[*
前頁][0
目次][#
次頁]
7月1日朝6時。
グレースは困惑した。ブレンダと思われる薄い青のマークが突然東京北部の某所に出現したのである。モニターを見るとブレンダはインプレッサを運転していて、佐藤玲央美も同乗している。
ブレンダは千葉に居る。そちらも確認するとちゃんといつものボロアパートに居る。一方ブルームは出現していない。千葉と東京北部のマークはどちらも薄い青であり、ブルームを示す濃い青ではない。 また、佐藤玲央美は九州に行ったはずである。そちらも確認するとちゃんと福岡にいた。
グレースはハッとしてH大神に確認した。
「うん。タイムシフトが始まったんだよ。東京北部に現れた千里と玲央美は本当は今年の12月の時間に存在している。ややこしいけどよろしく」
それでグレースはゆきに、中国留学は終了で世界選手権にスタンバイしてくれるように指示した。
朝7時半、千里(ブレンダ)と佐藤玲央美は途中で会った鞠原江美子に連れられて東京北区のナショナル・トレーニング・センターに行った。高田コーチが笑顔でこちらを見て言った。
「おお、村山と佐藤も来たな、待ってたぞ。朝飯食べたら記念撮影だから」
7月1日の9時頃、留萌P神社・姫路立花K神社の北町社・上町社の各拝殿前左右に竹または笹が立てられる。拝殿の鈴の所には短冊がどっさりと筆ペン・ボールペンも用意される。七夕の行事が始まる。
姫路で竹を採ってきたのは夜梨子に指示された九重、留萌で笹を採ってきたのはロビンに指示された白石である。
留萌では(7/1) 10時に和弥がサハリンの車で町に出てケーキと三ツ矢サイダー、白ワイン、それに予約していたお寿司を買ってきた。それで結婚2周年のお祝いをした。星月はチーズケーキと、子供用のアップルジュースである。
ロビンは2人に「おめでとう」を言い、お寿司を少し摘まんだら、洞門の鏡で京都に戻った。
和弥とまゆりは夏祭りまで留萌に滞在する。
7月になったので、千里と清香は1年前にもらった剣道連盟会長の推薦状を持ち、剣道連盟の京都支部を訪れた。推薦状を見せるが既に連絡が入っていたようで、その場で五段の免状を渡された。
「5年後には六段の受験資格ができるから」
「ありがとうございます。精進します」
「うん。頑張ってね」
7月4日(土).
大学生剣道の京滋大会が行われた。京都府と滋賀県の大学の大会である。京教女子はこういうオーダーで出た。
先鋒:木里清香
次鋒:島根双葉
中堅:村山千里
副将:飯田美雪
大将:立浪恵海
飯田さんが
「決勝まで出番は無いな」
と言っていたが、その言葉通り、準優勝まで最初の3人で勝ち上がる。そして決勝戦は毎度、同志社とである。
先鋒の清香が向こうの中村さんに敗れた。
「ありゃあ」
「すまんすまん」
「まあ中村さんじゃ仕方無い」
そのあと双葉も向こうの仁科さんに2-1で敗れ、千里は勝ったが飯田さんが敗れて、大将戦をする前に同志社の優勝が決まった。
向こうも清香に最強の中村さんをぶつけてきたのは、勝ちに行くのではなく真っ向勝負ということだろう。単に勝ちたいのなら中村さんは双葉にぶつければ良かった。
結局立浪部長は出番無しであった。それで表彰式で準優勝の賞状だけもらってきた。
「私何もしてないのに」
と言っていた。
なお男子は準々決勝で敗れてBEST8であった。
7月7日(月)の夜はどこの神社でも七夕の〆の行事をした。竹・笹に結ばれた短冊を回収し、ネガティブな願い(誰々は死んで欲しいの類い)を除外して神前に提示し、ご祈祷をする。これは立花K神社ではお留守番の権禰宜・花絵がした。留萌P神社では禰宜の和弥がした。留萌では笛は善美、太鼓は常弥、姫路では笛は弓佳で太鼓は越智である。ご祈祷が終わったあとは、短冊は竹・笹と一緒にお焚き上げする。なお上町社の分も北町社でまとめて処理された。だから北町社で4本の竹を燃やした。
7月10日(金)夕方。千里は今年もアイリスを連れて留萌に行った。例によってP神社では桜組が宴会をしている。千里はみんなに「お疲れ様」と声を掛け、今年は姫路城弁当をアイリスに配らせた。
「何か駅弁っぽい」
「はい。姫路駅で駅弁として800円で売ってます」
「800円にしては豪華だ」
「ウィンナーは直営の姫北ハムの製品ですし、鶏肉や卵も直営養鶏場のもので、牛肉も姫路市内の友好牧場の但馬牛(たじまぎゅう)なので、材料費があまり掛かってないんですよ。銀馬車亭のメニューの中では高い部類ですけど」
「国産ブランド牛を使ってて800円は凄い」
「但馬牛のお膝元の姫路駅のお弁当なのに、よその牛の肉使ってたら詐欺に近いじゃないですか」
(牛自体を“たじまうし”と呼び、牛肉は“たじまぎゅう”と言う。但馬ぎゅうの中で特に上質のお肉が“神戸ぎゅう”のブランド使用を許される。また松阪牛など多くのブランド牛が実は但馬牛ベースである)
「確かに北海道で売ってるカニ飯のカニがロシア産だったら、文句言われそう」
「でもその手のは割とあるけどな」
「特に魚介類はシーズンがあるからシーズン外は他所の産地のを使っていたりする」
「ズワイガニは10月から6月まで禁漁期間」
「タラバガニは6,7,8,11,12月が禁漁」
「バンコクのデパートで面白い人形見かけて買って帰ったらmade in Japan と書いてあったという話なら」
「タイはアラブとかからの観光客多いからアラブからするとタイと日本は誤差の範囲」
「ヨーロッパ人からするとアラブと中国も誤差の範囲。どちらもオリエント」
「ああ。『アラジンのランプ』なんて冒頭に昔々中国にと書かれているのに風俗の描写は完全にアラブかペルシャだし」
「日本人にはそのアラブとペルシャの違いが分からない。ごっちゃの人多い」
「え?違うの!?」
「アラブとペルシャの関係は中国と日本の関係に似ている」
「ほほお」
「内地の人からすると、きっと留萌と根室も誤差の範囲」
「俺の感覚では横浜や浦安も東京の一部」
「まあ浦安市の遊園地は東京を名乗ってるし」
「でも神奈川や茨城は東京と思ってる人多い」
「漁協の支部長さんが『ちょっと東京行って来ます』というから東京のどこですかと訊いたら三島と言ってた」
「うん、三島・箱根に水戸・甲府は東京の範囲」
「でも僕らも桜鱒使って駅弁作る?」
「駅弁作っても留萌駅がいつまであるのかという問題があるな」
「あと10年くらいは頑張ってくれると思うけどなあ」
(留萌駅は2023年3月31日で廃止された。この物語の14年後)
「群馬県の“峠の釜めし”とかは鉄道(信越本線)が無くなった後、高速のSAで売ってますよ」
「あ、峠の丼屋さんも、深川留萌自動車道が全通したら、やばいんじゃない?」
「秩父別PAに来ないかと声掛けられてるので、そちらに移転するかも」
「僕らも駅弁作ったとしたら、そのコースかもね」
「あと美味しいものなら全国各地で開かれる駅弁祭りとかに出品できるんですよ」
「ああ、そちらの方が売上大きそう」
7月11日(土)早朝。
今年も宴会の後、そのままP神社に泊まっていた(ゴロ寝していた)桜組の手で神輿が船に乗せられる。和弥が同乗し船は沖に出る。そして日の出と同時に和弥は神降ろしの祝詞を奏上した。
神霊の乗った神輿を浜に持ち帰り、今年もP神社の夏祭りが始まる。
神輿(みこし)は町内を一周してからA町の御旅所(旧胡桃神社)まで行き、神輿殿に収められる。巡回の途中では、桜鱒の養殖場や新鮮産業の工場・風力発電所などの近くも通った。
高校生巫女(玲羅や貞美など4名)による巫女舞のあと、町内会長や市会議員さん、漁協の三泊支部長、留萌新鮮産業の専務さん、桜水産の社長(柳里)などによる玉串奉奠があった。
その後、幼稚園児(+小学1年生)の巫女舞が奉納される。今年も巫女舞のメンバーには男の子も混じっていた、それに続いて稚児衣裳の男の子たちが今朝穫れた魚を奉納する儀式が行われる。中1の翠花ちゃんの笛が鳴る中、和弥が祝詞奏上をして、祭りは小休止に入る。
今年は出店は10軒も出ていた。千里は今年も峠の丼屋さんと銀馬車(パン屋)を出した。小学校の児童会はいつものように鈴カステラ屋さん。養護学校の保護者会は今年も綿菓子屋さんを出していた。また“桜観光”(クルーズ船)から昼間だけクロワッサンのローストビーフサンドを売ったが、結構出ていた。
峠の丼屋さんは、熊カツカレー、猪カレー、(冷凍牡蛎の)牡蛎丼、牛飯、うな丼と出したが、今年も牡蛎丼がいちばん売れた。やはりこの祭りで牡蛎丼を買うのが定着したようだ。しかしこれ“北海道産の牡蛎”と思われてないか心配である(北海道では厚岸やサロマ湖などで牡蛎が水揚げされている。ここで使用しているのは岡山産の牡蛎。うなぎは台湾産、牛肉はオーストラリア産。猪は姫路産。熊だけ留萌産!)。
神社の縁起物で、招き猫(常滑焼き)と赤べこ、更に来年のえとである寅にちなんで、張り子の虎も売ったが、どれもよく出た。赤べこと虎の“張り子セット”を買っていく人たちが結構あった。この張り子の虎は会津のヤング工房と友好関係にある四国松山の坊ちゃん工房という所から仕入れたものである。張り子の虎は、愛媛・岡山・島根などで作られている。
今年も公世を召喚して千里と模範試合をし、その後、彼に審判をしてもらって、小学生剣道大会をする。優勝者には、いつものように特製の木刀を贈呈した。これも定着してきた。常弥さんの字で「平成二一年・留萌三泊P神社」という金墨の文字が入っている。北海道産の白樺の木で作られたものである。
午後からは留萌オロロン太鼓、小平町のハワイアンダンスのグループ、留萌市内のサンバチームの音楽とダンス奉納の後、近隣で活動するバンドの演奏が5件あった。全部桜観光の船でも演奏しているバンドである。千里ちゃんも何かやってと言われたので、今年はエレクトーンでここ10年ほどのヒット曲を弾き語りしたら結構うけていた。ブラックビスケッツ・宇多田ヒカルや中島みゆき、SMAP, モー娘。もだいぶ弾いたし、ラストはアラジンの『陽は、また昇る』で締めた。
「にしんの国ルルモッペ、戦え留萌のフィッシャーマン」
と歌ったら、凄く受けてた。
そのあとカラオケ大会、N小のブラスバンド部の演奏の後、19時からはお神楽が奉納された。
「村山さん、今年は試し斬りしないの?」
と言われたが
「秋祭りにやりますから、お楽しみに」
と言っておいた。
「秋祭りに使う剣を公開してますから」
というと30人ほど拝観希望者があり、クトネシリカを和弥と千里の手で拝殿に移動し、見せてあげた。
「美しい装飾だ」
と、みんな感動していた、
日曜日は神輿(みこし)が今日は御旅所を出発してから町内を練り歩き本社に戻る。昼間は民謡大会、オロロン太鼓の演奏、玲羅のコネでS高校吹奏楽部の演奏、そしてまた、昨日に続いて5つのバンドの演奏があった。
児童会が主催したビンゴ大会も盛り上がった(今年も景品は留萌新鮮産業さん提供:大当たりは東京ディズニーリゾートのチケット)。
夕方、最後はソーラン節が奉納される。民謡をやっている人が10人ほど拝殿に並び歌う。参拝者が歌いながら踊り、境内は熱狂となった。
ソーラン節のあとは、神輿を船に乗せ和弥も一緒に沖合に出る。そして日没と同時に和弥が神上げの祝詞を奏上して祭りは終わった。
2009/07/11(留萌)日出 4:00
2009/07/12(留萌)日没 19:16
今年もこの神上げの様子がテレビカメラで撮影され、境内に設置した映写スクリーンにプロジェクターで映された。またスクリーンには昨日朝の神降ろしの様子や神輿運行、オロロン太鼓、お神楽などの映像も映された。
今年も札幌で旅行会社が募集したバスツアーの人たちが30人ほど来ていて、オロロン太鼓、バンド演奏、ビンゴ大会、ソーラン節と楽しんでくれた。観光客にもクトネシリカを拝観させた。こんな田舎の神社に、こんな立派な剣があるのには驚いていたようである。常弥さんが観光客達に
「アイヌの伝統的な様式を真似して室町時代頃に北海道に入っていた日本人の手で作られたものらしいです。刀本体は備前の日本刀だそうです。三泊(さんどまり)というのは元々アイヌの言葉で日本人の居る港という意味で、きっと日本人とアイヌの交易が行われていたから、両者の文化が交わるものが作られたんでしょうね」
と説明していた。
ツアー客は祭り終了後、三泊会館に入れて夕食を取ってからクルーズ船に乗り、明朝は稚内になる。鰊の昆布巻きとカズノコのセットのお土産付きである。
ロビンはその夜のうちに洞門の鏡で京都に戻った。和弥とまゆりは月曜日に公世と一緒に桜ジェットで神戸空港に戻った。