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■女子大生・夏は絹(4)

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今年は販売体制もかなり強化された。
 
(1) 大阪支店の設置
 
これは偶然の積み重ねから生まれた。雅では毎年生産した振袖の半数を大手和服チェーンのSに買ってもらっていた。ところが、千里が出演したCMが話題になり、引き合いが増え始め、5月の展示会も盛況だったことから、小川社長はS社に
「今年は自社でかなり売れそうで、そちらにはあまり納入できないかも知れない」
という連絡を入れた。すると、向こうからこう言ってきたのである。
 
「年々呉服市場が縮小しているので大阪にある3つの店舗を統合し、キタ店に集約してミナミと心斎橋からは撤退するつもりだった。そちらがそんなに景気良いのであれば心斎橋店を使わないか?」
 
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それで千里が必要な資金を提供して心斎橋に雅の大阪店を出すことになった。
 
ここはS社からの“腹借り”の形になる。形式上はS社心斎橋店のままだが、看板は雅にするし、雅のスタッフで運用する。ただしS社の着物に関する取り次ぎもする。またパートさんは全員をそのまま引き継いだ。給与は少し下がったが、運営会社が変わったからということで理解を頂いた。でもトイレが快適になったのは好評だった。またノルマを課されないのも喜ばれた。
 
ここには社長の二女の千絵さん(現・雅本店店長)に店長として行ってもらうことにした。
 
(ミナミ店はデパート内の店なので又貸しができなかった。心斎橋店はS社の所有)
 

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(2) 横浜販売所の設置
 
振袖21が話題になってから最初に設置したのがここである。
 
実は“みなとみらい21”の関係者が京都出張中に偶然ホテルで振袖21のCMを見たと言い、
「21つながりでうちにショップを出しません?」
という打診があったのである。
 
「じゃ出しましょう」
と小川社長は即答し、まだ実際の製品も生産してないうちから、ショップの開設を決めてしまった。まだ姫路ネオラボも立ち上げる前に既存のプリンタを使って作ったサンプルを、横浜販売所長に発令したポルタ店副店長に持たせて新幹線で行かせるという泥縄に近い形で設置した。しかしここで振袖21は年内に500着も売れて、この商品を大いに話題にすることになる。(大半は注文振袖のオーダーストップ後に売れたもの)
 
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(3) 福岡支店の設置
 
福岡で7月に大型商業施設ミルマがオープンすることになっていたが、テナントに入る予定だった呉服屋さんが倒産したということで、運営会社から出店しませんか?という打診があった。それで出すことにして、実は実質吸収した旧・横山呉服の販売スタッフの中で九州に行ってもいいと言ってくれた7人(6人が20代)と、雅・四条店の副店長、あわせて8人で行ってもらった。
 
「君たちの中で結婚してもいいよ」
「男女比が・・・」
「うちは同性婚でも家族手当出すから」
 
「女装勤務してもいいよ」
「女装しようかな」
「森田君は振袖のモデルさんにもなれると思う」
 
彼はうまくおだてられて本当に店頭で振袖を着ていたが、お客さんは女でないことに気づかなかったようである。なお、本人は女装趣味は無いと言っていた。
 
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しかし大阪支店・福岡支店の設置で振袖は更に売れることとなる。
 
(4) 東京販売所の設置
 
最後に設置したのがここである。振袖21が話題になってから
「ぜひ東京にもショップを」
と言われて9月に設置。もうオーダーは受け付けられないので、既製振袖の販売だけしたが、成人式が近づくに連れ、買う人が増えた。特に振袖21はフリーサイズなので、日程が迫るほど需要が増えた。成人式前日だけで50着売れた。
 
ここは実は横浜販売所の5名のスタッフの1人を派遣してあとは大学生バイトさんで営業した。
 

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ちなみにネオラボの責任者・みかちゃんは女子たちに解剖検査され「医学的にも女である疑いが濃厚」などと言われていたが本人は「私まだ男よ」と否定していた。男性機能が無いことまでは認めていた。Bカップの胸も本物と認めていた。
「もう20年以上女性ホルモン飲んでるから」
「いやきっと性転換手術済み」
 

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「みかちゃん、お料理も上手いし、今の年齢からでもきっとお嫁さんにしたい男性は居る」
 
自宅に招待されて手料理を食べた女子がたくさん居た。女子たちには“ラボ長”とか呼ばずに“みかちゃん”でいいよと言っている。男性たちは“紙田さん”と呼ぶ。
 
「男の子とセックスしたことはあるけど」
「セックスできるということはヴァギナがあるということじゃん」
「そのあたりは企業秘密で」
 
酒に酔った男性同僚に「御免。我慢できん」と言われて押し倒され、やられちゃったらしい。避妊具は付けてくれたらしい。でもその後3回デートしたという。彼には「結婚しない?」とも言われたが「私赤ちゃん産めないし」と言って辞退したらしい。
 
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「みかちゃん、子供も産めそうな顔してるけどなあ」
 
顔で産むのか??
 
「40歳では産めないよぉ」
「いや40代で出産する人は結構居る」
 

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山崎工房や姫路ネオラボにはおキツネさんの女の子たちも多数入れている。基本的には青と黄色を区別できる子たちを送り込んだ。また、色が分からない子や男の娘まで含めて全員に和裁の講習を受けさせ、テストしてみて上手に縫える子は縫製作業にも起用した。この子たちは指示をきちんと守るし、作業が正確なので重宝した。ほんとに上手な子は伏見工房にも入れた。
 

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福岡支店に赴任した森田朝日は女子たちにうまく乗せられて店頭で振袖を来て勤務していたが、本人の意識は男なので、トイレは男子トイレを使っていた。ところが施設側から苦情が来たのである。
 
「和服の女性が男子トイレに入ってくるというので苦情が多数来ているのですが、おたくの従業員さんじゃないですよね」
 
店長は森田に注意した。
「君男子トイレ使ってない?困るといって苦情が来てるんだけど」
「男子トイレを使っていけないのならトイレどうすればいいんです?」
「女子トイレを使えばいいじゃない」
「でも僕男なのに。女子トイレとかに入ったら痴漢で捕まりますよ」
「そんなことはない」
「森田君は女にしか見えない」
「森田君が女子トイレに来ても誰も変に思わない」
と複数の女性スタッフの意見。
 
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「じゃ多目的トイレ使おうかな」
「いや多目的トイレはそれが必要な人のために空けておくべき」
「朝日ちゃん、私たちが付いてってあげるから、一緒に女子トイレ行こ」
 
ということで、彼は他の女性スタッフと一緒に女子トイレを使うことになったのである。

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森田が女子トイレを使うようになってから3日ほど経った日、彼が店頭にいたら絣(かすり)の着物を着た小学1年生くらいの女の子が来て
「すみません。トイレどちらですか」
と訊いた。
「えっとね。ここまっすぐ行って、家具屋さんの手前を右に曲がって」
「ありがとうございます」
と女の子は言ったものの、全然別の方角に行きかける。
「あ、そちらじゃないよ」
し言って、森田は女の子に追い付き
「こちらだよ」
と示すが、どうもよく分からないようである。
「じゃトイレの前まで連れて行ってあげるよ」
と言い。女の子と手をつなぐとトイレの方に連れて行った。それでトイレの前までいき、「ここだよ」と言った。
「お姉さん、ありがとう」
と言って女の子はトイレに入って行く。しかし・・・親はどこにいるのだろう。迷子の呼びだしとかしなくてもいいかなと少し悩んだ。5分ほどで女の子は出てきたが訊いてみる。
「君、お母さんは?」
「食堂にいたんだけど、私トイレに行こうと思って。でも迷っちゃって」
「だったら食堂まで連れてってあげるよ」
「ありがとう」
 
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それでその子と再度手をつなぎ、食堂に向かう。

「でもお姉さん、結構声が低いのね」
「ごめんね。私、本当は男の子なんだよ」
「へー。でも最近は男の人で女の子みたいな服を着る人多いから、いいと思うよ」
「そうかな」
「でも女の人みたいな声が出るようにしてあげようか」
「そんなことできるの?」
「喉仏は無くなっちゃうけどいい?」
「別に喉仏は無くてもいいかな」
「じゃ調整してあげるから、ちょっとしゃがんで」
「うん」
 
それで朝日がしゃがむと、女の子は彼の喉に手を当てた。そしてしばらくすると
「調整終わったよ」
と言う。
「ありがとう」
と朝日は言ったが、その声が女性のような声なので驚いた。
 
彼は食堂の入口でこちらを見て駆け寄ってきた20歳くらいの女性に女の子を引き渡した。お母さんにしては若いし、お姉さんか叔母さんかなと思った。
 
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しかし朝日はこの後、女性のような声で接客するようになり、ますます彼を女ではないと思う客はいなくなったのである。同僚からは
「朝日ちゃん、女の子みたいな声が出るようになったのね」
と言われた。
「何かの拍子に出るようになった」
「次は通勤服も女物にしよう」
「え〜?」
 
彼はトレーナーにジーンズのパンツという格好で通勤していた。しかしこの日彼は同僚女性にレディース・ファッションのお店に連れて行かれ、スカートをプレゼントされてしまい、悩むのであった。
 

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姫路ネオラボが立ち上がってから2ヶ月ほど経った9月某日、きーちゃんはみかに連絡した。
「40歳のお誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「今日仕事が終わったらうちにおいでよ」
「うん」
 
それで仕事が終わった後、みかは橘丘新町のきーちゃんの姫路の家に行った。
 
ワインで乾杯し、きーちゃんが買ってくれていたケーキを食べる。きーちゃんはこのほかにすし太郎も作っていてくれたので、それも食べた。
 
「今夜で完全な女の子になろうよ」
「それもいいかな」
「人生の半分近く男で生きて来たから、残りは女で生きればいいよ」
「そうだね」
 
それで、みかは翌朝には女の身体になっていたのである。
 

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ネオラボでは
「みかちゃん、ぐっと女らしくなった」
と噂がたっていた。
 
「みかちゃん、何かあったんですか」
「私完全な女になっちゃった」
「ああ、最終的な治療を受けたんですね」
「まあそんなもん」
「これで結婚できますよ」
「私みたいなのでもいいという人がいたらね」
「それは絶対居ますって」
 

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工房を3つも建てたり寮や託児所を作ったり、大阪や福岡に出店したりもしたので、これらの投資のためまず“雅ホールディング”という会社を作り、この配下に呉服の雅とエレガント、それに雅エステイトという会社(不動産やプリンター等の高額設備を所有する会社)、また後述する具(そなえ)という会社を並べる形にした。そして雅ホールディングが大量の新株を発行し、全て千里が引き受けた。それで千里は雅ホールディングの70%株主となった。
 
ついでに千里は雅ホールディングの“参与”に任命された。きっとアメリカの会社で見る fellow の日本語訳。fellow は経営陣には含まれない助言者である。直訳すると社友だろうが日本でいう社友とはかなり違う。企業の商品開発などに大きな影響力を持つ。しばしば特別研究員などと訳されている。
 
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千里は未成年でまだ取締役になれないので、取締役でない肩書きとして小川さんが考えたらしい。
 
(法律上は取締役になれないことはないが、全ての署名に親権者の共同署名が必要なので、事実上、独自の意思を行使できないし、親権者が経営に関わることになる)
 
雅は翌年には京都市内に本社ビル(雅きもの会館)を建て、小ホールを作って日本舞踊や邦楽の公演・お披露目、またアイドルのライブなどをするようになり、このホールだけで黒字運営になった。1階は浴衣や街着・小紋などのコーナー、2〜3階が振袖や訪問着で、上の階にはフォトスタジオのほか、お茶会ができる部屋も作った。また7−8階は着付け教室・陶芸教室・お料理教室などが開ける“雅カルチャーセンター”としたら、ここも黒字運営になった。着付け教室などは着物をお買い上げになった人に割引券を配ったら盛況だった。他の幾つかの呉服店とも提携して割引券を配った。
 
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雅は後に全国(主として西日本)に展開し、売上が100億に達して、千里の事業の大きな柱のひとつになる。きもの会館は後に姫路や福岡にも建てた。
 
こういう展開があったきっかけは田上がエレガント株を千里に売ったことだった。
 
 
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