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私はこわばった顔で彼女を見つめていたのだが、向こうは私の表情は気にしないようで、
「似合ってるよ。ノーメイクでも可愛いね」
と言ってくれた。それで私も少し緊張がゆるむのを感じた。
「でも爪はマニキュアしてるんだね?」
「休みの日だけ」
「ああ、今日は休みなの?」
「はい」
彼女は
「この辺に住んでるの?」
とか
「勤め先はどちら?」
などと、当たり障りのないことを訊く。
こちらは女声で話すのが得意ではないので、性別が曖昧になる無声音を使って
「ええ。このあたりのアパートです」
とか
「勤め先は港区のほうなんです」
などと答えた。
結局レジを通った後、氷をもらって袋の口をしばったまま、彼女に誘われて近くのヴェローチェに入った。
「でもノリちゃん、やっぱり女の子になっちゃったんだね」
このあたりで私も開き直りができてきた。
「実はまだ。会社には男の格好で行っているんですよ」
「でも会社でバレてるでしょ?」
「どうでしょう。隠してるから。でも男子社員より女子社員と話している時間の方が長いかも」
「まあ、そうなるだろうね」
と言って、懐かしそうな顔をしている。
「夏休みの練習の時に、一度男子部員たちの女装大会になっちゃったことあったじゃん」
と宣代さんは言う。
「そうですね」
と言って私も苦笑する。
「あの時、みんなが静まりかえってしまった訳分かる?」
と当時を懐かしむように宣代さんは言った。
「いいえ」
「だってセーラー服を着たノリちゃんって、女の子にしか見えなかったんだもん」
「そうですか? だってその後、私二度とセーラー服着てみない?とか言われなかったのに」
と私は言う。
あれは中学1年の時。大会に女声合唱で出ることにしたものの女子制服を着ても違和感無い男子は出てもいいぞ、などという話になり、男子部員が全員セーラー服を着てみた。ひとりの男子がけっこう女の子に見えたので、ステージに立ったのだが、私は指揮者としての参加になった。
コーラス部での《女装大会》はその後も何度か起きたのだが、2度目以降はなぜか私には「着てみて」という声が掛からず、他の男子たちだけがセーラー服を着て、私はただ「いいなあ、私も着たいのに」と思って眺めているだけだった。
「だって、男子は女装させられるけど、女子は女装させられないじゃん」
と宣代さんは言う。
「そういうもんですか?」
「あの時、あとから女子たちで言ってたんだよ。ノリちゃんってたぶん普段から女の子の服を着てるよねって」
「当時はそんなに着た経験は無かったんですけどね」
と言って私は苦笑する。
「やはり少しは着てたんだ」
「こっそりと母の服を身につけたりしてました」
「でもそんな訳で、ノリちゃんのこと、みんな名前で呼ぶようになったんだよ」
男子たちはだいたい苗字で呼ばれることが多い。一方女子はお互いに名前で呼び合うことが多い。しかし確かに私は女子部員たちから「ノリちゃん」と名前愛称で呼ばれていたし、私も彼女たちを名前や愛称で呼んでいた。
「あの大会は結局、私は指揮者をさせてもらったし」
「うんうん。それであとから事務局の人から訊かれたんだよ。指揮者を務めた女生徒はなんで学生服を着てたんですかって」
「そうだったんですか」
と言って、私はどうしていいのか分からない戸惑いを苦笑の中に隠した。
「会社に男の格好で出て行って、プライベートでは女の子なの?」
「そうかも。でもあまりこの格好で出歩く勇気無いんです。この格好で知っている人に会っちゃったのも今日が初めて」
と私は言った。
「きっとノリちゃんって、そういう格好で出歩いた方が、より自分らしく生きていけるよ。ノリちゃん、女の子の服を着ると女の子にしか見えないから、もっと自分に自信を持ちなよ」
と宣代さんは言った。
「そうですね。少し頑張ってみようかな」
と私も答えた。
私は彼女と携帯の番号とアドレスを交換したほか、どちらもmixiのアカウントを持っているということでマイミクになった。
「なんだ。ちゃんと女性になってるじゃん」
「性別のところで男性を選択する気になりませんでした」
「名前は礼江(のりえ)なんだ」
「戸籍名の礼(のり)の字は残したかったから」
「じゃ、ノリちゃんでいいのね?」
「はい。mixiはその名前にしましたけど、ソフトウェアのユーザー登録とかは、クレジットカード使う関係があるから、名前は本名でないといけないかなと思って礼朗(のりあき)と書いていますけど性別は女性を選択していることが多いです」
「名前も女性名にした方がいいよ。男名前で性別女性で登録していると、そのほうがトラブルのもとという気がするよ。女で行くんなら完全に女で通した方がうまく行くんだよ」
「そうなのかも・・・・」
「クレジットカードって苗字が同じならたいてい通るよ。家族のカードで決済する人もけっこう居るから」
「あ、そうかも」
「mixiでは本業のこととか何も書かないんでしょ?」
「仕事上の守秘義務があるから、仕事に関することは一切書きません」
「だったら、ネット上では完全に女で通しちゃいなよ」
「それがいいかも」
と答えて、私は遠い所を見るような目をした。
宣代さんと別れた後で、いったん自宅に戻って買物の荷物を冷蔵庫に入れる。その後、私は街に出てみることにした。宣代さんと話して、ちょっと女の子の自分に自信が持てた気がした。
さっきはスーパーに行くだけのつもりだったからノーメイクだった。しかし今度はしっかりとメイクをする。付けマツゲも付けてアイラインも入れる。エスティローダーの口紅を入れると自分でも「美しい」と思う仕上がりだ。
電車で新宿に出た。特に目的は無いので、洋服屋さんをのぞいたり、本屋さんに行ったり、いろいろ歩き回る。いつしか商業ビルがまばらになってきた。町外れまで来てしまったようだ。そろそろ帰ろうかな・・・と思った時だった。
私は1軒の看板を目にした。**クリニックと書かれている。その名前にドキッとする。この病院、去勢とか豊胸とかしてるんだよねー。その時、私は唐突にこの病院の中に入ってみたい気分になった。
それで階段を登って2階の受付まで行く。でもここで何するんだ?などと自分で思いながらもドアを開ける。
後から思えば、福岡で騒動を起こした女装者がいたこと、新幹線で男の娘に会ったこと、そして宣代さんに女装姿を見られて、むしろ励まされたこと。そんなことが重なって、私の中の自分を押さえつけていた何かが外れてしまったのだと思う。
受付で「いらっしゃいませ。何を受診なさいますか?」と訊かれた。それで私は
「すみません。去勢手術を受けたいんです」
と言っていた。
ちょっと待て。そんな安易に手術受けていいのか〜!?と内心思う。しかし、受付の女性は困ったように
「申し訳ありません。うちでは卵巣の除去手術はやってないのですが」
と言った。
「あ、いえ。すみません。私、男なので。睾丸を取って欲しいのですが」
「え?」
と受付の女性は言ってしまってから
「すみません。それでしたら、こちらの問診票にご記入願います」
と言った。
それで15分ほど待ってから診察室に通された。
「GIDの方ですか?」
「はい。そうです」
「GIDの診断書は取っていますか?」
「いえ。仕事が忙しくて、なかなか受診にいけないのもあって」
「性別に違和感を感じるようになったのはいつからですか?」
「物心ついてからです」
「ふだん女装で生活なさっています?」
「休みの日だけです。会社には男の格好で行っています」
「女性ホルモンを飲んでいますか?」
「飲んでません」
「性転換手術を希望していますか?」
「いづれ手術したいですけど、今はお金がないので」
医師と5分くらいやりとりした後、検査室に行かされ、尿や血液を検査したり、また心理テストのようなものも受けさせられた。その後で再度医師の診察を受け、陰部も診察された。医師は私のアレを握って皮を剥いてみたり、少し刺激してみたりする。サイズも測っていた。精液の検査もしたいというので別室で容器に射精して渡した。
「去勢すると子供が作れなくなりますがいいですか?」
「はい。構いません」
「高確率で勃起不全になりますが、いいですか?」
「むしろ立たないほうがいいです」
その他、医師は去勢することにより出てくる身体の影響についても詳しく説明してくれた。私が月火が休みということを言うと、それでは来週の月曜に入院して火曜日に手術しましょうと言われた。日帰りでも手術はできるが、容体が急変するような場合にそなえて一泊または二泊の手術を勧めているらしい。
私はそれで手術の予約をし、誓約書にもサインして帰ったが、とうとう自分は男から卒業できると思うと、物凄く嬉しい気分になった。
その日の夜はそのことで興奮して、3回もあれをしてしまった。でもこういうことも来週からはできなくなるんだなあと思うと感慨深くなる。そして夜12時頃、リムーバーで爪のエナメルを落とす。
今日はエナメルをリムーブするけど、来週は男の素を身体からリムーブするんだなあ、などとつまらぬダジャレを考えたりしながら、その日は眠った。
水曜日の朝、ためいきをつきながらワイシャツにズボンを着て、背広も着て、紳士靴を履き会社に出て行った。会社に行くときは髪はゴムでまとめて背広の背中の所に押し込んでおく。
秋月さんとふたりで加藤課長に日曜日の福岡の事件について報告する。それで結局来週の日曜に再度福岡でサイドライトのライブをするので、それに秋月さんと私のふたりでまた行くことになった。
「それからチェリーツインの方はこちらのスタジオのスケジュールが変わっちゃってね。再度調整した結果、来週やることになったから1週間延期で」
「分かりました」
「それから人事部の方から注意されたんだけど、君昨年1度も有休を取ってないって?」
「あ、すみません。タイミングがうまく見付からなくて」
「有休は毎年・・・・」
と言ってから加藤課長は秋月さんに
「7日間だったっけ?」
と確認する。
「1年目が10日、翌年は11日と毎年増えて行って7年目以降は20日です」
と秋月さんが答える。
他人にはそんなこと言っておいて加藤課長はたぶん全く休んでいないのだろう。有休どころか、そもそも課長は週に2回の休みも取っていないみたいだ。
「そうか。それだけ取らないといけないことになっているから。取れる時に取ってよ」
「分かりました。でしたら、チェリーツインの予定がずれ込んだし、今週、このあと木金土と休んでもいいですか?」
「うん。OKOK。じゃ届けを秋月君にでもいいから出しておいて」
「分かりました」
それでその日は細々とした作業をしたりして定時に帰宅した。唐突に3日間休めることになったので、その3日間はまた女の子モードで過ごすことにする。そこで帰宅後お風呂に入った後、マニキュアをした。爪に輝きをつけるだけで凄く気持ちがやわらぐ。
でも私、来週には男ではなくなってしまうんだよなあ。いっそこの3日間は男らしく生活しようか、とふと思ってみたものすぐに否定する。男なんて嫌だ。ああ、早く性転換してしまいたいなあ、などと思う。
でも私・・・・性転換してそれを周囲にカムアウトできるかしら?
それ言うと会社をクビにされそうな気もしてしまう。やはり女になったら、あらためて女として雇ってくれる所を探さないといけないのかなあ。そういう会社見付かるかなあ、などと変な不安を感じながらその日は眠った。