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■夏の日の想い出・振袖の勧め(2)
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アクアのアルバム発売記者会見には、★★レコードの会見場に入りきれないほどの記者が詰めかけていた。例によって音楽関係の記者のみならず女性ファッション誌の記者、女性週刊誌の記者などまで来ている。
中には初めてアクアの生歌を聴いた記者も結構居たようで
「嘘!? 口パクじゃないんだ!」
などという声まであがっていた。
なお、今日のアクアのファッションは『翼があったら』のPVの中で出演者が着ていたのと同じ、小さな羽がついた白い服である。修道士の服をイメージしているのだが、女性用のワンピースのようにも見える。記者会見がテレビ中継されていた間ネットでは
「やはりアクアちゃんは女の子の服なのね〜」
などという書き込みが見られた。
歌を披露した後に、秋風コスモス社長からアルバムのコンセプトや制作過程などについて説明がある。そのあと質疑応答に入るが、大半をコスモス社長や★★レコードの福本深春が答え、アクアは時々自身で話す感じで会見は進んだ。
このアクアの記者会見も30分の予定だったのが、質問が途切れず、結局1時間経ったところで加藤課長が「今日はこのあたりで」と言って打ち切られることになった。
「初動が凄まじいですね」
と日曜日(12月13日)、氷川さんはうちのマンションに朝から来て言った。
「アクアのアルバムですか?」
「初日に予約分も含めて40万枚、昨日までに既に60万枚売れてる」
「たぶん年明けにドラマで例の子の正体が明かされたらもっと売れますよ」
と私は言った。
「やはり高見沢みちるってアクアちゃん?」
と氷川さんは訊く。氷川さんもこの付近の確かな筋からの情報はつかんでないのだろう。
「私も想像ですけど、そうだと思いますよ。でもネットではこのことに気づいている人はほとんど見ませんね」
と私は答える。
「みんな主題歌を歌っている品川ありさちゃんだと思い込んでいるね。あの子、スポーツ少女だから《強い女の子》を演じるにはピッタリだもん」
「ええ。品川ありさちゃんがしても良かったと思いますけどね。コスモス社長って結構策士ですから」
「最初にボイスチェンジャーを使って記者会見までしてみせたのが実はヒントになっていたんでしょうね?」
「です。推理小説の伏線みたいなものですよ。あのボイスチェンジャーでアクアは男の子の声を出すのと同様に、高見沢みちるの声も出しているんだと思います。しかも話し方をきれいに変えている。関耕児を演じる時は男の子っぽい話し方をして、高見沢みちるを演じる時は女の子の話し方をしているんですよ。男は語るように話す、女は歌うように話す。男女は声のピッチより話し方の違いが大きいんですけどあの子はそのどちらもできる。ほんとに演技力がありますよ」
「ねえ、ここだけの話、あの子、本当に女の子になるつもり無いんだっけ?」
と氷川さんは尋ねる。
「女の子になるつもりはないと思います。でもまだしばらく男にもなりたくないんですよ」
「微妙な線ですね。女性ホルモンは?」
「使ってませんよ。あの子、本当に性的な発達が遅れているみたい。お医者さんから男性ホルモンの投与を勧められたものの、それも嫌だと拒否してるんです」
「なるほどですねー」
「ここだけの話だけどね」
「ええ」
「アクアのプロジェクトは別会社に分離しようかという話が浮上してるのよ」
「へー!」
「アクアの人気があまりにも急上昇したから、投資額も急速に膨らんでいて、一部の株主から、リスクを懸念する声が出ているらしいのよね」
「確かにこれで万一何かで人気が急落すると、致命的な損害が出ますね」
「だからリスク分散しようと。それに別会社にすると、こちらと競争できるから、それで切磋琢磨した方がいいのではという意見もある」
「誰がその社長になるんです?」
と私は訊いた。
「町添が社長、★★チャンネルの朝田さんが副社長」
と氷川さんは言った。
私は少し考えてから言った。
「それって村上専務あたりから出てきた話ですか?」
氷川さんはそれに直接は答えずただ微笑んだ。
「会社ってほんっとに色々権謀術数があるよね〜。私はその手の戦いは苦手」
「でも結局アクアは三田原係長が担当することになったんですね?」
と私は尋ねた。
これまでアクアに関する事務は氷川主任や北川係長、南係長などがその度に色々動いてきたのである。
「そうそう。三田原君が担当していた他のアーティストは他の人が引き継いでほぼアクア専任になる」
「いや、専任担当者が必要になりますよ」
「何と言ってもかつての★★レコードの看板アーティスト・ラララグーンを成功させたA&Rだからね。ラララグーンが解散した後も、何人ものポップス歌手を成功に導いている」
「最近では夏樹了子さんを担当してましたね」
「うん。初めて担当した女性アーティストなんだよね。前任者が結婚で退職して女性のA&Rで空いている適当な人がいなかったから暫定担当ということにしたものの、相性がいいからということで結局2年も付き合うことになった」
「ああ、2年くらいですか」
「加藤は万が一にも恋愛事だけは避けてくれと言っていたらしいんですけど」
「その心配は無かったですね」
「うん。あの子、夏樹さんを担当した早々に夏樹さんから女性指向を見抜かれてしまって、実はツアーとかに帯同する時はずっと女装していたらしいね」
「へー!」
「昨年の性別移行で三田原武彬から三田原彬子になって、他に担当していた男性アーティストの大半から担当は外れたけど、ちょうど夏樹了子のアルバム制作とツアーを控えていたから、夏樹了子の専任に近い形になれて、助かったと言っていたよ」
「うまくかみ合いましたね」
「夏樹了子の担当は八雲君が引き継ぐ」
と言って、氷川さんはニヤニヤしている。
私は一瞬ためらってから尋ねた。
「氷川さん、八雲礼朗さんの方とも何かありました?ここだけの話」
すると氷川さんは物凄く可笑しそうに笑ってから言った。
「とうとうあの子の秘密を私知っちゃったのよね〜」
「秘密ですか?」
「あの子、プライベートではいつも女装しているのよ、ここだけの話ね」
「そうだったんですか!?」
「それで丸山アイには、もともとプライベートで女装している時に遭遇したことがあったらしく、いきなりバレちゃったから、彼女の制作とかに入っている時は、ずっと八雲君本人も女装しているらしい」
「でもプロダクションの方にはいいんですか?」
「ζζプロの青嶋部長が、なんとあの子の同級生とかで、八雲君の実態を最初から知っていたらしい」
「あらぁ」
「女性名は礼江(のりえ)ちゃんなんだって。だから私、携帯のアドレス帳は八雲礼朗(のりあき)から八雲礼江(のりえ)に変更しちゃったよ。最近は『のりちゃん』と呼んであげてるからあの子も私のこと『まゆちゃん』と言うけどね。もうあんた、会社でもカムアウトして女性社員になっちゃいなよと唆したんだけど、恥ずかしいと言って」
「いや、それはなかなか勇気出ないですよ。それであの人、女性アーティストとうまく行くんですね」
「そうみたい。心が女の子なんだよね。逆に男性アーティストとはうまくやっていけない。男性心理が理解できないから」
「なるほどー」
「あの子も丸山アイと温泉で遭遇したことあるらしいよ」
私は考えた。
「氷川さんも丸山アイと温泉で遭遇したと言ってませんでした?」
「うん。温泉の女湯でね」
「つまり丸山アイって実は女の子なんですか?」
「肉体的にはそうだと思う。天然女性なのか性転換して女の子になったのかは分からない、あの子『タックじゃないですよ』と言って、割れ目ちゃんを開いてみせてくれたよ」
「へー! ということは八雲さんも?」
「最低でもおっぱいはあるということだよねー。下はどうなのか知らないけど。追及しても口を濁すから、かなり怪しい気はするんだけどね」
「うむむむ」
私は一時期氷川さんが八雲礼朗さんにかなりの関心を示していたようでもあったことから、ふたりの間に恋愛感情があるのではとも憶測していたのだが、どうも恋愛ではなく、友情の方に行ってしまっているようである。
しかしそれなら先日、氷川さんと八雲春朗さんが立ち話をしていた時、礼朗さんが嫉妬するような目をしていたのはなぜだろう?と疑問も感じた。もしかして、氷川さんは八雲礼朗さんに友情モードで接していても、実は八雲礼朗さんの方は氷川さんのことが好きなのだろうか??
「いや加藤から、ケイさんに変な誤解を与えないようちゃんと説明して来いと言われたもんで」
と、その日うちのマンションに朝から来た八雲礼朗さんは言った。
彼?彼女?はこの日女装していた。
とても自然な女装でふつうに女性にしか見えない。
「加藤さんには八雲さんの性的な傾向のことは話しておられたんですね?」
「正式に話したことはないんですけどね。女性社員の間では結構バレてるんで加藤は察しているみたいです」
女性社員というのは、多分北川さんとか富永さんとか氷川さんとかだろうなと私は思った。
「私は別に氷川さんには恋愛感情は無いんですよ。私の恋愛対象は男性ですので」
と八雲さんは言う。
「ああ、そうだったんですか?」
「私はね、実は小さい頃から春朗のことが好きだったんです」
と八雲さんは大胆な告白をした。私は何も反応しなかった。反応できないと思った。
そうか。山村星歌の結婚式の時に見たシーンは礼朗さんは氷川さんに嫉妬していたのではなく春朗さんの方に嫉妬していたのかと、私はやっとあの時の状況を理解した。
「愛してはいけない人というのは分かっています。ですから春朗にはそういうことを言ったことはありません。でも春朗は私の気持ちを察しているみたいで、その弱みにつけ込んで結構無茶なことを私にやらせてきたんですよね」
私は何も答えない。
「異父兄弟ではあっても、遺伝子的にみれば実の兄弟に等しいですからね、というか本当に実の兄弟である可能性もある。それに男同士だし。究極の禁断の愛ですね」
「自分で気持ちをちゃんと止めることができるのなら、それでいいと思いますよ」
と私は初めてひとことコメントした。
「多分別々の家庭で育ったからなんでしょうね。ふつうの兄弟が恋愛感情を持たないのは一緒に育っているからですよ」
「そういう話は聞きますね。生き別れの兄妹とは知らずに恋をしてしまってとか」
「ええ。私が小さい頃から持っていた感情もそれに近いものだと思います。個人的にはもう春朗のことは何とも思っていないつもりなんですけど、目の前で他の女性とイチャイチャしてるの見ると、つい嫉妬心も起きてしまって」
「人間の恋愛感情は難しいですからね。簡単に制御できるものではない」
と私は言う。
「制御できるなら恋ではないですよ」
と八雲さんは言った。
あれ?この言葉誰かからも聞いたなと私は思った。
「でも八雲さん、せっかく性別移行制度もできたし、女性社員にならないんですか?」
と私は訊いた。
「私、全然女として生きる覚悟が無いから」
と彼女は言う。
「え?でも性転換手術まで受けたのに・・・・受けてますよね?」
と私は半分山掛け気味に言った。
「受けてます。でも実は間違いだったんです」
「間違い?」
「私、去勢手術を受けに行ったんですよ。女になる覚悟は無かったけど、男のままで居るのは辛かったから」
「それは分かります」
「ところが性転換手術を受ける患者と間違えられちゃって」
「あら〜」
「それで何の覚悟もないまま性転換しちゃったんですよ」
「それどういう扱いになるんですか?」
「病院側は平謝りでね。慰謝料とかの交渉にも応じると言っていたんですが、私は女の身体になるのは全然問題無いからと言って。手術代はタダにしてもらった上で、御見舞金に300万円もらって、その後の経過診察とかの診療費に女性ホルモンの薬代まで、ずっとタダにしてもらってますから。あそこの病院に掛かる限りは風邪でもタダで見てもらえることになっています」
「私なら喜んじゃうところ」
「私も実は喜びました」
「やはり」
「自分としてはまだ迷いがあったんですよ。取り敢えず去勢だけはしておこう程度の覚悟だから。それでいまだに仮面男子なんですけどね」
「それは自分の気持ちが定まってからまた考えればいいでしょうね。そういう事情であれば」
と私は言う。
「ええ、そう思っています」
「でも性転換手術の後はさすがに3ヶ月程度は休みますよね。休職か何かにしてもらったんですか?」
「いや、去勢手術だけのつもりだったから、1週間有休取ってただけで」
と照れながら八雲さんは言う。
「まさか1週間で仕事に復帰したんですか?」
「サイドライトの福岡公演に新幹線で往復してきましたよ」
「ひぇー!! よくやりましたね」
「当時秋月の下に付いていたんですよ」
「わぁ」
秋月さんというのは、ローズ+リリーの初代担当である。
「彼女は当時執行さんに夢中で」
「あぁ・・・」
「サイドライトのイベンター側の担当が執行さんだったんです。それで秋月は彼に夢中だから、おかげでこちらは体調が悪いの気づかれずに済みました」
「それにしてもよくその状態でライブの管理とかやりましたね」
「まあフラフラでしたけどね。でもケイさんみたいに、性転換手術をした翌日にライブで演奏するほどの体力は無かったです」
「ちょっと待って下さい。いつの間にそんな話になってるんですか!?」
「あれ?違いました?ローズ+リリーは急遽デビューが決まったからその前に女の子の身体にならなきゃというので、すぐ手術したけど、翌日には富士急ハイランドで歌ったと秋月から聞いたと思ったんですが」
「そんな話は初耳です!」
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