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■男の娘モルジアナ(2)

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ところがモルシードの行き先はハーレムではなくなるのです。
 
モルシードが7歳になった時、裕福そうな商人が奴隷を買い求めにやってきました。そしてモルシードに目を付けたのです。
 
「大旦那様。申し訳ありません。この子は皇帝の奥方の近習にしようと5年掛けて育ててきたもので」
 
(本当は口入れ屋に居たのは3年間)
 
「それなりの代金を払えばいいのだろう?」
「確かにそうですが・・・」
 
ということで、その商人は大枚をはたき、やや強引にモルシードを買っていったのです。
 

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カシムはモルシードに言いました。
 
「お前は中性の召使いとして仕えるのはもったいない」
「はい?」
「お前は物凄く可愛い。お前は女でも通る」
「えっと・・・女のかっこうでもしましょうか?」
「うん。女の服を着てくれ」
「え〜〜!?」
 
それでモルシードは可愛い女の子の服を着せられました(*4)。こんな服着ることになるなんてと、最初モルシードは恥ずかしくて真っ赤になりました。
 
「ごしゅじんさま、このふく、はずかしいですぅ」
「これからはいつもこういう服だから、慣れなさい」
「わかりました、ごしゅじんさま」
 
とは答えたものの、恥ずかしくて、最初はその服で外を歩いていても、人が変に思わないだろうかとドキドキしていました。
 
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「お前はこれからはモルジアナ(*3)と名乗りなさい」
「モルジアナですか。まるで女みたいな、なまえ」
「そりゃお前はこれからは女の子だから」
「きゃー。ぼく、女の子としてやっていけるかなぁ」
「大丈夫だよ。お前を見て、誰も女としか思わないから」
 
それでモルシード改めモルジアナはカシムの家では、女奴隷として仕えることになったのです。
 

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(*3) モルジアナというのは“真珠”という意味の女性名。ヨーロッパであれば、マルガリータ、マルガレッタ、マーガレットなどに相当する名前である。
 
(*4) 再出だが、トルクメンでは、男女ともに下半身にはバラク(ズボン)を着用するが、女性の場合はその上に更にワンピースを重ね着する。中世の中性奴隷の衣裳は資料不足でよく分からないが、恐らくは男性と似たものを着ていたと思われる。しかし女ということになれば女用の裙を搾ったズボンに、ワンピースを重ね着することになったであろう。
 
しかし、そもそもペニスの無いモルジアナは、女の服を着た方がトイレは気楽かも!?
 

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カシムは婦人服を扱う商人でした。
 
彼はメルヴ(*5)の町でバザール(商店街)にお店(ドッカーン *5)を出しているのですが、衣服を作る工房(カールガーフ)は所有しておらず、いくつかの工房から仕入れて売っていました。
 
お店で働く奴隷を女5〜6人(売り子)と男3〜4人(運搬係兼警備員)、家の方で働く奴隷を女3〜4人と男2〜3人雇っていました。実は家の女奴隷は4人居たのが、結婚したいというので解放してあげた女が2人続けて出たので(各々の夫になる人からいくばくかのお金はもらった)、若い女奴隷を買いに行きました。本当に女奴隷を買うつもりだったのですが、何か光るものを感じて、予算オーバーではあったものの、モルジアナを買ったのでした。
 
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(*5)メルヴ(Merv)はトルクメンの古い都市である。トルクメンの現在の首都アシガバート (Ashgabat) から300kmほど東方にある。
 
BC20世紀頃、この付近には高度の文明が発達しており、バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)と呼ばれている。インダス・黄河・エジプト・メソポタミアと並ぶ第5の古代文明と考える人もある。バクトリア(Bactria) はアフガニスタン北部、マルギアナ (Margiana) はトルクメン東部を指す古語である。
 
しかしマルギアナ Margiana はモルジアナ Morgiana に似てる?
 
BC4世紀にアレクサンドロス大王が征服した領域に含まれ、当時はアレクサンドリアとも呼ばれた。またアンティオキア・イン・マルギアナ (Antiochia in Margiana)という別名もあった。またアリババの時代より300-400年後の12世紀にはセルジュークトルコの首都になった時期もある。
 
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メルヴはシルクロードの交易拠点のひとつであり、中世には人口が100万人に到達した時期もある。現在のトルクメニスタンのマリ(Mary)市の一部である。この町ではイスラム化される以前は実は仏教文化が栄えていた。現在でも仏教寺院の遺跡が遺されている。
 

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(*6)バザール用語
バザール:商店街、ドッカーン:常設店舗、カールガーフ:店舗から独立した工房、カールハーネ:大きな工場、ダーラーン:商店街と商店街を結ぶ通廊、カイサリーヤ:大規模な通廊、サライ:交易商人のための宿泊施設、ハンマーム:公衆浴場
 

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モルジアナはこれまで“中性の召使い”になるべく教育を受けていたので、女としての教養は全くありませんでした。しかしカシムは先輩の女奴隷たちに言いました。
 
「この子はアクスム(現在のエチオピア)の田舎から出て来たばかりで、礼儀作法とかも料理・裁縫とかも知らないから色々教えてやってくれ」
 
モルジアナは母が黒人奴隷で、父はトルクメン人でしたので、中間の肌の色をしています。それでアクスム出身というのを信じてもらえました(*7)
 
先輩の女奴隷(20歳のカーナと16歳のバーナ)は、人手不足のおりに料理や裁縫の素養も無い小娘を・・・と思ったものの、モルジアナが結構物覚えがよく、すぐに簡単な料理は作れるようになったので、彼女(以降、女扱いになるので“彼女”と書く)を主として厨房で使うことにしました。彼女は人なつっこく、明るい性格なので、先輩たちも可愛がってくれました。
 
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モルジアナは奥様のダニヤにも可愛がられ、奥様の近くで色々お世話をしたり、お使いなどに行くこともありました。
 
また、モルジアナがカシムの家に来た時3歳(つまりモルジアナより4つ下)だったカシムとダニヤの息子・ムハマドも、年の近いモルジアナになつき、モルジアナはよくムハマドの遊び相手になっていました。
 
モルジアナは最初は苦手だった裁縫も次第に覚え、3年後くらいにはかなり上達しました。
 
モルジアナに裁縫を指導したバーナが
「この子、私よりうまくなっちゃった」
と褒めていました。
 
モルジアナの縫う服がひじょうに出来がいいので、カシムは
「お前が縫った服を店に出してもいいな」
と言い、モルジアナが11歳になった頃からは、週に1〜2点、カシムの指示に従って服を縫うようになってきました。モルジアナの縫った服はとても高く売れました。
 
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(*7) 元々アクスム(エチオピア)はアフリカ系の住民(黒人)とイエメン系住人(アラブ人)が住んでいて、両者の混血も多かった。また、アクスムはイスラム教の始祖ムハンマドに協力したことから、軍事的に侵略したりしないという協定を結んでおり、イスラム帝国に地理的に近くても、ずっと非イスラム圏であった。しかし結果的に奴隷の供給元にもなり得た。
 
アッバース朝が成立する前のウマイヤ朝では、アラブ人(*8)とその他の民族は差別されていたが、アッバース朝はその体制に不満を持っていたペルシャ人(*8)勢力を背景に立てられたこともあり、ムスリム(イスラム教徒)であれば人種によらず皆平等という思想が普遍化した。
 
それで、イスラム社会では基本的に奴隷は非イスラム圏!出身の者が多かった。これはアフリカ、スラブ、ヨーロッパ(この当時は後進国)などから供給されていた。
 
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イスラム帝国での奴隷は、古代ギリシャの奴隷制度の伝統を継承しており、近代アメリカの黒人奴隷とは違って、大切に扱われていた。
 
ギリシャやイスラムの奴隷は制限はあるものの人権が認められており、主人が奴隷を殺せば(バレたら)、普通に殺人罪となる。また奴隷はやがては解放されるものであり、奴隷を解放することは善行とみなされた。但し奴隷が足りなくなると労働力不足になり困るので、解放できる人数には制限があった。奴隷はちゃんと給料ももらえるので、お金を貯めて自分で自由の身になる者もいた。
 
(むしろ昔は、給料をもらう≒奴隷!昔は給料をもらうというのは卑しいことであるという思想があった。だからこの物語でいう“奴隷”は“使用人”という言葉に置き換えても大きく外れない)
 
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ただし多くの“解放奴隷”はそのまま主人の家に勤め続けた。待遇がよくなり作業の無い時などは行動の自由があるのが主たる違い。
 

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近代アメリカでは One drop rule と言い、奴隷の血が一滴でも混じっている者は奴隷とされたが、ギリシャやイスラムでは基本的に奴隷と平民の間に生まれた子供は3代目には平民となった。イスラムにおける奴隷というのは、現代でいえば、不足する労働力を補うための外国人労働者というのに近い存在だった。
 
モルジアナは女奴隷と平民の間の子供なので、モルジアナが平民の子供を産めば、本人が奴隷の身分のままでも、生まれた子供は自動的に平民になる。
 
女奴隷の中には事実上主人の妾のような存在になる者もいたが、イスラムでは妻は4人まで持てるので、多くの場合は特に問題は無い!
 
カシムも(当初は)いづれモルジアナを自分の第2か第3の妻にするつもりだった。“美人で賢い妻”を自慢できればいいので、子供を産めなくても大きな問題は無いと思っていた!
 
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(*8) アラブとはアラビア語を話す人たちである! 元々はアラビア半島に住む人たちのことであったが、イスラム教勢力の拡大により、エジプト人、イラク人、シリア人、マグレブ人などが言語的にアラブと一体化した。
 
但しアラビア語の話者であっても、宗教・宗派などによっては、本来の各地域の民族意識をキープしている人たちもある。
 
ペルシャ人は、アラビア文字(正確にはそれに少し文字を加えたペルシャ文字)は使用するが、アラビア語とは(系統的にも)全く異なるペルシャ語を話す民族である。この物語の舞台となるトルクメンに住むトルクメン人もトルクメン語を話す民族である。
 
アラビア語(セム語族)アラビア文字
ペルシャ語(インド・ヨーロッパ語族)ペルシャ文字(アラビア文字の拡張)
トルクメン語(アルタイ語族)現代ではラテン文字を使うがこの時代はひょっとしたらアラビア系文字だったかも?
 
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ただし中世のメルヴでは交易都市ということもあり、トルクメン語・ペルシャ語は普通に話され、アラビア語やパシュトー語を話す人もかなり居たものと思われるし、商人たちはペルシャ語とアラビア語程度は普通に使えたであろう。
 

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さて、モルジアナは元々口入れ屋で基本的な教養は身につけていたのですが、カシムは彼女に更に様々な教養を身につけさせました。料理や裁縫は先輩の女奴隷に教わっていましたが、カシムは歌、舞、剣技も鍛えておくように言い、実際、各々の先生につけて練習させていました。
 
また、言葉についても、モルジアナはペルシャ語とアラビア語の文章は読み書きできましたが、同系統の文字を使うトルコ語・パシュトー語・シンド語なども勉強させました。カシムはしばしばそれらの言葉で書かれた文書をモルジアナに解読!させました。それ以外に、ギリシャ語・ロシア語やサンスクリットも学ばせていました。
 
当時のイスラム世界では、奴隷が良い教養を身につけることは、主人にとって名誉となることでした。
 
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(近代アメリカの黒人奴隷が“知恵を付けないように”教育から遮断されていたのとは大違いである)
 
またカシムはモルジアナは、たぶん将来自分の商売上の重要なパートナーになると考え、そのためには外国語の文献が読めることも重要であると考えていたのです。
 

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