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■夏の日の想い出・胎動の日(6)

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5曲の演奏が終わって、幕が降りる。
 
予想通り、アンコールの拍手が来る。幕が開く。和泉たち3人が出て行き、アンコールの御礼を言う。私たち伴奏メンバーもコーラス隊もステージに戻りスタンバイする。
 
『Crystal Tunes』を演奏する。金曜日に和泉が譜面を見せて、それを相沢さんが6ピースバンド用に編曲(後に7ピース用に改訂)したものであるが、この横浜のライブでは相沢さんは編曲料代わりにもらった鼈甲ピックでこの曲を弾いていた。
 
観衆が手拍子も打たずに、美しい歌と、グロッケンの美しい調べに聞き惚れている。私はこの曲ではキーボードは弾かずにヴァイオリンを弾く。相沢さんもアコスティックギターにしている。ベース以外は全てアコスティックなサウンドである。
 
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やがて演奏が終わると割れるような拍手。
 
「本日の演奏はこれで終了します。15分後にサイン会を始めます」
というアナウンスがあった。
 

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この曲『Crystal Tunes』は結果的に初期のKARIONのライブでアンコール曲として定着することになる。当時は「作詞少女A・作曲少女B・編曲TAKAO」などとクレジットしていたが、数年後にファンからの要望に応えてアルバムに収録される際に、実は森之和泉作詞+水沢歌月作曲であったことを明らかにして、その名義でJASRACにも登録した。
 
『水色のラブレター』に8ヶ月先行して制作した、私と和泉の本当の処女作であった。12日の晩に福岡のホテルで書いたものである。ちょうど私がお風呂に入っていた時間帯に和泉が唐突に詩を書き、それに湯上がりの私が30分ほどで曲を付けたものであった。最終的には東京に戻ってきてからも電話のやりとりをしながら、詩・曲ともに若干の調整をしている。
 
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この時期、都内や関東・関西の大都市のCDショップではKARIONのCDが軒並み売り切れになっていたのだが、私たちは会場にCDを持ち込み販売した所、この横浜会場だけで入場者数より多い3000枚も売れてびっくりした。どうもKARIONに注目したファンが「布教用」に買って行った分があったようであった。
 
このようにして、各地でのイベントが成功したことで、KARIONのデビューシングルは結局1月中に2.5万枚(最終的には4.8万枚に到達)売れて、彼女たちはスターになっていく。
 

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横浜のライブが終わった翌日、学校に出て行くと、政子が私の教室までやってきた。あまり動き回らない政子が、わざわざこちらまで来て、教室の中まで入ってくるというのは珍しい。
 
「唐本さ〜ん、昨日はどこ行ってたの〜?」
ふたりだけの時は「政子」「冬」と呼び合うのだが、人前なのでこういう呼び方をする。
 
「ああ。バイトでちょっと横浜に行ってた」
「なんかいつも忙しいなあ、唐本さんって。詩を書いたからさ、曲を付けてくれないかと思って」
「おっけー。わざわざここまで持ってくるって、いい詩ができたのかな?」
「うん、これ」
 
と言って見せてくれたのは『ギリギリ学園生活』という詩だが、何だか楽しい!
 
私は少し突き詰めて言葉を洗練した感のある和泉の詩に比べて、政子の素朴でおおらかな詩もまたいいなと改めて認識した。和泉はだいたい直接パソコンに向かって打ち込み、パソコンの画面上でかなりの校正を加える。政子は紙にしか書かない。そして書いたものをほとんど修正しない。創作のやり方も対照的である。
 
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「ほんっとに最近、中田さんの詩って楽しいね」
「やはり赤い旋風のおかげだよ。あの子を手に取ると、気分が凄く楽しくなるんだよね」
「うん、いいことだ。OK。明日までには書いておく」
 
「お、なんか気合い入ってるね」
「うん。ちょっと気合いの入るようなことがあった」
「へー。あ、そうそう。再来週のスキーなんだけどね」
「うん」
「啓介行けなくなった」
「へ?」
「その日が大学入試の試験日だったこと忘れてたって」
 
私は吹き出した。
「そんなもの忘れるもの?」
「ね?私だって忘れないよ、さすがに」
 
「ああ、中田さんも忘れ物多いよね」
 
政子はだいたいいつもボーっとしているので忘れ物の天才でもある。政子が忘れていったものを拾って行くのは私の役目である。
 
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「だから部屋も1室キャンセル。8畳一間に女の子4人だよ」
「あはは」
 
「でも最近、花見さんとは割とうまく行ってるみたいね」
と言ったのだが、政子は「うん」と言ったまま黙り込んでしまった。
 
うーん。また喧嘩したんだろうか? ほんとにハラハラさせる・・・と私はこの時思ったのだが、政子が考えていたのはそのことではなかった。この時期政子が悩んでいた問題については、私は約1ヶ月後、3月に入ってから聞くことになる。
 

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この日、私は麻布さんのスタジオの方で仕事が入っていたので学校が終わった後、書道部の方はサボって校内で女子制服に着替えてから下校した。校庭で弓道部の練習をしている奈緒と顔を合わせ
「お、今日は制服か」
と言われる。
「いつも制服だよ」
「いや、普段は偽制服だ」
「ああ、あれは偽制服なのか」
「だって、生徒手帳の写真と違うからね」
「確かに!」
 
スタジオに入り、その日から音源制作を始めることになっていた新人女性アイドル歌手の制作のお手伝いをした。仮歌を歌ってあげた他、その日はプロデューサーさんが途中で急用ができて帰ってしまったので、その後、その子に歌唱指導まですることになった。
 
「柊さんの教え方、分かりやすいです〜」
などとその子から言われる。
 
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「20歳過ぎたら、また歌い方は変えたらいいと思うけど、18〜19歳くらいまではこんな感じでいいんじゃないかな」
「自分で聴いても、可愛い子ぶってて気持ちわるいですけど」
 
「23とかになって可愛い子ぶったら気持ち悪いだろうけど、14歳だもん。可愛いくていいんだよ。年齢が財産だよ」
「ええ。頑張ります」
 

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中学生は21時までに帰さなければならないので20時40分くらいで作業を切り上げ私も帰宅する。もちろん遅くなることは家に電話を入れておいたのだが、私はその日、先日作った擬装用の「女子高生風の服」を着て帰宅した。
 
「ただいまぁ」
と言って家に入って行くと、母がびっくりしている。
「誰かと思った」
「ふふ」
「そんな服を持ってたんだ?」
「へへ。制服を着る勇気がないから、とりあえず慣れるのに」
 
「でもあんた夏服の制服は着て出歩いてたじゃん」
「うん。そのあたりがまだ気持ち的に微妙な所で。あれ?お父ちゃんは」
 
「・・・あんた、お父ちゃんにカムアウトするつもりで、その服で帰ってきたのね」
「うん」
 
「今夜は徹夜になるらしいのよ」
「ああ」
「でもいったん帰宅すると言ってたから」
「じゃ、この服のまま待ってる」
「うん」
 
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姉が私の服を触って
「これほんとにどこかの高校の制服みたい」
などと言う。
 
「制服とか通販している所で買ったからね」
「へー。ね、これウェストいくつ?」
「61だけど」
「よくそんなの入るなあ」
 
そんなことをしている内に父が帰ってきた。私は緊張した。母も緊張した顔をしている。しかし父は私を見て言った。
 
「あ、冬彦のお友だちですか。いらっしゃい。でももう遅いですよ。母さん、そろそろ帰させないと、親御さんが心配するぞ」
「あ、はい」
 
「じゃ、着替えだけ取りに来ただけだから、また行く」
 
と言って、父は母が用意していた着替えのバッグを持つと、すぐ出て行ってしまった。
 
私は「あ」と言ってただそれを見送るだけだった。結局父は私を認識できなかったようである。
 
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「今日は不発だね」
と言って母が私の肩に手を置く。
 
「うん。また改めて頑張ろうかな」
「そうだね」
 

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翌週の週末。土曜日に私は民謡の大会の伴奏で水戸まで行った。この時期民謡関係で出かける時は、最初から自宅で和服に着替えてから出かけることが多かった。その日も自分の部屋で振袖に着替えてから堂々と両親のいる居間を通って「行ってきまーす」と言って出かけた。
 
父は「行ってらっしゃい」と言ってから、その後姉が部屋から出てきたのを見て「あれ?お前、今出かけなかった?」と訊き、姉が「私今まで寝てたけど」
と言うと「今、萌依出かけなかった?」と母に訊いたらしい。
 
母は「冬彦なら出て行きましたけど」と答える。
「え?でも今萌依が出て行った気がしたけど」と父は言い
「疲れてるんじゃない?お父ちゃん」などと姉に言われたらしい。
 
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仕事が終わってから東京に戻るのに水戸駅の近くまで来た所で、路上でバッタリと雨宮先生に遭遇した(まだ当時は雨宮先生というのを知らず「モーリーさん」
と呼んでいた)。
 
「あら、ケイちゃん」
「あ、モーリーさん」
「振袖が素敵ね。どこかお祭りでも行ってきたの? あれ、ギターケース持ってる。振袖でギター演奏?」
「あ、私ギターは弾けません。これ三味線です」
「三味線!? それギブソン製の三味線?」
「いえ、ギブソンではなくギフケン。岐阜県産の三味線です」
と言って、私はケースを開けてみせる。
 
「面白いことしてるね。そうだ、またカラオケ対決しようよ」
「いいですよ」
 
ということで、私は母に電話して少し遅くなることを伝えてから、一緒に近くのシダックスに入った。
 
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「お互いに相手の押した番号の曲を歌う。負けた側がお勘定を持つ」
「了解です」
 
ということで私と雨宮先生は2時間ほど歌い続けた。各々14曲ずつ歌って私は14曲全部歌えたが、雨宮先生は10曲しか歌えなかった。
 
「ケイちゃんは完璧すぎる。また負けた〜」
と雨宮先生。
 
「このカラオケ対決を仕掛けて、私が負けるのはケイちゃんだけだよ」
「モーリーさんに負けた子のその後が気になります」
「どうもしないわよ。ちょっと気持ちいいことするだけ」
「あはは、やはり」
 
「ねえ。その三味線で何か弾いてみせてよ」
「はい」
 
と言って私はギターケースから三味線を取り出すと、鼈甲のギターピックを持ち渡辺香津美の『TO CHI KA』を演奏した。
 
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「すげー!美しい!」
「この曲、きれいですよね〜」
「いや、三味線でこれだけ弾けるなら、ギターだってかなり弾けるはず。でもあんた、変わったピック使ってるね」
 
「ああ。これ楽曲の使用料代わりにって、知人から頂いたんです」
「へー。どんな曲書いたの?」
 
私は迷ったが、モーリーさんの好みは実力派のアーティストだ。KARIONの曲、しかもまだ1度しか公衆の前では演奏したことのない曲なら大丈夫だろうと思い、そのまま三味線+鼈甲ピックで『Crystal Tunes』を弾き語りした。
 
「ケイちゃん、この曲売れる。CD出したら絶対7〜8万枚は売れる」
 
「じゃ、こちらの曲はどうですか?」
と言って私は『ギリギリ学園生活』をやはり弾き語りする。
 
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『Crystal Tunes』を静かに聴いていた雨宮先生がこの曲は笑いながら聴いていた。
 
「凄い。ケイちゃん、いつの間にこんなに凄い曲書けるようになったのよ」
「この曲はCDにしたらどのくらい行くと思いますか?」
「これはゴールドディスク行くね。ただしケイちゃんが歌うんじゃなくて、少し舌足らずな感じのアイドルに歌わせた場合。ケイちゃんはこの歌を歌うにはうますぎるんだよ」
「なるほど」
 
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