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■八犬伝(2)

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大輔が慌てて駆け寄り、伏姫を介抱します。そこへ、伏姫の消息を求めてやってきた、里見義実(桜野レイア)と堀内貞行(斎藤恵梨香)も辿り着きました。
 
伏姫は幸いにも命に別状は無かったのですが、彼女は妊娠していることを恥じます。しかし自分は決して犬の子供は宿していないし、このお腹の中にいる8人の子供はきっと里見家を盛り立てていくでしょうと言い、お腹に物理的な子供が入ってないことを示すため、腹を切ってしまいます。
 
すると、「仁義礼智忠信孝悌」の数珠は高く上空に舞い上がり、ぷつんと紐が切れて、八方へ飛んで行ったのです(*6)
 
大輔は結果的に伏姫が亡くなってしまい、それは自分の責任だと言い切腹しようとしましたが、義実に止められます。そして、義実から飛び散った8つの珠の行方を捜すよう命じられるのです。
 
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ここで、金碗大輔(高崎ひろか)は頭を丸めで(つけているウィッグの髪を剃っている:坊主頭が可愛いと言われる)“丶大法師(ちゅだいほうし)”と名を改めて、8つの珠の行方を捜す旅に出るのです。
 
(以上で、序章終了)
 
(*6)このシーンはCG.サンシャイン映像制作のCG技術者・森石イリモの作品。ちなみに彼女(?)の名前は回文になっているが本名(本当は漢字で入藻と書く)らしい。
 

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語り手:足利持氏の近習だった大塚匠作は、結城合戦の後、自身と一緒に果てようとしていた息子の番作に「お前は生き延びて大塚の里(現在の文京区大塚)に帰り、母と姉を養え」と諭し、主君より拝領していた名刀・村雨丸を託して、いつか持氏殿の縁者に返すよう言いました。
 
番作(今井葉月)は春王・安王が処刑され、その時父も斬られたのを見て、春王・安王・そして父の首を奪い取り、木曽の夜長岳まで逃げ延びて、ここに3人の首を埋葬しました。ここで彼は手束(中村昭恵)という女性と知り合います。彼女も持氏の家臣の娘でした。ふたりは信濃の筑摩に逃れて結婚します。
 
大塚の里では、番作の母は亡くなっており、番作の姉・亀篠(マリナ@ローザ+リリン)が蟇六(ケイナ@ローザ+リリン)という男を婿にして一緒に暮らしていました。蟇六の元の苗字は弥々山ですが、亀篠の苗字・大塚を名乗ります。
 
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1449年、持氏の遺児・足利成氏は許されて鎌倉公方を再興します。持氏や結城の遺臣たちを召し出すことになったので、蟇六は大塚匠作の婿であることを名乗り出て、恩賞をもらい、村長に任命されました。
 
一方、番作は世を憚って大塚の苗字を犬塚に変えて信濃で暮らしていましたが、鎌倉公方が再興されたことから、大塚の里に戻ってきます。蟇六は
「番作殿が行方知れずだったので、僭越ながら私が大塚の縁者として名乗り出て村長に任命されました」
と言います。
 
番作も自分はずっと身を隠していたから、それで良いと言い、蟇六たちの家の近くに小さな家をもらい、手束と一緒に暮らすようになります。
 

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ある年、手束が滝野川の弁天様にお参りして帰ろうとしていた時、小犬を拾いますが、南の空に紫色の雲がかかり、その雲に大きな犬(常滑舞音!)を連れた仙女(東雲はるこ)が居て、手束に手招きをします。
 
手束が傍によると仙女は手束に1個の珠を渡しました。しかしその珠は消えてしまい、また紫の雲や仙女の姿も消えてしまったので、手束は夢でも見たかと思いました。なお手束はこの拾った犬に与四郎という名前を付けて可愛がりました。
 
しかし手束は間もなく妊娠していることが分かり、やがて男の娘、もとい、男の子を産み落としました。夫妻はこれまでに3人の男の子を得ていたものの、全員夭折していました。それで子が育ちにくい時は、男の子には女の子のような名前を付けると良いというので、この子に“龍子”、もとい“信乃”という女の子のような名前を付けたのです。そして髪も長くし、女の子の服を着せて育てたので、知らない人はこの子のことを女の子だと思っていました。
 
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彼が男の子と知っている子は信乃を「ふぐり無し!」とからかっていましたが、信乃は自分は武士なのだから、農民の戯言など気にすることないと思い、そう言われても特に怒ったりもしませんでした。
 

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一方、亀篠と蟇六は子供が無かったことから、2歳の女の子を養女にもらい、浜路と名付けて育てていました。
 
信乃が9歳になった1468年(つまり信乃は1460年生)、手束は病気で亡くなってしまいます。(この時手束は43歳:つまり手束は1426年生で35歳で信乃を産んだ。当時としてはあり得ないほどの高齢出産)
 
1470年、信乃(アクア)11歳の年、番作の家の飼犬・与四郎が蟇六の家の飼猫・紀二郎を噛み殺してしまう事件をきっかけに番作家と蟇六家は揉めに揉め、とうとう番作は腹を切ってしまいます。信乃は揉め事の発端となった与四郎を斬って自分も切腹しようとしましたが、与四郎を斬ると、その体内から“孝”の文字が入った珠が飛び出して来て、信乃の手の中に飛び込みました。
 
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(紀二郎は“ナレ死”、与四郎はぬいぐるみで撮影)
 
そして信乃がいよいよ切腹しようとした時、それを偶然見た、近所の住人でいつも番作や信乃に親切にしてくれていた、糠助(鹿野カリナ)に止められます。更には蟇六夫婦も駆け付けてきて、信乃に「死んではならない」と強く言いました。
 

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信乃(アクア)は結局、蟇六夫婦の家に引き取られることになります。そして男の姿に戻ることになります。蟇六(ケイナ)は彼を将来は浜路(姫路スピカ)と結婚させ、いづれ村長を譲ると言いました。
 
(例によって男装のアクアは女子にしか見えない)
 
信乃の世話は、蟇六家の下男・額蔵(がくぞう)(町田朱美)がすることになります。ところが信乃が持っている不思議な珠(孝)を見た額蔵は「自分も似たような珠を持っている」と言って見せてくれました。その珠には“義”の文字が入っていました。
 
また2人は各々身体に似たような形の痣(あざ)があることにも気付きました。信乃は左腕、額蔵は背中です。
 
額蔵は伊豆の荘官・犬川則任の子で幼名は壮之助と言いました。彼の父は讒言により切腹し、壮之助は母と一緒に安房に逃れてきましたが、その途中で母が行き倒れになり、途方に暮れていた所を蟇六が小者として雇ったのです。
 
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ふたりは義兄弟の契を交わしました。
 

与四郎を葬った墓の傍にあった梅に8個の実がなりました。その梅には文字が浮き出ていて、仁義礼智忠信孝悌と読めました。それで信乃と額蔵は自分たちの仲間がきっと、あと6人いるんだということを察したのです。
 

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1477年、信乃は18歳、浜路は16歳になりました。
 
この年、信乃にいつも親切にしてくれていた、糠助(鹿野カリナ)が亡くなりました。彼は亡くなる直前に信乃に自分と息子・玄吉のことを話しました。
 
彼は元々漁師をしていたが、禁漁区で漁をしていたことがバレて死罪になりそうになります。しかし伏姫の母が亡くなったことから恩赦になり、所払いとなります。しかし行く当てもなく、路頭に迷って死のうとしていた所を、足利成氏に使える足軽・犬飼見兵衛に助けられました。そして息子の玄吉は彼に託したのだというのです。この玄吉が産まれた時のお祝いの鯛から、“信”と文字の書かれた球が飛び出したので、お守り袋に入れて玄吉には持たせていた。信乃がいづれ、成氏様に仕えるのであれば、彼の元を訪れて欲しいと。
 
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それで信乃は3人目の仲間の存在を知りました。この玄吉が、犬飼現八(白鳥リズム)なのですが、少し後にふたりはとんでもない場所で対面することになります。
 

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糠助が亡くなった後、その家を買って入居したのが、網乾左母二郎(あぼし・さもじろう:大林亮平)でした。彼は蟇六と馬が合うようでした。
 
(大林亮平は、§§ミュージックとは無関係なのだが、一昨年の『源平記』にも昨年の『とりかへばや物語』にも出演している。今年など、事前照会とかもなく「さもし・さもじろう役お願い。10月は空けといてね」とコスモスからメールが来た!)
 
(NHKの人形劇で坂本九が「さもしい浪人・網乾左母二郎」と盛んに言ったので、彼の名前を「さもし・さもじろう」と思い込んでいる人はかなりある。悪役にしては人気キャラであり、NHK版以外でも、八犬伝の二次創作では彼の出番が多いものがわりと多いとも言う)
 
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その年の暮れ、城主・大石家の陣代・簸上宮六(太田芳絵)は部下の軍木五倍二(ぬるで・ごばいじ*8)(今川容子)と卒川庵八(大崎志乃舞)を連れて領地の見回りをしている途中、村長の蟇六の家に泊まります。この時、蟇六は浜路に箏を弾かせ、左母二郎に歌を歌わせ、信乃に女姿で舞を舞わせて歓迎しました。(*7)
 
(*7) 偉い人を歓待するのに若い息子に女装させるのは、日本では古くから普通に行われていた。そして気に入られるとそのまま“お小姓”として仕える場合もあった。避妊具の無い時代、子供ができすぎないようにするため、お小姓の需要は大きかったし、お小姓は成長すると概して忠実な側近になった。
 
演奏した曲はこれも若山鶴海の作曲でサウンドトラックに収録された。亮平は日本音階の曲がどうしても歌えず(西洋音階になってしまう!)結局この歌は若山鶴凪(ケイの従兄・和代薙彦 33)が吹き替えた。箏はスピカが本当に弾いた。
 
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この撮影のため、浜路役のスピカは9月いっぱい、箏の先生に女子寮に来てもらって、箏を習った。実は当初浜路役をする予定だった東雲はるこも7月に約1ヶ月にわたって箏を習ったものの、どうもはるこは箏と相性が悪かったようで弾きこなせなかった(そもそも弦楽器は苦手らしい)ので、葉月に吹き替えさせようかとも言っていた。
 
葉月は箏が上手い。彼は今ではほとんど伝える人の居ない八橋流の弾き手で、葉月に箏を習いに来た人もこれまで数人あった!八橋はお菓子の八橋の語源である。あれは箏の形のお菓子なのである。
 
スピカは一応発表会に出してもいい程度と言ってもらえた。スピカはギターを弾くので結構類推で弾けた部分もあったようだ。サウンドトラックに収録したバージョンは12月に再録音したもので、ドラマで演じた時より更にうまくなっていた(ドラマではサウンドトラック版ではなく10月に収録したものがそのまま使用された)。
 
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(*8)“ぬるで”はウルシ科の木で、ウルシ同様に樹液は塗料として使用されてきた。樹液が白いので、一般には“白膠木”と書く。
 
厩戸皇子(通称・聖徳太子)は用明天皇死後の次期天皇を巡っての物部一族との天下分け目の戦いの際に、ぬるでの木で仏像を作り、それを掲げて進軍して志気を高めたという。その故事からこの木のことを“勝軍木”とも書く。また、この木には虫瘤ができやすく、これを乾燥させたものを五倍子といって、タンニンを取る材料になる。昔はこれでお歯黒を作っていた。
 

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ところが、簸上宮六は浜路を見初めてしまいます。実は最初、舞を舞った信乃を気に入ったのですが、蟇六が
「すみません。あれは男の子なので」
と言うと、箏を弾いた浜路の方を所望しました。
 
蟇六は浜路には許嫁(いいなづけ)がいるからできないと言います。しかし宮六は強引で、軍木を使者に立てて結納の品を送りつけてきました。
 

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豪華な結納の品を見て、蟇六夫婦は、浜路を簸上宮六に渡してしまおうと思いました。そのためには信乃が邪魔です。
 
そこで蟇六は信乃に
「お前も19歳になったから、そろそろ仕官すべき年。番作殿から言われていたように、村雨丸を成氏殿に献上してお仕えするがよい。落ち着いたら浜路もそちらに行かせる」
と言い、一方で蟇六は左母二郎には
「信乃の刀を俺の刀とすり替えろ。うまくできたら浜路はお前の自由にしていいから」
と言ったのです。
 
“自由にしていい”とは言っても実際は浜路はすぐ陣代に差し上げるのだから問題無いと蟇六は考えています。
 
蟇六と左母二郎は信乃を魚釣りに誘いましたが、ここで蟇六はわざと船から水中に転落します。信乃が助けるのに飛び込むので、蟇六は彼に抱きついてて溺れさせようとしました(ここで信乃が死んでくれたら話は簡単)。しかし信乃は泳ぎが得意なので、しがみつかれても難なく蟇六を抱えたまま船まで戻りました。
 
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その隙に左母二郎は言われた通り、信乃の村雨丸と蟇六の刀をすりかえようとしたのですが、ここで左母二郎は信乃の刀が物凄い名刀であることに気付いてしまいました。そこで、彼は信乃の刀を自分の刀とすりかえ、自分の刀を蟇六の鞘に収め、蟇六の刀を信乃の鞘に収めたのです。そして蟇六の鞘にはたくさん水を入れておきました。
 
蟇六は帰宅してから鞘から刀を抜いてみると、たくさん水がこぼれ落ちるので、これが名刀村雨か!と勝手に納得してしまったのでした。
 

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