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「私がここに来て以来、馬加は私を口説こうとしていましたが、もちろんお断りしていました。今夜は宴で馬加も側近もかなり酔っておりました。それであたかも夜伽をするかのようなふりをして側近たちを油断させて馬加に近づき、隠していた刀でついに馬加を討ち果たしました。四天王の3人が襲ってきましたが、3人とも倒しました」
「そうであったか。しかしよく女の身で親の仇をあげたものだ。あっぱれだ。四天王は結構腕が立つのに」
と小文吾は言いますが、この子が卜部も簪一本で倒していたことを思い出しました。なんて凄い娘だろう。自分の妻にふさわしい女だと、小文吾はあらためて毛野のことを好きになったのです。しかし毛野は
「あ、いえ、私は・・・・」
と困ったような顔をします。自分が女ではないことを言わなければとは思うものの、何から説明していいか分かりません。
「小文吾様、取り敢えず脱出しましょう」
と毛野は言います。性別のことは後からゆっくり説明した方がいいと判断したのです。
「そうしよう。そなたの一座の他の者たちは?」
「私は早めに逃げた方がいいと言ったのですが、慌てて逃げ出したら一味と思われる。それより明日ゆっくりと退出すると座長がおっしゃるのでお任せしました。私は対牛楼にいた全員を斬ったので、あとで気付いた人が見ても誰が斬ったのかはきっと分かりません」
(結果的にこの夜姿を消した小文吾に疑いが掛かるのだが、そこまでさすがの毛野もこの時は思い至ってなかった。対外的には馬加は病死と発表される)
「それは凄い。しかし長居は無用だ。脱出しよう。しかしそなたの服は血だらけで目立つ。男物でもよければこれに着替えなさい」
「お借りします」
それで小文吾が後を向いている間に毛野は服を着替えました。
小文吾は毛野が着替えている間、庭の方を向いていたのですが
「そろそろ着替え終わったか?」
と言って、振り向くと毛野はまだ着替えている最中だったようで、
「きゃっ」
と言って、胸をこれから着ようとしていた服で隠します。
(ビーナのあられもない格好)
「すまん」
と小文吾は声を出したのですが、彼の視線は毛野の腕に釘付けになります。
「おぬし」
と声をあげて、毛野のそばに寄り、彼女の左腕を取りました。
「この痣(あざ)はいつからある?」
と訊きます。
「生まれた時からあったそうです。女の子なのに可哀想にと言われましたが、あまり目立たない所で良かったねとも言われました」
と毛野が答えます。
「ちょっとこれを見てくれ」
と言って、小文吾がいきなり自分の着物の裾をはだけ、ふんどしを解くので、毛野は
「小文吾様。言い交わした仲なれば、ただちに小文吾様のものになるのはやぶさかではありませんが、今は早く逃げた方がよいかと」
と冷静に言います。
(あくまで慌てないのが毛野。最悪はスマタで逝かせようと思っている。この人、女性経験無さそうだし多分気付かないなどと考えている。毛野の頭の中は小文吾の10倍の速度で回っている)
「いや、違うのだ。これを見てくれ」
と言って、小文吾は自分の尻を毛野に見せました。
ここでネオンはほんとに下半身裸になりお尻を見せている。お股に付いているものにはモザイク!がかかっている:ビーナは実はネオンの男性器を見てしまってドキドキしている。男の人のって、本当はこんなに大きいの?ボクのとは全然違うじゃん、などと思っている(*28)。しかしこのドキドキしている感じの表情がいいと言われた。
なおこのシーンは男性のネオンが小文吾を演じることになって、挿入された。原作では毛野が犬士であることが分かるのは越後編のあとの諏訪編。
(*28)ビーナは実はここまで他人の男性器を見たことがなかった。小学校の修学旅行では個室にお風呂が付いていて大浴場には入っていない。中学の修学旅行は“仕事”(「サーファーの夏」!での詩恩の吹き替え)で参加していない(あまり参加したくなかったので渡りに舟だった)。父は家の中で男性器をぶらぶらさせて歩くようなことはしなかった。
「痣(あざ)が・・・」
と毛野が声をあげます。
「着替えを中断して済まなかった。着替えを続けてくれ」
と言って、小文吾は再度庭を向き、褌をつけ始めます。
※痣の位置まとめ
信乃 左腕
毛野 右肘
道節 左肩
大角 左胸
親兵衛 脇腹
荘助 背中
現八 右頬
小文吾 尻
むろん元々の八房の黒いぶちがこの位置にあるのである。舞音が着る着ぐるみはちゃんとその位置にぶちが入っている。
(親兵衛の“脇腹”が右か左かについては原作にも記述が無いが、このドラマでは右脇腹ということにした。大角が左胸なので、左脇腹だと接近しすぎる)
「あのぉ、私は腰巻きを取った方がよいのでしょうか?それとも」
と毛野が訊きます。
「小袖を着てくれ」
と小文吾は焦ったように答えます。
「分かりました」
と言って、毛野は(小文吾の着替えの男性用の)小袖を身につけます。その間に小文吾は褌を締め直します。
「毛野、そなたもしやタマを持っていないか?」
「私は女ですので、タマはありません」
「いや、その玉ではなくこのようなものだ」
と言って、小文吾は自分が持つ“悌”の珠を後ろ向きに毛野に見せます」
「あら、それなら似たものを」
と言って、着替え終わった毛野は自分がいつも首からさげている守り袋に入れた珠を取り出して小文吾に見せました。“智”の文字が描かれています。
「実は母が亡くなった時、母の身体から飛び出してきたのです。それで母といつも一緒に居る気持ちになれるよう、身につけています」
と毛野が言います。
「身体から?身体のどこから?」
「女にだけある場所なのですが」
「すまん!」
と言って小文吾が真っ赤になるので、この人ほんとに女性経験が無いみたいと毛野は思うのでした。
「しかしだったらそなたは我々の仲間でもあったのか」
「仲間?」
「詳しいことは道々話す。しかし我々の仲間に女子(おなご)もいたとは。しかしそなたは女子にしておくのが惜しいほどの武勇の者だ、我々の仲間にふさわしい」
「あのぉ、私、男になった方がいいですか。必要なら頑張って男になれるよう努力しますが」
実は毛野は生まれて以来、ずっと女として生きてきたので、男に戻る(というより男になる)自信が無い!
「努力して男になれるものなのか?いや、女にしておくのはもったいないが、そなたが男になってしまったら、我々は夫婦(めおと)になれない」
「そうですね」
毛野は自分が本当の女だったらこの人の妻になってもいいような気もしてきました。
ともかくも脱出することにします。
血で汚れた服は井戸の中に放り込みます。そして2人はまだ事件に気付いていない城内を平然として歩き、通行証を使って城門の外に出ました。そして毛野が逃亡用に用意していた舟で城から離れようとします。小文吾が毛野を舟に乗せ、自分も乗ろうとしたのですが・・・
ここで舟が勝手に動き出してしまいました。おそらく舟を留めていた綱が緩んでいたので毛野の体重で離れてしまったのでしょう。
「毛野ぉ〜!」
「小文吾様ぁ!」
ふたりは呼び合いますが、隅田川は大きな川で流れも速いので、小文吾が走っても舟に追いつくことはできませんでした。
小文吾が追いかけ疲れて座り込んでしまった時、川の方から声がします。見ると、古那屋の宿屋で働いていた依介(山口暢香)でした。
小文吾は彼の舟に乗せてもらうと、自分の許嫁1人だけ乗った舟が流されていってしまったと言います。それは大変だと依介は速度を上げて川を下っていったのですが、毛野の乗る舟を見つけることはできませんでした。やがて江戸湾に出てしまいます。
「女だてらに剣術とかもできる人ですか?それは凄い。でもそういう人ならきっと何とかどこかの岸に舟をつけてますよ」
と依介は言いました。
小文吾もそれを信じるしかないと思いました。仕方なく、依介と一緒に、いったん古那屋に戻ることにしました。
依介は小文吾に、小文吾の父・古那屋文五兵衛が病に倒れ、今年2月に亡くなったことを語りました。
「なんと。そうであったか」
宿は小文吾が居ないので、文五兵衛の遺言により、依介が後を継ぎ、妻の水澪(水野雪恵)と一緒に経営しているということでした。小文吾は依介をよく知っているので、それを追認しました。
「それと房八さんが亡くなったんですよ」
「どうした?喧嘩でもしたのか?」
と房八の性格を知っている小文吾は言いますが、依介から彼の最期の様子を聞くと
「あっぱれな奴だ」
と涙を流して語りました。
また親兵衛が神隠しにあったこと、妙真や沼藺は安房に居ることも聞きました。
「それはまさに神隠しだと思う。おそらく親兵衛は無事だよ」
「私もそんな気がしています」
小文吾は古那屋に戻って一晩泊めてもらうと、翌日は父・文五兵衛と義弟・房八の墓に参りました。また妙真・沼藺への手紙を書きました。
彼は、曳手・単節の行方も気になりましたが、とりあえず毛野の行方を捜すことにします。それで、手がかりを求めて、毛野が育った鎌倉に行ってみることにしました。
(その後、越後に行き、馬加大記殺しの犯人として捕まってしまう!越後の領主・長尾景春の姉妹が実は千葉自胤の妻だったためである。この件は後でナレーション!で語られる)
さて、荒芽山の離散(1478.7)の後、犬飼現八は小文吾は古那屋に戻ってないだろうかと思い、訪ねていってみるものの、文五兵衛から、小文吾はまだ戻っておらず、妙真や沼藺たちは安房にしばらく滞在しているという話を聞きます。また親兵衛の神隠しのことも聞き、彼の行方を心配しました。
現八は房八の墓参りをし、沼藺に手紙を書いてから、京都に行きました。そしてそこで2年ほど過ごしました。
文明12年(1480)8月、ずっと京都に居るわけにもいかないと思い、関東に戻って仲間を再度探すことにしました。
そして9月7日、下野国足尾(原作では“網苧”と書く)の庚申山まで来た時のこと、彼は夕方、夫婦(鈴鹿あまめ・知多めぐみ)がやっている茶店で休憩します。
「お武家様、どちらへ向かわれますので?」
「庚申山を越えて鹿沼方面へ出ようと思っている」
「この時間から庚申山をお越えになるんですか?おやめになった方がいいです。厩橋(現在の前橋)方面から回り込まれるか、せめてここにお泊まりになって明日になさいませんか」
と茶店の主人・鵙平(もずへい)は言います。奥さんの雀女(すずめ)も
「宿代は取りませんから、どうかお泊まりになって下さい。本当に危険です」
と言います。
「庚申山に何があるというのだ?」
と現八が尋ねますと、鵙平はこのような話をしました。
今から17年前の寛正5年(1464)、この地の郷士・赤岩一角(品川ありさ)は武芸に秀でて多数の門人たちもいた。彼は誰も恐れて入らない、庚申山の奥の院を見極めてくると言って出かけていった。しかし彼がその日戻ってこないので、翌日明るくなってから人が出て捜索をする。すると一角が自分で歩いてみんなの前に姿を現した。谷底に落ちて右手を怪我したが、何とか這い上がってきたと言う。それでみんな無事を喜んだが、その後、一角は、すっかり人が変わったようであった。
一角は結局右手の怪我が酷く、道場では師範を辞め、怪しげな師範代が入ったが門弟たちはほとんどが、やめてしまった。
一角は間もなく窓井という後妻を娶り、翌年牙二郎という息子が生まれた。すると一角は彼だけを愛し、前妻の正香が産んだ長男・角太郎(常滑舞音:二役)は疎むようになった。それで見かねた正香の兄・犬村蟹守(木取道雄)が彼を引き取り養子にした。牙二郎を産んだ窓井は間もなく亡くなった。一角は多数の後妻を娶ったが、みんな病になって早死にしたり、あるいは逃げて行った。
ところが一昨年(1478)の秋に武蔵の方から流れて来た船虫(坂田由里)という女はその後2年ほど経つが元気で、赤岩の後妻として定着している。
犬村蟹守夫妻は3年前に相次いで亡くなったが、亡くなる直前に、角太郎は犬村の娘・雛衣(ひなぎぬ)(木下宏紀)と結婚した。しかし船虫は稲村家の財産を狙っているようで、雛衣にあれこれ難癖を付けて角太郎と離婚させようとしている。(雛衣が子供を産むと犬村家の財産はこちらに来ない)
茶店の夫婦が強く一泊するよう勧めるものの、現八は「先を急ぐので」と言って出発します。しかし胸騒ぎを感じたので、鵙平から弓矢を買ってから出ました。