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■夏の日の想い出・アイドルを探せ(7)
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目次 8
時間索引 #
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新千歳で荷物の受け取りの所で待っていたら、隣に立っている女の子と目が合う。
「あれ、おはようございます」
「おはようございます」
と挨拶を交わす。
谷崎潤子ちゃんであった。隣に似た雰囲気の中学生くらいの女の子が並んでいる。
「お仕事?」
とお互いに言って思わず微笑む。
ちなみに彼女と私の序列は、本来はメジャー歌手の彼女の方が上ではあるが、それほど売れている訳でもないし、ζζプロ内では、私の方が彼女より古株なので、年齢が近いこともあり、実質対等の感覚である。
「私はこちらのKARIONの伴奏」
と言って和泉たちを指し示す。和泉が潤子ちゃんに会釈する。どうも和泉は谷崎潤子ちゃんの顔を知らない雰囲気だ。
「私はプライベートな旅行」
と潤子。
「ああ、休暇もらったのね」
「いや、休暇はいくらでもくれる」
「あはは」
「一度めまぐるしいほどの忙しい生活ってのもしてみたいなあ」
「そちらはもしかして妹さん?」
「うん。この子、歌うまいんだよ。私よりうまい」
「へー。潤子ちゃんより上手いというのは相当上手いってことじゃん」
谷崎潤子は売れてはいないが歌唱力はかなり高い歌手である。しばしば松原珠妃の出演するイベントで、珠妃のスケジュールが鬼畜すぎるので、リハーサルの代理などもしている。声域の足りない所は適当に誤魔化したりはしているもののそれでも珠妃の代理ができる程度の歌唱力はある。
「来年くらいにメジャーデビューさせようという話になってる」
「それは凄い」
「芸名も決まって、谷崎聡子っていうの」
「ああ、同じ苗字だと姉妹というのが分かりやすいね」
「保坂早穂と芹菜リセとかは分かりにくい」
「どちらも名前が回文だってのが、共通点だけどね」
結局、私が双方を紹介して、谷崎潤子・谷崎聡子と、KARIONの3人で名刺交換をした。私も谷崎聡子の名刺をもらったが、聡子ちゃんは
「名刺を配るの初めてです〜」
などと言っていた。昨日の夕方、事務所から帰ろうとしていた所に出来上がってきたのをもらってきたらしい。
「あれ?そちら様は名刺は?」
と聡子から私は訊かれた。一瞬躊躇う。柊洋子の名刺は持っているが連絡先が∴∴ミュージックではなく津田民謡教室なので、ここで出してよいものか、と思ったら小風が
「あ、蘭子の名刺渡すの忘れてた」
と言って、名刺ケースを取り出して私に手渡す。
「う・・・」
開けてみると《歌手・KARION・らんこ》と書かれている。一瞬焦ったが、ここはノリで
「潤子ちゃんにもあげるね」
と言って、私は《らんこ》の名刺を谷崎姉妹に1枚ずつ渡した。
《KARION・らんこ》の名刺を持っている人は、かなりレアである。
せっかく北海道まで行ったので札幌では2ヶ所でキャンペーンライブをすることになっている。午前中は市内のCDショップで歌った。
10時の開店で、私たちは従業員入口から9:50くらいにビルの中に入ったのだが、私たちは10時半からの演奏予定で、その前に、北嶋花恋という人が10時から演奏することになっていた。
それを見学してようと思っていたのだが・・・・
始まらない!?
「どうかしました?」
と三島さんが声を掛けている。前の演奏者の予定がずれ込んだ場合、こちらにも影響が出る。
「あ、いえ。伴奏用のマイナスワン音源を持って来たはずが、見当たらなくて東京の事務所に電話してみたものの、まだ誰も出てきてないようで、レコード会社に連絡して転送してもらおうかと今言っていたところで・・・」
とマネージャーさんらしき人。
「私、キーボード弾き語りしましょうか?」
とその花恋ちゃん本人?かなという感じの子。
「いや、花恋ちゃんはアイドルだから、楽器弾きながらというのはイメージの問題があるので」
とマネージャーさんが困ったような顔で言っている。
「三島さん、代わりに弾いてあげたら?」
と和泉が言った。
「私でいいのかしら?」
などと言いながらも三島さんは
「譜面あります?」
と訊く。
「あ、はい」
と言って、花恋が譜面を取り出す。
三島さんは見ていたが「これ難しい!私には無理」といきなり音を上げる。
「しょうがない、蘭子弾いてあげなよ」
と和泉。
「見せて」
と言って私は譜面を急いで読む。
「弾けるよ」
「わあ。じゃ、お願いできますか?」
ということで、私が花恋ちゃんの伴奏をしてあげた。全部で6曲演奏する予定だったようだが、このトラブルで時間を食ったので1曲飛ばして5曲演奏して終了した。
花恋とマネージャーが丁寧に御礼を言っていた。
そして、KARIONの番である。
花恋の伴奏は1列のキーボードを使用したのだが、KARIONの方はエレクトーン(STAGEA)を使用する。基本的にはこれで1人4役(リードギター/リズムギター/ベース/ドラムス)になるのだが、今日は間奏部分では左手と足鍵盤を自動演奏状態にして、ヴァイオリンを持って間奏のソロを入れた。今日は1人5役だね、などと言われた。
ちなみに例によって、もらった譜面の『Snow Squall in Summer』の部分には「楽器から離れて前面に出てきて歌うこと」と書かれていたが、私は無視して暗譜で伴奏を続けた。小風が咎める視線を送ってきたが、黙殺しておいた。
「1人5役してるからギャラは5倍かと思ったけど、指示を無視して歌わなかったから、罰としてギャラ無しだな」
などと小風は後で言っていた。
「やはり楽器を破壊しないとダメかな」
と小風。
「でもエレクトーン高そうだよ。弁償するの大変」
と美空。
「そのヴァイオリンの方がよほど高いよね?」
と和泉。
「これ、借り物だから。一応私がお金作ったら買い取る約束にしてるけど」
「幾らくらい?」
「600万円くらいと言われてるけど、実際には800万円くらい払わないといけないと思う」
「ひゃー」
「でもこれ、お下がりのお下がりだからね。最初買った人はたぶん1200万円くらいで買ってる」
「恐ろしい・・・・」
「でもこれを私に貸してくれている人は、自分では今6000万円くらいの使っているから」
「ヴァイオリンの値段は怖すぎる」
「でも冬、ヴァイオリンをステージ上で壊されたことあるんでしょ?」
「そうそう。あれはまだ70万円のだったからいいけど」
「よくない。70万円でも私の御飯代の700回分だ」
と美空が言うが
「いや、100回分かも知れん」
と小風が訂正する。
「でも、なにやってて壊したの?」
「包丁で刺されそうになって、とっさにそれで防いだ」
「痴情のもつれ?」
「きっと、冬が男の子だと思って好きになった女の子が、冬が実は女の子と知って逆上したんだよ」
「それ、他の友だちにもそうなんじゃないかって言われた」
「冬がさっさと性転換しておかないから悪いんだ」
「2学期からは、ちゃんと女子制服で学校に行きなよ」
午後からは市郊外のショッピングモールに行く。午前中のCDショップは人影もまばらで、聴いてくれたのは20人くらい。サインも5枚しか書かなかったが、さすがにショッピングモールは人が多い。演奏前にマイクを立てたりエレクトーンの設定をスマートメディアからロードして確認したりしている間にもどんどん人が集まってくる。
「そろそろ行ける?」
と言って控室の中に居た和泉が様子を見に来たので、私はおいでおいでして
「マイクテストでふたりで歌ってみよう」
などと持ちかける。
「何歌うの?」
「アニーローリー」
「キーは?」
「B♭。その場合、出だしはD5。最高音はD6」
と言って、私はB♭の和音を弾いた上で出だしの音《D》を弾く。
「あーー」と和泉が《D》の音を出し、私も「あーー」と《B♭》の音を出す。そして、ふたりで三度唱する。
「Maxwelton's braes are bonnie, Where early fa's the dew,
And 'twas there that Annie Laurie, Gave me her promise true.
Gave me her promise true, That ne'er forgot will(shall) be,
And for Bonnie Annie Laurie, I'd lay me doon and dee」
周囲から物凄い拍手が来た。
「事前宣伝バッチシかな」
「よしよし」
「willとshallで意見が別れたね」
「まあ愛嬌だね」
22小節目の所で、私は「forgot will be」と歌い、和泉は「forgot shall be」
と歌ってしまったのである。古い民謡には、この手の歌詞のヴァリエーションが結構ある。
13時になったので、畠山さんが司会者になって、
「女子高生ユニット、KARIONです!」
と言い、美空・和泉・小風の順に出てきて、マイクの前に並ぶ。私もワンテンポ遅れて出て行き、エレクトーンの所に座る。和泉・美空・小風の3人で
「こんにちは、KARIONです!」
と大きな声で言い、早速演奏に入る。
短いMCを混ぜながら、『夏の砂浜』『幸せな鐘の調べ』『Snow Squall in Summer』
『風の色』『積乱雲』と歌い、最後は『Diamond Dust』である。
私がそこの譜面をめくると「その場所ででもいいから歌え」と書かれていた。これ、出てくる直前に譜面を確認したと思ったのに、いつの間に、すりかえられたんだ!?
三島さんが笑顔でステージに上がってきて、私にヘッドセット型のマイクを渡す。私は笑って受け取った。小風が右手でVサインを出している。
私の伴奏に合わせて『Diamond Dust』を歌う。ふつうは和泉・美空・小風の声がハーモニーを作り、私の声でカウンターを入れていくのだが、この曲は私と和泉の声がペアで絡みながら歌い、美空と小風がペアでカウンターを入れていくという構成になっている。『鏡の国』に近い、本質的4声アレンジの曲である(3声アレンジでは和泉と小風がペアで歌い、美空がひとりでカウンターを入れる)。
私はもう開き直って歌いながらエレクトーンを弾いていたが、歌ったことで、逆に私自身としては、ああ・・・前で歌いたいなあ、という気持ちが湧いてきてしまった。
翌週は母と相談した結果、泊まりの許可が出た。というか沖縄日帰りは無茶だと言われた。去年や一昨年に沖縄日帰りをしたと言ったら呆れられた。
それで結局和泉たちと一緒に土曜日に羽田から那覇に移動して午前中とお昼に2回那覇市内でライブをした後、福岡に移動して、福岡市内でも2ヶ所でライブをし、そのまま博多に泊まることにした。翌日新幹線で移動して、大阪・名古屋のライブである。
土曜日羽田を朝1番の飛行機で那覇まで飛ぶが、連日のレコーディングの疲れでみんな寝ていた。私もぐっすり眠っていた。
那覇1つ目は、ビーチに設置したステージである。まだ夏休みは始まっていないものの、夏の沖縄のビーチは観光客が多い。しかし日差しも強い。午前中ではあるが、かなり太陽の光が痛い。私も含めて全員強烈な日焼け止めをしっかり塗る。
「みんなどのくらいのSPF?」と私が訊く。
「私のSPF35」と美空。
「私のはSPF50」と和泉。
「あ、じゃそちら貸して」
「いいよ」
「私持って来たのSPFいくらだったかな?」
と言って小風がバッグから、日焼け止めを出そうとして・・・何か違う瓶を手に取ってしまったみたいで、慌ててしまっている。小風がふつうにしまっていたら誰も何も思わなかったろうが、慌ててた様子だったので、和泉が訊く。
「小風、何?その瓶は?」
「何でもない!」
美空が笑っている。私と和泉は顔を見合わせた。
「小風、それ、その瓶で持たずに小分けしておきなよ」
と美空が言っている。
「そうだなあ。東京に戻ったら小瓶買ってこようかな」
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