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頭(かしら)は考えました。この敵は相当できる奴だ。まともに襲撃するのではなく、騙し討ちにした方がいい。
そこで頭(かしら)は目立たないように2日がかりで手下たちを町のあちこちにやってラバを20頭用意させました。その各々に左右2つずつの大きな革袋をつけさせます。そしてその内1頭のラバに負わせる革袋には油を満たしましたが、残り19頭のラバが負う革袋に子分たちを隠れさせました。そして革袋の上を結ぶと、偽装のため、革袋を油で汚しました。
子分は40人いたのですが、2人制裁されて38人残っています。それを19頭のラバが負う38の革袋に隠れさせたのです。
そして頭(かしら)は貿易商のような服装をして、8月6日の日暮れすぎ(当時の時間制度では日暮れから既に8月7日に入っている)、カシムの家を訪れました。
「大旦那様、私は遠い所から来た旅の商人でございます。大量の油を仕入れて旅をして参りましたが、ここまで来た所で日が暮れてしまいました。大変申し訳ないのですが、庭でよいので、一晩泊めて頂けませんでしょうか」
アリは笑顔で
「おお、それはお疲れ様です。粗末な家ですが、良かったらお泊まり下さい」
と言って、彼を招き入れました。しかし頭(かしら)は人の良さそうなアリを見て、こいつが俺たちを出し抜こうとしたのか?人は見かけによらないなと思いました。
アリの家の庭は広いので、20頭ものラバを入れることができました(*29). 頭(かしら)は自分もラバと一緒に庭で休むと言ったのですが、アリは
「そんな失礼なことはできません。どうぞ母屋でお休み下さい」
と言って、家の中に招き入れました。
頭(かしら)は、自分たちの上前をはねようとするような奴なら、きっと私兵などもたくさんいるだろうと思ったのに、そのような者も見ないので、拍子抜けする思いでしたが、油断したらやられるぞと気を引き締めました。
(*29) ラバの体長は2m程度である。身体の幅を仮に70cmとし、革袋のサイズを60cmでその半分がラバの横幅からはみ出していたとし、荷物同士がぶつからないように間隔を50cm空けたとして、1頭ごとに180cm=1.8mが必要ということになる。すると20頭のラバを入れるには36m(20間)必要ということになる。かなり広い庭である。ただし2列に並べるのなら 6m×18m 程度でよい(約30坪)。
客人の招き入れに慌てたのはモルジアナをはじめとする女奴隷たちでした。
唐突にお客様がいらしたので、客人のための料理を用意し、寝床も整えなければなりません。
「ワルダさん、お客様のお部屋を掃除して、寝具を整えて」
「ラーニヤ、お客様にお酒を出して」
と指示を出します。
(本来イスラム教ではお酒は禁止であるが、豚肉の禁忌などとは違い、お酒に関しては、わりと“緩い”地域が多い。お店などでも建前上酒は出さないことになっていても、実は知り合い限定の“裏部屋”に行くと飲めたりする。中世でも、異教徒の多いメルヴで、しかも金持ちの私邸は、なおさらである)
女奴隷だけでは手が回らないので、男奴隷たちにも手伝わせて、急いでお料理の準備をしました。
「アンタル、お魚屋さんまで行って鯛を3-4匹買ってきて」
「アブドゥラー、お客様にダンスでもお目に掛けて」
「俺、タゾンタくらいしか踊れないけどいいの?」
「女の服着てフラメス踊ってもいいけど」
「そんなことしたら客人が逃げ出す」
そして1時間ほど奮闘して、羊の肉を焼いたものとスープを作りあげます。アンタルが買ってきてくれた鯛も塩焼きにします。またストックしている材料で小鉢の料理なども揃えました。何とかお客様に出せる料理を作り上げたなと思ったところで、お客様の接待をしていたラーニヤが来て言います。
「モルジアナさん、お客様は持病で、塩の入った料理がダメなんですって。塩抜きの料理を出してもらえないかと」
「何ですって!?」
とモルジアナは思わずラーニヤをどなりつけてしまいました。
「・・・ということなんですが」
とラーニヤは小さな声で続けます。
(頭(かしら)が塩抜き料理を求めたのは実は戒律により、人を殺す前には塩を摂ってはならないというルールを守っているため。この物語ではアリも盗賊も敬虔なムスリムである)
急なお客様で急いで料理の準備をしたのに、今更、塩抜き!?そんなの最初から言ってよ!とモルジアナは思いましたが、ラーニヤをどなりつけても仕方ないことです。
「分かった。何とかする。ラーニヤ、お客様に果物でもお出しして」
「はい」
それで、モルジアナは再度、塩抜きの料理を作り始めたのです。お肉は全て塩漬けなので、塩抜きするには時間的余裕がなく使用を諦めます(昔は冷蔵庫が無い)。アンタラを再度魚屋さんに走らせて、何でもいいいからお魚を買ってきてと言いました。彼は鯉を買ってきました。鯉は臭いを抜く処理が難しいし塩が使えないと味付けも難しいのですが、香草を使って何とかします。
ところが、料理を作っていたら、火が消えてしまいます。
嘘!?
「ユムナー、ストーブに油を入れて」
「はい」
と返事をしたものの、ユムナーが首を傾げています。
「モルジアナさん、油のストックがありません」
「え〜〜〜!?誰?最後に補給した人は?最後の一壺を使ったら言ってよ」
とモルジアナは文句を言いますが、無いものはどうにもなりません。
(みんな今日のモルジアナは機嫌が悪いと思っている)
その時、宴席から下がって食器を洗っていた男奴隷アブドゥラーが言いました。
「モルジアナちゃん、今夜のお客様は油商人なんだろ?お客様の荷物の油から少しお借りして、明日の朝にでもその分の代金をお支払いすればいいよ」
モルジアナは腕を組みました。借りるとしても、本来はお客様に先に一言言うべきです。しかしお客様はアリ様と楽しく歓談しているようです。それを詰まらない用事で中断させるのも興醒めだと判断しました。
それで勝手なことをしてと叱られたら自分が責を負おうと思い、モルジアナは油の壺と柄杓(ひしゃく)を持つと、庭に出ました。
沈み掛けた月の微かな灯りで、ラバが20頭並んでいるのが見えます。その各々に左右2個ずつの革袋が下げてありました。凄い量の油だなあと思います。
(人間の入るサイズの革袋の容量を仮に100Lとして 40袋で4000L (4t). 昔は油はとても高価なので 1L=5000円として2000万円)
「すみません、ちょっとお借りします」
と声を掛けてから、モルジアナは先頭のラバの積荷の革袋を開けようとしました。
すると
「親分、いよいよ襲撃ですかい?」
という声が聞こえます。
モルジアナはハッとしました。とっさに男のように低い声でこう答えます。
「まだだ。月が沈む夜中まで待ってろ」
「へい。でも喉が渇いたんですが、水とかもらえませんかね」
「分かった。それは少し待て」
モルジアナはそのラバの反対側の積荷のほうにも寄ります。やはり中から
「親分、いよいよ襲撃ですかい?」
という声が聞こえます。
「まだだ。月が沈む夜中まで待ってろ」
その男も水を所望したので、少し待つように言いました。
モルジアナはラバが積んだ荷物のひとつひとつを回ったのですが、どれからも男の声がし、モルジアナは全員に「月が沈む夜中まで待て」と言って回りました。また全員水を所望したので、それは少し待つように言いました。
モルジアナはラバの積荷を回っている内に考えました。
これはアリ様が言っていた“40人の盗賊”の一味に違い無い。先日から扉や入口に印を付けていたのも、こいつらだろう。とうとうここを嗅ぎつけて、アリ様を殺しに来たのだろう。わざわざこの人数を連れてきたということは、家族や使用人たちも皆殺しにして、この家にある財産も全部奪って行くつもりだ。
何とかしなければ。
ラバの積荷は全部盗賊かと思ったら、20頭目、最後のラバが積んでいたのは本物の油でした。
「2人はお留守番して襲撃には不参加なのかな?」
とモルジアナは思いました。蔵品が取られる事件があったのなら、留守番を置くようにした可能性は充分あります。
それでモルジアナはその最後の積荷から今晩の調理に必要な程度の油を借り、それを厨房に持ち帰り、ストーブに補給。調理を続けました。他の者には知られないよう、モルジアナはあくまで平静を装います。
そして何とか塩抜きの料理を作り上げました。
ユムナー・ワルダと3人で料理を運びます。
「大変お待たせしました」
と言って笑顔で料理をお出しし、給仕もしました。
「モルジアナ、君は歌や楽器が得意だったね。何かお聞かせして」
「はい、分かりました」
と言ってモルジアナはウード(琵琶)を取ってきますと、それを爪弾きながらトルコ地方の民謡を歌いました。
アリも客人もそれに聴き惚れているようでした。
モルジアナは3曲歌うと
「済みません。疲れたので少し休ませて下さい」
と言い、後はユムナーたちに任せて下がりました。
そして自室(モルジアナは特別待遇で個室をもらっている)に行くと、カシムの重病を装うのに買い求めた金精丹を取り出しました。
「あの人数に効くかなあ・・・」
と疑問は感じましたが、モルジアナはあの時買い求めた4個の金精丹を擦り潰して粉末状にします。それをたっぷりの水で溶きます。そして小さな器を38個用意し、それに均等に注ぎ分けました。それをお盆に持つと庭に出ました。
最初のラバの積荷の上を綴じている紐を緩めます。親分の声を装って言います。
「おい、水だ」
と言って容器を渡します。
「ありがとうございます」
次の袋の上を緩めます。
「おい、水だ」
と言って容器を渡します。
「ありがとうございます」
こうしてモルジアナは38人の盗賊全員に水の入った容器を渡しました。
少し待ちます。
「うっ」
という、うめき声があちこちから聞こえます。
「苦しい」
と声を出している者もあります。モルジアナはさすがに聞くに堪えなかったので、用心のために目は開けたまま、しばらく耳を塞いでいました(*30).
(*30) 原作では油を煮立てて、それを革袋の入口から注いでいき、殺害したということになっている。この方法だと高温の油を注いでも、ペルシャの男性は頭(あたま)に帽子をかぶっているので、致命傷を与えるのは難しい。そして最大の問題点は最初の1〜2人を殺した所で他の者は異変に気付いて飛び出してくることが予想されることである。そもそも油1袋は先程の考察では90kg、半分程度しか入れてなくても40-50kgあるはずなのでモルジアナにはとても持てない。
そこで、今回の翻案では、この人数を殺すのに“遅効性”の毒を用いる方法を採ることにし、カシムの病気を装った時にもらっていた、苦しみを和らげてあの世に送り出す薬を使用することにした。
やがて静かになったようです。
モルジアナはふっと溜息をつくと、神への祈りを捧げてから、容器を運んだ木のお盆や、薬を砕いたすりこぎなどは暖房用の釜の口を開き、その中に放り込んでしまいました。そして何食わぬ顔で厨房に戻りました。
「モルジアナ、まだ顔色が悪いよ。もう少し休むといいよ」
とワルダが言います。
「そうかな」
「お片付けは私たちがしますから」
とラーニヤも言います。
「じゃ、お願い」
とラーニヤたちに言って、モルジアナは自室に戻り、ベッドに潜り込んで寝ました。
さすがに人を殺した後は、顔色が悪くなるよな、とモルジアナは思いました。
それに少し仮眠しておかないと、おそらく盗賊の頭領は、夜中に起き出してアリ様を殺しに行くだろうから、それに備える必要もあると思ったのです。
その盗賊の頭(かしら)ですが、料理もお酒も美味しかったことから、すっかり寝過ごしました。目を覚ましたのはもう深夜2時頃です。既に上弦の月は沈んで真っ暗闇になっています。襲撃には好都合です。
(Hijri 240.8.7 = Greg 855.1.4(Mon) の月入はStargazerで見ると1:45)
「手下どもが待ちくたびれてるだろうな」
と独り言を言い、庭に出ます。
「野郎共、襲撃するぞ」
と声を掛けました。
ところが反応がありません。
「何だ?みんな眠っちまったか?」
と言って、最初の革袋を蹴って「起きろ」と言いました。
ところがそれでも部下は起きません。
「起きろと言ってるのに」
と言って中を覗き込むと、頭(かしら)は部下が死んでいるのに気付きました。
頭(かしら)は反対側の積荷の革袋も蹴ってみますが、反応がありません。中を覗き込んで、部下が死んでいるのを認識します。
頭(かしら)はその後、全てのラバの積荷を確認したのですが、部下は全員死亡していました。
頭(かしら)はさすがに肝を潰しました。
「こいつは・・・とんでもない敵だ。兵士などいないように見せかけて本当はどこか、その辺に何十人も隠れているに違い無い。手下ども、みんな強いのにやられてしまうなんて。俺もすぐ殺される」
頭(かしら)はそう言うと、塀を乗り越えて逃げて行ってしまいました。
モルジアナはその姿を見送りながらも、これだけでは終わらないだろうなと腕を組んで悩みました。