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客人は腰のコピスをモルジアナに取られた時、反射的に服の内側に手を入れようとしました。それでモルジアナは、彼が服の内側に剣を隠し持っているなと思いました。またそもそもこのコピスは明らかに人の血を吸っています。
モルジアナは左手のダフを打ちながら、右手の短剣はまるでお手玉でもするかのように放り投げて身体を一回転させてから掴んだりしながら舞を舞います。
「あんなことして、よく刃で自分の手を切らないな」
とムハマドが半ば呆れて言いました。
しかしアリは
「凄い凄い」
とよろこんでいますし、客人もこの余興に称賛を送っていました。
モルジアナはラーニヤのウード演奏がクライマックスになってくると、その短剣をムハマドの喉元すぐ傍まで持って行き、ギリギリで空を切るので、ムハマドが思わずのけぞり
「僕を殺さないでね」
などと言います。
モルジアナは同様にアリの喉元まで持って行くとアリはただ笑っています(反射神経が悪いなと思う)。そして客人の喉元にも持って行くと、客人は身体をそらせると同時に反射的に服の内側に手を入れようとしました。それでモルジアナの疑惑は決定的になりました。
モルジアナは剣舞をしながら、客人を再度まざまざと観察していたのですが、その内、気付いてしまいました。
眼帯までしているから分かりにくいけど、この客人の眉と髭を黒く染めたら・・・あの油商人のふりをしていた盗賊の頭(かしら)の顔になるではないか!と。
つまり、これは変装だ、ということにモルジアナは気付いてしまったのです。
やはり夜みんなが寝静まってからアリ様を殺すつもりに違い無いとモルジアナは判断しました。
剣舞が終わると、モルジアナは
「失礼しました」
と言って、コピスを客人に返しました。
「いや、なかなか面白い余興だったよ」
と客人も笑顔でモルジアナを褒めました。
モルジアナは後のことはワルダに任せて自分の部屋に下がりました。
そして仮眠しました!
夜中、廊下を静かに歩く足音がありますが、アリは気付かずに眠っています。廊下を歩いてきた人物はそっと部屋のドアを開けました。
部屋の中に入ってきた人物は満月に近い月の明かりで、ベッドに寝ている人物の内、男の方を識別しました。服の中からそっと剣を取り出します。そしてそれで男を刺そうとした時、女が気付いて目を覚まし
「きゃー!」
と悲鳴をあげました。
それでアリも目を覚まします。
「わっ!」
と叫びました。
しかし剣を振り上げた男は、そのまま崩れるように倒れてしまいました。
“モルジアナ”が、廊下の小型ランプを持って来て、部屋のランプに火を移しました。
「強盗か何か?」
とザハルが怯えるように倒れた男を見ています。
男の首の後ろ、いわゆる“盆の窪”に短い矢が突き刺さっています。ここは人間の急所です。
「あなたが殺したの?」
とザハルがモルジアナに尋ねます。
「殺さなかったらアリ様が殺されましたから」
とモルジアナはまるで機械のように言ってクロスボウ(*37)を拾いました。
モルジアナは最初からこの部屋に静かに忍び込んでクロスボウを即発射できる状態にしていました。そして自分の存在を滅却し、部屋の空気と一体化していました。それで男がアリを殺そうとした所で、クロスボウで矢を発射し、男を倒したのです。満月近いので、モルジアナはしっかりとターゲットを見定めることができました。
(*37) 原作では剣舞の際にモルジアナが剣舞に使っていた剣で刺し殺したことになっているが、幾多の修羅場をくぐっている盗賊の頭領が、いくら不意打ちされても、素人女に殺されるとは思えない。実際近接戦闘で倒せるほど、頭(かしら)は弱くはないはず。それで飛び道具の登場となった。
クロスボウ(現代日本では商品名からボウガンとも呼ばれる)は紀元前から存在した武器である。これが普通の弓なら、弓を引く気配で頭(かしら)は気付くので、頭(かしら)を倒せる可能性がある武器はクロスボウか投げナイフくらいだと思う。
それに多数の使用人の見ている前で殺せば、その殺人を秘匿するのは困難になる。
「しかし誰?」
とザハルが言うので、モルジアナは俯せ状態になっている男の身体を反転させました。
「客人!?」
とアリが驚いて言います。
モルジアナは彼の眼帯を外しました。そして蜜蝋を染み込ませた布で、男の髭を拭きました。すると鉛白で偽装していた白い色が取れて元々の黒い髭が露出します。
「アリ様、この男の顔をよくご覧下さい」
「油商人に化けていた盗賊の頭(かしら)だ!」
「アリ様を殺すために、わざわざムハマド様を信用させてこの家に招かれたのですよ」
「なんてことだ・・・」
「部下を殺された復讐に来たのでしょうね。私を殺せばいいのに」
とモルジアナ。
「まさか女に殺されたとは思わなかったと思うよ」
とアリ。
「でもモルジアナちゃん、よく盗賊だと分かったね」
とザハル。
「顔が似てる気がしたので、最初はあの盗賊の兄か何かかと思ったんですけどね」
「この男の遺体の始末はどうしよう?」
とアリが悩むように言う。
「役人に届けて、私を下手人として突き出しますか?」
とモルジアナは投げ槍に言いました。
38人の盗賊を殺したことがモルジアナの心に物凄い重荷になっていました。それなのにまた人を殺すはめになったのに正直疲れ切ってしまい、このまま重犯罪者として八つ裂きの刑に処されてもいい気分でした。
「とんでもない!私たちを守ってくれたのに」
とザハルが言います。
「死の谷に棄ててこよう」
とアリが決断するように言いました。そしてアリは付け加えました。
「モルジアナ、君は私の使用人だ。だから君の行為は全て僕の行為でもある。38人の盗賊を殺したのも、この男を殺したのも、僕の行為だ。君は自分ひとりで全てを抱え込んではいけない」
「はい」
と言って、モルジアナは涙を浮かべ、ザハルがモルジアナを抱きしめました。
盗賊の頭(かしら)の遺体を棄ててくるのは、アリがひとりでやると言い、革袋に入れてラバに乗せ、夜中の内に、死の谷へ向かいました。
ザハルが
「あなたは少し寝なさい」
と言い、ザハルが付き添って、モルジアナの部屋に行き、お酒を飲ませて寝せました。
ザハルはダニヤだけにこのことを話しました。2人はこのことはアリ、モルジアナと自分たち2人の4人だけの秘密とし、まだ若いムハマドには知らせないことで意見が一致しました。
翌朝、ザハルとダニヤは
「今日はお仕事は休みなさい」
とモルジアナに言ったのですが
「奥様方、私は大丈夫です」
と言って、いつものようにムハマドと一緒に出掛けることにしました。
「あれ?親父(アリ)と客人は?」
とムハマドが訊きますが、ダニヤは
「ムルガブ川で釣りをするんだとか言って、一緒に出掛けたわよ」
と言いました。
そしてモルジアナと一緒にいつものように出掛けましたが、モルジアナが明らかに顔色が悪いので
「大丈夫?」
と心配して尋ねます。
「大丈夫です。月の者が近いから少し気分が悪いだけです」
と笑顔で答えました。
「女の人は大変だね!」
とムハマドは納得していました。
モルジアナはこの日(10/14)はムハマドに言われて早めに帰宅しました。盗賊の死体の始末に行っていたアリも昼過ぎには戻りましたが、少し精神力を回復したモルジアナはアリに言いました。
「偽装工作をしましょう」
「へ?」
「“イシム”がうちの家に行った後失踪したということになれば、役人から疑われる可能性があります」
「しかしどうしろと?」
「アリ様、少しお化粧しません?」
と言って、モルジアナは白粉(おしろい)を取り出しました。
「え〜?お化粧とかしてどうするの?まさか女の服を着れとか言わないよね?」
「アリ様が女の服を着たいのでしたら、アリ様が着られるような女の服をお作りしますが」
翌15日、いつものようにムハマドとモルジアナが一緒にお店に出て行くと、近くで白いヒゲに眼帯をし、シンドの帽子をかぶった“イシム”が店を開ける準備をしていました。
「やあ、ムハマドさん。一昨日はありがとうね」
「あ、いえ。大したお世話もできませんでしたが」
「あんまりお酒が美味しかったから、昨日はアリさんと釣りに行った後、1日寝てたよ」
「あまり無理なさらないでくださいね」
“イシム”はその後、3日間お店に出て、近所の他の店の人と言葉を交わしていましたが、いつものように客は全く入っていなかったようでした。
ムハマドは
「あんなに客が入らなくて、やっていけるのだろうか」
と疑問を感じました。
(トルクメンでシンドの服を売っても需要があるとは思えない)
しかし4日目の18日、“イシム”はお店には出ていませんでした。5日目も“イシム”のお店は開いていませんでした。そして2度とイシムの店が開くことはありませんでした。
組合では10月の組合費が納められなかったので、お店に訪ねて来ました。周囲の店の者が、10月18日以降はイシムの姿を見ていないと言うので、ひょっとして中で倒れているのではと考え、組合が持っている合鍵で中に入りましたが、中には誰もいませんでした。
それでイシムは失踪した、あるいはどこかで行き倒れたのではないかということになり、身寄りも無いようなので、店にあった商品は組合で回収して競売し、未納の会費に充当しました。
11月29日。
カシムが亡くなってから(亡くなったということにした日から)4ヶ月と10日が過ぎて、ダニヤの服喪期間が終わります。
アリはあらためて、地域の教義に詳しい人を呼び、クルアーンを読んでもらって、喪明けとしました。
アリは正式にダニヤと結婚しましたが、結婚式は内々に済ませました。メジディ(モスク)で結婚の誓約をした後、自宅に友人のワシム夫妻のみを招いて簡単な祝宴をあげただけです。(ワシムはバーナの夫であり、またムハマドはワシムの店で商売の勉強をしていた)
「そういえばムハマドとモルジアナの結婚式はいつしたんだっけ?」
とワシムが訊きます。
「まだです!」
とモルジアナ。
「でも既に実質夫婦なんでしょ?早く式をあげないと注意されるよ」
「まだ“実質夫婦”ではありません!」
なおアリとダニヤは結婚はしたものの、前々からのダニヤおよびザハラとの約束に従い、アリがダニヤを抱いたりすることはありませんでした(*38).
この時点でこの邸には、ダニヤの部屋、アリとザハラの部屋、ムハマドの部屋、モルジアナの部屋、女奴隷頭ワルダの部屋(他の女奴隷と年が離れているので特に個室を与えた)があります。男奴隷、ワルダ以外の女奴隷は各々ひとつの部屋に入れられています。
(*38) 元々イスラムの“妻は4人まで”というルールは、夫を亡くした女性を経済的な余裕のある男が保護して生活を保証するための制度である。イスラム教の創始者ムハンマドなど、12人の妻を持ったが、その多くが寡婦である。ムハンマドはさすがに12人は多すぎるだろうということで、以降4人までにしようと定めた。但しムハンマドの場合は有力部族側からの政略結婚の面もある。
イード・アル=アドハー(犠牲祭 12月10日)も過ぎ、新年(1月1日)も過ぎます。
モルジアナは毎晩、神に祈りを捧げていました。
モルジアナは最近やっと盗賊たちが自分に復讐に来る夢を、めったに見なくなりました。
ムハマドはまだかなり頼りないものの、何とか店主っぽい雰囲気が出て来ました。
それでもしばしば
「ああ、丁稚(でっち)さん、店主を呼んで」
などと、お客様に言われてしまうので、年長の男奴隷ルスランに
「すみません。店長は出掛けているので、番頭の私がお伺いします」
などと言わせて応対させています。
「でもムハマド様、商品のことをよく知るために自分でも身につけてみたりしません?」
などとモルジアナは言ってみました。
「いや、遠慮しとく」
とムハマドは言いますが、ルスランなどは
「女の服は着てみた方がいいよ。自分で着てみないと、よしあしは分からないから」
などと言っています。
「ルスランは女の服着るの?」
「売れ筋のを自分で買って着てみますよ。個人的にはトルコの女の服が好きだなあ」
相撲チャンピオンも取ったことのあるルスランが女の服を着ている所は・・・一度だけ想像してみたが、モルジアナは頭が痛くなったの゛、その後は想像するのはやめた!でも実はルスランが着られるようなビッグサイズの服が結構需要がある!
むろん彼は荷物の運搬や警備が業務なので、彼が店頭で売り子を務めることはありません。
一応、女性のお客様、夫婦や母娘などで来店した客にはモルジアナか女奴隷たち、男性のお客様には副店長のムハマドが応対しています。異教徒の多い町なので、結構女性の単独の客もいますが、だいたい4割は男単独の客です。