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■夏の日の想い出・瑞々しい季節(12)
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目次 8
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そんな話をしながら赤坂付近まで来た時、
「美里さん。ちょっと停めて」
と千里が言うので、矢鳴さんは車を脇に寄せて停める。
「淳!」
と千里が窓を開けて呼ぶ。
見ると淳が街路樹の下で雨宿りしている。が、街路樹なのであまり効果は無く、結構濡れている。
彼女が寄ってくる。私はドアを開けてから後部座席の中央に移動する。淳がそこに乗り込んでくる。
「ごめん。助かった。出る時は降ってなかったのに、客先を出たら降ってて。小降りになったらどこかコンビニまででも走ろうと思ってた。でも座席を濡らしちゃう」
「平気平気。どこに行くの? 送るよ」
と千里が言う。車はまだ停まったままでハザードランプを点けている。
「うん。実は子供が生まれそうで」
「ほんとに!?」
「客先で打ち合わせしてて、今夜は徹夜かなとか思っていたんだけど、和実から会社に連絡があって、会社から打ち合わせしていた客先に連絡が入って。私、打ち合わせ中はスマホの電源落としてるから。でもそれなら行ってあげてと客先の担当者さんも言うんで出てきた。でも雨が降っているのには気づかなかった」
都会で暮らしていると、しばしば天候に無頓着になりがちである。
「どこだっけ?仙台だった?」
「うん。だから東京駅まで送ってもらえば」
と淳は言ったのだが、矢鳴さんが
「今からでは仙台行きの最終に間に合いませんよ」
と言う。
今21:32である。仙台行き最終は確認すると21:44。微妙に間に合わない。
「じゃ、このまま仙台に走ろうよ」
と千里が言う。
「美里さん、ケイたちを恵比寿でおろしてから、仙台まで行ってもらえませんか?」
「いいですよ」
と矢鳴さんは答えたが
「私も赤ちゃんに会いに行く!」
と政子が言うので
「じゃこのまま5人で仙台まで行こうか」
ということになってしまった。
そのまま近くの入口から首都高に乗り、中央環状線から川口線、そして川口JCTから東北自動車道に進む。
淳に、雨に濡れているのは着替えた方がいいよと言って、東北道の最初のSAで私の着替えを貸して着替えさせた。
「仙台まで3時間くらい掛かりますので、皆さん寝ておられた方がいいです」
と矢鳴さんが言うので、遠慮無く寝せてもらった。
私は2時間くらい眠ったようだ。目を覚ますと千里が運転していて矢鳴さんは助手席で仮眠しているようだ。
「千里、合宿で疲れているだろうに、大丈夫?」
「平気平気。気分転換にもなるしね。それにここからは市内に降りるから、道を知っている人しかたどり着けないと思う」
「千里はその病院に行ったことあるの?」
「ううん。初めて。でも私、めったに道に迷うことないよ」
「そんなこと言ってたね!」
やがて千里の運転する車は高速を降りて仙台市内の道路を走る。私はこの付近にゲリラライブで来ていた頃のことを思い出していた。
そしてやがて車は小さな病院の駐車場に駐まった。
「着いたよ」
という声で、政子と淳が起きる。ふたりとも熟睡していたようである。
「あ、ごめん。道案内するつもりが完璧に寝てた」
と淳が謝っていた。
車内で仮眠しているという矢鳴さんを置いて4人で車を降りて病院内に入る。和実が廊下のソファに座っていた。
「お疲れ。動きがあったら呼ばれると思う」
到着したのが7月7日の午前2時半頃であった。
私たちは半分まどろみながら待っていた。
明け方4時過ぎ、そろそろ来ますよという声で和実が分娩室に入る。淳も入ろうとしたものの「男の方は遠慮して下さい」と看護師さんから言われて、中に入れなかった! スカート穿いてるのに。
そして4:20。代理母さんが女の子を出産した。
後で確認するとジャスト日の出の時刻であった。
産声を聞いて私と政子は手を取り合って喜んだ。淳は何だかおろおろしていた。
しばらく待つ内に赤ちゃんを乗せたベッド、そしてストレッチャーに乗せられた代理母さん、それにお医者さんや和実たちが出てきた。病室に移動する。
「和実、赤ちゃん抱いた?」
「最初に抱かせてもらった」
「良かったね」
淳は病室に移動してからやっと赤ちゃんを抱かせてもらった。
「男の子?女の子?」
「女の子だよ」
「だったら和実に似て美人に育つかな」
「でも残念だ。男の子なら性転換しようと思っていたのに」
などと和実は言っている。この子もどこまで冗談でどこから本気かどうもよく分からない。
「名前はどうするの?」
「それはふたりでもう決めてたんだ。『のぞみ』という名前。希望美」
淳がその子の名前を書いた紙を取り出して私たちに見せてくれた。
「これ、希だけでも望だけでも『のぞみ』と読める気がする」
「そのあたりは愛嬌で」
と和実は言っていた。
私と政子に千里の3人は朝1番の新幹線で東京に戻った。矢鳴さんは夜通し東北道を走っているので休ませることにしてアテンザは午後から回送してもらう。代わりに佐良さんに大宮駅(7:50着)まで迎えに来てもらい、千里を北区の味の素ナショナルトレーニングセンターに置いてから、私たちはマンションに帰還することにした。
「和実が言ってたね。自分の遺伝子を受け継ぐ子供ができたってのが、なんか凄く不思議な気分だって」
「ああ、それはこないだ、あきらさんも言っていたなあ」
「希望美ちゃんは間違い無く、和実の遺伝子を引き継いでいるの?」
「念のためDNA鑑定はすると言っていた。もし自分の遺伝子が無かったとしてもそれは構わない。自分の精神的な遺伝子は受け継いでいるはずだしと和実は言っていた」
「精子は淳さんの精子を使っている以上、淳さんの遺伝子は継いでいるだろうけど、正直あの卵子は科学的には出所を説明できないからなあ」
と千里は言う。
「そのあたりの経緯聞いたけど、さっぱり分からない」
と私は言う。
「でも私たちって性別を変更する代償として生殖能力を放棄しているから、本当に和実の遺伝子を継いでいたら、やはり奇跡だろうね。和実は小学生の頃に自分の身体を男性的には発達させないと決めた段階で、子供のことは諦めていたろうからね」
と千里。
「やはり和実って小学生の頃からホルモンやってたの?」
と政子が訊く。
「私はそう想像しているけど。それか密かに去勢していたか。あの子、身体の骨格が全く男性化してないもん」
と千里は言う。
「あの子、何か隠してるよなあ。淳さんでさえ、和実の男性器は1度も見ていないらしいし」
と私も言う。
「それはやはり、淳さんに出会った時点で、既に男性器は存在しなかったんだよ」
と政子はワクワクした目で言う。
「淳さんも2〜3年以内には仙台か石巻に移住して、あの子たちはあちらで暮らすようになるんだろうね」
と千里、
「和実は元々盛岡だし、淳さんも親戚が東北にたくさん居て、気分的にも楽だと思うよ。みんな東京に出てくるけど、東京って便利だけど消耗も激しいもん」
と私。
「でもバスケの男子は残念だったね」
と私は言った。
ちょうど私たちが仙台駅で新幹線を待っていた頃、バスケ男子日本代表が世界最終予選の予選ラウンド第2戦で敗戦し、決勝トーナメントに進出できないことになったという報が入って来た(ベオグラードまで試合を見に行っていた千里の友人から千里へのメッセージで知った。JBAのfacebookへの書き込みより早かった)。試合終了時刻は現地の7.6 22:45、日本時刻で7.7 5:45であった。
「まあこれであいつもあと4年くらいはセックスができないこと確定」
と千里は言う。
「4年後にセックスするの?」
と政子が訊くと
「4年後は東京で開催されるから、日本は開催国枠で無条件に出場できる。だから、その時に日本代表にあいつが選ばれたらセックスさせてあげるよ」
「彼がその時点で奥さんと結婚していても?」
「さすがに別れてると思うけどなあ。あいつがそもそも普通の女性と結婚を維持できる訳が無いんだよね。あの浮気にはたいてい我慢できないと思う。毎年4〜5回浮気されたら、ふつう切れるよ。もっとも、私の方が別の男と結婚してたりしてね」
「千里が他の人と結婚しててもセックスさせてあげるの?」
「まあ1回くらいは構わないんじゃない?」
政子は「ほほぉ」と言ったが、私は千里の道徳概念も崩壊しているなと思った。
「でも貴司さん、ずっと実業団にいるんでしょう?日本代表に選ばれるほどの選手なのに。プロにはならないの?」
と私は訊く。
「それ私も言っているんだよ。貴司は実業団やめて、思い切ってプロリーグに移籍すべきだと思うんだけどね。根性無いね」
と千里が言うと、政子が
「アクアは思い切って性転換すべきだと思うんだけどね。根性無いね」
などと言っていた。
千里をNTCで降ろした後マンションに戻ったら若葉が来ていた。
「お帰り〜。勝手に入って1晩泊めさせてもらってた」
「うん。自由に入っていいよ」
「御飯も適当に食材もらって作って食べてたけど」
「うん。そのあたりも適当に」
「あ、鍋の中に焼きそばの残りが」
と若葉が言うと
「食べる!」
と政子が言って、美味しそうに食べていた。
「昨夜はメイド時代の友達と会ってる内に遅くなったんだよね」
と若葉。
「そうだ。若葉にも言わなくちゃ。和実の所、今朝赤ちゃん産まれたんだよ」
「おお!凄い。電話しよう」
と言って若葉は和実に電話しておめでとうを言っていた。
「でも、しばらく籠もっていたから久しぶりの外出」
と若葉は電話を切ってから言った。
「仕事忙しかった?」
「例のレストランのプロジェクトは冬に紹介してもらった前山さんを中心に進めている。今良さそうな場所を探している所」
「予算がふんだんにあるから、妥協せずに良い場所を見つけられるかもね」
「うん。まあそれで私妊娠した」
「おめでとう。例の人工授精ね」
「うん。6月18日に人工授精した。まあその日記念にセックスもしたけどね」
「面白いことするねー」
「今の所順調。明後日で5週目に入る」
「それ人工的に投入した精子で受精したか、セックスで放出された精子が受精したか分からないよね」
「私は人工授精で妊娠したんだと信じてるけどね」
「ふーん」
「でも彼はセックスの方が有効かもと言っていた」
「まあお互い好きなように信じていればいいんじゃない?」
「名前も決めたよ」
「早いね!」
「若竹(なおたけ)というの」
と言って若葉は字を書いてみせる。
「また読めない名前を」
「自分の名前から1文字取るんだ?」
「こないだは冬から1文字もらったからね」
若葉の長女の名前は「冬葉(かずは)」である。
「もうひとり作って、その子の名前は政子から1文字取るから」
「まあいいけど」
と政子も言う。
「この若いという字を『なお』と読むの、どこかで見たことあると思って考えてたんだけど《なよたけのかぐや姫》がこの字だよね」
と政子は言って《若竹の赫夜姫》と書いてみせた。
「それを知っているのはさすが政子だね」
と若葉が言っている。
「なよたけのかぐやひめって、そういう字だったのか!」
と私は驚いた。
「予定日は3月11日。その日にレストラン・ムーランを開店させようかな」
「いいんじゃない?そのくらいまでには準備できるでしょう」
「建築間に合うの?まだ場所も決めてないんでしょ?」
と政子が心配する。
「どこか空き地に建てといて、当日トレーラーで運んでいってポンと置いてもいいかも」
「若葉の財力なら、それもできるかもね。でも保健所の検査もあるから数日前には設置する必要があるよ」
「面倒くさいなあ」
「法務関係は誰か専門家にさせた方がいい。飲食店開業って、結構面倒な問題があるから」
「じゃ、うちの顧問弁護士さんに誰か若い人を紹介してもらおうかな」
「スタッフはどうするの?」
「前山さんは店長兼フロア主任ということで、料理人さんたちは前山さんの人脈で2人確保できそうだから、後は募集で。フロア係は男の娘を募集しようかなあ」
「それレストランのコンセプトが変わってしまう気がする」
「そうかな。でもなんか普通のレストランにはしたくないんだよね」
「まあ個性は必要だろうけどね」
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