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■私の二重生活(7)

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翌日は福岡に移動する。金沢から福岡への移動は、予算のあるアーティストなら小松空港から福岡空港への飛行機に乗るところだが、予算が無いので、サンダーバードと山陽新幹線の乗り継ぎである。
 
「昔は高速バスを使っていたらしいんだけどね」
と秋月さんは言う。
 
「金沢から福岡までの高速バスがあったんですか?」
「そうそう。1999年に廃止されたんだよ」
「かなり時間がかかるでしょう?」
「だいたい12時間。夜8時に出て朝8時に着く」
「いや、それ結構便利な気がします」
「壇ノ浦PAで明け方休憩するんだけど、関門橋が凄く美しかったよ」
「乗ったことあるんですか?」
 
「うん。大学生の時ゴールデンウィークに友人と4人で。東京から高速バスで仙台に行って青葉城とか松島とか見て、仙台→金沢の高速バスで金沢に来て兼六園とか友禅の工房とか見て、金沢→福岡の高速バスで福岡に行って櫛田神社とか大濠公園とか見て、最後は福岡→東京の高速バスで帰ってきた」
 
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「もしかしてそれってホテル泊がゼロですか?」
「うん。さすがに今はそんな旅をする自信ない」
「若くないとできない旅ですね」
 
そういう訳で、その日は朝9時のサンダーバードに乗って新大阪で乗り換え、博多に着いたのは14時すぎであった。会場に行くと、現地のイベンターの執行(しぎょう)さんという30歳くらいの男性が来ている。東京・金沢ではライブハウスだったのだが、この日はオールスタンディングではあるが小型の音楽用ホールである。何だか変わった形のビルの9階にあった。
 

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軽く打ち合わせをしてリハーサルを見学し、12階のレストラン街に行って軽食を取り、会場に戻ると、もうお客さんを入れ始めていた。客は100人くらいだろうか。東京が30-40人、金沢が70-80人だったので今日がいちばんの入りである。
 
私はその入場者を見ていて、ふとひとりの女性に目を留めた。
 
「どうしました?」
私の様子に気付いた執行さんが訊く。
 
「いえ、あそこの黒いワンピースを着たお客様、女装者だなと思って」
「へ? あの人ですか? 普通の女性のように見えるけど」
「いえ、勘違いだったらごめんなさい」
 
会場はどこに立つのも自由なので、だいたいみんな前の方に集まる。客を入れ終わってから15分ほどでライブが始まった。
 
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私はステージそばの、フロアの端で様子を見ていたのだが、さっき私が目を留めた黒いワンピースの女装者(?)は最前列に立って最初からかなり熱狂的な歓声を上げていた。それにつられて他の客からもたくさん歓声が掛かるのでこの日のライブはヤコが調子良くMCをしたこともあり、物凄く盛り上がった。この子たち、このままブレイクするかもと私は思っていた。
 
前半のラストの曲を歌い、ヤコが「少し休憩を頂きます」と言う。
 
その時、その最前列の黒いワンピースの人物が突然ステージに向かって突進した。近くに居た警備のバイト学生が制止しようとしたが、殴り倒される!私も、反対側の隅に居た秋月さんも駆け寄る。がそれより早くその人物はステージによじ登ってしまった。
 
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驚いたように見つめていたヤコが、ようやく逃げなきゃというのに思い至ったようで、あとずさりする。黒いワンピースの人物がそちらに向かっていく。そして彼女はどこに隠していたのか、刃渡り20cmくらいの包丁を取り出した。
 
「キャー!」
とヤコが悲鳴をあげる。他の子たちもステージの脇の方に逃げる。
 
その時だった。ステージ袖に居たはずの執行さんがその人物に飛びかかり、タックルするようにして引き倒した。もみ合いになる。が勝負はすぐについた。
 
執行さんが彼女の手首を押さえて包丁が落ちたのを私が急いで掛けよって取り上げた。
 
「警察を呼んで!」
という執行さんの声で、イベンターの女性が携帯で110番する。観客が騒然としてパニックになりかけていたが、秋月さんが
 
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「犯人は取り押さえました! お静かに願います」
と大きな声で会場に向かって言うと観客も静かになった。
 

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ライブは結局前半だけで中止ということになり、その場で払い戻し用の引換券を急いで発行して客に渡したが、
 
「サイドライトのステージ、再度ちゃんと見たいです」
という声が多数あり、再公演を急遽検討することになった。
 
「大丈夫ですか?」
と私たちは執行さんに尋ねた。
 
「平気平気」
「でも頬に切り傷が」
「ああ、つばつけておけば治るよ」
 
などと本人は言うが、秋月さんがいつも持ち歩いているバッグからオキシドールを出して化粧用コットンに染み込ませて傷口を拭いてあげていた。彼女はピアスをしているので、その消毒用にいつも持っているのだという。
 
「いや、八雲さんがあの客が女装者だと言っていたので、へー、そんなものかなあと思って、あの客をなにげなく見ていたんですよ。そしたらどうも様子が変なんですよね。いやにスカートの横を気にしていて、ひょっとしてあそこに何か隠してないか?と思って、休憩時間にちょっと確認しようかとも思っていたんですよ。それですぐ動けたんです。でも録音機器か何かと思ってたから、まさか包丁とは思いませんでした」
と執行さんは言った。
 
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そんな執行さんを秋月さんが憧れるように見ていた。
 

警察で犯人は自殺しようと思って包丁を買ったもののひとりでは死ねない気がして、道連れを探していたと供述した。
 
「性転換して女になりたかったんだって。でもお金がなくて手術どころかGIDの診断のための通院もできない状況で人生に絶望したって言ってた」
 
「彼女、服役することになるんですか?」
「怪我人は出なかったし、起訴猶予になると思うよ」
「よかった。そんな人でも服役するとなると、髪を短く刈られて男の服を着せられますよね」
「うん。ちょっと、そういうの可哀想だね」
 
警察から戻ってきて、私たちはそんな話をした。東京の加藤課長に連絡すると、サイドライトの再公演はすぐ検討したいと言い、その場で執行さんと直接話して翌週日曜日に公演をする方向になった(朝1番に会場の確保をするということで、その後正式発表するということだった)。そして今回払い戻し用の引換券を渡した客については、その引換券で直接入場できることまで決めて、翌日のお昼には★★レコードおよび、イベンターさんのホームページで告知した。
 
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そのあたりの東京との連絡、執行さんたちとの打ち合わせなどは結局翌日の昼過ぎまでかかった。
 
「ノリちゃん、このあとどうする?」
「もう東京に帰って寝ます」
「私はしんどいから、福岡で夕方まで寝てそれから帰るよ」
「どこで寝るんですか?」
「イベンターさんの仮眠室を借りる」
「なるほど!」
 
それで私は秋月さんと別れ、博多駅から東京行きの新幹線に乗る。但し乗る前に駅近くの物陰で素早くマニキュアを塗った。他のメイクは途中ででもできるが、マニキュアだけは風通しのいい所でないとできない。みどりの自販機でカード決済で切符を買い、それからコンビニでお弁当と飲み物にファッション雑誌を買ってから、のぞみ号34号に乗り込む。座席にコンセントがあることに気づきパソコンと携帯の充電をさせてもらう。夜通しの作業でクタクタだったので、まずはひたすら寝た。
 
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起きたら新神戸に停まった所だった。私は化粧水ペーパーで顔を拭いて肌を覚醒させると、バッグを持って多目的トイレに行った。実際におしっこをした後で、着替えることにする。昨日の朝金沢を出る前に着替えたままだったので下着も交換し、洗濯済みのショーツとブラジャーをつける。ストッキングを穿いてずり落ち防止でガードルを穿く。そしてキャミソールを着た上で膝丈のスカートを穿き、夏用のカーディガンを羽織った。
 
あまり長時間トイレを占有してはいけないので、それでいったんトイレを出てから洗面台に行き、お化粧をする。化粧水、乳液、アイライナー、アイシャドウ、アイブロウにつけまつげをする。チークを入れ、最後に口紅をつけたら完成である。この口紅をする時に、自分の女としてのアイデンティティを再確認するような気分になる。
 
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席に戻る。パソコンを起動してメールチェックをする。加藤課長、北川さん、秋月さんからメールが来ていたので、それぞれ返事を書いて送信する。その後パソコンを閉じて、博多駅のコンビニで買っておいたお弁当を食べる。そしてファッション雑誌を見ていると、名古屋で振袖姿の高校生くらいの女の子が乗ってきた。ギターケースを抱えている。振袖でギターというのに違和感を感じたのだが、私の視線に気付いたように彼女は
 
「あ、これギターのケースだけ使っていて、中身は三味線なんですよ」
と言った。
 
「ああ、それは面白いですね。確かにギターと三味線は似たようなサイズですね」
と私も答える。
 
彼女とは結局名古屋から静岡付近までおしゃべりをしたが、私は彼女と5分くらい話したところで気付いた。
 
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この子、男の娘みたい。
 
ふつうに見たら女の子にしか見えない。物凄く完璧である。声だって自分はけっこう誤魔化しながら話しているのだが、彼女はふつうに女の子の声にしか聞こえない。しかし自分自身が女装者であることから来る、一種の勘のようなものが、この子は身体はまだ男だというのを確信させていた。
 

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彼女とはお互い名前も名乗らなかったのだが、こんな若い女装者が堂々と出歩いているのを知り、後輩に追い越されたような気分で、自分ももっと先へ進まなければならないという気持ちになった。
 
帰宅したのはもう21時である。取り敢えず着替えを洗濯機に放り込んで回してから、郵便物をチェックする。それからパソコンを開いてメールなどもチェックする。
 
福岡で騒動を起こした女装者のことも考えていた。性転換手術代って高いもんなあ。自分もそのうち手術を受けたいとは思うものの、それっていつになるんだろうと思う。先に去勢だけでもしておこうかな。
 
そんなことを考えたりもしながら、メイクを落としながらmixiでの友人たちの書き込みなども見たりしていた。mixiには女性として登録している。私の戸籍上の性別を知っているマイミクはごく少数であり、多くのマイミクの前ではふつうの女性としてふるまっている。
 
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結局いつの間にか眠っていたようである。起きたのはもう翌日の午前9時頃だった。さすがにお腹がすいた。冷蔵庫を見るもめぼしい物は無い。あいにくカップ麺のストックも切れている。よく食パンの余ったのを冷凍しておくのだが、それも切れている。仕方ないので、近くのスーパーまで買いに行くことにした。
 
でも・・・どうする?
 
ええい、女の子の格好で行っちゃえ。
 
それで鏡を見て眉毛をちょっとだけ整えた上で、化粧水と乳液だけ付けて、スカートを穿き、財布とエコバッグの入ったミニトートを持ち、女の子仕様の靴下にカジュアルパンプスを履いてお出かけした。
 
自宅から離れた場所ではけっこう女装で出歩いたりしているものの、自宅近くではあまり昼間はこの格好では出歩いていないので少しドキドキする。知ってる人に会わないといいけどなあ。
 
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そんなことを考えながら、やがてスーパーに来て、タマネギ・ジャガイモ・にんじんにアスパラとブロッコリーを買う。アスパラやブロッコリーは茹でて小分け・冷凍しておくと便利である。豚肉がグラム118円だったので3パック買った。
 
賞味期限切れ間近のシールが貼られた品を集めているコーナーで充填豆腐をひとつと薩摩揚げのパックを買う。この薩摩揚げをオーブントースターで焼いて朝昼兼用の御飯にしよう。充填豆腐は賞味期限を少々過ぎても大丈夫だから、明日くらいにでも食べようかな。
 

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そんな感じで買物をして、レジの方に行きかけた時、レジ前の通路を横切ろうとした人と接触した。
 
「あ、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
 
と言い合う。
 
私はまだ女装外出をしていなかった頃、こういう時は「済みません」と言っていた。しかし女性はよくこういう場面で「ごめんなさい」と言う。私がこういう時にとっさに「ごめんなさい」という言葉が出るようになったのは、ここ1年くらいからである。この手の、とっさの反応というのはなかなか昔の癖が抜けないものである。
 
しかしそのぶつかった相手の女性を見て、私はハッとした。向こうもあれ?という顔をしていたが、
 
「もしかしてノリちゃん?」
と彼女は言った。
 
私は顔がこわばって、返事ができなかった。それは中学のコーラス部の先輩・宣代さんであった。
 
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■私の二重生活(7)

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