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屋根から抱き合ったまま川に落ちて行くシーンは、“見上げるため”のセットの最上階の屋根(高さ15m : 5階建てビル相当)から、ハイダイビングの選手2名に吹き替えしてもらっている(最初は人形で撮影するつもりだった)。撮影は屋根の固定カメラ+地上のカメラ4台+ドローン4台である。
演じてくれたハイダイビングの選手は山村マネージャーの知人らしい。1人は『人魚姫』の撮影で35mの崖から飛び込んでくれた蕪島順子さんで、もう1人は彼女の姉の蕪島豆代さんである。2人とも
「このくらいの高さなら頭から飛び込んでも平気」
などと言っていたが、安全のため足から飛び込んでもらった、ふたりはサービスで空中で1回転してくれたが、撮影している側はハラハラだった。ふたりにはスタント料を合計400万円払っている。
ちなみに水泳のハイダイビングの飛込板の高さは男子27m, 女子20mである。しかしハイダイバーには50mくらいから平気で飛び込む人たちがいる。15mの高さから落下すると水面に到達する時の速度は60km/h, 27mからなら80km/h, 35mなら94km/h, 50mなら112km/h になる。空気抵抗で少しは減速すると思うが、よく死なないものである。
芳流閣のセットはこの撮影のため、元々郷愁リゾートを流れる田斐川の傍に建築していたが、安全のため、2人の落下予定地点の川底を播磨工務店に頼んで臨時に10m掘削してもらった(撮影後埋め戻した)。
しかし彼女たちのおかげで迫力あるシーンが撮影できた。しかも2人は身長がアクア・リズムに近いので、放送時に本当にアクアとリズムが落下していくように見えて、どうやって撮影したんだろう?と思った視聴者も多かったようである。
語り手:現代では利根川は鹿島灘と九十九里浜の境界である銚子市で太平洋に注いでいますが、これは17世紀に徳川家康により、江戸の洪水を防ぐ目的で利根川の水を銚子を河口としていた常陸川という川に流した結果によるものです。昔は利根川も渡良瀬川も平行して流れて江戸湾に注いでいました。
さて昔の渡良瀬川の下流、江戸湾に近い所に、小さな町(*15)がありました。ここに古那屋文五兵衛(佐藤ゆか)という者が居て、宿屋を営んでいました。
文五兵衛には小文吾(西宮ネオン)・沼藺(ぬい:甲斐絵代子 *16)という息子・娘がおりました。また沼藺には、山林房八(湯元信康)という夫がいて、2人の間には、大八という幼い子供(後の犬江親兵衛)がいました。また小文吾は以前手柄を立てて犬田という苗字も頂いていました。
(*15)原作はこの地を行徳と書くが、行徳(現在は市川市の一部)は16世紀にこの地に神社を建てた人の名前から付いた名称で、戦国時代に塩田が発達して町が形成された場所なので、八犬伝の時代には少なくとも“行徳”という名称は存在しない。
(*16)小文吾には最初甲斐絵代子(166cm)が予定されていたが、八犬士一の強力男・小文吾に、いかにもか弱い雰囲気のエーヨは似合わないので、西宮ネオンに交替した。小文吾の身長は原作では5尺9寸。又四郎尺(1尺=302.58cm)で計算すると、178.52cmになる。当時としてはとんでもない大男である。ネオンの身長は174cm.そしてエーヨは妹の方に回った。長身の兄には比較的長身の妹が似合う。湯元君は169cmである。
沼藺の“藺”の字は、花の“蘭”(らん)と似ているが別の字である。畳の材料である藺草(いぐさ)の“藺”である。鹿児島県には藺牟田(いむた)という地があり、藺牟田池(いむたいけ)という湖もあるが、ここは藺草の名産地だったことが、地名にもつながっている。
なお沼藺(ぬい)という名前は“いぬ(犬)”の倒置語。房八も八房をひっくり返したものである。
大八は原作では4歳(満でいえば2-3歳)だが、神田あきらの妹・白雪めぐみ(今年満4歳)が演じている。兄の白雪大和(幼稚園の年長)を使うことも考えたのだが、原作と年齢が離れすぎるし、めぐみは4歳にもかかわらずかなり演技力があるので、女の子ではあるが、めぐみを使うことにした。めぐみは男の子役に張り切っていた。
語り手:6月21日、文五兵衛と小文吾が一緒に川に釣りに出かけていたら、上流から人間が2人流れてきます。てっきり水死体かと思い、取り敢えず力持ちの小文吾が2人を舟にあげます。すると、1人は小文吾の乳兄弟の現八であることが分かりびっくりします。
現八は糠助と別れて犬飼見兵衛に引き取られた後、小文吾の母にもらい乳をして育ったのです。小文吾が現八(白鳥リズム)が飲んでいる水を吐かせ介抱すると彼は息を吹き返しました。もうひとりの男(信乃:アクア)もやはり水を吐かせてから介抱すると、息を吹き返しました。
(このシーン、ネオンが「女の子の胸を押したりするのはやばいですよ」と言うので、実際にリズムやアクアの胸を押したのは、小文吾の衣裳を着けた山本コリンである。リズムもアクアも「ネオン君なら、おっぱい触ってもいいよ」と言ったのだが)
3人は宿に戻って話し合っていたのですが、現八が顔に痣があるのに信乃が気付いて自分にも似たような形の痣があると言って左腕の痣を見せます。「痣は俺にもあるよ」と言って、小文吾は自分のお尻を見せました。
「だったらお主たち、珠を持っているか」
「ある(*17)」
と言って3人は珠を見せ合いました。
信乃は孝、現八は信ですが、小文吾は悌です。それで信乃は現八・小文吾とも義兄弟の契を結びました。
(*17) 放送時には、信乃(アクア)・現八(リズム)・小文吾(ネオン)の内“玉を持つのは誰か?”というのがネットでは話題になった。
「ネオンは多分玉有り」
「アクアは間違い無く玉無し」
「リズムに玉があるかは微妙だ」
などと言われ、主としてリズムは“玉”を持っているのかというのが議論されて、アクアに玉があるかどうかは全く議論されなかった!
議論している中で「“股に玉”(またにたま)は回文」などという書き込みをしれっとしている人もあった。
原作では信乃が破傷風に罹り、破傷風は男の血と女の血を塗れば治るということで、刃傷沙汰になって死亡した、房八・沼藺の血が塗られるのだが、実際にはそんな馬鹿な話はない。破傷風は現代でも発症すれば死亡率50%という致死率の高い病気である。抗生物質も体内の毒素に対しては無力である。それで今回のドラマでは破傷風に罹るという話自体をカットした。結果的に房八も沼藺も(ここでは)死なない。
なお破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功したのは北里柴三郎である。破傷風はもし治癒しても免疫ができず、免疫は破傷風ワクチンのみで得られる。日本では1968年から破傷風ワクチンを含む三種混合ワクチンの接種が行われるようになった。それ以前に生まれた人は怪我などで破傷風にかかりやすいので注意が必要である。震災ボランティアなどをする人で、破傷風ワクチンを受けてない人は、作業に入る前に受けることが必須である。
信乃たちが泊まっている所に、房八・沼藺夫婦、大八を抱いた房八の母・妙真(甲斐波津子)もやってきます。そしてこの宿に、伏姫の珠を探していた丶大法師(高崎ひろか)が泊まりに来るのです。(古那屋の大集合)
大八は産まれて以来、ずっと左手を握っていて、どうしても開かなかったのですが、この時、初めて手を開きました。そこには珠があり、“仁”の字が描かれていました。丶大法師はいきなり4人も珠を持つ人物を見つけて感動します。更に信乃から、もう1人珠を持つ、額蔵の話も聞き、ぜひ会いたいと言いました。そして大八には“犬江親兵衛”の名前を名乗らせることにするのです。
信乃・現八・小文吾は額蔵に会うため大塚に向かいます。丶大法師も追ってそちらに行くということでした。一方、妙真(甲斐波津子)は丶大法師の勧めで大八を安房につれていくことにし、大八の両親の房八と沼藺も一緒に行きます。
ところが妙真たちは安房に向かう途中、盗賊の一味に襲われます。一行の中で唯一の男子・房八が刀を抜いて闘いますが(房八役・湯元君の見せ場!)1人だけではとてもかないません。とうとう賊に殺されてしまいます。
妙真は大八(親兵衛)をしっかり抱きしめて震えていましたが、どうすればせめて子供だけでも守れるだろうかと思います。しかし突然の雷と嵐があり、大八は犬を連れた仙女?の乗る雲の中に吸収されてしまいます。そして雷は盗賊どもを全員打ち倒してしまいました。
雷と嵐が去った後、生きていたのは妙真と沼藺のみでした。
(親兵衛の神隠し)
大塚に向かっていた、信乃・現八・小文吾は6月24日、豊島の神宮河原で旧知の姨雪世四郎(原町カペラ)と遭遇します。彼は大塚での事件を信乃たちに報せ、額蔵が捕まっており、信乃まで、浜路と網乾左母二郎を殺した犯人として手配されていることを教えます。
「軍木と卒川が酷い拷問をして、背介殿は亡くなってしまったんですよ」
「なんと気の毒に」
信乃は浜路の死にショックを覚えるのですが、額蔵は何とか救出しなければなりません。信乃は現八と小文吾を巻き込まないよう、彼らには古那屋に戻るよう言います。しかし現八と小文吾は、自分たちは義兄弟であるし、犬士の危機は放置できないと言って、一緒に救出に向かうことにします。世四郎は自分の息子の力二郎・尺八郎にも手伝わせますよと言いますが、危険な作戦なので、ここでは信乃はその申し出を謝絶します。
信乃・現八・小文吾の3人は変装して大塚に侵入しました。
7月2日巳刻(午前10時)頃、額蔵(町田朱美)は簸上社平と軍木五倍二の手で刑場に引き出され、この2人が槍で荘助を刺して、磔(はりつけ)にしようとします。そこに2本の矢が飛んできて、社平と五倍二の肩に当たります。信乃と現八が刑場に侵入して、この2人を斬り倒しました。卒川庵八が寄ってきますが、彼は小文吾に倒されました。
3人は荘助の縄を解き、4人で逃げ出しました。
当然役人が追ってきますが、戸田川まで来ると、姨雪世四郎が待っていて4人を舟に乗せます。しかし役人の中で馬に乗る者がそのまま川を渡ろうとしました。するとそこに水中から双子の兄弟が現れます。十条力二郎と尺八郎(*18)の兄弟(水谷康恵・水谷雪花)です。彼らが唐突に水中から現れたので、馬が驚き、馬上の侍は水中に落下してしまいました。
「あれは?」
と小文吾が訊きます。
「私の息子たちです。ここはあいつらが足止めしますから、あなたたちは先に行ってください」
「何と・・・・」
信乃たちは世四郎たちの自己犠牲に感謝し、向こう岸に着くと走り去りました。そして世四郎も舟の底の栓を抜き、舟を川に沈めてから、役人たちを足止めするのに加わりました。
しかし役人は何十人もいるのにこちらはわずか3人です。力二郎が斬られ、尺八郎が斬られ、世四郎が「いよいよ自分1人か、少しでも時間稼ぎをしなければ」と思った時。
突然空が雲で覆われ、激しい雷雨がきます。それで役人たちは信乃たちの行方を完全に見失ってしまったのでした。
(*18)十条力二郎と尺八郎は、姨雪世四郎が音音(石川ポルカ)と正式に結婚しないまま作った子供なので、音音の苗字・十条を名乗っている。ここで“力二”と“尺八”は“八房”の文字を分解して構成した名前である。なお音音は犬山道節の乳母で、2人は道節の乳兄弟である。なお、世四郎は信乃が飼っていた犬・与四郎と同音である。
この戸田川での戦闘で力二郎と尺八郎は死亡し、世四郎は生死不明だが、すぐに再登場することになる。
信乃たち4人はいったん雷電神社まで逃げ延びて、そこでお互いのことを報告しあいます。ここで額蔵(町田朱美)は犬川荘助を名乗ることにしました。
そして彼らは7月6日には、上野国甘楽郡の妙義山まで移動しました。
その時、4人はちょうど犬山道節(恋珠ルビー)が仇討ちで扇谷定正(南田容子)を討つ所に遭遇します。但し実際には道節が斬ったのは影武者の越杉遠安(南田容子・二役)でした。扇谷家の家臣・巨田助友(坂出モナ)が予め、越杉に定正の服を着せておいたのです。
道節は打ち損じに気付いたものの、その場に自分の主君の仇である竃門五行(遠下美笑干)がいるのに気付き、彼を斬ってその首級を取ります。しかし大勢の侍に取り囲まれるので、さすがの道節も逃げ出します。
ところが彼が逃げてきた所に4犬士がいたため、4人は道節の仲間かと思われ、彼らまで逃げるはめになります。4人は結局バラバラに逃げ出しました。
道節は何とか逃げのびて、途中の地蔵堂で2つの首級を入れた包みを近くに置き、少し横になって仮眠しました。道節が仮眠して少しした所で、地蔵堂の反対側で寝ていた男が起き上がりました。彼は“自分がそばに置いていた”包みを持つと道節が寝ていることには気付かず、地蔵堂を出て行きました。