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■夏の日の想い出・誕生と鳴動(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2015-07-31
 
私は高校時代は基本的に男子制服で3年間通学した。最近政子や青葉からそれ嘘でしょ?などと疑いの目を向けられるものの、少なくとも私が女子制服を着て学校に出て行ったのは、卒業式の日、ただ1日だけである。
 
しかし通学に使うかどうかとは別に女子制服を持っていなかったかと言われると実は持っていた。そもそもの発端は高校に入ってすぐの春に、中学の時の先輩の絵里花さんが、私の名前で勝手に女子制服を注文してしまったことにある。その注文はもう入学式の後であったので、夏服の注文として処理されてしまい、私は2007年5月の連休明け、自分の高校の女子制服夏服を手にした。内ポケットの所に「唐本」という名前の刺繍が入った女子制服を手にして私はジーンとする気分であった。私はその女子制服を放課後などにこっそり着ていたのだが、それを知っていたのは詩津紅や奈緒など少数の友人だけである。
 
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夏服の女子制服を着るのに味をしめてしまった私は9月になると「出来心」でつい冬服の女子制服も注文してしまった。それを私は9月21日(金)の放課後に受け取った。受け取りはしたものの10月からの衣替えで、その服に着替えて学校に登校するまでの勇気は無い。
 
でも、この服を着て通学したいなあ。
 
そんなことを思いながら町を歩いていたら、蔵田さんから電話が掛かってくる。
 
「洋子、今暇か?」
「忙しいです」
「そうか。だったら今すぐ新宿に出てきてくれ」
「忙しいと言っているんですけど」
「うん。だからすぐ来て。Sスタジオ分かるか?」
「芹菜リセさんの制作ですか?」
「そうそう」
 
それで仕方なく私は母に蔵田さんから呼ばれたことを連絡した上で中央線に乗って新宿に向かった。スタジオに着いたのは18時頃である。このスタジオもかなりよく使っているので受付の人に顔を覚えられていて
 
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「蔵田先生なら5階のJの部屋ですので」
と言われた。それで5階まで上がっていくのだが、そこに居るのは蔵田さん、大守さん、それに中学生くらいの女の子だけである。芹菜さんの顔は見当たらない。
 
「おはようございます。お疲れ様です。これ差し入れです。そこで買って来たものですが」
と私は、駅近くのケーキショップで買ったケーキの箱を出す。
 
「おお、甘いもの歓迎」
と蔵田さん。蔵田さんはお酒も飲むがどちらかというと割と甘党である。
 
その中学生女子が紅茶を入れてくれて一息入れる。
 
「紹介しておくな。こちらは蓮田エルミ。お前の後輩だよ」
「あれ?そうなんですか?」
「§§プロフレッシュガールコンテストで今年準優勝した子」
「わあ、凄い!」
「まだまだ未完の大器なんで1年くらいレッスンを積ませて来年末くらいにデビューさせようという計画らしい」
「へー」
 
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彼女(川崎ゆりこ)のデビューは実際には同事務所で夏風ロビンがトラブルを起こしたことから、その処理で手が回らず2009年にずれ込んでしまう。
 
「こちらは柊洋子。多分来年くらいにあんたのプロダクションからデビューすることになるんじゃないかな。実は松原珠妃の妹みたいな子なんだよ」
と蔵田さんが私を紹介すると、エルミは
 
「え?妹って、男の方ですよね?」
と不思議そうに言う。
 
この日私は学校を終えたあとそのままの格好で出てきたので、男子制服なのである。
 
「ああ、こいつ何でか知らんけどたまに男物の服を着ていることがあるんだよ」
と蔵田さん。
「蔵田の前で男装すると、やられちゃう危険があるのにね」
と大守さん。
 
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「洋子、その格好してるとマジで俺、押し倒したくなる。なんか女物の服は持ってないの?」
「えっと、さっき制服の冬服を受け取ってきたばかりですが」
「あ、だったらそれに着替えて」
「はい」
 
それで私が紙袋から女子制服の上下を取り出すと
「ああ、クリーニングに出していたんですか?」
とエルミが言った。
 
確かに今の時期に冬服を「新調」する人は転校生とかでない限り居ないよね〜などと思った。
 

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それでスタジオのブースをひとつ借りて着替えてくる。冬服の女子制服姿を人前にさらすのはちょっとドキドキする。
 
「わあ、やはり女の子だったんですね」
とエルミが言う。
「まあ、女の服を着ればちゃんと女に見えるよな」
と蔵田さん。
 
「男の子になりたい女の子なんですか?」
「ああ、こいつの場合は女の子になりたい女の子なんだよ」
「え!?」
とエルミは意味が分からないようである。まあ分からないよね。
 
「ところで芹菜さんは休憩中ですか?」
と私が訊くと
「ああ、それがあいつワガママでさ。疲れたから帰ると言って3時すぎに帰ってしまったんだよ」
と蔵田さんが言う。
 
芹菜リセのわがままは初期の頃から有名であったが、蔵田さんでさえ手を焼いていたようである。
 
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「それで∞∞プロの友好プロダクションで§§プロのこの子を呼び出したんだよ。なにせ芹菜リセは音域がむっちゃ広いから、仮歌を入れるにもあいつの歌を歌える歌手が限られていてさ」
「ああ、じゃエルミちゃんも歌うまいんですね?」
「うん。うまい。§§プロから歌のうまい歌手が出るのは夏風ロビン以来になるな」
 
夏風ロビンの後に同プロからデビューした満月さやか・秋風コスモスはいづれも極端な音痴である。
 
「来年デビュー予定の浦和ミドリちゃんは?」
「あの子の歌、聞いてない? 秋風コスモス以上に下手だぞ」
「秋風コスモスより下手な歌って存在するんですか!?」
 
実は私は秋風コスモスの楽曲制作に協力し、その時かなり歌唱指導もしたものの全く改善が見られなかったのである。私は彼女がいない時に紅川さんに「この子ほんとうにデビューさせるんですか?」と尋ねたこともあるのだが、紅川さんは「見ててごらん。この子、無茶苦茶売れるから」と笑顔で言っていた。
 
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「まあそれでこの子と一緒に制作作業を進めていたんだけど、中学生は7時までに帰宅させてくれと紅川さんから言われているからさ、それでその後の作業を洋子にやってもらおうと思って、お前を呼び出したんだよ。だから今夜は徹夜で頑張ろう」
 
「私も高校生なので9時くらいまでに帰して欲しいですけど」
「でも徹夜作業は何度もやってるじゃん」
「それはそうですけど・・・」
 

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そんなことを言いながらも、ケーキを食べ終えたところで蓮田エルミは大守さんがタクシーに乗せて自宅に帰す。それで私と蔵田さん・大守さんの3人で制作作業を再開した。
 
芹菜リセのアルバムの制作をしているということで、使用されている楽曲は少し前に私自身でとりまとめ作業をした曲である。それで少し面はゆい気分になりながら、私はピアノを弾いたり歌を歌ったりして、ふたりの意見を元に再調整を掛けていく。
 
そんな作業を続けていた20時頃。蔵田さんの携帯に着信がある。無視していたのだが、しつこいので大守さんが発信者を確認すると、★★レコードの加藤課長である。
 
「え?加藤さん?」
と言って蔵田さんが驚いて電話を取る。
 
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「たいへんお待たせしました。蔵田です。はい。はい。あ、しまった! 分かりました。至急、そちらに向かいます」
 
どうも何か予定があったのを忘れていたようである。
 
「あ、そういう訳で俺はちょっと出かける。明後日の夕方くらいに戻るから、それまで適当にやってて」
と言って蔵田さんは飛び出して行ってしまった。
 

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「えっと・・・どうしましょうか?」
と私は大守さんに尋ねるが
 
「帰ろう」
「そうですね〜」
 
それで私たちは撤収することにし、制作用の機材をふたりで一緒に大守さんの車に運んでスタジオを出た。
 
「自宅まで送って行こうか?」
「あ、いえ。新宿まで出てきたついでに本屋さんに寄って行きます」
 
ということで私は大守さんにジュンク堂の入っている三越アルコット前で降ろしてもらった。ついでに電車賃と言われて2000円もらった。
 
私は大守さんに御礼を言って降りて店内に入る。それでジュンク堂のある7階に上がろうとエレベータの所で待っていたら、ちょうど降りてきたエレベータから見知った顔の女の子が出てくる。
 
「わあ、やすよちゃん、久しぶり!」
「ふゆちゃん、ひさしぶり!」
 
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それは愛知県時代の同級生で長野県に住んでいる早乙女泰世(さおとめ・やすよ)であった。彼女は愛知県に居た頃は同じ「泰世」の字で「たいせい」と読み、男の子をしていた。そして実は私の初恋の人だったのだが、小学5年生の時に転校したのを機に、女の子として暮らし始め、名前も「やすよ」と読むことにしたのである。私はそのことを知った時は、初恋の人だっただけにショックであった。
 
「東京に出てきたの?」
「ディズニーランドの招待券が当たっちゃって。それでこの連休に行こうというのでお母ちゃんと妹と3人で出てきたんだよ」
「へー」
「招待券は4枚だったから、兄ちゃんその2も呼んだ」
「なるほどー」
「兄ちゃんから、お前ずいぶん可愛い妹になったな。血が繋がってなかったら彼女にしたいなんて言われちゃった」
「あはは、そうやって褒められると嬉しいよね」
「うん」
 
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泰世の所は、男・男・男・女の4人兄妹だったのだが、両親が離婚して上の2人は父親の元に、下の2人は母親の元に引き取られた。しかし泰世が女の子になってしまったので、向こうは男3人の家族、こちらは女3人の家族になっている。両親同士は離婚後全く顔を合わせていないらしいが、兄妹同士は時々会っているようである。実をいうと、私は一時期彼女から女性ホルモンを少し分けてもらって飲んでいたこともあった。
 
「お母ちゃんが妹と『HERO』の映画を見に行ったんだけど、私はあまりキムタク好みじゃないんでパスと言ったら、兄ちゃんが付き合ってくれた。それで私は本を見ていたんだよ」
「なるほどー」
「私はSMAPは慎吾君のファンなんだ」
「へー」
「昔、慎吾君が5人並んだ写真でスカート穿いてたことがあるのよね」
「そんなのあったの?」
「女装とかじゃなくて単なるファッションだと思うけど。でもそれ見ていてドキドキしちゃって。それ以来、慎吾君に興味がある」
「なるほどー。その気持ち、私凄く分かる」
 
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「だけど、冬ちゃんも女子高生してるんだね」
と言われて、私は初めて、しまった。着替えてなかった!というのに気づいた。
 
「あ、実は高校には男子制服で通っているんだよ」
「そうなの?」
「でも出来心で女子制服作っちゃったんだ」
「あ、それでそれを着て出歩いてたんだ?」
「えへへ」
 

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私たちは立ち話も何だしということで、ケンタッキーに入っておしゃべりを続けた。
 
「でも大きな都会では埋没できるから、女装で歩くのも精神的に楽でしょ?」
と泰世は言う。
 
「都会はその大きな波の中に全てを飲み込んでしまうから」
と私は答えたが、このセリフって詩みたいと思った。
 
「少々変な人も田舎じゃ目立つけど都会じゃ誰も気にしない」
「もっとも田舎じゃ噂はするものの許容的なんだけどね」
「そうそう。許容という面ではね。都会はわりと排斥的。プリプリのDIAMONDSにさ『好きな服を着てるだけ、悪いことしてないよ』ってあるじゃん」
「あ、その歌詞、私も随分心の支えになった」
「私たち的には、男の子の服を着ている方が間違っているもん」
「そうなんだよねー」
 
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「もっとも私とか冬ちゃんのレベルなら男の子と思われることないでしょ?」
「うん。むしろ男の子の服を着ていても、トイレの場所訊くと女子トイレの所に案内されたり」
「ああ、ありそう」
 
「でも早く性転換したいよね」
「したーい!」
「私は高校卒業するまで待てと言われてる」
と泰世。
「私はそれ以前に実はまだお父ちゃんにカムアウトしてないんだよね」
「それは頑張って告白しなくちゃ」
「そうなんだけどねー」
 

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ケンタッキーでおしゃべりした後、私と泰世は新宿駅の西口地下広場に来た。泰世が「いちばん東京っぽい所を見たい」というので、ここに来たのである。
 
「ここは名前としては『地下広場』(公式には地下通路)だし、そこの道を歩いて行けば、確かにいつの間にか地下道を歩いている。でも地上に吹き抜けになっているから、あたかもここが地表であるかのようにも見えるんだよね」
 
「表面と地下とが曖昧なんだね」
「うん。都会のバーチャル文化を象徴する場所だと私はよく思うんだよ」
 

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