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■春始(11)

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千里がミラを購入して諸手続きが終わり、車を受け取ったのは10月5日(土)であった。千里はミラを買ってから受け取るまでの間に、これで高速を走りまくってこようと考えていた。
 
まずは郊外のスーパーに行って食料などをたくさん買い込み、布団と毛布にサンシェードも積んだ上で6日(日)に出発する。まずは東北道をひた走って青森まで行き、浅虫温泉に泊まった(770km).
 
ミラは何と言ってもスピードが出ない!高速では左側の走行車線や登坂車線をひたすら走る。後ろから煽られても焦らない。焦ってもしょうがない。ハイビームで照らされても、罵声を浴びせられても気にしない。どっちみち最大頑張っても100km/hしか出ないし、坂道では80km/hとかどうかすると60km/h以下まで落ちることもあるが、ただマイペースで走るだけである。
 
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千里はこの走行で「厚かましく生きる姿勢」を心の中に確立していった。
 
またミラは給油タンクが小さい。インプなどと違ってかなりこまめに給油する必要もある(これはやばいと認識して途中でガソリンの携行缶と給油ポンプを購入してGSでそちらも満タンにしてもらった)。千里は早め早めに手を打つことの必要性も再認識していった。
 
貴司が阿倍子に入れあげていっていたのは実は知ってはいた。しかし当時なぜか自分はそれに介入しなかった。結果的に手痛いダメージを食らうことになった。早めに手を打っておけば、こういう目には遭っていなかったかも知れないという気持ちはあった。
 
千里は浅虫のひなびた温泉宿で温泉につかりながら、その日の走行を振り返ってそんなことを考えていた。
 
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しかし千里がこの旅で旅館に泊まったのはこの1日だけであった。
 

7日(月)には、早朝から東北道を南下、郡山JCTから磐越道に入り新潟PAで車中泊(620km)。8日(火)は新潟中央IC/JCTから北陸道を南下して長岡JCTから関越に入る。
 
千里はこの時はこのまま東京に戻るつもりだったのだが、走っている内に気が変わる。藤岡JCTで上信越道に行き、更埴JCTから長野道を南下、みどり湖PAで車中泊(410km).
 
9日(水)は岡谷JCTから中央道名古屋方面に乗り、東海環状道・伊勢湾岸道・東名阪道・伊勢道と通り、夕方、伊勢の神宮に外宮→内宮と参拝してから、二見ヶ浦でカエルさんたちと戯れ、瀧原宮・瀧原竝宮前の道の駅で車中泊(350km).
 
10月10日(木)の日出と共にその瀧原宮・瀧原竝宮に参拝して、すがすがしい空気の中で千里は心の平穏をかなり取り戻した。
 
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その後、紀伊半島の沿岸を半日走り続けて和歌山の加太で夕日を見る(310km). そして夜間に阪和道・近畿道・(阪神高速)と走って明石海峡大橋を越え、道の駅あわじで車中泊する(160km)。この道の駅は実は貴司との思い出の場所である。
 
11日(金)は大鳴門橋を越えて四国に渡った後、高松自動車道から瀬戸大橋で岡山に戻る。そのまま山陽道を西端まで走り、山口JCTから中国道に合流して壇ノ浦PAで車中泊(530km).
 
12日(土)は関門橋を渡った後、九州道を南下、えびのJCTから宮崎道に分岐して宮崎まで行き、青島まで到達する(380km)。実質、清武PAで車中泊したのだが高校時代に来た時と同様に、早朝島の手前まで来て夜明けを待った。
 
13日(日)は日出とともに青島神社に参拝した後、九州東岸を北上。大分の佐賀関(ここまで200km)から国道フェリーに乗って愛媛県の三崎へ。ここから愛媛県内を走り、しまなみ海道を走って大三島へ(三崎から200km).
 
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14日(月)は大山祇神社横の道の駅で車中泊。朝から大三島神社に参拝した後、しまなみ海道に再度乗って本州に戻り、山陽道・岡山道・中国道・名神・北陸道と走って徳光PAで車中泊(630km).
 
15日(火)は白山スーパー林道で白川郷に抜け(ここまで70km)、東海北陸道を一宮JCTまで南下してから名神・東名・首都高・京葉道路と走って深夜0時過ぎに千葉市に帰還した(白川郷から560km).
 
合計5190kmの旅である。実際のミラのトリップメーターは5260kmを示していて千里は「逆から読めば貴司の誕生日(6月25日)だ」と思った。
 

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2013年10月16日の夜中1時過ぎ、千里がアパートの前にミラを駐め、部屋の前まで行くと、桃香が起きてきて千里が鍵で開ける前に、ドアを開けてくれた。千里は桃香に
「ただいま、桃香」
と言って抱きつき、キスをした。
 
「ちょっとちょっと。ドアを閉めてから」
と言って慌てて桃香が千里を中に入れてドアを閉める。あらためて抱き合って深いキスをする。
 
「千里、どこ行ってたの?」
「あちこち」
 
と言って千里はお土産をミラから運び出す。
 
「南部煎餅、津軽産の紅玉、干し菊、かもめの玉子、萩の月、新潟のえご、信玄餅、ゆかり煎餅、紀州の梅、徳島ラーメン、讃岐うどん、岡山のきびだんご、豆子郎のういろう、筑紫餅、博多ラーメン、かるかん、薩摩揚げ、じゃこ天、愛媛ミカン、赤福、中田屋のきんつば、ます寿司、高山ラーメン、ひるがの高原サービスエリアで買ったアイス、ドライアイス入れてもらったから大丈夫と思う。最後に買ったまま食べてなかったロッテリアのリブサンド」
 
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「ほんとにあっちこち行ってきたね!」
と言ってから
「お酒とか無いの?」
と訊く。
 
「ごめーん。自分があまり飲まないもんだから」
「私は左党だ」
「じゃ、また次日本縦断することがあったら」
 
「この車は?」
「買った」
「いくら?」
「3万円」
「安い!」
「そういうの好きでしょ?」
「大好き」
「今夜はHしようよ」
「おお、そういうのは好きだ」
「たまには私に男役させて」
「え〜〜!?」
 
もっとも千里は男役としてはあまりに下手くそだったので
「そんなんじゃダメだ。男はクビ。女になれ」
と言われて2回戦以降はいつものように桃香が男役を務めた。
 

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2012年春に千里が千葉ローキューツを退団したのには幾つかの理由があった。2012年1月にオールジャパン出場、3月の全日本クラブ選手権では優勝して、花道にすることができたこと。貴司との結婚を決めて、結婚準備のため忙しくなることが予想されたこと。
 
しかし実は最も大きな理由はキャプテンにされないためであった!
 
当時キャプテンの浩子は就活のため退団する意志を示していたし、麻依子はちょうど結婚したばかりで、しばらく新婚生活を楽しみたいと言っていた。そうなると自分が残っていたら、間違いなくキャプテンをやれと言われそうだったので「私も結婚するから辞める」と言って辞めてしまったのである。
 
もっとも、その一方で千里は日本代表候補に招集されてしまい、そちらが忙しくて実際には結婚準備など、ほとんどできなかったのだが。
 
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千里は2012年夏に日本代表の活動から離れた後は、年末くらいまではマジで性転換手術後の身体を休めていたし、また貴司に振られたショックもあり、更に進学することにした大学院の入試の勉強に追われて、バスケ活動は何もしていなかったのだが、12月22日の「結婚記念日」に貴司と再会して和解(?)したこともあって年明けくらいからは個人的にバスケの練習を再開していた。
 

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千里がミラを買って日本縦断してきてから少しした頃、千里は江戸娘の創立者秋葉夕子とバッタリ遭遇する。
 
取り敢えずお茶でもと言ってドトールに入り
「最近何してんの?」
などと言っていたら、夕子も実は江戸娘を退団していたことを知る。
 
「でもバスケしてないと、何だか体調悪くてさ」
「あ、私もそう思って最近、個人的に練習してたのよ」
「誰と練習してるの?」
「今ひとりなんだよね〜。何なら一緒に少し汗流さない?練習パートナーが欲しいと思ってた」
「それもいいねー」
 
当時、千里は江東区の公共体育館を木曜日の夕方だけ借りていた。そこに夕子が加わる形になり、ふたりは毎週木曜の夕方にこの体育館に行って一緒に練習するようになった。
 
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そしてそこに2013年2月に子供を産んで、そろそろバスケ活動を再開したいと思っていたという麻依子が加わり、東京の大学院に進学して以来、バスケをする環境が無くなって悶々としていたという中嶋橘花が加わり、橘花が更にTS大学時代のチームメイト橋田桂華を誘い、また所属していた実業団のチームの上層部と対立して退団したという竹宮星乃が加わりといった感じで、この木曜日の練習仲間が増殖していったのである。やがて練習日は火曜日にも設定され、しばらくは火曜・木曜の週2日間が千里たちの練習日となった。
 
(翌年4月からは土曜日も練習日に加えられた。このあたりは元々千里と知り合いであった立川館長の好意で、空いた時間帯を優先的にこちらに回してくれたのである)
 
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「なんかこれだけ人数がいたらチームが作れそうだ」
「じゃチーム名決めようよ」
「40 minutes」
と提案したのは麻依子であった。
 
「バスケットの試合が40分だから?」
「1日40分練習すればいいよ、という気楽なチームを目指す」
「あ、それもいいね」
「うん。頑張って全国優勝するぞ!とか張り切るのもいいけど、のんびりと気楽にバスケを楽しむというのもいいよね」
 
「じゃマークは40分までしかない時計で」
と言ったのは星乃だった。
 
「よし、ユニフォーム作ろう」
と千里は言い出した。
 
「え〜〜!?」
「今参加しているメンツの分は私がお金出すよ。背番号の希望は早い者勝ち」
と千里。
 
「早い者勝ちなら、私はマイケル・ジョーダンの23」
と橘花。
「じゃ私はシャキール・オニールの34」
と夕子。
「だったら私はマイケル・クーパーの21」
と星乃。
「私は一度付けてみたいと思ってた1番かな」
と麻依子。
「じゃ私は・・・」
と千里が言いかけると
「千里は33だ」
と星乃が言う。
 
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「なんで?」
「平成3年3月3日生まれの3P女王で、コートネームもサンだから、33が最も千里にふさわしい番号だ」
と星乃。
「じゃそれで」
と麻依子が言い、千里の背番号は勝手に決められてしまった!
 
「でも千里、そんなにお金あるんだっけ?」
「いや、去年私結婚を目前に婚約破棄されたからさ。結納金が手付かずで残ってるんだよね。向こうのお母さんは返却不要と言った。あいつこの8月に結婚したからこちらは破談確定。だからそれを使っちゃう」
 
千里が貴司に婚約破棄された問題では、麻依子や橘花など古くからふたりの交際を知っていた面々も心配していた。
 
「いいの?」
と夕子が心配する。
 
「うん。婚約破棄記念で。私は恋よりバスケに生きる女だよ」
「バスケの試合中に10万人の観客の前で細川君とキスした女がよく言うよ」
と橘花。
 
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橘花も10万人にしてるし!
 
「よし。そういうのは、ぱーっと使ってしまおう」
と星乃も言い、それで40 minutesのユニフォーム(ホーム用・ビジター用)はいきなりどーんと50組も作ってしまったのであった。デザイン画を描いたのも提案者の星乃である。
 
(名前は在籍中のメンバーは注文時に入れてもらい、後で加入したメンバーの分は橘花が手作業で同じ書体のレタリング文字をパソコンで作って入れてくれた)
 

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「ところでここだけの話。千里、婚約破棄されても、細川さんといまだに付き合ってるだろ?」
と麻依子が言った。
 
練習中に千里に掛かってきた電話などを聞いていれば、そのあたりは想像がつくところだろう。
 
「ここだけの話って、こんなにたくさん聞いてるのに!」
と千里は言う。
 
「大丈夫。私は口が硬い。親友以外には話さない」
と橘花。
「私は人の秘密を無闇にもらしたりしないよ。仲間内だけに留めておく」
と夕子。
「私は放送局の異名がある」
と星乃。
 
「ちょっと待て」
 

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このチームは2014年4月に東京都クラブバスケット連盟に登録することになり、千里や麻依子を含む、引退扱いになっていた参加者たちも全員正式に現役復帰することになる。
 
(千里は三木エレンには「引退は許さない」と言っておいて自分は1年間引退状態にあったのである)
 

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2015年11月3日(祝)の早朝4時頃、千里は目を覚ました時、まるでここ3年くらい自分の心を覆っていた霧が晴れていくような感覚を覚えた。
 
社会人選手権で準優勝して2012年以来3度目のオールジャパン出場を決めた。その帰り道、貴司のマンションで保志絵と遭遇するという面白い体験をして、貴司の正当な妻としての自覚を取り戻したし、京平の母としての自覚も再認識した。
 
今回は貴司本人とは会ってないけど!
 
昨夜、自分の2年前の出来事をリプレイするかのような夢を見たのは、きっと自分の心を再度整理するためだったのだろう。
 
その感覚の中で千里は詩を書いていった。
 
桃香は熟睡している。青葉もまだ寝ているようだ。
 
使っているのはここしばらく愛用しているU21世界選手権で3P女王を取ってもらったパーカー製銀色の万年筆である。
 
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1時間ほど掛けて詩を書き上げると、自然にメロディーも浮かんできた。千里は五線紙を取り出すと、そのメロディーを書き綴っていく。所々ギターコードも記入し、ここはこういう伴奏という所は伴奏パターンも書き添えておく。
 
7時頃、青葉が起きてこちらの様子をうかがっている雰囲気なので
「青葉、朝御飯にしようか」
と声を掛けて千里は立ち上がった。
 
青葉は千里が《左手薬指》に大粒の上品なアクアマリンが輝くプラチナリングをつけているのを見てドキッとした。これ、誰からもらった指輪だろう?絶対桃姉の趣味じゃない、と思う。値段は多分60-70万円はする。エンゲージリングとしても使えるレベルの品だ。しかし青葉は訊いた。
 
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「ちー姉、何してたの?」
「これ書いてた」
と言って千里は書き上げた曲を見せる。
 
青葉は譜面と歌詞を見ている。
 
「すっごい曲だ。タイトルは?」
「『門出』かな」
 
「ちー姉、心の迷いが晴れたみたい」
「青葉」
「はい」
「自分の大事な人はしっかりキープしとけよ。油断すると取られるぞ」
 
青葉は数秒考えて「うん」と頷いた。
 
「だから今日は千葉に行って彪志君とデートしてきなよ」
「え〜!?」
「青葉は彪志君を放置しすぎていると心配していた」
 
青葉は少し考えてから
「そうしようかな」
と言った。
 
「コンちゃん持ってる?」
「一応2個はナプキン入れに入れてるけど」
「1箱持って行きなよ」
と言って千里は居室の机の引き出しから1個取り出して渡す。
 
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「ありがとう」
と言って青葉は素直に受け取った。
 
「でもちー姉、この曲、誰に歌ってもらうの?」
「そうだなあ。これ鴨乃清見の名前で出したいのよね。でも大西典香が引退しちゃったから、こんな曲歌える人がいない。困ったな。津島瑤子とか花野子(ゴールデンシックスのカノン)の歌唱力ではちょっと歌えないし、龍虎(アクア)は問題外だし」
 
と千里は悩んでいる。
 
「そうだ。青葉、歌手デビューしない? 大学進学なんかやめて」
と千里が言うと
 
「遠慮する」
と青葉は言った上で
「冬子さんなら歌えるよ」
と言う。
 
「なるほどー。よし、ローズ+リリー用に編曲しよう」
と千里は笑顔で言った。
 
この楽曲はこのあと千里がCubaseに打ち込んで11月12日の夕方、自ら冬子のマンションを訪れ「良かったらこれ歌って」と言って手渡すことになる。

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