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■夏の日の想い出・3年生の新年(10)

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「手際いいですね」
とスタジオの音響技術者さんが言う。
 
「高校時代に1年半ほどバイトでスタジオの音響技術者の助手をしていたので。ここ3年ほどは音源制作の時に私自身がこの席に座ることも多くなりました」
「なるほどー」
「自宅ではCubase使ってるんですけどね」
「ああ、そういう人多いですよね。スタジオではProTools, 自宅ではCubase。私も自宅PCにCubase入れてますよ」
 

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みんなが戻って来た所で、札幌で録った2曲、昨日・今日で録った4曲の音源を流して感想を聞く。
 
「『君の背中に愛を贈る』に何かもうひとつ欲しい」と近藤さん。
「でしょ?」
「鉄琴系の音が欲しいよね。ビブラフォンとかチェレスタとかカリヨンとかメタルフォンとかグ・・・」
と宝珠さんが言いよどむ。
「グロッケンシュピールかな」と私。
「あ、それそれ」
 
「ツッキー(月丘)さん、ビブラフォンとかグロッケンとか弾けますよね?」
「うん」
「じゃ、お願いできますか?すぐ譜面書きます」
 
月丘さんは元々マリンバ弾きである。
 
ビブラフォンの柔らかい音よりグロッケンの硬い音の方が合う気がしたので、私はスタジオの事務に連絡してグロッケンシュピールを借りることにした。近藤さんと酒向さんに取りに行ってもらっている間に私は譜面を書いた。月丘さんが譜面をのぞき込んで頷いていた。
 
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「でもグロッケンと言ったらKARIONだよね」と月丘さん。
「ええ、あの音を入れるのがちょっとシンボルにもなってますね」
 
KARIONという単語を聞いて政子がムッという顔をする。
 
「大丈夫だよ。和泉をここに呼んできたりはしないから」と私。
「いづみちゃんより、月丘さんの方がグロッケン上手いよね?」
「それは私のヴァイオリンが鷹野さんのヴァイオリンに遠く及ばないみたいなものだよ」
「なら、安心した」
 

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ローズ+リリーの音源制作は14日で収録作業が終わり、その後、私自身でミックスダウン、マスタリングをしてその週の内にマスターデータを完成させた。
 
17日。仙台公演の申し込みが締め切られる。申し込みは枚数換算で6万枚分という凄い事になってしまった。競争率が10倍である。昨年末の大分公演でさえ倍率5倍であったが、東京から新幹線ですぐ行ける仙台ということと、ローズ+リリーがいよいよ本格活動再開したということで、今まで離れていたファンが戻って来てくれた分もあるのだろう。
 
18日、私と政子は美智子と一緒に★★レコードに行き、ライブ日程の件で打ち合わせた。★★レコード側は氷川さん、加藤課長、町添部長が出席する。
 
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「まず今週末の名古屋公演、5月の仙台公演はいいですね?」
「ええ。着々と準備スケジュールに沿って進めるだけです」
 
「それで今回浮上した全国ツアーの件なのですが、一応会場を押さえました」
と言って、氷川さんがPCの画面をホワイトボードに投影する。
 
7.20(土) 台湾 台北展演二館 4000人
7.26(金) 福岡 福岡ムーンパレス 2300人
7.27(土) 愛媛 愛媛カルチャーホール 3000人
7.28(日) 北海道 札幌文化ホール 2000人
8.01(木) 静岡 静岡グランドホール 4000人
8.02(金) 富山 富山オーロラホール 2000人
8.04(日) 沖縄 宜野湾マリンセンター 3200人
(8.10) サマーロックフェスティバル
 
「10日にサマーロックフェスティバルがあり、出演者の選考は6月に行われますが、ローズクォーツとローズ+リリーの出場は間違いないと思いますので、それで中断されないように、フェスの前に日程を集めました」
 
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「あれ?愛媛になったんですか?」と私は訊いた。
「済みません。広島で適当なホールが押さえられなくて。宿泊は広島にしますので」と氷川さん。
「あ、それならOKです」と政子。
 
「となると、26日の福岡でライブをした後、27日は松山に移動してライブの後、広島に移動して泊まり、28日の朝は広島から札幌に移動するんですね」
 
「済みません。どうしてもここがハードスケジュールになってしまいまして」
と氷川さんは申し訳なさそうに言うが、マリの気まぐれで突然立った企画で更にマリの食欲を満たしてあげなければならないから、やむを得ないところだ。
 
「それと福岡のキャパが周辺人口に対して微妙ですね」
「そうなんです。福岡はムーンパレスの上はその隣の国際体育館1万人か、マリンアリーナ1万5千人になってしまって、その中間サイズの3000〜4000人の会場が無いのですよね」
 
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「横浜と大阪は9月でしたね」と私。
「はい」と氷川さん。
 
「福岡を9月に持って行く手もあるね」
と町添さん。
「ええ、私も思いました」
 
「すぐ空きを確認します!」
と言って氷川さんはネットでホールの空きを確認する。
 
「8月31日マリンアリーナが空いています」
「31日って何曜日?」
「土曜日です」
「じゃ翌日まで夏休みみたいなもんだね」
「ええ」
「じゃ、遠くから来る人も大丈夫ですね」
 
「横浜が7日土曜で大阪が8日日曜だったよね?」
「はい」
「じゃ、押さえよう」と町添さん。
 
「大会場3つになるけど大丈夫かな?」と加藤課長が少し心配するが
「横浜の飲茶と大阪の土手焼きと柳川のセイロ蒸しを食べられるなら大丈夫です」
と政子は明るく言った。
 
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「じゃ決まり」と町添さん。
 
氷川さんは会議室を出て外で予約を入れる作業に入った。
 
「一応8月に福岡ライブをするということから、当初12月に予定していた福岡公演はいったんキャンセルします。10月以降のライブ・スケジュールに関しては、また後日検討したいと思います」
と加藤課長が言った。
 

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「で、この話はいったん置いといてですね」と町添さん。
「福島県でライブをしたいという話がその前にあったのですが」
と言う町添さんも頭の中が多少混乱気味の雰囲気である。
 
「それ、ローズ+リリーだけでするのずるい、という意見でね」
「はい?」
「★★レコードのビッグ7共演という企画を考えました。日付は8月11日。サマフェスの翌日で申し訳無いのだけど。11日という日付を使いたかったのと、お盆に合わせようということで」
「ああ」
 
「ビッグ7というと?」
「AYA、サウザンズ、XANFUS、スイート・ヴァニラズ、スカイヤーズ、スリファーズ、そしてローズ+リリー。50音順」
 
「サ行が多い」と政子。
「そ、そうだね」
 
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「1組アンコール込みで1時間20分、休憩10分。1アーティストあたり1時間30分で10時間20分。朝8時50分から始めて夜19時10分まで掛かる」
 
「1時間20分なら結構な曲が演奏出来ますね」
「うん。4分演奏して1分MCとして16曲できる。そのあたりの比率は各々のユニットで勘案してもらえばいい。まあこのくらいがアーティスト側も休憩無しで演奏できる限界だし、夏でも夜は冷えるから19時で終了というのが適当かなというのと」
「確かに」
 
「当日の日没は18:34。19:09で日暮れ。ちょうど演奏が終わる時刻。実際の出演順は、若いファンの多い、スリファーズ、XANFUS、ローズ+リリー、AYA、を早めにして、おとなのファンが多いサウザンズ、スイート・ヴァニラズ、スカイヤーズ、を後ろに集める、ということで、自然な順序として、8:50.AYA、10:20.スリファーズ、11:50.ローズ+リリー、13:20.XANFUS、14:50.スカイヤーズ、16:20.サウザンズ、17:50.スイート・ヴァニラズと決まった」
「なるほど」
 
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「場所はどこになったんですか?」
「いくつか検討したのだけど、結局、いわき市がいいのではないかと」
「ああ」
「あそこは原発には近いけど風上なんで放射線量が低いんだよね。念のためうちのチームで市内のあちこちで測定したのだけど、原発から遠く離れた町とほとんど変わらない」
 
「いわき市というと、常磐ハワイ?」
「あそこはキャパが小さいよ」
「うん。そういう訳で、みどりの森競技場という所を使う」
「野球場ですか?」
「むしろサッカーとかをやるところ」
「ああ」
「入れようと思えば4万人くらい入る」
「わあ」
「今回は椅子を設置せずに芝生に座って見てもらう方式にしたいので、一応2万人で販売する予定。食物屋さんや、飲料水の無料サービス、臨時トイレとかも設置して、おやつ食べたりのんびりと観覧してもらうようにする」
「いいですね」
「現地に行って芝生の草が含有している放射能とかも確認したけど問題無いと判断した」
「確認してもらっているなら安心です」
 
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「いわきへのアクセスは上野駅から特急で2時間半。駅から会場までシャトルバスを運行する」
 

会議が終わってから解散したが、私と政子は「ちょっとお茶飲んで帰ります」と美智子に言い、ふたりで1階のカフェに入った。政子は甘いカフェラテ、私はブラックコーヒーを頼む。
 
「この夏はフル稼働だね。たくさんライブするけど大丈夫?」
と私は政子に訊いた。
 
「いつも冬がそばにいてくれるなら大丈夫だよ」
「よしよし」
 
「でも台湾行くなら、私パスポート作らないと」
と私が言ったら
「あれ?タイに性転換手術しに行った時に作ったパスポートは?」
と訊かれる。
「だって、あのパスポートは Karamoto Fuyuhiko, 男になってるから」
「あ、そうか」
「今度は Karamoto Fuyuko, 女のパスポートを作るから」
「あ、じゃその男になってるパスポート、私に記念にちょうだい」
「ごめん、それは返納しないといけないと思う」
「ああ」
 
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「マーサは高2の時に作らされたパスポートがまだ使えるよね?」
「作ったのが2009年2月9日だったのよね。『肉肉』と覚えやすかったんだ」
 
何とも政子らしい記憶の仕方だ。
 
「だから有効期限は2014年2月9日までだから、8月9日までなら入国できるかな」
「あ、台湾は有効期間が残り3ヶ月でいいって」
「じゃ楽勝だ」
 
政子は当時4月の模試の成績が悪かったら即タイに召喚と言われて、パスポートを作らされたのである。実際にそのパスポートを行使したのは、大学2年の時に私の性転換手術に付き添いしてくれてタイに行った時であった。
 

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しばらく話をしていたら、カフェのそばを町添さんが通りかかった。
 
「やあ」
と言って寄ってくる。
 
「あ、部長、良かったらお座りになりませんか?」
「あ、そうしようかな」
と言い、ちょうど近くを通りかかったカフェのスタッフさんに
「コーヒー1杯」
と注文する。
 
「カウンターに行かなくても注文できるんでしたっけ?」
「重役特権」
「わあ、すごい!」
 
実際には私や政子も「VIPアーティスト特権」で注文できるよ、と教えられた。
 
「そうだったのか。今度1度行使してみよう」
「でもマリちゃんも、かなりやる気が出てきてるね」
と町添さん。
 
「やる気82%くらいです」
「おやおや、あと18%くらいはどうやったら上がるのかな」
「ファンの人たちの歓声かな」
「やはり、例のゲリラライブでテンション上がってきた?」
 
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「ええ。東北でこれまで19回ゲリラライブしたし、実は都内でもシークレット路上ライブを10回くらいしたんですよね」
「えー!?」
 
「二人羽織ライブなんです。以前部長が仕込んでXANFUSとやったみたいな」
「あはは、あれはね」
「友人2人にローズ+リリーのお面を付けてもらって、ギターとカホンで伴奏しながら歌うんですけど、彼女らの演奏は本物だけど、歌は口パクで、実は観客に紛れた私とマリが歌うという方式で」
「へー、それは面白いことしたね」
 
「都内は反応が凄いです。あっという間に観客が増えるから警官に見つかって解散するように言われて。3曲くらいしか演奏できないです」
 
「君たち、上手すぎるからね。今月はもうどこかでゲリラライブしたの?」
「先々週の金曜日に行きました。陸前高田のつもりが結局、大船渡・陸前高田・気仙沼の三連チャンになりました」
「頑張るね」
 
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「3月11日にラスト・ゲリラライブします。ちょうど20回になりますね」
「石巻に行くって言ってたっけ?」
「ええ。震源に近いから」
 
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夏の日の想い出・3年生の新年(10)

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