「これを8万円で売ろう」
 
「えー!?」
と社長が驚く。
 
「だって、振袖着たいけど、高くて買えないし、美容室の予約取るのもたいへんだし、とか思ってる女の子はたくさん居るよ。だからきっと売れる」
 
「つまりますます振袖の注文が増えるということ?」
 
しかしそれでこの商品は生産体制の構築もまだ計画中という状態で、企画がどんどん先行したのである。
 
そして仮予約していた人の3割ほどが、この商品“振袖21”を最終的に選択した(安いからだと思う:この人たちは普通なら予約キャンセルした人たちだと思う)。
 

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“振袖21”コンセプト
 
a. 繊維は東レのシルック→家庭で洗濯できる
 
b. インクジェット染め→多彩な模様が染められるし、ちゃんと絵羽(*8) になる。
 
c. セパレートタイプ→着付けが不要→大学生が田舎と都会で2度成人式に出る場合でも、いったん脱ぐことができる。
 
d. 価格は8万円→レンタルより安い。一生の記念になる成人式の服をレンタルではなく所有できる。
 
e. 万一汚しても何とかなるから、気軽にお友達の集まりやデートにも著ていける。
 
(*8) 絵羽とは、模様が縫い目を越えてつながっているもの。友禅の振袖や訪問着で使用される技法。これを実現するため、反物を一度着物の形に仮縫いしてから絵付けをし、ばらして反物に戻してから地を染め、また縫い上げるという面倒な過程を踏む。しかしプリンタ染めならコンピュータで絵が連続するようにするから、仮縫いの必要が無く、工程が物凄く簡略化できる。
 
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この“振袖21”は、ニューハーフ・タレントの増田セーラを起用したCMを作り
「私、偽物の女、これ偽物の振袖」
とやったのが物凄く受けて、また注文が殺到することになる。
 

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それと後で判明したことだが、振袖21はセパレートなので実は背の高い人でも着れるものであった。概して高身長の人は振袖を諦めていた人も多かったが、最初に男の娘タレントさんにCMさせたことから「私の身長でも着れるのでは」と試着に訪れる人が多数出た。
 
(ただし増田セーラは160cmである)
 
これは更に京都市内の女子大生バレー部と提携し、そこの新成人さんにまとめて提供した。彼女たちにCMにも出てもらった結果、他の地域でもスポーツ女子によく売れた。
 
またSNSで広まった情報だが、着付け不要ということで、この振袖は彼氏とのデートに著ていっても“途中で脱げる”(脱いだ後でまた着れる)ということで評価された。
 
更にこれは男の娘たちにもかなり売れたようである。彼らは振袖は著たいけど、美容室の予約とかする勇気無いしと思っていた。しかし着付け不要なら着れる、というのでこれに飛び付いたのである。
 
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女子大生・夏は絹(2)

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