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■夏の日の想い出・アイドルを探せ(6)
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目次 8
時間索引 #
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「でも色々な方から楽曲を頂いたんですね」
「うん、ありがたい」
「スイート・ヴァニラズは、やはりデビュー前にスタジオで遭遇した縁?」
「そうそう。でもEliseさんから、あの外人の女の子は辞めちゃったの?と訊かれて、そうなんですよと答えたら、でも1stシングルも2ndシングルも4人で歌っているよねと訊かれたから、後釜で入れた蘭子って子が、まだ正式契約してないので表に出せないんですよと答えておいた」
と和泉が言う。
「ほぼ真実だ」
「4人の声域と声質を訊かれたから、各々がひとりで歌っている音源を抽出して作ってもらって、声域表と一緒に渡してきたけど、私と蘭子の声域が凄いと褒められたよ」
「ソプラノボイスの声域では和泉に大きく負けてる」
と私は言う。
「でも全部の声をあわせると4オクターブが5オクターブくらい無い? 男の子の声まで入れて」
と美空が訊く。
「男の子の声では歌わないから、それはノーカウント」
「青島リンナさんと相沢さんは分かるけど、『Shipはすぐ来る』を書いてくれたサウザンズの樟南さんって、どういう縁?」
「それは蘭子がもらってきた」
「こないだのアイドルフェスタの時に、会場で樟南さんとバッタリ会ってね。それで話をしていたら、書いてくださることになったんだよ」
と私はとっても略式の説明をする。
「へー。凄い」
もっともメロディーのモチーフ、サビのモチーフだけ渡されて
「後は適当に補作して」
と言われたんだけどね〜。ついでにサウザンズの曲の補作も数曲したし。
「でも『Shipはすぐ来る』ってどういう意味?」
と美空が訊くので
「周期律」
と小風と和泉が答える。
「周期律って、水兵離別?」
「そうそう。それの続きだよ。水兵離別、僕の船。なぁに間がある。シップはすぐ来らぁ。斬るかスコッチ馬喰マン。鉄のコルトに銅炎がげる。明日は千秋楽」
と和泉が暗唱する。
「なんか、そのフレーズ自体を暗記できん」
「なんかHな覚え方もあるよね」
と小風が楽しそうに言う。
「ああ。男子が言ってたな。縦読みだよね」
と私。
「変な姉ちゃん、ある日狂ってキスの連続(He,Ne,Ar,Kr,Xe,Rn)とか、ふっくらブラジャー愛の跡(F,Cl,Br,I,At)とか」
と小風は言っちゃう。この手の話も小風は好きだ。
「何それ〜!?」
と美空が呆れてる。
「美空、化学取ってないんだっけ?」
「私は生物だけー。物理も化学も訳分からない」
「ああ、すんなり(Al,Zn,Sn,Pb)と両性に愛され、なんてのもあるよ」
「それは蘭子のことだな」
「いや和泉も怪しい気がする」
畠山さんがちょっと困ったような顔をしていたが、小風が少しオーバーアクションで周期律のHな暗記法を話していたら、手がバッグにぶつかり、何やら化粧水みたいな赤い瓶が転がり落ちる。
私が何気なく拾って渡そうとすると、小風は焦ったような顔で奪い取るようにその瓶を手に取り、バッグの中に戻した。
「何それ?」
と和泉が訊く。
「何でも無い!」
と小風は明らかに何でもあるような顔。
「ふふふ。言っちゃおうかなあ」
と美空。
「言わないでって言ったじゃん」
「むずむずむずむず」
「何なのかなあ」
「ニトログリセリン?」
「まさか!」
「あ、そうそう。シングルの方のキャンペーンを週末にやるから」
一時の話題暴走にちょっと困っていた風の畠山さんが言った。
「どこどこ行くんですか?」
「今週末は東京・横浜・札幌」
「札幌は1月以来ですね」
「ゴールデンウィークは北海道まで行けなかったからね」
「来週末は那覇・福岡・大阪・名古屋」
「おっ。沖縄初めてだ!」
「それ、1日で那覇と福岡ですか?」
「そうそう」
「ひゃー。きつそう」
「君たち若いんだから頑張ろう」
「社長は大変ですね。43くらいでしたっけ?」
「僕はまだ30代だよ」
「あ、そうだったんですか?」
「そして再来週はKARION初の本格ライブだね」
「よし、頑張ろう」
「蘭子もキャンペーン付き合うよね?」
「近所なら」
「札幌も那覇も近所」
「そんなぁ」
「カリフォルニアよりは近い」
「うーん・・・」
「札幌はどっちみち日帰りだよ。12日はこの3人は那覇・福岡を1日で行って福岡に泊めるけど、蘭子ちゃんはそのままいったん東京に戻って、翌日また大阪に新幹線で来てもらってもいい。交通費は出すから」
「えっと・・・」
「蘭子は当然、前で歌うよね?」
「伴奏だけにさせてください」
結局、札幌・那覇・福岡・大阪・名古屋に付き合い、この5ヶ所では私がひとりで(キーボードで)伴奏し、東京・横浜は、相沢・木月・鐘崎の3人で伴奏してもらうことにして、私は欠席させてもらうことにした。
「要するに経費節減だったりして」
「それは言いっこ無しで。まあ急に決めたから、相沢さんたちの予定が取れなかったというのもあるんだけどね」
「でも蘭子、東京・横浜は、ステージに上がらないにしても会場までは来てよ」
「まあ行くだけなら」
アルバムの制作では、この時期はまだ伴奏してくれるメンバーは各々の出てこられる日に出てきてもらって、演奏してもらうという方式にしたが、最初7月1〜5日までは、相沢さん(Gt), 木月さん(B), 鐘崎さん(Dr), 黒木さん(Sax)の4人が出てこられるということだったので、これに私(KB)を加えた5人で伴奏しながら和泉たち3人に歌ってもらい、この試奏をしながら最終的なアレンジを固める作業を行った。
この作業が3日まで掛かり、この状態で伴奏の録音を行った。この伴奏を聴きながら和泉たちに歌ってもらう。
「『Snow Squall in Summer』なんですけどね。雲を突き抜けていくような音が欲しい気がしません?」
「そういう音ならトランペットがいいかな」
「ああ、それいいですね」
「誰かトランペット吹ける人?」
誰も手を挙げない。
「僕の友だちでトランペット吹きがいるから、そいつ明日にでも連れてきましょうか?」
とドラムスの鐘崎さんが言う。
「あ、じゃお願いします」
と言われて翌日連れて来られたのが児玉さんで、彼はそのままバックバンドに定着し、これでトラベリングベルズの5人のメンバーが揃ったのであった。
7月5日は午前中は東京のCDショップの付属ホール、午後は横浜のショッピングモールのイベントスペースでKARIONのキャンペーンをした。私は歌にも伴奏にも参加しない予定だったが、一応出て行った。
横浜で開演準備を手伝っていた時、大学生くらいの男の子から声を掛けられる。
「済みません、KARIONのヴァイオリニストの洋子さんですよね?」
「はい、そうです」
「先月の幕張のフェスタでは最後、ヴァイオリンを置いて歌に参加しておられた」
「わあ、よく見てますね。あれ、小風ちゃんの悪戯なんですよ。譜面を見たら、五線譜が無くて、代わりに楽器を置いて前に出てこいって書いてあったんです」
「あはは、面白いことしますね」
「今日もヴァイオリン弾かれるんですか?」
「いえ。今日はただのスタッフで演奏には参加しません」
と言ったのだが、それをそばで聴いていた相沢さんが
「せっかく要望されてるから、参加しようよ」
などと言い出す。
「でも今日楽器持って来てないし」
「それがあるんだな。おーい、三島さん、ヴァイオリン持って来てよ。蘭子、演奏する気になってるぞ」
と少し離れた所にいる三島さんに声を掛ける。
「はーい」
と返事をして三島さんがヴァイオリンケースを持ってくる。
なんか計画的だなぁ。
「わあ、じゃ演奏なさるんですね。洋子さん、ヴァイオリン凄くうまいから期待してます」
などと、ファンの男の子に言われ、私は笑顔でその子と握手してステージの方に行った。
ケースから楽器を取り出し、調弦をする。今日の楽器はちゃんと弓にふつうに松脂が塗られている。先日のは楽器レンタル店の人が、こちらが恐縮するくらい謝っていたらしい。なんでも、前回貸した人が弓を破損してしまったので新しい弓に交換したものの、ヴァイオリンに詳しくない人が新しい弓を受け取ったので、松脂を塗っておかねばならないことを知らなかったらしい。
そういう訳で、この日、東京では純粋にスタッフをしたものの、横浜では演奏にも参加して、新しいCDの曲、『夏の砂浜』『積乱雲』『Diamond Dust』の3曲と、先日の幕張でも受けが良かった『Snow Squall in Summer』を演奏した。この日は歌には参加せず、純粋に伴奏のみであった。
演奏の後のサイン会では、私は列の整理などをしていたのだが、私に声を掛けてくれた男の子が「洋子さんはサインは無いんですか?」と訊いた。するとそれを耳にした小風が
「あ、じゃその人に例のサインをプレゼントしようよ」
と言って、色紙に、小風・私・美空・和泉の4人で「四分割サイン」を書き、通常の「三分割サイン」と一緒に渡した。
このサインの日付は 2008.07.05 で、2008年に書いた希少な四分割サインであるし、ファンの前で4人で書いたのは極めてレアな例である。
翌日は早朝から愛用の《Rosmarin》のヴァイオリンを持って羽田に行き、和泉たちと合流して、新千歳に飛ぶ。座席はB747の中央の4列並びの席に、小風・和泉・私・美空と並んで座る。通路をはさんで窓側に畠山さんと三島さんが座っていた。
「でもさすがに北海道は飛行機か。本州内だと、歌手本人は飛行機でも伴奏陣は新幹線と特急の乗り継ぎ、どうかすると高速バスで移動なんてのも結構多いから」
と私が言うと
「うちだと、歌手本人もそのパターンだな」
と小風。
「ごめーん。貧乏だから勘弁して。でも君たちが売れたら、飛行機の座席もプレミアムにグレードアップするよ」
と通路の向こうから畠山さんが言っている。
「飛行機のエコノミーの座席は、ほんとに窮屈だからね」
「新幹線はグリーン席でなくてもいいかな。普通の席でも結構快適」
「ところで冬ってさ、その格好で家から出てくるの?」
と小風が訊く。
「そうだけど、何か?」
その日私は高校の女子制服で出てきている。
「出てくる時、親から何か言われない?」
「何も」
「お父さんは?」
「お父ちゃんは朝は私より早く出るし、夜は私より遅く帰ってくる」
「もしかして家庭内すれ違い?」
「朝御飯は一応私が作って、お弁当も私が作って、お父ちゃんを送り出してるよ」
「朝御飯って、お母さんが作るんじゃないの?」
「遅く帰ってくるお父ちゃんの晩御飯というより実質夜食だけど、それはお母ちゃんが作って、朝御飯とお弁当は私が作るという分担」
「なるほどー」
「私が居ない日はお姉ちゃんが作ってるみたいだけど、こないだは砂糖と塩が間違ってたとか言って、文句言ってた」
「ああ、冬のお姉ちゃんって、料理あまりしないんだ?」
「姉ちゃんが御飯を炊くとしばしば水加減が適当」
「水加減なんて目盛りを見て入れればいいのでは?」
「うん。そう考えるのは料理ができる人の考えで、一般人はそんなの分からんと主張された」
「うーん。。。。」
「じゃ、お父さんと全然話せてないの?」
と畠山さんからも言われる。
「私も困ってるんですけどねー。もうお父ちゃん無視して既成事実を作っちゃおうかなあ」
「やっちゃえ、やっちゃえ」
と小風が煽る。
「後で知られると激怒されるだろうけどね」
と和泉は心配そうに言う。
「でも、そしたら冬って、もしかして生活時間の大半、女の子の格好してない?」
「平日に学校で授業受けてる間だけかな、男子の服着てるのは」
「ああ」
「じゃ夏休みが始まると100%女の子生活に」
と美空が言うが
「春休みやゴールデンウィークもそうだったのでは?」
と小風。
「去年の夏休みもそうだったよね」
と和泉から指摘された。
「既成事実作りなら、もう性転換手術しちゃうとか」
と小風は言う。
「うーん。。。やっちゃおうかな」
と私は真剣な顔で答えた。
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