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(C)Eriko Kawaguchi 2011-09-18
11月下旬の土曜日。私はアパートで自主ゼミの準備で、発表用の原稿を作っていた。前夜自宅が遠くにある莉子が遅くなったから泊めてといってきて、先程一緒に遅めの朝御飯を食べて帰って行った所であった。莉子は時々そうやってうちに泊まっていた。女の子同士の気安さである。
ドアをノックする音がした。私はてっきり莉子が忘れ物でもしたのかなと思い「はーい」といって、そのままドアを開けたら、何と母だった。私はどうしたらいいのかと立ちすくむ。
「あら、晴音(はると)のお友達ですか?私、晴音の母でございます。ちょっとこちらに用事で出てきたので、寄ってみたのですが」
「あの・・・・取り敢えず中へ」
「はいはい、お邪魔じゃなかったかしら」
と言って母は中に入る。居間のテーブルの所に座り
「晴音は外出ですか?」
などと訊く。
「あ、えっと・・・・・・」
私はほんとにどう答えていいか分からなかった。
「お母さん・・・・私・・・・・」
やっと、そんな言葉が出た。声は女声のままだ。実際この頃、私は男声はずっと出していなかったので、出し方がよく分からなくなってしまっていた。
「え?」と言って母はしばらく私を見ていたが
「え!?もしかして、晴音なの?」
「うん」
「あんた、何て格好してるの?てっきり彼女かと」
「私、最近ずっとこういう格好してるの」
「えぇぇ!!?」
「7月にちょっとやむにやまれぬ事情で女装する機会が2度ほどあって、その後お化粧とかに興味感じて、やってる内に女の子の服も着てみようかなって気になっちゃって、気付いたら、いつもこんな格好してるようになっちゃってた」
「あんた、その格好で学校にも行ってるの?」
「うん。実はもう男の子の服、持ってない。全部捨てちゃった」
「それでどうするの?性転換するの?」
「まだ分かんない。まだ自分の身体にメスを入れる気にはならない。足の毛とヒゲは脱毛しちゃったけど」
「まあ、そのくらいはいいだろうけど・・・・」
と母は何を言ったらいいか分からない感じだ。
「あ、御免ね。お茶入れるね」
といって、私は紅茶のティーパックとティーカップを2つ持ってきて、ポットのお湯をそそぎ、シュガースティックを添えて1つを母に差し出した。
「なんか・・・・仕草が凄く女っぽい」
「私、別に意識してないんだけど、それ友達からも言われる」
「だけど、この部屋、ほとんど女の子の部屋だね」
母が部屋を見渡して言った。
そもそも出会い系の仕事を始めて以来、女の子が読むような雑誌とかがどんどん本棚にあふれていった。本棚には数学や物理・化学などの専門書に負けないくらい少女漫画も並んでいる。CDもジャニーズとか他にもエグザイルとかスキマスイッチとか男性ユニットのものが随分多くなっている。出会い系の「デート」でプレゼントにもらったぬいぐるみ(盗聴器等チェック済み)とかも並んでいる。勉強する時に集中しやすいように、よくサンダルウッドなどの「お香」も焚いているので、今もその香りが漂っている。最近気分転換に部屋のカーテンも可愛いディズニーものに換えていた。テーブルの上に置いた携帯も最近機種変更したピンク色のものである。ついでに昨夜泊まった莉子がジョークで放置していったバイブまで転がっているのに気付いたので慌ててそれだけは隠したが見られたかも知れない。
「なんか私ショックだわ・・・・」と母が言う。無理もない。
「御免ね。私、このまま女の子になっちゃうかも」
「はあ・・・・」
と母はため息を付く。
「あんたも、よくよく考えてこういう道に入ったんだろうけど」
「うん」
「後戻りできないようなことは慎重に考えてからするのよ」
「うん」
「はあ・・・・私、お父ちゃんに何ていえばいいのかしら・・・・」
「私、しばらく実家に行かないね」
「うん・・・・少し私の中で考えまとまるまで何も言わないことにしよう」
「取り敢えず、どこかに出てお昼しない?」
「そうだね・・・」
私は母を近くにあるイタリアンレストランに連れて行った。
「ここ、休日はランチが700円で食べられるの。都会でこの値段はなかなか無いよ」
「東京は何でも高いよねぇ。朝羽田に着いてから空港で朝御飯食べようとして、値段見て絶句した」
「ああ、空港ターミナルとかは特に高いもん」
「結局売店でパン買って食べたけど、パンも高いのよ」
「まあ、東京にも安い店はけっこうあるんだけどね。知らないと分からない」
「ね。。。あんた学費は大丈夫?父ちゃんに言わずに、こっそり取り敢えず20万持ってきたんだけど。授業料払えずに困ってないかと思って」
「ありがとう。気持ちだけもらっとく。その20万はお母ちゃん、自分用に使って」
「何とかなってる?」
「うん。なってる。バイトしてるし」
「でも、理学部って忙しいんでしょ、大丈夫?」
「うん。頑張るから大丈夫」
「無理して身体壊したりしないのよ」
「うん。気をつける」
「あのね、お母ちゃん」
「うん」
「私ね、成人式、振袖で出る」
「・・・・・・まあ、今のあんたなら、それもいいかもね」
「写真、データで送ったら、お父ちゃんの目に触れないかな」
「あの人、パソコン音痴だもんね。じゃUSBメモリかCD-ROMで送って」
「うん」
「でも振袖はレンタル?」
「実は買っちゃった。安いのだけど」
「まあまあ。お金ほんとに大丈夫?」
「うん。買う時、お金持ちの友達に少し借りたけど、月々少しずつ返していってる。まあ、その友達に買っちゃえ買っちゃえ、って煽られたんだけどね」
「なるほどね」
「ちょっとトイレ」と言って、私はトイレに立った。
戻ってくると母が
「あんた、トイレも女子トイレに入るのね」
などという。
「そりゃ、この格好で男子トイレには入れないよぉ」
と私は笑って答える。
「そっかー」
「バイト先にも女子更衣室に私のロッカーあるし」
「へー」
ここで女湯にも数回入ったなんて言ったら母は卒倒するだろうか、などと私は思った。
その時、携帯に着信があった。進平からだ。
「あ、ちょっと御免」と言って出る。
「お早う。。。うん。。。。うん。。。。明日?あ、用事がキャンセルになったの?何時?。。お昼1時。。。うん、それならお昼一緒に食べてからにしよ。OK。じゃ。明日12時ね。うん。愛してるよ」
と言って電話を切る。最後のひとことは母の前ではちょっとヤバかったかな?
「ね・・・・今の・・・」
「えへへ。彼氏から」
「彼氏って、あんた男の子と付き合ってるの?」
「うん。何でかそういうことになっちゃって。彼とは私が男の子してた頃から友達だったんだけど、私がこういうのになっちゃったら、何となく恋人になっちゃった」
「はあ・・・・・私、頭が痛くなってきた」
「御免ね。ショッキングなことだらけで」
「でも学業の方はちゃんとやってるよね?」
「うん。前期の試験は全部Aだったよ」
「それが本業なんだから、自分を見失わないでね」
「うん」
母とはそのあと銀座に出て買い物を付き合った。
「あんたがお金いらないって言うから、私洋服でも買っちゃおう」
「うんうん。たまにはそういう贅沢しなくちゃ」
なんて煽っていたのだが、私がブランドショップの並んでいる所に母を連れていくと、ちょっとしたセーターが3万円とか、スカート4万8千円、なんて値札を見て絶句している。
「ごめん、もっと安い所に行こう」
なんていうので、結局ユニクロに行った。そして1000円のTシャツとか3000円のスカートとか買ってる。そして合計1万5千円ほど買い「満足満足」と言っていた。
マクドナルドに行き、お茶を飲んで一息ついた。
「あんたは普段、何万とかする服買うの?」
「全然。私もユニクロとかしまむらとかだよ。5000円以上の服、めったに買わない」
「それ聞いて安心した」
「ああ、だけど今日1日あんたと付き合ってて、あんたが女の子でもいいかと思っちゃった」
「ありがとう」
「だって男ばかりの3人兄弟だからさ。ひとりくらい女の子欲しかったなとか昔から思ってたのよね」
「お母ちゃんの話し相手くらいなら、いつでもなるよ」
「ありがと。そういえば、あんたが小さい頃、けっこう女の子に間違えられてたな、とか思い出しちゃって」
「そうなの?自分では全然記憶無いや」
「あんた、名前はどうしてるの?女の子として行動する時」
「私の名前、昔からよく『はるね』って誤読されて女の子かと誤解されることあったでしょ」
「ああ、確かに」
「それで、友達には『はるね』と呼んでもらってるし、美容室とかの登録もその読みで登録してる」
「ああ、いいかもね」
母とそんな感じで次第に和やかな雰囲気になってきた時、また携帯に着信があった。あ、これは・・・・
「はい。どうもお世話様です。はい、あ、もう出来たんですか!はい、取りにいきます」
「どこから?」
「えっとね。私の振袖が出来たって呉服屋さんから。月曜日に出来る予定だったんだけど、早まったみたい。ね。お母さん、一緒に取りに行く?」
「あ、うん」
地下鉄で呉服屋さんのある所まで移動した。
「こんにちは」と言って入っていくと、名乗る前に
「吉岡様、いらっしゃいませ。御振袖ができております」と言われる。そう何度も来ている訳ではないのに、ちゃんと顔を覚えているなんて凄い!
「早速着付けしてみられますか?」
「あ、でも和服用の下着を持ってないから」
「それでしたらワンセット、サービス致しましょう」
「きゃー、いいのかしら?じゃ、よろしくお願いします」
ということで、私はお店の奥の方にある着付け用のスペースで、振袖の着付けをしてもらった。着付けをしてくれた店員さんはかなり手際が良かったのだがそれでも20分くらい掛かった。凄い手間が掛かるんだなというのを実感する。でもこれ、凄く可愛い!着付けスペースの所に映っている自分の姿を見て、あらためてそう思った。
出て行くと母が「可愛い!」と声をあげる。
「お母様と一緒に記念写真をお撮りしましょう」と店員さんが言うので、母と並んでいる所を、私の携帯と母の携帯で撮影してもらった。
「今日はいろいろあったけど、私なんか凄く幸せな気分」と母は言った。
「あんたを産んで良かったぁ、と思った」
「そ、そう?」
「だって、娘の成人式に振袖着せるって凄い夢だもん。母親にとっては。でも男の子ばかりだったから、その夢は果たせないなって諦めてたのよね」
「あはは」
「でも、この振袖可愛いわねえ。それにあんたに似合ってる」
「ありがとう」
「でも何だか嬉しいな・・・・成人式の時、私出てきちゃおう」
「別に大した行事がある訳じゃないよ、成人式なんて」
「でも、そのためにこの服を着るんでしょ」
「うん」
私はその振袖のまま町を歩こうかな、と言ったのだが、母が式の前に何かで汚してはいけないからというので、ふたりで一緒に近くの神社まで往復してきただけで、振袖はまた脱がせてもらい、普通の服に着替え、また夕方にあらためて取りにくることにして、呉服屋さんに振袖を預けたまま、町に出た。
しかし振袖姿を母が褒めてくれて、本人も凄く嬉しがっていたことから、私と母の間の垣根は取れてしまったような気がした。私達はまるで母娘のような感じでその日ずっとおしゃべりやショッピングを楽しみ、夕方の飛行機で、母は帰っていった。母はもし私が性転換手術を受ける場合は、必ず事前に言って欲しいと言い、私ももし受ける気になったら必ず先に言うことを約束した。
しかし性転換手術か・・・・私、そんな手術受けちゃうのかなぁ・・・・その頃はまだ自分でもよく分からない気分だった。