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■私の二重生活(4)

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それで文化祭で上演したのだが、当日は舞台用にお化粧もしてもらったので、凄く気分が高揚していた。悪役向けということで真っ赤な口紅を塗られ、アイカラーも黒系統のものを入れられたのだが、鏡の中の自分を見て、自分自身に悪魔的な魅力を感じた。
 
実際のステージでは、意地悪な姉役の摩美ちゃんが熱演で、物凄い意地悪ぶりを発揮。完璧に主役を食っていた。
 
「私、本当にあのくらい意地悪だと思われたら、お嫁さんに行けなくなっちゃう」
などと本人は言っていた。
 
舞台が終わってから着替えてメイクも落として、他のステージも見ようと廊下を歩いていたら、さっきの英語劇の感想を言っている子たちがいた。
 
「さっきの英語劇面白かったね」
「演劇部の劇は内容が高尚すぎてよく意味が分からなかったけど、英語劇は筋も有名だし、スッキリしてるのがいい」
 
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「大鳥さんの王子さま、格好良かった」
「也寸子さんのシンデレラも可愛かったけど、何と言っても摩美ちゃんのお姉さんが凄かったね」
「うんうん。あれSMの女王様になれるよ」
 
私はSMの女王様って何だろうと思った。
 
「魔法使い役は誰だっけ?」
「2年生の細木さんだよ」
「ああ。メイクが凄かったからよく分からなかった。だけど原作では魔法使いのおばあさんだけど、この劇では魔法使いのおじいさんに変更したのね?」
「配役の都合でしょ」
 
あれ、細木さんはちゃんとおばあちゃんの服を着て、妖精っぽいメイクをしたのになあと苦笑する。
 
「継母役はだれだっけ?」
「あれ、私も分からなかった。1年生の女子にあんな子居なかったと思うから2年生の女子の誰かじゃない?」
 
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あれ〜?同じように男子が女性の服を身につけていても、細木さんは男に見えて私は女に見えていたのかな、などと思う。なぜか嬉しい気分になる。
 
「あの子も可愛かったよね。あの子がシンデレラでも良かったと思うけど」
 
私はそんなこと言われて、顔がかぁっと赤くなってしまった。
 

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衣装の着替えは、部室として使っている地理歴史室の中央に移動式黒板を建てて男女別に着替えたのだが、私が着替えていたら、細木さんがやってきて
 
「凄い。ブラジャーつけてたのか。何か胸があるなと思った」
などという。
 
「母がワゴンセールのを300円で買ってきたんです、中身は靴下です」
と言ってカップ内に入れていた丸めた靴下を見せる。
 
「へー、でもそんなものでブラジャーが買えるんだ?」
「細木先輩もおひとついかがですか?」
「そんなの持ってたら、下着泥棒でもしたかと疑われて俺、親父に殴られるよ」
 
「ふつうに買うと安いのでも2000円くらいしますよ」
「高っけー!」
 
そんなこと言ってたら、黒板の向こうで着替えている摩美ちゃんが声を掛けてきた。
 
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「ノリちゃんって、ふだんでもブラつけてるよね?」
「そんなの着けてないよぉ!」
 
まあ何度かこっそり着けて学校に出てきたことはあったかな。母のブラの無断借用だったけど。
 

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大学は東京の大学を受けたいと私は言った。親元から離れて、女の子の服をたくさん着たかったからだ。
 
父はとても仕送りできないから地元の大学に行けと言った。それでも頑張った私は、とうとう国立上位なら東京に行ってもいいと父から許しをもらった。父が出した条件は地元の静岡大学より偏差値の高い所というものだった。父とふたりで偏差値表を見ながらリストアップした。
 
「東大、東京医科歯科大、一橋大、東京工大、東京外大、お茶の水女子大、東京芸大、東京学芸大。ここまでかな」
と父。
 
「東京芸大は勘弁してくれ。どう考えても無茶苦茶お金が掛かる」
と父。
「僕も音楽や美術で、そんなハイレベルの域に到達するのは無理だよ」
と私。
「東京医科歯科大とか、東大の医学部も金がかかりそうだ」
「6年間行くつもりはないよ。4年で卒業できる所で」
 
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「お茶の水女子大は入れてくれないのでは?」
と母が言うと
「性転換したら入れてくれるかも」
などと父。
 
「お前性転換する?」
 
私はドキッとした。性転換したいよー! でもそれを言う勇気が無かった。
 
「じゃ東大、一橋大、東京工大、東京外大、東京学芸大。この中のどれかに行けそうなら受けてもいい」
 
実際には東大・一橋・外大は私の頭では無理だと思った。また工大は学生ま男女比が圧倒的に男子が多いと思った。そういう環境では多分私は精神的に行き詰まる。そこで個人的には東京学芸大に狙いを絞って勉強し、そこの英語教師コースに合格した。
 

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私は大学に入ると、まずスカートを1着買った。それからショーツを5枚とブラジャーを3枚買った。もっとたくさん女の子の服が欲しかったのだが、お金がかかるので自分を抑制して女の子の服を買うのは1ヶ月に原則として6000円以内という枠を填めた。
 
もっとも大学に女の子の格好で出て行く勇気は無かった。ジーンズにポロシャツといった中性的な格好で出て行き、一応男子を装っておいた。しかし中学や高校でそうだったのと同様、女子の友人がたくさんできて、男子の友人はほとんどできなかった。
 
入学した初日にクラスメイトの伊代ちゃんから声を掛けられた。
 
「八雲君、もしよかったら、私たちと一緒にお汁粉たべにいかない?」
「行く!」
と私は即答した。
 
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その後も私は、彼女たちとよくおしゃべりをし、また甘い物を一緒に食べに行ったりしていた。ファミレスに集まって御飯を食べながらあれこれ情報交換したりもしていたし、今で言うところの女子会にも普通に参加していたことになる。
 

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バイトは居酒屋の店員、ハンバーガー屋さん、カフェなど飲食店の夜間スタッフをよくやった。私は実は大学に入るのと同時に髪を伸ばし始めたのだが、一般にこういう飲食店関係は髪の長さについては厳しい。しかしどこも私の髪に関しては、少なくとも店に出る前日にはシャンプーしておくこと、髪はまとめておくことだけを言われただけで、短く切れと言われたことはなかった。
 
一方、女装外出も大学に入ってから本格的に練習しはじめた。
 
最初は夜中にスカートを穿いてドアの外に出て10数えて中に入った。
 
そのうちカウントを30,50,100と伸ばしていき、やがてドアの外で携帯のメールチェックをして、5分くらい「滞空」するようになった。やがてゴミ出しにスカートを穿いたまま行くようになり、その内、自販機に行ってお茶を買ってくるということをするようになった。
 
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コンビニに入ることができるようになるまでには3ヶ月近い攻防があった。何度もお店の前までは行くものの、なかなか店内に入る勇気が無かった。しかしある晩、店の外でためらっていたら、ちょうど店の中から出てきたスタッフさんが
 
「いらっしゃいませ」
と声を掛ける。それでも私は一瞬反射的に逃げようと思って数歩あとずさりしたものの、思い直して勇気を振り絞って店内に入った。
 
取り敢えず最初に雑誌のコーナーに行き、今まで読みたいとは思っていたもののなかなか手に取る勇気が無かった nonno を手にした。開いてみる。わぁ・・・何だか可愛い服の写真がたくさん載っている。しかも値段を見てみると自分でも買えそうな値段のものばかりである。
 
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この本いいなと思い、5分くらい立ち読みしたあとでカゴに入れる。
 
ストッキングが並んでいる所に行く。コンビニに来る度に気にはなっていたものの、なかなか手に取ることができなかったのである。幾つか実際に手に取ってみるが「高い!」と思う。特に可愛い柄の入っているストッキングなど600円もする。欲しいなとは思ったものの、その日は買うのはやめた。
 
しかし私はそれ以上に関心のあるものがあった。衛生用品が並んでいる所にいき、ナプキンの小さな包みを手に取った。もうこの時私の心臓は物凄い速度で鼓動していた。最初に手に取ったのは「多い日夜用」と書かれている。そんなに多くないかな、などと思って「普通の日用」と書かれたものの方を取った。ハーブの匂い付きなどと書かれている。匂いがあるのは着けた時にまずいかなという気もしたものの、そういう香りに包まれた自分というのもいいよなと思い、それをカゴに入れた。
 
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飲み物か何かでもと思い、店内を歩いていたら向こう側に買い物カゴを持った女性が居てこちらに歩いてくるのに気付いた。
 
きゃー!恥ずかしいと思い、逃げようとしたのだが、すると向こうも自分と同じ方向に動く。え? と思ってよく見たら、そこに居た女性というのは、鏡に映った自分の姿だった。
 
図らずも私は自分がちゃんと女性に見えるという自信がついた。それ以降、私は女装外出の頻度が上がるのである。
 
その日私は他にお茶とおにぎりを買ってレジで精算した。ナプキンなんて買って変に思われないかなと少し不安はあったものの、レジの女性はそれをいったん黒いビニール袋に入れてから、私の持ってきたエコバッグに入れてくれた。
 
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この日を境に、私は昼間の女装もするようになった。最初はできるだけあまり人通りの無い付近を歩いていたのだが、ある日勇気を出して電車に乗り、新宿まで出た。
 
それでもこの頃は「立ち止まる」のが怖かった。そんなことすると視線の集中砲火を受けそうな気がしていたのである。それでも行く時は電車が閑散としていたので助かった。
 
本屋さんに行くが、ここは素敵だった。本棚がたくさんあるので、あまり視線が通らないのである。私は実質周囲に人が居ないのに近い状態で本の立ち読みをすることができた。それでも自分の近くに他の人が来ると、読んでいた本を戻して、別の棚の間に移動したりしていた。
 
その日の帰り、私はもう開き直るしかないと思った。帰りの電車を待つ客がたくさんいたのである。「きっと大丈夫」そう自分に言い聞かせて、私はその満員電車に乗り込んだ。周囲は女性2人と男性1人だったが、けっこう圧迫され、その周囲の人たちと身体が接触する。私の(偽装している)バストが目の前にいる30代くらいの男性に押しつけられる感じになり、男性は目をつぶった。この状態で変な身体の動きをして痴漢に間違われたら困るというので寝ているふりに移行したのだろう。
 
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電車はやがて中野に停まるが車内の「人間圧」は更に上昇した気がした。三鷹でけっこうな人が降りて、やっとそれで周囲の人との圧迫接触は解消された。
 
自宅アパートに帰ってから服を脱ぐと、皮膚にバッグの紐などの痕がついていた。
 

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大学1年生の夏に、初めて女装旅行をした。
 
秋田の祖母の家までひとりで旅したのだが、男物は一切持っていかなかった。すると男物の服を入れないと、荷物が凄くコンパクトになることに気づき驚いた。女物の服って生地も薄いものが多く、サイズも小さいのでバッグに詰めると凄く容量が小さくて済むのである。これいいな、これからはもう男物は持たないようにしようとその時は思ったものである。
 
あの時は、往復の行程では、ずっとスカートを穿いていた。当時はまだ女子トイレを使う経験が浅くてけっこうドキドキしていたのだけど、あの旅の中では女子トイレしか使わなかったので、あれで随分度胸がついた。
 
もっとも向こうの祖母の家では、スカートは自粛して、七分丈のパンツに中性的なトレーナーを着ていた。
 
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「へー、最近は男の子でもこういうの穿くんだね」
などと祖母は言っていたが、従姉はなんだかニヤニヤしていたので察していた気もする。
 
「ノリちゃん、可愛いもの好きだよね。これあげる」
などと言われて、マイメロのポーチをもらったのは宝物になった。
 
あの時期は自分でサンリオショップとかに入る勇気が無かった。
 
 
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