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■夏の日の想い出・アイドルを探せ(5)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-10-19
「気持ち良かった」
と政子は言った。
「うん。歌うのって気持ちいいよね」
「人前で歌ったのが凄く気持ち良かった」
「観客は少なかったけどねー」
「ね?晩御飯食べた? 私、お腹空いたー」
と政子が言う。
「ああ、そういえば今日はお昼も晩も食べてないな」
「お昼も! 餓死しちゃうよ」
その程度で餓死したら、食糧不足で困っている国の皆さんに申し訳無い、とは思ったものの、政子に付き合って一緒に晩御飯を食べることにした。
コンビニで何か買って帰ろうという話になり、私は母に電話を入れて先日(17日)お泊まりした友だちと偶然会ったので、彼女の家に寄ってくる、状況次第では泊まって明日の朝帰ると話した。
すると母は
「ね・・・・。それホントに女の子のお友だち?」
などと訊く。
「なんでー?」
「あのさ、冬。男の子の家にお泊まりすると言うのが恥ずかしいからといって、誤魔化さなくてもいいよ」
「女の子だよー」
「だって、こないだ見に行った映画とか本当は彼氏と見に行ったのではって、私あとから考えちゃったよ」
「彼氏が出来たんなら、そう言うよ」
「コンちゃんは持ってる?」
「こないだ言われたから買って、何個か持ってるけど」
「じゃ、する時はちゃんと使いなさいよ」
「そういうことはしないつもりだけど、もしそうなったら間違いなく使う」
「じゃ風邪引かないようにねー」
私は電話を切ってから
「彼氏の家に泊まるんじゃないかと疑われた」
と言った。
「まあ、冬は女の子だからね」
と私の服装をあらためて見ながら言う。
「そういう格好で家に帰ってもお母さん何も言わない?」
「この程度は平気かな」
「ふーん。私、冬のこと少し誤解してたかも知れないなあ」
「なんで?」
「うん。いいよ。じゃ食糧たくさん買って帰ろう」
と政子は楽しそうに言って、私たちはコンビニの方に歩いて行った。
商店街の入口のあたりで何か音楽が聞こえる。何気なく寄ってみるとラジカセで音楽を鳴らして踊りながら歌を歌っている二人組の女の子が居た。
ギクっとした。向こうも私を認識して手を振ってきた。私も微笑んで手を振った。ドリームボーイズのダンスチームの1人、花崎レイナちゃんと、もうひとりはそのお友だちであろうか。
しかし彼女たちの歌を聴いている内に私は次第に抑えきれないものを感じ始めた。自分の顔がこわばっているのを感じる。もうダメだ。
「行こう」
と私は政子を小声で促してその場を立ち去った。
「何で?上手だったのに」
と政子から言われたが、私は返事ができなかった。
花崎さんは、Lucky Blossom に参加した鮎川ゆまさんと同様、2005年に加入した、ダンスチームの常連の中では「後発組」である。しかし、鮎川さんはその後 Lucky Blossom の結成に参加してチームを離れている。花崎さんの歌は・・・・私にはいつメジャーデビューしてもおかしくないレベルの歌に聞こえた。
私は、いつか横浜のイベントで私が歌っていた最中に、静花(松原珠妃)が途中で先に帰ってしまった時のことを思い出していた。そしてあの時の静花の気持ちが少しだけ分かったような気がした。
私は思えば上ばかり見ていた。保坂早穂、松原珠妃、そして和泉たち。それなのに後ろから自分を追い越して行こうとしている子がいる。そもそもゆまにも、篠田その歌にも谷崎潤子にも自分は追い越されているではないか。彼女たちが自分より年上だから意識してなかったけど。
もうこれ以上ためらってはいけない。
私はそう決意した。
「マーサ」
と私は政子に呼び掛ける。
「今年中にメジャーデビューしない?」
「あ、いいな、それ」
と政子は楽しそうな顔をしていた。
コンビニで政子は大量の食糧を買った。
お弁当5個、おにぎり10個、調理パン10個、更に念のためといって冷凍食品のラーメンとかピザとか、更にペットボトルのお茶3本。
「重いよぉ」
「男の子でしょ。頑張って」
「ボク女の子のつもりだったけど」
「だったら、さっさと性転換しちゃおうね」
おにぎり10個だけは政子が持ってくれたが、それ以外は私が持って政子の自宅まで、1kmほどの道を歩いた。
家まで辿り着くと、さすがに疲れてソファの上に寝転がる。
「疲れたー。今日はもうここに泊めて」
「まあ、私はそのつもりだったけどね」
と言ってから政子は
「ね、今夜は一緒に寝ない?」
などと言う。
「いや、毛布さえ恵んでくれたら、こないだと同様に、ボクはここのソファで」
「ふーん。じゃ私も冬と一緒にこのソファで寝ようかな」
「狭いよ」
「じゃベッドで一緒に寝ようよ。その方がまだ少しは余裕あるよ」
「そうだなぁ」
「さっき、冬、お母さんと避妊具の話をしてたでしょ?」
「まあね」
「冬も持ってるみたいだし、私の家にも1箱ストックあるし」
「うちのお母ちゃんは彼氏とやる時は彼氏に付けさせろと言ってた」
「あはは。じゃ、私が付けちゃおうかな」
「どこに付けんのさ?」
「もちろん、おちんちん」
「マーサ、おちんちんあるの!?」
のんびりと御飯を食べながら、最近の芸能界のことや、いくつかのアーティストのアルバムの批評などをした。
そんなことをしている内に0時をすぎる。もう帰宅は不可能だ。泊まり確定である。
おしゃべりが途切れた。私は持っていたレターパッドをバッグの中から出して政子に渡した。政子が愛用の赤いボディのボールペンを取り出し、詩を書き始めた。
私はそれを微笑んで見守りつつ、コーヒーをいれて政子の前に置いてあげた。政子は「サンキュー」の意味なのか、左手の指を人差指・中指・薬指と3本立ててこちらに示した。器用な指の立て方するな、などと思って眺めている。
そんな感じで私たちは2時頃まで、漫然とした夜を過ごした。
ところでずっと後になって雨宮先生から唐突に言われた。
「そうだ。あんたとマリちゃんの公園でのライブ見たからね」
「え?」
「観客が5人、うち起きてるの1人だけというライブ」
「あそこに雨宮先生、いらっしゃったんですか?」
「酔いつぶれて寝てたらライブ始まるじゃん。声のひとつがケイちゃんだったから、おおっと思って聴いてたよ。拍手とかする元気までは無かったけどね」
「わぁ、ありがとうございます」
「先生、時々あの界隈においでになるんですか?」
と政子が訊く。
「あそこで勝手にライブする子はよくいるからねぇ。結構いい音楽聴ける時もあるし、顔を見て良ければホテルに連れ込む選択肢も」
「趣味と実益を兼ねてるんだ!?」
翌週の日曜日は晃子さんというインディーズ歌手と、食料品会社のイベントで一緒に歌ったのだが、自分の出番が終わって、ステージ衣装を脱ぎ、普段着に着替えて、イベント自体を見学していたら、バッタリと浦和ミドリちゃんに会った。秋風コスモスの「妹分」として今年春にデビューしたばかりの子である。この子の録音作業はほとんど私が実作業した。
「おはようございます、柊洋子先生」
「おはようございます、浦和ミドリさん」
「いや、歌唱指導してもらってるから先生で」
「私はスタジオミュージシャンで、ミドリちゃんはメジャー歌手だから、そちらが格上だと思う」
などというやりとりの末、同い年だし、タメで、ということになる。
「ミドリちゃんも今日のイベントで歌うの?」
「ううん。ただ招待状もらったから、今日はひたすら試食に」
「ああ、ここのフルーツクッキーとか美味しいよね」
「私もあれ好き!」
「デビューして2ヶ月かな。どう?」
「思ったより暇で拍子抜けしてる」
「あはは。たいていのアイドルはそんなものだよ。寝る時間も無いなんてのはトップの一握り」
「社長、洋子ちゃんも盛んに勧誘してるみたい」
「熱心に勧誘してくださるのは嬉しいけど、やはり他の事務所(この時点ではやはり∴∴ミュージック優先)から行こうかなと思ってる。同じ学校の女の子と組んでデュオでのデビューを画策してるんだよね。デモ音源を今まとめているところで」
「ああ、デュオか。それならいいかな。洋子ちゃん上手すぎるから、洋子ちゃんがうちからソロデビューしたら、私もコスモスさんもお払い箱かなあなんて思ってた」
こんな本音を安易にしゃべっちゃう所がミドリちゃんの良い所でもあり、また危険な所でもある。コスモスなら思っていても絶対言わない。またミドリにうかつな事をしゃべるとそのまま他人に話される危険もある。
「歌は頑張って練習しようよ。また練習に付き合ってもいいよ。それに私はソロ歌手になるつもりは無いから。小学生の頃は保坂早穂さんとかに憧れてソロ歌手として歌う道をイメージしてたんだけど、中学以来何人かの子とデュエットで歌っている内に、デュオというのが自分の道なのかもと思うようになってきたんだよね」
「へー。どんな人たちと組んだんですか?」
「最初は小学校の時以来の友人で中学の合唱部の部長もしてた子で凄くうまい子。この子、今は♪♪女子高校行ってる」
「それは凄い相手だ。私、音楽の成績はいつも1だったし」
「あはは。次が高校に入ってから。やはりコーラス部の子でね。仮のユニット名《綿帽子》なんて付けて何度か街頭ライブとかもやっちゃったよ」
「ああ、街頭ライブいいなあ」
「その後、KARIONでデビューした和泉と組んだんだけど、これは渡部賢一さんから《千代紙》という名前を頂いてしまった」
「渡部賢一さんって、『南の島ホリデイ』とか『歌う摩天楼』の指揮者?」
「そうそう。でも歌はたくさん歌っていれば自然にうまくなるよ。ミドリちゃんも練習頑張ろうよ」
「そうだなあ。私、一度でもいいから、武芸館みたいな大会場でライブしてみたい」
「頑張って練習して上手くなれば、きっとチャンスはあるよ」
「うん。頑張ってみる」
「期待してるからね」
7月に入ってKARIONの初アルバムの制作が始まる。
ゆきみすず先生は、もう手術は終わり退院しているのだが、まだ自宅療養中である。日常的な生活には困らないものの、やはり制作活動のようなハードな仕事はできない感じであった。それで前回、私と和泉で実質プロデュースした3番目のCD『夏の砂浜』の仕上がりが比較的良かったこともあり、先生はまたあんたたちでやってみてとおっしゃった。
その私と和泉が実質初めてプロデュースした『夏の砂浜』は7月2日(水)の発売なので、私たち4人と畠山さんとで先生の御自宅までお伺いして、献納してきた。
「でも蘭子ちゃん、まだ正式メンバーにならないの?」
などと先生から言われるが
「私は影の重要人物ということで」
と言っておいた。
発売日の記者会見には、和泉がレコード会社の担当者とふたりで出席した。前回の発売の時まではこういう「記者会見」は行われなかったので、レコード会社の中でも、僅かながら KARION のランキングが上がってきたようである。なお、担当者と言っても、この時期は個別の担当者は定まっておらず、アイドル系のグループで集団対応してもらっていた時期である。
今回のアルバムは、ゆきみすず先生の作品が3つ、『鏡の国』のペアの作品が1つ、『積乱雲』を書いたペアの作品1つ、スイート・ヴァニラズから提供された作品・青島リンナさんから提供された作品が1つずつ、サウザンズの樟南さんから提供された作品が1つ、バックバンドの相沢さんが書いてくれた作品が1つ、そして《少女A,B》の作品が3つである。
「少女A作詞・少女B作曲」というクレジットはこのアルバムまで使用した。なおこのアルバムのプロデュースは、ゆき先生に言われて、初めて karion のクレジットを使用することにした。ユニットとしては KARION, プロデュース名義は karion と、大文字小文字で区別するのである。
「プロデュース料とかあるんだっけ?」
と小風が訊く。
「1作目、2作目のシングルではゆき先生に200万円払っているけど、まあ有名プロデューサーだから」
と畠山さん。
「無名プロデューサーだと幾らですか?」
「そうだなあ。40万円くらいでどう? 1人10万で」
「おお、素晴らしい!」
「それすぐもらえるんですか?」
「前払いしていいよ」
「お、ギター買おう」
などと和泉が言っている。
「和泉ちゃん、ギターも弾くんだっけ?」
「全然ダメです。だから練習しようかな、と」
「おお、すごい」
まだこの時期は、KARIONは月給18万円でやっていた時代である。歌唱印税は最初から1%契約だったので、1枚目のCDでは3人で15万円ずつ、2枚目のCDは私も入って4人で8万円ずつもらっている(支払いは1枚目10月、2枚目翌年1月なので、この時点ではまだ実際には受け取っていない)。
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